パトリック⑥~王太子の帰還~
勇者から三日の猶予を告げられて一日目が終わるころ、私はようやく王城へと戻ってきた。
どんなに馬を駆けさせても片道半日の距離だ。
往復するだけで一日は消費してしまう。
このまま宰相や大臣達と最後の擦り合わせを行い、こちら側の結論を勇者に伝えにいくのもあと一度きりだろう。
馬を衛兵に預けてそのまま議事堂へ向かう。
私達と同じように一睡もしなかったであろう重鎮達が一斉に私達を見た。
ざわめく議事堂を見渡す。
その顔は恐れと期待がないまぜになったものがほとんどだ。
滅亡を宣告されるだろうという恐れ。
何らかの譲歩を引き出して来れたのかという期待。
そのどちらにも当てはまる回答を告げるために演壇へと向かう。
「勇者達と話し合ってきた。その結果を伝える」
挨拶も述べずに本題を切り出した私に場が静まる。
深く息をついて私は告げる。
「結論から言おう。我が国は滅亡する」
ざわめく議事堂。
落胆のため息。
怨嗟のうめき。
私達の交渉失敗だと非難する声。
予測していたあらゆる声がざわめきとなって議事堂に広がる。
「それは、ひとり残らず、ということですかな?」
声がした方に目を向けると、やつれた宰相が手を上げて私を見ていた。
かつて最も悪辣にこの国を牛耳っていた男が今では一番冷静に事態を俯瞰している。
何とも滑稽だが、命を諦めた故の達観なのかも知れぬと思うと、自分も全く同じなので笑いたくなる。
「子供に関しては見逃してくれることになった」
そして私は勇者達との会話を余すところなく議事堂の面々に伝えた。
「なるほどなるほど。いやあ上手くやりましたな殿下」
そう声を上げたのは伯爵位の議員だ。
あと二日で滅びる国で、もはや不敬だなんだと騒ぎ立てる者はいない。
「子供達の命を得られたのは、まあ誰が行っても同じだったでしょう。それにかこつけて殿下は王族でありながら婚約者という立場を利用してご自分と側近達の命だけは見逃してもらったと」
「違う。殿下はご自分の首を差し出すと確かに勇者に言った。殿下が助命されたのは勇者の気まぐれにすぎない」
使節団として同行したエドガーが声を荒げた。
「いやあどうですかな。貴公もその場にいて助命されたのでしょう?まったく信じられませんな」
「馬鹿な!それではまったく話にならないではないか!」
伯爵の気持ちはわかる。
誰でも私がまんまと自分の命を長らえさせたと思うだろう。
「伯爵」
声をかけて話に割って入る。
「私は別に自分だけが命を繋ごうとは思っていない。私の代わりに子供達の面倒を見てくれるなら貴公に代わっても良い」
「殿下!」
エドガーの声を無視して続ける。
「なんだったら今すぐ勇者の元に直談判に行ってみたらいい。その場で切り捨てられても私は責任取れんが、それならば貴公も納得するだろう」
「そうさせていただく!」
私の言葉に憤然と立ち上がる伯爵。
そのまま議事堂を出て行こうとした彼に、扉の右側に立っていた衛兵が歩み寄って行った。
そしておもむろに伯爵に抱きついたかと思ったら、そのまま伯爵の首筋に齧り付いた。
「ぎゃあああああ!!!!」
伯爵の絶叫が響く。
グチャグチャと不快な音と伯爵の呻き声だけが数秒のあいだ続き、そして誰かが叫んだ。
「グールだ!」
「衛兵!衛兵ー!」
昨日の惨劇を繰り返すかのようなグールの出現に慄きつつも、被害を広げないよう最大限の警戒で伯爵を貪るグールを鎮圧する衛兵達。
ようやくグールを倒して、新たにグールとなるだろう伯爵の首も切り落としてその場は制圧された。
「…………」
一連の狂乱が落ち着いた後、再び沈黙が議事堂を支配する。
「これは…いったいどういうことだ?」
誰かが言った。
「あの衛兵はグールだった、ということでしょうな」
「馬鹿な!ちゃんと生きて働いていたではないか!」
「その様子を見たのですかな?」
「いや、私は見ておらぬが…そこの衛兵!なぜグールが門番などしておるのだ!」
「い、いえ、あの者は先ほどまで生きておりました!会話もしましたし食事も取っておりました!」
「ではどういうことか!」
「わ、わかりません!申し訳ありません!」
「…君やあのグールは昨日も謁見の間にいたのかね?」
混乱する議員をよそに軍務大臣が尋ねる。
「は!」
「ということはあの場で死霊術師が何らかの術を施していったのだろう」
「それは…つまり…」
遠隔でグール化させることができる。
そしておそらくハンニバルは何らかの方法でこの場を見ている。
不要な行動をさせぬために我々を監視して、必要であればグールを出現させて釘を刺すと。
「…………」
誰も何も言えなかった。
グール化の術をかけられたのは衛兵だけなのか?
そんなわけない。
次の瞬間にも自分がグールにならない保証はどこにもない。
それに気がついてある者は沈黙し、ある者は座り込んで泣き始めた。
「これでは魔王ではないか」
誰かが呟いた。
まさしく魔王のような、いや魔王以上の恐るべき存在。
改めてその存在の途方もなさを思い知らされて、議事堂に重い空気がのしかかった。
「何にせよ、あと二日だ」
宰相が重い声を出す。
「殿下には再度勇者達の元へ行ってもらい、我が国としての降伏の書簡と王印の譲渡を行う。勇者達が侵攻してきた暁には無抵抗でこれを迎え入れ、最後に温情を願う者はその場で交渉することとする。私のように責任を免れない者はその場で勇者に首を差し出す。それで良いか?」
投げやりな宰相の発言は他人事のようにも聞こえる。
そう思ったのは私だけではないようで。
「何を他人事のように!すべては貴公の責任ですぞ!」
「あなただけは絶対に許さない!」
「勇者が来る前に一族もろとも処刑しろ!」
もう何度目かもわからぬ非難の合唱が始まった。
最初こそ神妙に項垂れていた宰相だが、口で言うだけでろくな実力行使もできない貴族達の不甲斐なさに諦念を覚えたようで、勇者が来るまではと粛々と実務をこなしている。
私としても宰相や父上にはもっと相応しい扱いがあっても良いとは思うのだが、周りで虚勢を張って喚くだけの貴族達を相手にする余裕がないので如何ともしょうがない。
クズしかいないのだ、この国は。
私を含めてまともな人間がひとりもいない。
この危局に際して前を向けるのが、命を諦めざるを得ない者しかいないというのが虚しい。
滅びるべくして滅びるのだろう。
それでもこんなにも急激で無惨な滅びではなく緩やかに滅んでいきたかったものだ。
貴族達の無意味な糾弾が終わるまで私は黙って見ていた。