並べられ崩されまた整える。
この世には“理”が存在する。輪廻の輪は笑いながら、人型達を眺め廻っている。命の石は、光照らしながら人を示し、命の色を発する。瞳は星を、髪は雲を、魂は陰りを映す。私達はそうやって、無知無垢なままで生を進める事ができない。終わりに近づくに連れ、必ずといっていい程影を伸ばされ、光が収束し、絶望という感情に押しつぶされていく。
私達はどうやって過ごしてきたか。周りと固まり、一つの的に憎悪を向ける。そうする事で、人間は仲間意識が強まり、団結できるようになるのだ。私はそれが、酷く恐ろしかった。
さあ、ミーが星書庫に定住するまでの物語を。
壱
私は最初、ただの石でできた像だった。人間達が遊びに来るこの場所は、“ジンジャ”というらしい。ジンジャに置かれた私は、ただの石。意識を持つ石など、面白くもないだろうに、子供達はじっと見つめては笑う。大人も度々ここへ来ては私の前で拝んでいく。手をパチパチと鳴らし、お辞儀をする行為の事を“拝む”というらしい。
私は無知で、石のように固い何かを抱えるわけでもなく、ただこの光景を一人、眺めているだけ。
そんな私の所へ、ある人間がやって来た。真っ白な布を持って。純粋なる白は、闇を一層際立たせる色。そんな風に、ジンジャの近くにあるらしい村は白を苦手としていた。だが、この人間は布を愛おしそうに眺め、優しく撫ぜていた。何故だ? と疑問が頭を通り過ぎたが、何となく解っている。この人間は村の者では無いのだろう。だから、白に怪訝な顔をしないのだ。
きっとそうだろう、と私は人間の顔を見る。やはり、白をまじまじと見つめている。
人間は布を私の前に置いた。
私は石だ、受け取れない。そう言おうとして、また葉が揺れる。どうやら、私は心というものが揺れ動くと周りにも影響があるらしい。これなら、会話ができるだろうか。
「神様、どうか我々にご慈悲を、祝福を」
人間はそう言って、白い布をもう一度撫ぜた。
私は私の姿を知らない。同じように、人間達も私が聞いている事を知らない。カミサマというのは、一体どんなものなのだろうか。人間は、カミサマをどんな風に思っているのだろうか。私はこの人間を、少し不思議に思った。今まで人間達は、果物やサユという湯、それから変な歌を私の前に置いていったり行ったりしていた。が、この人間は白い布を置いていったのだ。
暗い時間を過ぎて、また明るくなった。そして、今日はいつもと違う事が起きた。
私の前にある丸い池に、一人の人間が落ちた。誰かに押された訳でもなく、私が何かした訳でもなく。何人もの人間に囲まれた池へ、人間が落ちた。私は、今までに感じた事のない気持ちを知った。葉が大きく揺れて、池に波紋が広がった。人間達は私の方を見ながら、
「どうか、どうか我々に恵みの雨を、水を与え給え」
とだけ言って、頭を地面に置いていた。
途端に、水が空から降ってきた。私は、これが人間達の言っていた“アメ”なのかと思った。それは当たりだった。人間達は「雨だ! 雨が降ってきた!」とおお喜びして、「ありがとう御座います」と私へお辞儀を何回もしていた。
ただ、前の明るいときに白い布を置いて行ったあの人間だけは、私の方をじっと、悲しそうな目で見ていた。
それから明るい暗いを繰り返しても、アメというのは止まず、光が来なかった。私の体に、冷たい水が滴っていく。これもアメなのかと思った。
あの人間が来た。池の中、水を手でかき混ぜてのぞき込んでいた。私は、人間に声を掛けたいと思った。先程のあの飛び込んだ者はどうなったのか、何をしていたのかを聞きたかった。
「神様、悲しく思ってくれるのですね。我々の死を、犠牲を、願いを」
何を言っているのかは、あまり理解はできない。人間は私の前にある白い布を手にとって、私の体にある水を拭き取ってくれた。
「ごめんなさい、神様。神社の中にいて、雨はしのげている筈なのに……泣いてくださったのですね」
ナク。この水が流れていく事は、ナクというのか。
「我々の村は、今雨が降る期間が長く後が辛いのです。植物には太陽の光と、雨が適度に必要なのですよ」
人間は、白い布を大事そうに撫ぜながら話す。私の方に目をやり、微笑んで。
弐
大分、私は人間を知れた。色々な言葉を、あの人間“ヴァダ”と名乗る女性に教えてもらったからだ。しかし、彼女は私が話を聞いているとは到底気付かないだろう。なにせ、私は石像なのだから。
「神様は、我々の村へ来たことはないんでしょうか。村の人々は、神様は人々をいつもどこでも見守っていて、守ってくれたり助けてくれる存在だと言っていました」
悲しそうな瞳が、晴れている太陽の光へ向けられている。神社の中、私が置かれている場所は神聖な場所らしく、悪は入ってこられないよう鳥居というもので結界? を張っているらしい。だからか、私の隣へ座りこうして独り言を呟くのは、ヴァダしか見たことがない。
「外の世界は、神様を祀る街や村など無いと聞いています。どんなものなのか、気になりますよね」
神様と呼ばれる私に、ここまで親身に話し掛けてくる人間はそう居ないだろう。ヴァダ以外、今まで見たことがない。
「そろそろ、水源がほしいです。神様、我々の村の中には、この池以外水がほとんど無いんです。井戸を作ろうとしても、川や海は村の中に無くって」
川、海、池。このすべてが、水の補給できる大切なものらしい。私は石だから、何も飲まず食わずでも生きている。生きている、かは分からないのだが。
どうせならば、ヴァダにこの石像を、私を壊し中から動くことができるように仕掛けられないだろうか、なんて考えたりもする。ただ、ヴァダも村の人間達も、私に傷をつけようだなんて考えはないらしいが。
「えぇっと、神様。我々の村に、どこでも構いませんから……いや、村や神社に被害が出ない場所に、川を作っていただけないでしょうか」
なんてね、とヴァダが笑う。その顔に、あまり生気が感じられない。笑ってない、これは、彼女の痩せ我慢だろう。いつから私は、人間達を気にかけるようになったのだろうか。目が覚めた時からここで動けず、ただ痩せこけていく惨めな人間を眺めてきただけの私が。
ヴァダは願うように拝み、真剣な眼差しを私に向ける。
「川が何か、あまり分からないですけど。……神様なら、わかるかな、って」
私も、川というものは知らない。でも、海は広く、池は丸く、なら川は────細い、道のようなものだろうか。試してみよう、と私は意気込んで、近くの崖を睨みつけた。その瞬間、水が流れる。ゆらゆらと揺れ動き、その姿はまるで水でできた龍のようだ。それは崖を滑り、神社への道である階段と崖の間を通り過ぎ、下まで伸びていった。
「…………神様」
唖然とした様子のヴァダが、目を輝かせる。
「ありがとう、ございます」
涙が零れ落ちる。ヴァダは心の底から、感謝を述べ続けた。
暫くして、私とヴァダのところへと人間達が早足でやってきた。中には息を切らしているものも。人間達はヴァダにお辞儀をして、
「神子様だ、神と対話できる神子様だよ、あんた」
と褒めていた。ヴァダは照れ臭そうに、頭に手を当てて微笑を浮かべている。私はその様子を眺めながら、水の流れる音に聴き入っていた。
参
ヴァダはそれから、明るいときと暗いときとをずっとここで過ごしていた。生活には困っていないらしく、むしろ私に独り言を聞かせるのが楽しそうだ。白い布を毎日洗ってきて、私の前へ置いて。
「神様」
なあに、と呼びかけに答えることはできない。過ごす時間が増えてから、私は前よりも自分の足や口や手でこの世界を堪能したいと願うようになった。
「わたし、神様のこと考えてみました」
そういって広げたのは、一枚の紙。そこには見た事も無い文字というものが書かれていて、一番上は“神様”と読むらしい。順に、ヴァダはその文字を読んでいった。
「神様の名前は、神社の名前の元なんですって」
「神様は、夢の神様と呼ばれていて、わたし達の夢を叶えたり、夢を見せたりするらしいです。……って、その神様に話しかけてるんですよね、わたし」
すっと、ヴァダは立ち上がった。手には、見たことないギラリと光る物を持って。
「わたし、村に行って、やる事があるんです」
「だから、待っててください」
暫く待っていた。ヴァダは私のところへと戻ってくる時、先ほどとは違う見た目だった。赤い、体中が。手に持っている物も、あの小さなギラリと光る物ではなくて。持ちての先に重そうな箱がくっついている。
「神様、村の人達を、…………もう、泣かなくていいですから。わたし、ずっと見てました。村の子供をここで池に落とさせて命を捧げて、神様を泣かせ続けて」
そう。これまでずっと、神子にヴァダがなってからも、人間達は明るいのが嫌になると人間を一人池に落とさせた。そのたびに気持ちが変になって、雨が降った。どうしてなのか、分からない。川を作ったのにも関わらず、人間達は雨を望んだ。かと思えば晴れることを望み、ヴァダに私を任せた。
でも、何故ヴァダは泣かなくていいと言っているのだろう? まさか、人間達を説得して、川の水を使えと頼んだのだろうか?
「────わたし、村の人達を皆、殺したんです」
殺した?
「神様は、意地悪ですよね。雨を降らせと願われたときに、雷で人間達を穿てば良かったのに。何故、そうしなかったのですか?」
私は、夢の神様。その名を知り、それを全うしようとしただけ。雨を降らせると、人間達は皆おお喜びしていた。それを、人間達を、ヴァダは殺したと言っているのだ。
ヴァダの顔は笑っていない。少し霧のかかったこの神社は、まるでこの世界が間違いだとでも言いたいようだ。
「……神様、今、わたしが、開放してあげます。知ってるんです、神様は、名前があった。オネイロスという名前が。だから、人間だったんですよね? 神様には、名前が無い、呼び名だけあるって、言われてたんですよ」
明らかに、様子のおかしいヴァダ。今まで感じたことのない、敵意のような不可思議な感覚。私は石像、動けない神。私に向けられた、ヴァダの持っている箱付きの棒。
「これ、ハンマーって言うんですよ。石を砕くための道具です」
振りかぶる、大きく。ハンマーは、私の脳天を貫いた。
肆
「あは、あははははっ」
どうやら、私は勘違いをしていたらしい。ヴァダが今度の、生贄だったようだ。村の人間達は笑いながら、これ以上子供を差し出したくないと言って。ヴァダを生贄にすることで、神は暫く動けない、雨を降らせ泣き続ける……その間に、我々は村から出て逃げようと話していたらしい。ヴァダは笑いながら、村での出来事を狂ったように語った。
私は、粉々に砕けちってしまった。
「…………ふふ、っ」
でも、私は池の中で目が覚めた。周りには、今まで命を捧げてきた子供の骨がある。
私は水面から外へ出ようと、体を動かした。動かせる、と気づいてもあまり驚きはしない。石像としての私はもう崩れさったのだから。バシャリ、と大きな音が鳴り、私は外へと出た。すぐさま、驚いた顔のヴァダがこちらを振り向く。
「……誰?」
「ヴァ、ダ…………私」
息を初めてした。石像から見ていた視界よりも開けた世界。そこで初めて気付いた。ヴァダはやせ細っている。恐らく、本当は生活の中で食べ物をまともに貰えなかったのだろう。いつでも生贄にできるように。
私は、ヴァダを見つめる。
「何で、私の名前知ってるの」
プルプル震える体で、ヴァダは私を睨んだ。
神様ということを、気付いて貰わなければならない。
「神様、私…………ヴァダの話、ずっと」
「幽霊? 死人? あっち行って、わたしまだ死にたくないん、ですよ」
混乱しているのか、衰弱が進んで耳が遠いのか、分からない。でも、ヴァダは必死に私を遠ざけようとしている。
「…………また明日、ここに来て」
無理なお願いなのは、解ってる。でも、彼女とちゃんとした対話をしたい。
「……………………」
静かに、ヴァダは階段を下りていった。
また明日、というのはヴァダが別れるときに言っていた言葉だった。
「……来ましたよ」
いつもの場所、私は座っている。
神社の中はひんやりとしていて、霊験はきっと、もう無いんだなと思う。神様が、直接的な神社との縁を切ったから。石像が置かれているのは、確かに神をここに縛り付ける為だったのだろう。
「……私、夢の神様。貴方はヴァダ、そうでしょ?」
流暢に話せるようになるまで、まだ時間はかかりそうだけど。ヴァダに、話を聞いてほしかった。
「……神様? あんなすぐに、開放してすぐに、人間とほとんど変わらない姿で、現れたって事ですか?」
蛻の殻と化した村で、何かしら食べてきたのか、やせ細った体は少しだけだけれどもとに戻りつつあった。
「ヴァダの話を、ずっと聞いてたよ。石像から抜け出して、貴方と話せたらって。ずっと、思ってた」
「…………神様」
「うん?」
「ごめんなさい、昨日は」
案外あっさりと、私が神様だとみとめてくれたみたいで、安心した。
「わたし、嬉しいです。神様、石像の姿と全然変わらないですね。でも、色がついて、動いているのを見ると……新鮮です」
赤く染まった昨日と違って、今日はいつも通りだ。ほとんど、変わらない。お互い、ほとんど変わってない。私はヴァダに、隣に座るよう促した。
「私の事、こうして動けるようにしてくれて、ありがとう。でもヴァダ…………村は、もう駄目なんでしょ?」
「そう、ですね。村の人達は、ほとんど死……いえ、わたしが殺してしまいましたから」
「……きっと、神なら償えって、言うべきなのかな」
「どうでしょうか」
動けるって、こんなに楽しい事だったんだ。
私はずっと、ヴァダと話していられたらな、なんて思って。でも、そんな夢、叶うわけなくって。それは、すぐにでも……銃声にかき消されたから。
「…………っあ、れ」
「ヴァダ?」
パタリ、と倒れる。ヴァダは身動きせずに、ゆっくりと瞼を閉じた。
「神様神様って、誰と話してるんだよこいつ。どこにも居ねえぞ」
「そうだな、頭おかしくなったんじゃねえか? だから村の連中無残に殺して回ってよお」
「ははっ、こりゃひでえ。神社の御神体すら壊してら…………天罰だな!」
この人達、誰だ?
「……ねえ、ヴァダをどうしたの?!」
「おわっ、雷か?」
「危ねえな、すぐにでも引き返すぞ!」
伍
「ヴァダ? ヴァダ……」
「………………」
死んじゃったのか、ヴァダは。
そういえば、ヴァダは私の事、色々と書いてくれてたっけか。あの紙を探そう。いっその事、私はヴァダの為の神様になろう。それがいい、それこそが夢の神様の、役目だから。
「……さま」
「ヴァダ?」
「神様」
「うん」
ヴァダは濁りきった瞳で、私を見る。
「わたし、ね。本当は……スピカ・フォスって言うの。嘘をついてて、ごめん……なさい。それで、神様に、私の名前、継いでほしく、て」
「モルペウス、か」
「神様?」
「モルペウス。人の姿を取る夢のこと」
「…………」
「……夢の神オネイロスの名において、貴方の願いを聞き届ける」
「ありがと、……う」
今度こそ、事切れてしまった。冷たく、軽くなっていく彼女の体を抱きしめながら、また涙を流した。
「あ、いたいた。おーいネラ、こいつじゃないか?」
数日経って、草木だらけの神社に人がやってきた。その二人組はどちらも十代の少女で、既に死んでいるのだと話した。
「貴方達も、彼女を笑いにきたの?」
「いや、違いますよ。僕達はただ、貴方を招待するべくやって来たのです」
「どこへ?」
グラデーションが美しい白髪の少女と、その腕に抱かれている真っ黒な狐。狐の姿なのには最初驚いたが、狐はすぐに人型へと変化してみせた。
「俺達が居る場所、鈴の岬へ。本質的に言うと、俺達だけは鈴の岬に入れないんだが……お前、選択者を感知できるだろ? だから、俺達の代わりに枯花参玉の管理をして欲しくてね」
「……つまり、私にここを捨てろと? 人間が神に向かって何をいうか」
「人間であって人間でない、僕達も貴方と同じように、複雑な位置に置かれている例外」
「私は、ここを捨てられない。彼女を待っている」
「彼女は死んだ、もう戻っては来ない」
きつい口調で、赤青の瞳で睨みつける狐の少女。それを横目で静止し、白眼の少女が私に手を差し伸べる。
「僕の名はネラ・トロイメライ。ここは僕がもしも水鏡面之世界で生きていたら、の世界」
「そしてお前が愛おしそうに見ているヴァダ……スピカが」
塞がれた池の上に置かれたハンマーを、白髪の少女が手に取る。そして昨日の事のように思い出せる、あの瞬間の彼女、その仕草と全く相違無い動きでハンマーを振り上げた。
「僕ですよ」
「それで、お前名前は? たしかオネイロスじゃなかったか」
「私は…………」
途中で止め、咳払いをする。
「ミーはスピカ・フォス。星屑に糸を通し、いつかの友に想い馳せる者」
「それでは、よろしくお願いしますね。スピカさん」
────白紙に青と赤の朝顔を散らしたような髪。赤黒い、妖美に映る瞳。三つ編みを垂らし、しっかりと止められた肩紐に指を添える。彼女が好きだといっていた一輪草のカチューシャを被る。
オネイロス、その名は今後語ることはないのだろう。




