約束
気がつくと日は沈んで、燃えるオレンジ色は青みを出そうとしていた。
“すぐ戻ってこい”と言われていたが、特に気にしていなかったし、執事もあまり気にしていないと思う。……でもさすがに、もう遅いよね。中にはお昼寝の時間がなかったからであろう子供たちが、目をこすって眠たそうにしている。
「……みなさん。寂しくはありますが、今日はここでお開きしましょう。また機会があれば、是非お話をしてくれると嬉しいです」
心の底からそう思ったから、そのまま言葉にした……いや、少し丁寧な口調には変えているけれど。
「おう!」
「お姉ちゃんまた遊ぼうね」
「今度は一緒にお菓子でも作りましょ」
人々は皆、温かい表情で、温かい言葉をくれた。それはジーンと心に染みるものがあって、そのせいか体の芯から温まった気がした。
荷物を持っていない方の手のひらを胸に当て、その時間をかみしめていると、「あの……」と1人の女の子が大人たちの隙間から顔を出して、私は目をぱちくりさせた。
「どうしたの?」
かかんで女の子に視線を合わせ、にっこり笑って聞いた。
「あのね、今日ね、まゆのね、」
語尾に「ね」がついているのが、子供特有の話し方でなんとも可愛らしい。まゆ、というのはきっとこの子の名前だろう。
「今日、まゆね、お誕生日だったの」
予想外の言葉に驚いたが、すぐさま「おめでとう!まゆちゃん」と言った。
「ありがとう」
まゆちゃんは嬉しそうに微笑んで、「それでね」と続けた。どうやらここからが本題らしい。
「さっき、かいじゅーさんがきてたでしょ?おねーちゃんがたおしてくれなかったら、きっとまゆのおたんじょーびかいはちゅーしになってたし、たぶん、それどころじゃないっていうのもまゆにも分かったの」
私はぎゅっと唇を噛む。こんな小さい女の子でも、邪悪な気配を感じとれてしまったことに申し訳なく思う。「ごめんね」と私が言うよりも先に、まゆちゃんの口が動いた。
「だから、だからね。おねーちゃん、かいじゅーさんをたおしてくれて、どうもありがとう」
まゆちゃんの素直な言葉に、思わず涙を流しそうになった。少し上を向いて目を閉じて、すぅっと息を吸う。「ふぅ……」と息を吐いて、ゆっくり目を開く。
「……お母さんは今、家でまゆちゃんのお誕生日会の準備をしてるの?」
「うんっ!いつもおそくかえってくるおとーさんも、今日はまゆのためにはやくかえってきてくれるの!」
声が明るい。こっちまで嬉しくなるような声だ。
「じゃあ、なおさらはやくかえらなきゃだ。ほら、お母さんたちがまってる」
名残惜しいけど、時間も時間だ。
「……でも、おねーちゃんとはなれるのさみしいよ」
「かっ……!」
かわいい!この子はやんちゃな男の子にモテそう……って、違う違う。でも……あ、とひとつの案が思いつく。私は小指をさしだした。
「指切りしよう」
「……?」
まゆちゃんがキョトンとした表情を見せ、私も一瞬同じような表情になってしまったが、瞬時に理解した。
そうか。こっちの世界では指切りで約束をするという概念がないのか。
「あのね、私の小指とまゆちゃんの小指を繋いで、お歌を歌うの。そのお歌が終わる時に、私たちは小指を離して、約束したことになる」
まゆちゃんはまだ表情を変えない。ダメだ、小さい子を相手にしたことがないせいでどんな喋り方がいいのか分からない。
「えーっと……またお話しようっていうのを約束しない?」
とりあえず、したいことだけを言ってみた。まゆちゃんの表情はみるみる明るくなって、「うんっ!」と元気な声をくれた。
「んー、でも、どうしよっか……あっ、そうだ」
私はひらめいたことを、大した意味はないがまゆちゃんの耳元で伝える。
「いいかな……?」
私が謎の不安を覚えながらまゆちゃんにたずねると、元気いっぱいに答えてくれた。
「いいよっ!」
「じゃあ、せーの」
「まゆちゃんとまた」
「おねーちゃんとまた」
「To meet!」
「とゅーみーと!」
そう言って私たちは指切りではなく、ハイタッチをした。
“会うために”。私たちは私たちなりの約束をした。
その時。周りから盛大な拍手と歓声が巻き起こった。泣いている者もいる。
私はあたふたして、完全に二人きりの世界に入っていたことを申し訳なく思う。
「えっ、と……?」
「嬢ちゃん、ありがとな!」
「王女様、本当にありがとうございます」
「お姉ちゃんありがとー!」
次々に私に向けた感謝の言葉が送られる。さっきももらったのに……あぁ、だめだ泣きそう。
「おねーちゃん、泣いてるよ?悲しいの?」
まゆちゃんに指摘されて、“泣きそう”なのではなく、“泣いている”のだと気づく。
「……んーん。私はね、嬉しいから泣いてるの。まゆちゃんも嬉しくて泣いちゃったことない?」
まゆちゃんは少し考えて、思い当たることがあったのか、ハッとした顔を笑顔に変えながら言った。
「ある!まゆにも、ある!」
嬉しそうな声に、私は涙を拭いながらうんうんと頷く。
しばらくし、落ち着いた私は深呼吸をして言った。
「……よし!もう遅いし、今度こそお開きね!じゃあまゆちゃん、おうちまで競走しよう!」
「うん!まゆ足はやいから、負けないよ!」
キラキラと目を輝かせながら言うまゆちゃんは、天使と言っても過言ではない。
「じゃあみなさん、今日はありがとうございました。じゃあまた!」
私は一礼して、人々に背を向ける。たくさんの人から色んな声が、言葉が寄せられているが、それはどれもあたたかいものばかりだった。
「よーい、ドン!」
また涙が零れないように、大きな声で言った。
「えへへ!私の勝ち!おねーちゃん、また遊ぼうね!」
まゆちゃんの家を知らない私は当然まゆちゃんの背中をおうのだが、それをぬきにしてもまゆちゃんにはかなわなかったかもしれない。子供の体力って恐ろしい。
「すいませんありがとうございます」
まゆちゃんのお母さんは、頭を上げ下げしながらただひたすらにその言葉を繰り返していた。
謙遜しても意味が無いことは十分に分かっているので、「また遊ばせてください」とだけ言ってその場を後にした。
……本来ならば王女とはもう少し距離をとるものなのだろう。
前世で習った歴史では、弱肉強食の世界で、上の者に近づくどころか、話すなんて夢のまた夢。しかしまぁ、上流階級の者と話したい平民なんていたとは思えないけれど。
とにかく何が言いたいかというと、私はこの距離感の方が好きだ、ということ。
(そもそも私はただの一般市民だし……ハハ)
それを思った時、ハッとなった。そうだ。私は前に進める鍵となる有力な情報を手に入れた――正確に言うなら思い出した――のだ。
早速私は部屋に戻って、記憶を整理した。
まず私は、前世の記憶を持ったまま転生した。その舞台が、私が書いた小説である。そして今現在私は、この国の王女で、最高階級の魔術師である。
「……」
ここまで分かっておいて、私にはひとつ……といっていいのかはおいといて、気になることがあった。
それがなにかというと、私には“使える魔術とその呪文”の記憶しかない……ということ。
書いた物語があることは記憶しているが、その物語がどんなだったかかが分からない。肝心なことこそ覚えていないのだ。
私がどうにか思い出そうと頭を悩ませていると、ドンドンドン!と、大きな音が響いた。
「ルミ王女!来訪者です!」
失礼しますの一言もなしに、執事は私の部屋のドアを勢いよく開けてそう言った。
……もう夜なのになんのようだろうか。私に休息はほんの少ししかないらしく、恨んでもしょうがないこれを書いた前世の自分を恨んだ。
「はぁー」
「ルミ王女、そんな明らかな態度をとられてはいけません。不満があるなら見えないところでお願いします」
見えないところだったらいいのか、それも執事が言っていいのか、と心の中で突っ込んだ。
……今私がいる場所は、客間だ。不思議なことに、知るはずもないこの場所に、私は執事に誘導されずとも自然と足が運ばれた。
“本能”。
多分私は、本能が記憶しているのだろう。なんせ、自分で書いた小説だ。……まぁ、鮮明な記憶はないし、しっかり頭にあるのはさっき言ってた通りなんだけど。
「ルミ王女」
呟くように、執事が言った。考え込んでいたから分からなかったのだろうけど、もう足音がすぐ近くにある。
ガチャ。きた、と少し身構えると、私は来訪者とやらの姿をはっきりと目にする暇もないまま、誰かに抱きつかれた。
「「あぁっ!!」」
執事と、もうひとり知らない人の声が私の耳にかろうじて届く。
それと同時に、ムニ、と柔らかい感触が顔にあたる。……いけない。いくら女同士でも、これはダメなやつだ。
「ぁ……の、ちとくるしぃ、のですが……」
必死に口を開いているせいか、途切れ途切れになってしまった。しかし思いは彼女に伝わったらしく、「あぁ、すみませんっ!!」と、女性の中でも高めの美声を響かせながら私から離れた。
「はぁ……」
今日で何回目のため息だろう、と思うが、そんなについていない気もしてくる。いや、まぁ、それはどうでもいいのだが。
「え、と……?」
ようやく落ち着いたところで、彼女の姿を目にした。
「……わぉ」
圧巻だった。まじまじと……分かりやすく言うなら、“ガン見”した。
そこには、前世で見てきたアイドルや女優たちに「は?!」と、意味もわからずに理不尽にキレるというあるあるがないないになるほどの美少女がたっていた。
まず顔。瞳は大きく、綺麗な新緑の色をしている。鼻は高く、整った形をしている。薄く潤んだ唇は、女性なら誰もが羨むことだろう。
髪は長く、金髪に近い色をしていて、美しいストレートだ。気軽にオシャレを思わせて便利なハーフアップが、神聖な髪型に思えてくる。
肌……肌は、キメ細やかすきで、もうよく分からない。
……体については、大変素晴らしいものを持っていらっしゃり、脚も細く長い。腰が高すぎる。
「……」
無音だなぁ。いや、そう言っている場合ではない。
「とりあえず、みなさん腰をかけてお茶にでもしましょう」
先に口を開いたのはやはり頼れるこの男、執事であった。