最強の魔法使いは忙しい
「...ルミ王女。起きてください。ルミ王女っ!」「んぅ……?」
朝だ。私はもそもそしながら、体を起こす。
お父さん?いや、お父さんはもう少し若い声をしている。確かめようにも、起きたばかりでまぶたは重く、パッチリと開かない。
目を擦りながら声のした方を向くと、白髪のまじった男が、心底安心したような顔でこちらを見ていた。
「……は?」
冷静というより、謎現象についていけなくて思考速度ががたんと低下した中で思わず零した声も、その男は気にもとめていないようで、微動だにしない。怖いというよりも、この状況に理解が追いつかない。とりあえず男から目を逸らそうと、明らかに不自然なのは分かっているけれどバッと辺りを見まわした。だけどそれは、間違っていたのかもしれない。
「嘘……」
置いてある家具はキラキラしたものばかりで、きちんと開いた目は、その眩しさで半目になる。天井についている照明は、LEDの丸いものではなく、シャンデリア?とかいうジャラジャラしているけどオシャレなものだ。そして私が今座っているのはカーテンがついたふかふかの大きなベッド……。
私が呆気に取られていると、「ハッ」と、男が声を上げた。それに驚いた私は、思わず男の方を向いた。具合が悪いのか?そう思わざるを得ないほど、男の顔からは血の気が引いて、真っ青になっていたのだ。私が「大丈夫?」と聞こうとしたが、それを遮るように男は言った。
「ルミ王女、お着替えなさってください!急いで!」
「ルミ王女……?」
この男は何を言っているのだろうか。私は桐崎瑠美よ?これが誘拐なら、連れ去る女の名前ぐらい覚えておきなさいよ、とくだらないことを思う。……そういえば、今朝私を起こす時も言っていた。お父さんじゃないと言いつつも、お父さんのふざけた遊びだと思ってスルーしていたが、全然違ったらしい。それに、お着替え?急いで?何を言いたいのかがさっぱり分からない。それよりも……!
「ここはどこ、あなたは誰?」
やっと聞けた、と私は謎の安心を覚えるが、男は反対に、先程よりも顔色が悪くなっていく。なにかまずいことを言っただろうか、と少しの不安がよぎったが、こんな訳の分からない状況にツッこまない者こそおかしいと考え直し、その不安を取り払うように手を振った。気を取り直して男を見るが、やはり顔色が良くなるような気配はない。
「あぁ、なんと哀れな...やはりあの時に...」
急に呟き出した男に、私は眉間のシワが深まるばかりだった。不安を取り払っても残ったままだった心配は、徐々に怒りへと変わっていく。「聞いてるの?!」そう声をあげようとした途端バッと顔を上げ、男は覚悟を決めたように私に言った。
「私は、あなたの執事でございます。そしてあなたは、この国の第一王女。ルミリア・フィトラス。記憶を失ったようですが、貴女の実力は本物です。ルミ王女。どうか、この国をお守りください」
第一王女?ルミリア……なんちゃら?記憶を失った?……もしかして私……!
「転生したの?!」
思わず大声をあげる。男もあまりの驚きに、健康のいい肌色に戻ったようだが、目は点になっている。
「転生……?ルミ王女、一体なにをおっしゃって……はっ!もしかして……」
「頭は正常だわアホ!」
「あ、あほ……」
男はアホと言われ相当ショックだったらしく、がくりと膝をついている。だが今の私には謝って嘘だよ――案外嘘でもないと思うけど――と言える程の余裕はない。
落ち着け。こういう時こそ冷静にならなきゃ。
「ふぅ……」
どうやら私は転生したらしい。それも、どこかの国の王女で、国を守ってほしいとあの男は言った。……多分、急いでって言われたことと関係しているんだろう。
ちらりと男を横目で見るが、やはり先程と同様に膝をついたままだ。相変わらずブツブツ何かを喋っているが、独り言が癖なのだろうか……?いや、今それはどうでもいい。
「……あーもう!うじうじしない!ねぇ、聞いてる?!とりあえず出ていって!」
「出てっ……?!」
「着替えるからだわアホが!」
「アッ……失礼します」
2度目のアホという言葉に若干気を失いながらも、さすがと言わざるを得ない対応に私はこんな状況だが感心した。
それに比べて私は……あぁダメだ。少しは整理できたと言っても、その整理したものを受け止めきれるほどの精神は持ち合わせてないし、妙にイラついてしまう。きっとその整理できたものが、土壇場の嘆きでしかないことを、嫌という程理解しているからだ。
……着替えよう。そう思ったが、何に着替えたらいいかが分からない。私はクローゼットを目当てに、辺りを見回す。前世のことをあまり記憶していないが、その時使っていたクローゼットよりはるかに大きいことぐらい、見るだけ……いや、雰囲気で分かる。
案の定、クローゼットは大きかった。重たそうで開くのが嫌だなと思っていると、扉が勝手に開いた。センサーが反応したからだと頭の中では分かっていても、色んなものがそこに追いつかず、私は少し放心状態になってしまった。お金持ちになりたいという夢は、誰しも1度は持つものだろうが、これはお金持ちで片付けられるほど甘くないと私は思う。
それに……。
「何これ……」
開けられた扉の向こうには、黄色や桃色、打って変わって青色や紫色のドレスがびっしりと詰まっていた。ただの凡人だった私には、複雑になっているキラキラなドレスを急いでためらいなく着れる訳が無い。
「あぁ〜!どうすればいいのよっ」
小声で言うつもりが、思っていた何倍もの声量になった。
やってしまった。王女となれば、きっと部屋のドアのそばには、執事と名乗る男が立っているはずだ。聞こえたかもしれない、と不安に思っていると「ごほんっ」と、わざとらしい咳払いが、廊下にいるからだろう、反響して聞こえた。
「ルミ王女。お着替えはベットのそばの机にご準備させております。お伝えしておらず申し訳ございません」
決してその男は悪くないのに、私に謝った。少しこそばゆくて、「私の方こそ」とは言えなかった。だから私は「ありがと」とだけ口にした。
男が何を思ったかは分からないが、ガタッ、という音が私の耳に届いた。
私は、小さくて一見ちっぽけに見えてしまいそうなのがおこがましいとすら感じる机から、男が用意した着替えとやらをおそるおそる手に取った。そばにおいてあるこれまた高そうなランプを倒さないようにという思いもあるが、何よりパッととっていいようなものではないと感じるからだ。
「ルミ王女……?」
男の声からは、焦りと不安が読み取れた。私は「ええい!」と思いながら、意外と質素な見た目をした洋服を身にまとった。素人の私でも、質がかなりいいことは承知しているが、王女となればもっと派手な服を想像してしまうもので、驚きはきっと表情にもでているのだろうと思う。
少し丈が長めの紺色の長袖で、胸の真ん中あたりから腹部にかけてボタンがある。腰のところを黒色のベルトでしめ、スカート風ショートパンツといったものに黒タイツ。フードがついた、ポンチョというよりマントといった方が正しそうな紫色の羽織。まるでどこかに旅にでも出るようだ。
でも、なんか、うん……全体的に、黒い。王女がこんなのでいいのだろうか。それとも、それがこの国の風習なのだろうか。
そんなことを考えていると、男の仕業であろう、バタバタと足音が聞こえ始めた。私はため息を呑み込んで、ようやく部屋の扉を開けた。案の定、男は3メートルほどの距離で行ったり来たりを繰り返していた。
ちなみに、また勝手に開くのかと思って少し立ち尽くしていたのは内緒だ。アレをドアノブと言うのは正直気が気でないが、明らかに押し引きするタイプのドアノブがついていた。もちろん、引くべきなのに私は押した。
……うん。本題に戻ろう。
「ねぇ、どこに向かえばいいの?」
男は余程焦っているのか、私が今喋ってやっと我に返った。
「とにかく、きてください!」
男はなぜか、わざわざ私にフードをかぶせた。「ちょ、邪魔なんだけど!」
強気に声を張ったが、「私がいいと言うまでかぶっていてください!」と先程とは打って変わった態度でそう言って、男は強引に私の手を引いた。
男は歳の割に走れるらしく、運動不足であったのだろう私……“ルミ”とやらは、息切れしており、酸素を沢山吸いたい気分だった。
「ふぅ……」
ため息とは違った類の息を吐いて、深呼吸をしようと息を吸った。私が異変に気づく可能性は今までにも十分にあって、むしろ今気づいたことの方がすごいと感じた。
「なにこれ……」
知力の欠片も感じない声が漏れた。
辺りを見回すと、そこは焼け野原だった。黒い煙が上がり、まるで怒りの感情を表現しているかのように炎が立ち上っている。
「こんなの、おかしいよ」
だって私が目を覚ました時は、と思うのと同時に、そういえば、と思う。
私が訳の分からない状況に混乱して部屋を見渡すことに徹していた時、カーテンはしめらていた。日が差し込んだ時のように部屋が明るかったから大して違和感がなかったのだろう。
でも今思い出してみると不思議に思う。執事がカーテンを開けずに主人を起こしたりするだろうか、と。
「……あぁ」
こんな時に思うのもなんだが、こんな光景を見たから理解できた。男は、目覚めたばかりの私を混乱させないため、(しかもあの様子だと私は記憶をなくすほどの衝撃を受けていたはず)カーテンを閉じたままにしたのだ。混乱は思わぬ形で招かれてしまったが、その優しさになにかジーンとくるものがある。
……いや、今はそんな場合ではないのだ。その時やっと、私は人々という存在に気を回した。
私が向かう方向とは反対に、とぼとぼと肩を竦めながら歩いている。まるで、生きることを諦めたかのように。
私はいつのまにかフードをとっていた。男の焦りを感じとったが、私は無視した。
私が呆然と立ち尽くしていると、1人の男と目が合っ た。瞬時見開いた男の目は、途端に縋るような目に変わり、私に近寄った。
「貴女は、ルミ王女……そうですね?」
彼の声や手は震えていて、私は唇を噛んだ。握っていた拳に自然と力がこもる。答えてはダメだ、と言わんばかりに、執事――ややこしいので一旦そう呼ぶことにした――は私を見る。
「……そうです。私が、ルミ王女です」