エメラルダ①~私の気持ち~
遠ざかる殿下と従者達の姿を見送る。
距離以上に小さくなったように見える元婚約者の背中に多少なりともこみ上げるものはある。
私の為に泣いてくれる仲間の存在がなかったら、大声で叫んでいたに違いない。
なんと叫んだのだろうか。
許さない、行かないで、どちらが私の本心なのだろうか。
「本当にこれで良かったのか?」
ライアンの声は私に問いかけるものだろう。
「他にどうするというのですか?」
ため息と共に答えれば、ライアンも同じようにため息をついた。
「だな。悪い」
アンデッドになったのは私自身の決断だ。
ライアン一人を魔王に立ち向かわせたとして勝てる見込みは五分五分だったろう。
アンデッドとなり無尽蔵の魔力と体力を得たとして、それでも魔王は強大だった。
不死者となる為の魔法陣の中央に立つライアン。
その隣にハンニバルが立った時、私もミネアリアもバーバリーも迷うことなく魔法陣の中に入った。
魔術を行使するハンニバルが魔法陣の中から術式を制御して、私達五人は全員がリッチとなった。
既に亡骸となってしまったアルカディアをリッチとして蘇らせるには大量の魔力と共に死霊術の神である闇精霊へ捧げる供物がいる。
私達はその供物として獣将軍ゴレアスの魂を贄にすると決めた。
そして魔王軍の将軍全員と魔王の魂をも供物として捧げると誓いを立て、闇精霊はアルカディアの魂を冥界から呼び寄せて転生させた。
リッチとなった当初は生者への憎悪と殺戮の衝動に悩まされて大変だった。
ともすれば我を失いそうな渇望の中で、アルカディアを殺した王国への憎悪と獣将軍ゴレアスや魔王への憎悪でなんとか自我を保っていた。
私達は魔王軍のみを標的にして暴力に身をゆだね、ゴレアスを皮切りに次々に魔王の軍団を壊滅させていった。
そして魔王城へと乗り込み、それなりの激闘ではあったが魔王ガイザードを仕留めた。
無尽蔵に湧き出る魔力と体力は私達の戦法を根本から変えた。
かつて単独でも苦戦した魔王軍の将軍クラスはものともせず、魔王ですら狩りの延長のような感覚で圧倒することができた。
そしてライアンが魔王の首を切り落として戦闘が終わった時、達成感を感じると共に自分の内から殺戮の衝動が消えていることに気が付いた。
ハンニバルの推測では私達は不死者として進化し、大不死者という伝説上の存在になったのではないかということだった。
アークリッチとは生前の人格や能力そのままに不死者の特性を備えた半神半魔の存在だという。
伝説とかそんなバカなと鼻で笑うライアンだったが、そもそも勇者などという超常の存在を目の当たりにしていた私達は素直に納得していた。
魔王軍の幹部全員と魔王の魂を献上された闇精霊が特別に褒美をくれたのかもしれないと思った。
アークリッチとなったことで生者への憎悪は消えていたが、オールドワーズ王国への憎悪はむしろ鮮明になった。
人類みな食料というアンデッド思考ではなく、敵と定めたものに対する躊躇がなくなったというべきかもしれない。
故郷であるウィンザー帝国のことを思えば心が温かくなるが、オールドワーズ王国の民ならば赤子であっても笑って殺せる確信があった。
人という種で自分を括らなくなり、自分達との関係性で敵か味方かを判別するようになった。
というよりも王国のみが敵でありそれ以外はどうでもいい。
魔王を討伐した私達はまさしく人外の価値観を持つナニかになっていた。
停戦の勅命を伝えるためにやってきた男爵の首をライアンが刎ねた時も、心は動かずむしろ当然と思ってそれを眺めていた。
王国へ宣戦布告した日の夜。
かつての婚約者パトリック殿下が私達の元へと訪れた。
彼らの姿を遠くに発見した時、ライアンが私にこう告げた。
「もしかしたらエメラルダに求婚して自分を助けろと言うかもな」
その言葉に私は「あり得る」と思ってしまった。
子供の頃とは違い、王国に留学して再会した殿下はまさしく最低な男だった。
私の存在を疎み、ことあるごとに私の容姿や振る舞いをこき下ろした。
私の目の前で女生徒と寄り添い嫉妬心を煽るような真似をしたかと思えば、気にした素振りを見せない私に憤って茶会の席で婚約者としての心構えを問いただしてくるような有様だった。
王太子妃となるべく淑女の教育を熟してきた私には、内心の動揺や嫉妬を表に出すなど不可能だ。
「涙は心で流すもの」という母や教育係の教えの通り、殿下と会う時は笑顔の仮面をつけて心で泣いていた。
寝る前の一人の部屋では誰の目も憚らず毎晩のように泣いた。
幼い日の私が殿下の事を好きだと泣きながら訴えてくる。
その声は徐々に小さくなり、ある日ふっつりと聞こえなくなった。
そして卒業式の日。
初めて見る令嬢を脇に侍らせた殿下が私の罪を告発した。
誰がどう聞いても不貞の告白でしかないその断罪劇に私はもちろん、仲間達や同じ学級の友人も大いに反論した。
そして国王陛下が仲裁とも言えないようなどっちもどっち論で私達を諭し、殿下の婚約破棄宣言はうやむやのまま魔王討伐の出征式典が執り行われた。
そんな状態のまま私はアンデッドとなり仲間と共に魔王を討ち果たした。
外道の極みのようなオールドワーズ王国。
かつての婚約者は政治の中枢にいなかったとはいえ、王国の下衆さをそのまま象徴するような王太子だ。
滅亡を目前にして私にすり寄ってくることは充分に予想できることだった。
「あなたには、私個人としても謝罪しなければならない。本当にすまなかった」
驚くことに殿下は私に助命を乞うことはなかった。
私へのあてつけのためにアルカディアを殺したのかという意地悪な問いにも顔を真っ赤にして否定していた。
どうやら殿下は本気で私に謝罪のみをしたかったようだ。
「エメラルダ姫。あなたにしたことは国とは関係ない、私自身の愚かさだった。今さらだとは思うが、どうか謝罪させてほしい。この通りだ」
地に伏せ頭を下げる殿下の姿を見た時、心の内に眠っていた幼い日の私が声を上げて泣いた。
溢れそうになる心を必死に押しとどめて謝罪を受け入れる。
泣き続ける幼い姿の私を憐れみつつも、私は全力で感情を押し殺して現実に向き合った。
「殿下は今や国王代理であり、私は勇者パーティーの魔術師エメラルダ。敵同士となった以上、容赦するつもりはありませんのでお覚悟なさいませ」
そう告げた時の殿下の顔は、まるでおもちゃを取り上げられた幼子のようだった。
今更すぎるその顔に無性に腹が立って、私は殿下との最後の邂逅を切り上げた。
アルカディアとミネアリアが私の両の手を取ってくれる。
「頑張ったね。よかったよーエメラルダがクズ男に絆されなくて」
ミネアリアが私の勇姿を称えてくれる。
「よく頑張りましたわね。もう泣いてもいいのですよ」
アルカディアの言葉に涙が溢れる。
決して殿下に見られないように、口を一文字に閉じて声を押し殺す。
そんな私を見たミネアリアとアルカディアが泣き出した。
殿下の気配が遠ざかっていくのを感じて、ようやく私は声を出した。
胸の内で幼い頃の私が泣いている。
今まで押し殺してきたその想いが風に溶けて消えるまで、私は弔いの涙を流していた。