パトリック⑧~滅亡するということ~
瓦礫の上に立ちこちらを睥睨する勇者パーティー。
私が跪くと整列した貴族達も一斉に跪いた。
その様を見て民衆の中にもヨタヨタと跪く者がいるが、敵意のこもった目で勇者を見ている者も少なくないようだ。
何もしてくれるなと願いながら打ち合わせていた口上を述べる。
「我らオールドワーズ王国は勇者様御一行に対する裏切りを謝罪し、ここに降伏いたします!勇者様方に対して罪のある者はご随意に!ですがどうか罪のない者と子供達だけはご寛恕を請い願うものであります!」
ここまで一息で言い切って、大きく息を吸う。
「申し訳ありませんでした!」
「「「「申し訳ありませんでした!」」」」
私の言葉に貴族達が唱和する。
そして沈黙が降りた。
「……前王は?」
この場に前王と前王妃の姿がないことを訝しんでいるのだろう。
「前王は自害いたしました。前王妃は言葉を理解することをやめ呆けておりますゆえ、この場には連れてきておりません。後ほど勇者様のご所望の方法にて処分いたします」
そう言って頭を地につける。
「ふーん」
勇者は興味なさそうに呟いた。
「まあいいや」
そして、唐突に言った。
「とりあえずお前らは全員死ね」
少なくともまだ何かしら問答はあるだろうと思っていたため、その言葉に驚いて顔を上げる。
死霊術師ハンニバルが両手を広げているのが見えた。
そこで私の人生は終わった。
□■□■□
言いようのない不快な感覚に目が覚めた。
腹を下した時のような鈍痛。
体に合わぬ酒を飲んだ時のような吐き気。
そして耐え難いほどの飢え、渇き。
今すぐ何かを飲まなくては。
「…ぁ…ああ…お…」
渇ききった喉がひくついて上手く声が出ない。
目を開けて周囲を確認する。
酩酊したようなグラグラと揺れる視界の中で目を凝らすと、ここが城門前の大広場であることがわかった。
酷い酔い方をしたのだろう。
なぜこんなところで寝ていたのか。
「あ…ぅ……」
喉が痛い。
すぐにでも水が飲みたい。
痛い痛い痛い痛い。
水…は…確か…噴水が…。
頭をめぐらせて噴水を探す。
グラグラ揺れる視界が気持ち悪い。
見つけた。
勢いよく水を噴き出す大きな噴水が見えた。
耐えきれずに走り出す。
酔いすぎて足元がおぼつかない。
なんだこれは、どうしてこんなに酔っているのか。
やっと噴水に辿り着く。
キラキラ光る水面に頭から突っ込む。
ゴブリゴブリと水を飲む。
息が続く限り水を飲み込んで頭を上げる。
渇く。
まったく喉の渇きが満たされていない。
もう一度頭を噴水に突っ込んで大きく喉を開ける。
腹の中にタプンタプンと水が溜まっていく感覚がある。
頭を上げる。
渇きが止まない。
もう一度水面を眺めるが、腹がタプタプでもう飲める気がしない。
喉が渇く。
腹も減っている。
タプタプなのに腹が減って狂いそうだ。
バシャと音がした方を見る。
噴水に頭を突っ込んで水を飲んでいる貴族らしき男を眺める。
ザバッと水飛沫を立てて頭を上げたのは宰相のマルヌスだった。
目があったマルヌスは不思議そうな顔で私を見ている。
震える手で私を指差し、「ぁ…あ…」と声を出した。
何を言ってるんだと声をかけようとした。
「あ…ぅ…ぅ」
私の口からもそんな音しか出ない。
なんだこれは。
夢なのか?
グラグラ揺れる視界で何か現状を把握できそうなものはないか探す。
遠くにこちらを眺める民衆の姿が見える。
食いたい。
怯えた顔で私のことを見ている母親と少年に焦点があった。
腹が減った。
なぜそんな顔で私を見ているのか。
食いたい食いたい食いたい食いたい。
心配になって声をかけようとそちらに足を踏み出す。
気がつけば駆け出していた。
「ぅ…ぉ…ぉああぁぁああ……!」
どうしようもない衝動に声を上げつつ走る。
宰相の声が聞こえる。
どうやら宰相も何か食い物を見つけて駆け出したようだ。
「いやあああああ!!!」
母親が叫んだ。
その目は私に向かって見開かれている。
どうしたんだ。
そんな顔して。
ちょっと食わせてほしいだけなんだ。
「来るなああああ!!」
誰かの絶叫が聞こえる。
「動くな」
絶叫が飛び交う中で静かな声が聞こえた。
すると私の意思とは関係なく足が止まった。
「グールども、注目せよ」
その静かな声に反応してまた体が勝手に回れ右をする。
ああ喉が渇いた。
気が狂いそうだ。
見上げた先には瓦礫の山に立つ勇者パーティーが見えた。
グラグラ揺れる視界の中でもはっきりとわかった。
見覚えのあるその光景に記憶が呼び覚まされる。
我々はこの場で…勇者に降伏を…。
ああ腹が減った。
そうだ…それで死霊術師ハンニバルが両手を広げて…。
あの少年が食いたい。
「とりあえず死ね」と勇者は言った。
それで死霊術師ハンニバルが術を行使して……そうか、我々はグールにされたのか。
「俺が良いというまで動くな」
その言葉に体が固まる。
指先ひとつ動かすことができない。
この声には絶対に逆らえない。
ああ気が狂いそうだ。
食いたい食いたい食いたい食いたい。
「とりあえず勇者からの言葉を聞け」
その言葉にハンニバルの隣に立つ勇者ライアンに目を向ける。
相変わらず冷めた瞳でこちらを見ている。
「えー、お前らは死にました」
喉が渇いた。
今なんと言ったのだ?
「ほんとはもっとズバッとやりたかったんだけど、それだと知能のないグールになっちゃうってことだったんで、こういう形になりました」
腹が減った。
喉が渇きすぎて痛い。
「これからお前らの中から何人かリッチになってもらいます。それで民衆を選別する作業に入ります」
体が痒いのに指一本動かせない。
あああ気が狂いそうだ!
「ゴレアスに尻尾振ったやつとそうでないやつをより分けます。そうでないやつと子供に関してはこのまま人間でいてもらいます」
食いたい食いたい食いたい食いたい!!!
「医者とか教師とか、各職業で必要な人材を残してあとはグールになります。これから新しい国になるので一生懸命働いてください。以上」
あらゆる衝動が体の内で暴れ回り、勇者の言葉が頭に入ってこない。
グラグラ回る視界が気持ち悪くて吐きそうだ。
と思ったら急に視界が回復した。
「ぶはぁっ!」
身体もいきなり動くようになってその場で尻餅をつく。
「…………」
はぁはぁと呼吸を繰り返しながら周りを見る。
周りの貴族達はまだ立ったまま微動だにしない。
「とりあえず君が第一号だ、王太子」
声をかけられて見上げると、死霊術師ハンニバルが私に手をかざしているのが見えた。
「は…第一号…?」
何を言ってるんだ?
あの苦痛はなんだったんだ?
「あー。だめだライアン。こりゃ聞いてねーわ」
ハンニバルが勇者ライアンに言う。
「だよねー。みんな目がイッちゃってるもんなあ」
勇者は周りを見てから私と目を合わせた。
「ま、とりあえず立ちなよ。これからのことを説明するからさ」
言われて立ち上がりつつ改めて周囲の状況を確認する。
近くには棒立ちのまま動かない貴族達、広場の外周に張り付くようにしてこちらを見ている民衆がいる。
随分と数が減っている。
逃げ出した者が多いのだろう。
民衆を見るとふいに衝動が込み上げてきた。
憎しみだ。
どうしようもない怒り。
殺意とも言える衝動に胸が掻き乱される。
「人間を見るな。見ても無視しろ」
ハンニバルの言葉に反応して視線が民衆から外れる。
焦点が合わずぼやけた群衆の塊に見えて、衝動が落ち着いた気がした。
「君はリッチになった。体の中に人を殺したい衝動があるだろう。生きた人間を見るとその衝動が抑えられない」
そういうことか。
私はアンデッドになったのか。
「衝動を抑える研究も進めている。罰を受けている連中に使うつもりはないが、お前さんには人と関わる仕事もしてもらうからしばらく辛抱しておけ」
ハンニバルの言っていることが耳からこぼれ落ちるようで頭に入ってこない。
だが民衆を見なければ良いというのはわかった。
「…………」
改めて立ち尽くす貴族達を見る。
先ほどの飢えと渇き。
あの気が狂いそうになるほどの衝動を今も感じているのだろうか。
目の前の貴族の顔をよく見ると、見開かれた目は充血しており汗がとめどなく流れている。
苦しんでいるんだ。
「…………」
全身がブルっと震えた。
胃の奥に鉛でも押し込められたような感覚がする。
私もこうだったのか?
彼らは今も…いつまでこのままなんだ?
恐ろしい有様に冷や汗が背中を流れる。
助かった。
思わずそう考えてしまって自分の醜さに虫唾が走るが、目の前の地獄のような有様を見ていると安堵する気持ちは抑えられない。
殺人の衝動など軽やかなものだ。
見なければ我慢できる程度に過ぎない。
あの飢餓感はだめだ。
とてもじゃないが我慢できるものではない。
弱いものはすぐにでも気が狂うだろう。
「俺は王太子と話するからさ、ハンニバルはオッサン連中を頼んでいい?」
「了解」
勇者が私にチラッと視線を投げて歩き出す。
私もその後について歩く。
瓦礫の山にいる勇者パーティーの元へ歩いていき、座るのに手頃な瓦礫の上に勇者が座る。
エメラルダや他のメンバーも思い思いの瓦礫に腰を下ろしている。
「王太子も座ってよ。これからのことを説明するから長くなる」
「あ、ああ」
私も瓦礫の一つに腰を下ろす。
「まず最初に言っておくけど、さっきオールドワーズ王国は滅亡しました」
前置きなしに勇者が話し始めた。
「全員殺して終了する予定だったんだけど、どこかの王子様が綺麗な土下座で格好つけたんで、俺達もちょっと格好つけないとねって話になりました」
勇者は私や仲間に目をやりながら淡々と続ける。
「俺達がしたことで他の国の領土が増えるのもムカつくし、王都が壊滅したところで地方の国民はどうするのかとか色々考えて、新しい国を作ることにしました」
そして勇者は不敵な顔で笑った。
「神聖アルカディア王国」
聖女アルカディアを国主に据えた国を作ると。
勇者が王になるのではないのか?
「なんで神聖なのかっていうと、今だから言うんだけど俺って実は神様の啓示を受けてんだよね。だから俺の勇者の力とかアルカディアの聖女の力とか、アンデッドになっても無くならないのは神様のアレもあると思うのよ。だから神聖アルカディア王国」
ならばなおさら勇者が王になるべきではないのか?
「あの、名前については不本意なのですが」
聖女アルカディアが挙手する。
勇者はチラと聖女を見たのみで話を続ける。
「あとは周りの国、特にアルカディアのひい爺ちゃんの教皇サマには、俺達が神の敵ではないですよってことを強く訴えたいわけさ。オールドワーズ王国以外に戦争仕掛けるつもりもないしね」
勇者も聖女も神の恩恵を失っていない。
それどころか勇者ライアンは神の啓示を受けた紛れもない使徒だったわけだ。
「我が国は神の敵だったということか」
「んー。まあ見方によってはそうかもね」
項垂れるしかない。
それでは我が国の滅亡は神罰ではないか。
あのグールはさしずめ地獄の苦しみを地上で受けているようなものか。
いや、流石に勇者ライアンも死霊術師ハンニバルも神の使徒として罰を下しているわけではないか。
これはあくまで彼らの人としての復讐なのだ。
超越的な力を持ったとしてもあくまで人としての。
「そんで初代女王にはエメラルダに就いてもらうことになった」
「は?」
思わず声が出た。
「し、失礼した……アルカディア王国なのに、女王はエメラルダ姫なのだろうか」
「そう」
勇者は飄々と答える。
エメラルダを見る。
姿勢よく座って話を聞いているが、私とは目を合わせようとしない。
手慰みのように髪の毛をいじっている。
顔が赤いのは女王という大役を前に緊張しているのだろうか。
「国名は神聖アルカディア王国だけど、当のアルカディアが女王やりたくないって言うから」
「できないと申し上げましたの。やりたくないではありませんよ」
聖女アルカディアがまたも挙手して口を挟む。
勇者は聖女に笑いかけて続ける。
「それにエメラルダは魔王討伐後はオールドワーズ王国の王妃になるために勉強してきたんだから、女王になる準備は全部できてるだろうってことになってさ」
たしかに。
エメラルダほどの適任はいない。
私という愚か者を支えるためには母上よりも多くのことを身に着けさせられただろう。
たとえ傀儡であったとしても外交などで求められる知識や立ち振る舞いはある。
それほど努力してきた婚約者を私は自ら手放したのだから目も当てられないのだが。
「だから王太子は王様じゃなくて王配ってことになるけどいいよね?」
「は?」
何を言われた?王配?私が?それはつまり。
「エメラルダがさ、女王には王配が必要って言ってきかなくてさ」
エメラルダが。
その言葉に胸が一杯になる。
と同時に腹の底から暖かな感情が沸き上がるのを感じた。
ゆっくり顔を巡らせてエメラルダを見ると顔が真っ赤になっている。
「じ、女王として社交の場に出るならパートナーが必要だと言っただけです」
「俺やバーバリーでもいいじゃんって言ったら断ったくせに」
「あなたにはアルカディアがいるでしょう。それにバーバリーは社交が苦手だから可哀想ですし」
「別に苦手じゃないんだが」
「苦手なんです!」
なんだこれは。
野営地でも思ったが、勇者パーティーとは本来これほど気の置けない関係なのだ。
敵として接せられていたから気づかなかったが、勇者もエメラルダも他のメンバーも丁々発止のやり取りを楽しんでいるように見える。
敵対する国民をグール化する冷酷さを持っていながらも、仲間に対してはどこまでも対等でお気楽だ。
かつての勇者達はまさしくこんな感じだったのを思い出した。
勇者のアンデッドならではの冷酷さも我が国の裏切りが招いた結果なのだ。
エメラルダがチラと私を見て、すぐに目を逸らす。
こんなのもう、期待してしまうではないか。
「私でも…よいのだろうか」
エメラルダを見て問う。
エメラルダは私の目を見て口を開きかけ、目を逸らしてしまう。
「い、今さら別の男性をというのも…難しい…と言いますか…」
いつもの覇気が全く感じられない儚げな様子に胸が掻き乱され、こらえきれずに立ち上がる。
エメラルダの前に歩み寄り跪く。
といっても瓦礫の山なので若干不格好な姿勢になってしまったが、エメラルダを見上げて不安と羞恥に揺れるその瞳を見つめる。
「国の滅亡を目前にしてようやく愚かな反骨心を捨てることができた私の目に、貴女は誰よりも輝いて見えた」
エメラルダがおずおずと、それでいてしっかりと目を合わせてくれる。
「過去の貴女も、今の貴女も、私にはもったいないほどの輝きを持ったかけがえのない存在だ」
胸に左手を当てて右手をエメラルダの前に差し出す。
「今一度過去の行いを謝罪します。どうかもう一度だけ私に貴女の名を呼ぶチャンスをください」
エメラルダの唇が驚いたように震えた。
「この身の全てを捧げて貴女を愛します。エメラルダ、どうか私と結婚してください」
ぽろりと、エメラルダの瞳から涙がこぼれた。
震える手を差し出そうとして躊躇い、そして意を決したように私の手に重ねた。
「はい。喜んで」
一筋の涙の跡を残して、にっこりと微笑んだ。
周りで手を叩く音が聞こえる。
勇者もメンバー達も祝福してくれているようだ。
自分達が滅亡させた敵国の元王太子だというのに、実に振り幅が大きいこの不思議な英雄達のことが少しわかった気がした。
「お取込み中のところ悪いがグールどもの処置が終わったぞ」
その声に振り向くと死霊術師ハンニバルが立っていた。
エメラルダが耐え切れないとばかりに手を放して聖女と弓術士の元へ駆けていってしまった。
「おっサンキュー」
勇者が答える。
ハンニバルと勇者を見比べる私の顔を見て勇者がニッと笑う。
「あのままじゃ流石に使い物にならないってことで、少しだけ処置をしてもらったんさ」
ああ、とハンニバルが続ける。
「グール化した直後ってのは人食いの衝動が強すぎてな、誰かれ構わず襲っちまうんだが、そこで人を食うともう正気じゃいられなくなるんだよ。そうなると普通のグールと変わらんから仕事には使えない。適当に共食いさせて我慢させているところだ」
「まあそれでも飢餓感は永遠に消えないんだけどな。全員殺して終わりじゃあ国がまわらないから少しは間引くことになっても落ち着かせてからってことで」
「使えない道具に意味はないからな」
勇者とハンニバルのアンデッドらしいサイコパスな会話を聞いて頬が引きつる。
私も同様に、使えなければ道具としてそれなりのメンテナンスをされるということだろう。
「狂って死んでも問題ないし」
「まあこれ以上は死ねないんだけどな」
はっはっはと笑いあう勇者とハンニバルの言葉は聞こえない振りをした。
アンデッドジョークであると思いたい。