第二話「真夜中のナース」①
私は、病院が嫌いだ。
風邪とか引いても、こらアカンってなるまでは、頑として行かない。
さすがに、看護師の嫁さんもらってからは、子供に移るだろって事で、強制連行される形で、風邪とか引くと病院に連れて行かれるようになったし、大病患ってからは月イチペースで通院しつつ、半年に一回は定期検査に大学病院に通ってるので、前ほどは抵抗感はない。
と言うか、何だかんだで病院に縁が深い……。
まぁ、この調子だと病院とは一生付き合っていかないと駄目っぽい。
なにせ、薬が切れると、リバウンドで、血圧が跳ね上がって、不整脈とかでどうしょうもなくなるからね。
薬なしじゃ生きるのも怪しい……それが今の私の境遇。
何とも悲壮であるのだけど、これも運命だったんだろうと、納得はしてる。
薬が必須だろうが、死ぬよりはマシだ。
そう、だいぶ、だいぶ、マシなのだ。
命あっての物種とはよく言ったもので、死とは文字通り行き止まり。
それは奈落の底に落ちるような……世界の終わりにも等しいもの。
そして、早いか遅いかの違いで、それは誰にでも平等に訪れる。
幼少の頃から、私はそんな風に認識していた。
その程度には、死と言うものを身近に感じて、そこからあがらうようにして、生きてきた。
私は暗闇を恐れない。
そこに、なにもないことを知っているから。
どんな暗闇も死と言う永遠の前には、とるに足らないものだから。
……紫斑病性慢性腎炎と言う病名を聞いたことがあるだろうか?
溶連菌と言うどこにでも居る雑菌が原因の一種の感染症で、ある種の免疫異常反応を原因とする難病とされている病だ。
私は、4歳にして、その病を患い何度も入院していたのだけど。
当時の記憶に残るいくつかの不思議な記憶について、話そう。
これは、当時は全然不思議に思わなかったのだけど。
いくつか、覚えている話を親と思い出話として、話をしていたら、なんか話が食い違うとなって、揃って首を傾げる事になった。
……そんな話だ。
ただし、この作品はエンターテイメントであるから、このエピソードには多分に脚色が混ざっている。
事実と虚構が入り混じったお話だ。
例によって、どこからが事実でどこからが虚構かは、私は明らかにしない。
その辺りは、読者たる君たちの想像に任せるとしよう。
昭和50年台……1970年代の頃。
当時、私は岡山の割と小さな病院に入院していた。
親の話によると3回位入院してたらしいんだけど、最初の済生会病院に入院してた時の記憶はあんまりない。
なんせ、4歳とかそれくらいの頃。
本来、覚えてるほうがおかしいくらい……なんだけど、二回目に入院してた小さな病院のことはよく覚えてる。
喜多村病院……であってると思う。
岡山駅の東口、路面電車の通る大通りから、少し奥まったガードに覆われた商店街。
古い町並みに溶け込むように、ひっそりと佇む小さな病院だった。
もう30年以上、昔の話だから、最新のグーグルマップで見てみても、建物も建て変わってて、周囲の建物すら変わってるから、本当にここだったのか? って思うのだけど。
ストリートビューで見てみても、断片的な映像記憶と一致する部分が少なからずあったので、恐らくここであっている。
道路に面した川や、街角に佇む手押しポンプの井戸。
今はもうない、駅前ロータリーの丸い噴水。
位置関係的には、あってるし、親の話から、この病院に入院してたのは、間違いないと思う。
病室の窓から、パン屋の裏が見えてて、美味しそうなパンの匂いを嗅ぎながら、パン屋の人達が忙しそうに仕事をしてるのを眺めていたのを覚えている。
絶対安静ということで動くなと、医者から厳しく言われていたので、大人しく言うことを聞いていたのだけど。
子供に動くなって自体が、無茶な話ではあった。
点滴なんかも今と違って、画鋲みたいなのを突き刺して、ガーゼとテープで固定すると言う何とも乱暴な代物で、当然剥がれやすくて、抜けやすくて、何度も取れてその度に、付け直すのだけど。
その度に、手の甲とかに、その画鋲みたいなのをブスブス刺されるわけで、それがイヤでイヤで、しょうがなかったのを覚えている。
けれど、嫌な思い出だけじゃあない。
同じ病室に同じ病気の女の子が入院してて、色んな話をしてて仲良くしてた事も覚えてる。
長い黒髪の日本人形みたいな女の子だった。
ちょうど同時期に、新しい家族……弟が生まれて、病室でタライ風呂に入ってたことなんかも覚えてた。
とまぁ、そんな話をしてたら、親から疑問が入った。
「……個室に入院できたから、生まれたばかりのK君も一緒に連れて、ちょくちょく一緒に泊まりに行ったりしてたんだけど……。同室に誰か一緒にいたとかありえないでしょ……どこか別の病院での記憶と混ざってるんじゃない? 済生会の時とかさ」
一緒の病室にいたなら、おふくろは知ってるはずだけど、そんな女の子の事なんか知らないと。
隣で話を聞いていた嫁さんも、そもそも、いくら昔で子供だからって、男女一緒の病室とかありえないとの指摘……ごもっともな話だった。
それに、病室の記憶……柿渋仕上げの焦げ茶色の床板。
窓際のベッド、付き添い人用の椅子や簡易ベッド。
親父が買ってきてくれたラジコンカーを走らせた記憶。
あれは確かに個室だった……おふくろも暇があれば、一緒に居てくれて、生まれたばかりの弟も一緒にいて……。
「うん……なんか、ごっちゃになってるのかな? 済生会の時の記憶かねぇ……そっちのことってあんまり覚えてないんだよ」
「じゃないかなぁ……喜多村は割と長い間入院してたから、印象深いのかもね」
「そっか、そういや待合室にプラッシーの自販機があったのは、覚えてないかな? あれが飲みたくって、自販機の前でぼけーっと眺めてたりとかしてた覚えがある」
「あ、それは覚えてる……あんたがよくへばりついてたのも。でも、ジュースとかは飲ませちゃ駄目って言われてたから、欲しがってても買ってあげられなくてねぇ……。でも、あんた、絶対安静って言われて、病室からも出してもらえてなかったのに、何でそんな事、覚えてるの?」
「入院してる間、夜とかいつも寝れなくてさ。それでたまにトイレに行くついでに探検とかやってたんだよ……夜の病院で」
「なにそれ、知らない……」
過去の記憶を思い出していく。
夜の病院、基本的に非常口の照明や、常夜灯の薄暗い明かりしか点いてなくて、唯一明かりのついたナースステーションは扉があって、夜間巡回も日付が変わる前と、夜明け間際の二回だけ。
四歳の子供が、夜中病室を抜け出して、病院内をウロウロする……今だったら、大騒ぎになりかねないけど。
当時は病院の管理体制は、今と違って、良くも悪くもいい加減だったから、点滴されてなくて、眠れない夜は、脱走して、あちこち探検するっていうのが、常だった。
真っ暗な待合室の片隅の自販機……プラッシーのオレンジジュース。
夜中にトイレに行くついでに、その自販機の前まで行って、ジュースの瓶を眺めるってのが、当時の私の謎の日課だった。
なんで、そんな事をって思うだろうけど、そりゃ4歳児ですから。
飲みたかったから、眺めに来てた……そんなシンプルな理由だと思う。
感覚的には……レストランの店頭サンプルを眺めるとか、そんな感覚だったんじゃないかな?
照明の消えた夜の病院をウロウロするとか、本職の看護師さんも嫌がるような事なんだけど。
当時の私はその手の感情が一切、沸かなかった。
夜の暗闇を恐れない……この頃から、私はそうだった。
……不意に、ある夜の記憶が思い起こされる。
「こーらぁ、こんな夜中にこんなところでなにしょーるん? 眠れないの?」
いつもの看護師さんが私を見つけて、声をかけてくる。
非常口の緑色の光が逆光になって、彼女の姿はまるで、黒いシルエットのように見えていた。
「……寝るのが、怖いんだ」
短く答える……そう、その頃、私は夜眠るのが怖かった。
眠って、そのまま目を覚まさないんじゃないかって……。
そう思ったら、眠るのが怖くなって、とても眠れなくなってしまったのだ。
当時の私は、不眠症のような状態になっていた……。
絶対安静と言う事で、ベッドから動くことも許されて無くて、夜は夜で眠れない。
むしろ、昼間……力尽きたように居眠りをする事で睡眠時間を確保していた。