パトリック⑤~野営地にて~
使節団を率いて勇者達がいる野営を遠望する。
私に従うのは5名。
いずれも幼き頃より共に育ってきた側近達である。
勇者パーティーより少ない人数にしたのはこちら側の誠意を示すためだ。
まあたとえ100名で取り囲んだところで勇者達に対する牽制になどなりはしないのだが。
ちなみに王都を囲む城壁の各所に位置する城門はすべて勇者達によって破壊されていた。
馬車が出ていくための通路は全て塞がれたということだ。
城壁の外へ出るには狭い通用門を通るしかなく、せいぜい馬一頭くらいしか一度に通過することはできない。
30万を超える王都民が三日以内に脱出するなど無理な話だ。
逃げる者は見逃すなどと言っていたが、最初からほぼ全員を逃がさないつもりでいたのだろう。
通用門の周辺は人だかりどころの騒ぎではなく、詰めかけた群衆による殴り合いが起きていた。
我々が城壁の外に出るための通用門は衛兵達が制圧していたが、いつ暴発した群衆が襲い掛かってきてもおかしくない有様だった。
勇者達は近づく私達を見て会話を止めた。
表情がわかるほどの距離になって、鼓動が早くなるのを感じる。
内心の恐れを必死で押し殺して笑顔を作り、勇者達から10メートルほどの距離で馬を降りて声をかける。
「やあ」
緊張のあまり間抜けな掛け声になってしまった私に勇者達は訝しむような視線で応える。
「…………」
沈黙が痛い。
私自身、この後なんと言えば良いのか全くわかっていない。
色々とシミュレーションしてきたはずなのに、いざこの場に立ってみると全て頭から飛んで消えてしまった。
そもそも私の初めての交渉である。
反抗期を拗らせていた私はこれまで外交などで挨拶することこそあるものの、重要な対談や交渉などしたことはない。
降伏の使者の作法など知るはずもないし、次期王として勇者に対する立場の優劣もイマイチわかっていない。
宰相達の前で格好つけたのはいいものの、この段になって本当に私でよかったのかと今更ながらに後悔する。
だが来てしまったからにはやるしかない。
国の命運がかかっているのだ。
正直言ってこの期に及んでは王家や貴族達はどうなっても構わないとすら思っているが、国民達は何としても守らなければ。
そう自分を叱咤して笑顔のまま言葉を重ねる。
「先ほどはすまなかった。君達を捕えろと命じた軍務大臣は後ほど処罰するから、もう少しだけ話をしてくれないか?謁見の場では君達も居心地悪かろうと思って、こうしてやってきたんだ」
勇者達は相変わらず訝しむ視線を投げるのみ。
少なくともすぐに私を殺すことはなさそうな様子にとりあえず安堵して、最初から考えていた姿勢を取る。
跪いて両手を地につき頭を下げる。
使節団の面々にはひれ伏すなど伝えていなかったため、彼らが動揺するのがわかる。
殿下、と私を諌めようとする声を無視して私は続ける。
「我が国が君達にした数々の裏切り行為を謝罪する。攻め滅ぼす前にせめて我が国の誠意を見てほしい。どうか頼む」
勇者達の視線が痛い。
何かを言われる前に、あるいは切って捨てられる前に、私は自分の言いたいことを言ってしまうことにする。
「特に聖女アルカディア殿にはどのような償いをもってしても償い切れるものではない。この首を差し出すこともやぶさかでない。だがその前にどうか私の言葉を聞いてほしい。君達に謝罪を尽くすことを許してはもらえないだろうか。この通りだ」
言い切った。
ここまで殺さずにいてくれたことに感謝すら覚えつつ、私は頭を地面に擦り付ける。
「すまなかった!オールドワーズ王国を代表して聖女アルカディア殿と勇者パーティーの一同に謝罪する!」
言い切ったぞ!
ここまで言わせてもらえたなら、このまま斬られても本望だ。
思い残すことはない。
後に続く者が私の姿勢を踏襲してくれればそれで良い。
たとえ滅ぶことになったとしても最後まで謝罪の姿勢は貫き通すべきだ。
ことここに至った以上、勇者達の慈悲に縋るしか道はない。
「馬鹿じゃねえの?」
そんな私の謝罪に対する勇者の返答は容赦のないものだった。
「アンタが頭を下げたところで俺達が人間に戻れるわけじゃねえし、アンデッドの俺らがアンタら人間を憎む気持ちが消えるわけでもねえよ」
その通りだ。
情け容赦がないのは現実の方だ。
今更謝ったところで彼らに起きた悲劇がなかったことにはならない。
彼らが元通りになることはないのだから。
跪いたままきつく目を閉じて唇を噛む。
謝罪が受け入れられない恐怖よりも、彼らにしてしまったことが悔やまれてならない。
跪いたまま動かない私に触発されたのか、使節団の五名がそれぞれ地に伏したのが気配でわかった。
「私の首を差し出します!どうかお慈悲を!」
この声はエドガーか。
また別の誰かが声をあげる。
「私は獣将軍と密約を交わした宰相の息子です!父の首と共に私の首をお取りください!」
今度はマルティネスか。
宰相マルヌスに似て裏工作の得意なやつだったが、私にとっては大切な友だ。
どうやら私と一緒に死んでくれる覚悟のようだ。
その後も使節団の全員が首を差し出した。
彼ら全員が己の責務を理解している。
そのことが嬉しかった。
しかし勇者の返答はやはり容赦のないものだった。
「だから、馬鹿じゃねえのって言ってんだけど」
嘲るように鼻で笑いながら言う。
「顔を上げなよ」
恐ろしく冷たい声。
ダメかもしれないと思いつつ目を閉じたまま頭を上げる。
そして覚悟とともに目を開けて勇者を見る。
勇者は冷ややかな目で私を見下ろしている。
「まあとりあえず謝罪と言い訳は聞いてやるよ。復讐するのは変わらねえけどな。アンタもどうして自分が死ぬのかくらいは理解したいだろうし」
そう言って勇者は焚き火の元へ歩き出した。
「とりあえずこっち来て座んなよ。アンデッドだって寒いのは嫌なんだ。焚き火にあたりながらでもいいだろ?」
振り返らずに続ける。
「ありがとう。そうさせてもらう」
そう返しながら立ち上がる。
足が震えているのに気がついた。
勇者達は食事中だったようで、勇者が座っている倒木にはサンドイッチが置いてあった。
「アンデッドでもメシは食えるんだよ。これは嬉しい発見だったね。まあ消化できないみたいで後で吐いちまうんだけどさ」
言いつつ紙包みを持ち上げて中からサンドイッチを取り出し、嬉しそうにかぶりつく。
「遠征中はこんな旨いの食べられなかったからさ、どうしても食べたくなっちまうんだよな」
「ライアン。なぜこの者らを斬らないのですか?」
魔術師エメラルダが翠玉の瞳をこちらに投げつつ勇者に問う。
南方の海洋国家ウィンザー帝国の第三皇女であるエメラルダの態度は尊大だ。
にも関わらず過酷な魔王討伐の旅に参加したのだから、王族としての責任も覚悟も私などでは比較にならない。
今だから思う。
彼女こそが王族のあるべき姿だったと。
南海の珊瑚礁のような緑色の瞳と淡く光を放つ金色の髪は紛れもなく絶世と呼ぶべきものだが、その眼に宿すのは王の威厳そのものだ。
器の違いを見せつけられているようで、私は婚約者だった彼女との交流をいつも煩わしく思っていた。
そしてわざわざ卒業式の舞台を選んで婚約破棄を突きつけたのだ。
「こいつらは俺らと同じだよ。命かけて成果を出せって言われてさ。そんで死んでも仕方ないって割り切られてる」
エメラルダの冷たい視線に射抜かれて固まる私をよそに勇者が答える。
どうやら私が宰相らの指示でここに来たと思っているようだ。
「違う。私達は自分の意思でここに来た。誰かが行かねばならぬという意見は皆同じだった。そして最も適任だと思ったから私が自分で決めたのだ」
「適任ねえ」
勇者がチラとエメラルダを見る。
エメラルダはすでに私から興味を失ったように焚き火を眺めている。
「それでもだよ。アンタがどれだけ立派に覚悟を決めてようがオッサンどもにゃ関係ない。アンタが失敗したら次は王女でも出してくるだろうさ」
「…………」
「わかるかい?だから俺達はアンタの謝罪でチャンチャンにするわけにはいかねーのさ。するつもりもないしね。ゴレアスと密通してた宰相サンや貴族連中、あとゴレアスに尻尾振ってた民衆もね、みんなやっぱり死ぬしかないわけよ。ここで許しちゃったら俺らのコケンに関わるっつーか、まあ舐められちゃうよね。名誉の問題なのよ」
「名誉のために民を殺すというのか?」
私の失言に勇者の怒気が膨れ上がった。
「民のために今後も俺らを貶めんのか?アルカディアに酷いことした奴らが何の報いもなく?そんな話をしに来たんだったら帰りなよ。これ以上話しても意味ねえわ」
視界の端で聖女アルカディアが身じろぎをした。
そんな聖女にエメラルダと弓術士ミネアリアが寄り添って肩を抱いている。
聖女アルカディアに行われた残虐非道な仕打ちを思い返して吐きそうになるが、私にそんな資格はない。
勇者は燃えるような瞳で私を見据えている。
とてもアンデッドとは信じられない、溢れんばかりの力が宿っている。
「アンタはここに何しに来たわけ?俺らに殺される人間を減らしたくて来たんじゃないの?もしも『上手いことやって誰も死なないように』とか考えてるんだったらこのミッションは失敗。アンタが欲かいたせいで交渉決裂だわ。全員死亡のバッドエンドですお疲れ様でした」
「待ってくれ!そうではない。責任は取る。私や宰相達が責任を取るから、どうか民には……」
これは交渉ではなく命乞いだ。
そのつもりで来たのに、つい交渉のような問答をしてしまった己の浅はかさに冷や汗が止まらない。
勇者は変わらぬ強い瞳で私を見て続ける。
「王族には王族の、貴族には貴族の、民には民の、それぞれ責任を取らせる。誰を殺して誰を見逃すかアンタに選べるの?無理でしょ?だからもう連帯責任でいいじゃん。みんなして終了。生まれ変わって幸せになろうね。それが一番平等じゃない?」
「慈悲は……」
「ないよ。なんせアンデッドだからね。殺したくてウズウズしてんだから」
せめてもの慈悲を求める私の言葉を勇者は切って捨てた。
「でもまあ、さっきのアンタの謝罪は真摯だったと思うよ。そこは少し好感持てるかな。エメラルダとのことは抜きにしてもね。まあ、ここに来たアンタ達だけは生き残ってもいいんじゃない?」
それでは意味がないのだ。
「王族はアンタ以外全員。貴族は魔族との密約に関わった奴らの一族全て。王都の民衆はどうすっかな、ゴレアス様大好き祭に参加しなかったのが証明できれば免除で。子供もまあ免除でいいや。それで手打ちにしようか。飲めないなら戦争ね」
「いや、それでは……」
王都を上げて歓待したのだ。
参加しなかった者の数などたかが知れている。
「問答無用で皆殺しっていうところから随分と譲歩したつもりなんだけどまだ不満なの?」
「一度…持ち帰っても良いだろうか」
「いいけど約束の三日後までに決まらなかったらそのまま戦争だからね」
その後も慈悲を乞う私とにべもない勇者のやり取りは続き、勇者がシッシッと手を振って強引に話を終わらせた。
「…………」
真っ白になった頭でなんとか立ち上がる。
これ以上は私には無理だ。
皆殺しはしないとの約束は得た。
成人していない者も見逃す心算はあるようだ。
王都民の半数とは言えないまでも、三割以上は生き残れるだろう。
「…………」
しかしそれでもこのままでは国が立ちいくはずがない。
例え私が生き残ったとしても、数万の子供を抱えて飢えさせずに国を建て直すなど不可能。
たとえ周辺諸侯の力を借りるにしろ一斉に発生した数万の孤児を継続的に食わせていくなど誰も受け入れないだろう。
他国の援助を取り付けたとしても一時的な援助では焼石に水だ。
いやそもそも国軍の消えた国など簡単に他国に蹂躙されて終わりだ。
辺境伯の軍隊は王都や周辺領からの援軍あってこそだ。
王都が壊滅したとあっては孤軍奮闘するよりも他国に寝返ることを選択するだろう。
そうなってはただの占領軍と変わらない。
護る軍のない王都は周辺諸侯にも他国にもさぞ美味そうな土地に見えることだろう。
良くて難民。
悪ければ生き残った子供すべてが奴隷となるのだ。
それではここに来た意味が……そこまで考えてふと我にかえった。
「…………」
命さえあれば。
そのつもりでここに来た。
例え子供だけだとしても、奴隷に身をやつすことになろうとも、命だけは助かる。
王都民全員がアンデッドとなる末路を思えば充分な成果ではないのか。
振り返り使節団の面々を見る。
私と同じように絶望し疲れ切っているが、それでも私を責める視線はない。
これが精一杯だったのだとわかったが、とても安堵することはできなかった。
「ひとつだけアンタ達が助かる方法がある」
勇者とは違う声が投げかけられ、言葉の意味を咀嚼する前に振り返る。
談笑する勇者達の中で私と目が合ったのは、死霊術師ハンニバルだった。
謁見の間での恐るべき惨状を思い返して胃の中が重くなる。
「俺ならばライアン達をただの死体に戻すことが可能だ。なんせアンデッドにしたのがこの俺だからな」
「…………」
闇の中で一筋の光明が見えた、気がした。
「おいおいハンニバル。それ言っちゃっていいやつ?ていうかマジで俺達を死体に戻すつもり?」
ほぼ焼き切れた頭で可能性を検討する私をよそに勇者が半笑いでハンニバルに問う。
「そんなわけあるか。無駄に希望を持たせて可能性の低さに絶望してもらうまでがセットだ」
「…………」
一瞬照らされた光明は、それをもたらした相手によってすぐさま消された。
「うわー」
「性格わる。そんなだから死ぬまで彼女いない歴を更新したんじゃない」
「マジでお前だけは友達になれねえわ」
ハンニバルの答えに私は言葉を失い、勇者達からは笑い声が返された。
「……ハンニバル殿なら、アンデッド化した者を元に戻せるということだろうか」
せめてもの抵抗に質問をする。
「俺が死霊術を施したアンデッドならな。ちなみに俺が死んだらこいつらは永遠に今のままだから、俺の機嫌を取りつつ俺の安全を確保するのがアンタらの生存の絶対条件だ」
「いやもう死んでるし」
弓術士ミネアリアのツッコミに再び笑いが起きる。
「そういやそうだった。いざ自分がアンデッドになるとピンとこないもんだな。この場合なんて言えばいいんだ?もう一度死ぬとか?」
「滅する、あるいは滅ぶ、だと思います。わたくし達ほど高位のアンデッドですと、わたくしと同程度かそれ以上の光魔法でしか消滅させられませんわ」
おどけて肩をすくめて見せるハンニバルに聖女アルカディアが答える。
先ほどの私の失言からはすでに立ち直ってくれたようで、その口元には優しげな笑みを浮かべている。
その笑みはつい先日まで我が国にも向けられていたものだった。
「なるほど。ということはアルカディアかハンニバル以外の人間にゃ俺達は殺せねーと」
勇者ライアンが楽しそうに私を見る。
「教皇様ならあるいは、といったところでしょうか。でもただでさえご高齢ですし最近はすっかり気落ちしてらっしゃいますから、あまり無理をなさってほしくありませんわね」
「まあアルカディアのひい爺ちゃんが王国のためにアルカディアを消滅させるわけねーわな」
現教皇はアルカディアの曽祖父にあたる人物だ。
我が国の出身であることを気にしたのか教皇は完全なる中立を宣言し、我が国の裏切りに対して歴代最も強い言葉で非難した。
それもあって我が国は教皇庁との関係が過去最悪の状況となっている。
「…………」
考えれば考えるほどに詰んでいる。
たとえ世界最高のチェスの名手であろうとも、この盤面を覆すことは不可能だろう。
それほどにアンデッド化という勇者達の捨て身の策は、この世界を救う決定的な一手だった。
苦戦していた勇者達だが、単に魔王軍に敗北するだけならアンデッド化まではしなかっただろう。
同胞である人間を憎む存在となって永遠に苦しむのだから。
それをさせてしまったのが我が国と獣将軍ゴレアスとの密約というわけだ。
我が身可愛さに獣将軍の機嫌を取ろうとして聖女アルカディアを差し出した。
痛めつけ辱めて生きたまま魔王軍の手に渡したのだ。
我が国は許されることはない。
手を差し伸べ勇者達に執りなしてくれる友好国も教会もない。
孤立無援で亡びる愚かな国であったと語り継がれるのだ。
「エメラルダ」
勇者との対話を終えて立ち去る前に、私はかつての婚約者の前に立った。
エメラルダは談笑していた聖女から私に目を向けた。
その瞳はかつてと同じ厳粛さで私を見ている。
「私達はもう婚約者ではないのです。そのように呼ぶのはお控えください」
「あ、ああ。そうだね。エメラルダ姫」
その瞳に気圧されるが、それでも彼女に謝罪しないまま帰ることはできない。
「あなたには、私個人として謝罪させてほしい。本当にすまなかった」
私の言葉に一瞬目を見開いたエメラルダは、すぐに目を細めて答えた。
「殿下が私のことを疎んじておられたのは承知しておりました。それでも幼い頃からの約束と信じて私なりに殿下をお慕いしてもおりました」
慕っていた?
かつては信じて疑わず、それゆえ傲慢になり彼女を傷つけることになった言葉が、今となっては意外に感じる。
「魔王軍との密約に関しては前王陛下やマルヌス宰相の決めたことだと理解しております。ですがあり得ないとは思いつつも、どうしても思ってしまうことがあるのです」
エメラルダの瞳が僅かに伏せられる。
「私への反発心も手伝って、殿下も密約に賛同していたのではないかと」
「それだけは違う。お願いだ、それだけは信じてほしい。私は……」
一瞬言葉に詰まる。
勇者パーティーはおろか使節団の聞いている前で、内面を曝け出すのを躊躇している。
「……私は君に嫉妬していたんだ」
内心の葛藤とは裏腹に口から勝手に本心が出た。
勇者との問答で私の自尊心など取るに足らないものだと思い知ったからだろうか。
「幼い頃に初めて見た君はまるで妖精のようだった」
もはやろくに考えることもしない頭で、口から吐き出される自分の本心を聞く。
「あの頃は私も良い王になって民を導いていくのだと信じていた。その隣に君がいることが嬉しかった」
エメラルダが瞳を上げて私を見た。
「だが大人になるにつれてわかってしまった。我が国は宰相をはじめ貴族達の力があまりに強いと。父でさえ傀儡に過ぎなかった」
それに反発する形で私の反抗期は始まり、国の滅亡を目前に吹き飛んでしまった。
「そんな時に君が留学してきた。再会した君は私などとは比べようもないくらいに王族の威厳に満ちていた」
かつてのエメラルダの顔が目に浮かぶ。
幼い私に向けてくれた弾けるような笑顔と、再会した時の優雅な微笑み。
幼かった頃の私は彼女に笑顔を返し、大人になった私はしかめ面で応えた。
「君に釣り合うような男になるには、何もかもが遅かった。君はあまりにも気高く聡明な皇女で、しかも勇者パーティーに選ばれるほどの魔術師だった。かたや私は反骨心をこじらせただけの愚か者だった。それで…それで私は君から逃げたんだ。君を粗雑に扱うことで自分の優位を示そうとした。傷ついた君の顔を見て安心していたんだ」
自分が軽んじて捨てたものを今更になって後悔してももう遅い。
「クズだねー」
弓術士ミネアリアが吐き捨てた。
その顔を見ずとも私に向けられた視線がどんなものか察することができる声色だった。
「その通りだ」
私は再び跪いた。
「エメラルダ姫。あなたにしたことは国とは関係ない、私自身の愚かさだった。今さらだとは思うが、どうか謝罪させてほしい。この通りだ」
頭を地につける。
誰も何も言わない。
しばし無言が続いたのち、エメラルダの声が聞こえた。
「そのことについては謝罪を受け入れます。幼い頃に抱いた初恋は成就しなかった。それだけのこと。いずれ良い思い出となるでしょう」
顔を上げてエメラルダを見る。
今までどれほど蔑ろにした際にも見せたことのない、悲しい顔で微笑んでいた。
泣いているのではないかと見間違うその顔に、罪悪感で胸が潰れる思いがした。
「ですが」
目をつぶったエメラルダが深く息を吐き、再び開かれた瞳には王族の威厳が蘇っていた。
「殿下は今や国王代理であり、私は勇者パーティーの魔術師エメラルダ。敵同士となった以上、容赦するつもりはありませんのでお覚悟なさいませ」
「…あ、ああ。わかっている」
そう答えたものの、こみ上げるのは恐怖や絶望ではなく喪失感だった。
「私としてはこれ以上殿下とお話することはありません。謝罪していただけたこと、心よりお礼申し上げます」
そう言ってエメラルダは私から仲間達に向き直った。
聖女と弓術士が寄り添い、三人で何かを話し合っている。
当のエメラルダではなく寄り添う二人が泣いているのを見て、彼女達の絆に「羨ましい」と思ってしまった。
「…………」
なんという浅ましさか。
自分が元婚約者にした仕打ちに憤り泣いてくれる友人を羨み、自分がその立場だったらと妬むなど、男として人として最低のクズではないか。
ふと勇者が私を見ていることに気が付いて、目が合うと勇者はシッシッと手を振った。
物欲しそうな顔でエメラルダ達を見ていたのに気づかれただろうか。
恥ずかしさに目を伏せ、勇者達に背を向け歩き出した。
使節団の元へと戻り、愛馬にまたがる。
皆疲れた顔で私の周囲に展開する。
「行こう」
それだけ口にして王都へ向けて馬を進める。
帰りつくまで、誰も口を開かなかった。