第三話「赤いコートの女の子」②
まぁ……相模外科での一件があってから、俺もそっちの世界のことはすっかり、信じるようになったのだけど。
何も見えないことに違いはなく、このいわくつきの旭興荘も本格的に引っ越す前に、一晩部屋に泊まってみたり、丸一日ダラダラと過ごしてみたりしたけれど、特に何も起きなかった。
従業員たちも一部例外を除いて、何か問題があるとかそんな話も聞かず、問題はない……そう判断していた。
ちなみに、この旭興荘は看護婦寮時代に、ノイローゼになったとか、痴情のもつれだかで自殺した看護婦がいたと言われており、102号室がその現場だと言う話だった。
そして、その後、その部屋に入居した若い看護婦がいたらしいのだけど、その看護婦もある夜、突然叫び声を上げながら、町田街道に飛び出していって、トラックに撥ねられて亡くなった……なんて噂もあった。
管理人の爺さんの話では、自殺者があったのは、事実だけど、その部屋は、その直後から敢えてずっと空き部屋にしてるそうで、そもそも、それは根も葉もない噂と言う事で……。
隣に住んでて10年位経つけど、別になにもないとのことだった。
突如、空き部屋を全部借り上げたうちについても、もはや神様みたいなものと言うことで、少しくらい騒いでも大目に見てくれるとのことだった。
まぁ、住めば都とはよく言ったもんで、兄貴や弟と狭い六畳間の領有権を巡っての、熾烈な領土争いや、深夜に家に帰ってきて、クドクド文句を言われるとか、そう言うのと縁が切れるってのは、何よりのことだった。
もっとも、部屋に戻る前に下の部屋に住んでる清溝さんと言う、俺が小学生の頃から親父に付き従ってる昔なじみの従業員から、妙な脅し文句を言われてたのだけど……。
「……見延っ! なんで、麻雀セットが一式あるんだよ? それになんか怪しいビデオテープがいっぱい出てきたぞ」
勝手に押し入れを漁ってた与志水が黒いバックに入った麻雀セットを引っ張り出してきた。
ビデオテープは、ラベルが貼ってない如何にも怪しげな代物。
「うひょーっ! これは今夜は徹マンやれってことか……こたつ板も何気に雀卓仕様。さすが新聞屋の従業員寮だけに、こう言うアイテムは余裕って感じだな。ビデオは……なんか、これ裏っぽくね?」
徳重の言うように、そのビデオは、表に流通してちゃダメなやつ、いわゆる裏ビデオ……っぽい。
前の住民だった従業員が、妙に含みのある言い方をしてたんだけど、こう言う事か。
「こ、高校生のワイは、見たらアカンやつですがな……。ああ、皆さん、俺のことは気にせず、勝手に見たって下さい。俺は……寝たフリして、薄目開けて耳ダンボで聞き耳立ててますから」
山久が、ニヤニヤと笑いながらそんな事を言う。
だがしかし、コヤツのバイト先は当時、あちこちにあった個人営業のレンタルビデオ店。
平成一桁台の頃は、パソコンや携帯で動画とかなにそれ? って感じで、DVDすらなく、ビデオと言えばVHS、音楽を聞くなら、基本カセットテープ……そんな時代だった。
さすがにレコードはなくなって、CDも出回り始めていたのだけど、レンタルCDならぬ、レンタルカセットテープとかがあるような、そんな時代だった。
山久の勤めるビデオレンタル屋は、どっちかと言うと、エロビデオが専門で、普通の映画とかアニメはあまり置いてないようないかがわしい店だった。
そんなところなのに、高校生バイトを平然と雇う……何ともおおらかな時代だった。
「トイレに篭ったりするのは禁止だからな……。ここは俺の部屋だ……くれぐれも妙な真似はするでないぞ?」
「洒落で言ってみただけっすよー。見延さん……はっはっは!」
「ビデオデッキも準備オッケー……ビデオ入力も無い古い型のTVだけど、RF接続なら問題ない。とりあえず、TVも映るみたいだし、試しに一本再生してみない?」
頼みもしないのに、TV周りの配線までやってくれたらしい。
ちなみに、昔のテレビだったから、アンテナ線にRF出力線を割り込ませて、2Chに写すってのが当時のファミコンやスーファミをTVに繋げる方法だった。
「与志水さんや……今、ここでそれを再生とかするなよ。最悪、女子達にドン引きされるぞ? 俺も何が出てくるか解らんのだよ……」
「なるほど、皆寝静まってから、こっそり見ろってことか? ちょっとこれは見逃せない……いや、要チェックだな。つか、ジャンルは? エグいのは嫌だぜ」
「知らねぇよ……。俺、夜は仕事だから、見たきゃ俺居ない時にでも見てくれ。……確かに中身、気になるけど、とりあえず、しばらく忘れろ……いいね? どうしてもってんなら、貸してやっても良い……ただし、どんなんだったかは、必ず報告しろ……いいな?」
「確かに、エロビデオ上映会とか始められて、私らにどうしろって話だよね……。そこら辺は、むしろ自粛して欲しいな。言っておくけど、私達にエロビデオとか見せたからって、薄い本みたいな展開にはならないからね?」
灰峰姉さんが呆れたようにそんな事を言う。
まぁ、いくら下ネタどんと来いの姉さんでも、目の前で裏ビデオ上映会なんて開かれたくはないだろう。
「わ、私は……ちょっとくらい見てみたいような……?」
須磨さんの言うことは聞かなかったことに……。
と言うか、女友達とエロビデオ見るとか、どんな罰ゲームなんだか。
与志水の気が知れなかった。
「灰峰ねーさん、相変わらずツレナイねぇ……。たまにゃスカートとか、履いてこない? 小角ちゃんを見ろ……今日も制服姿だぞ? と言うか、ねーさんの高校時代の写真とかってないの? 俺、見てみたいな」
「だが、断る。前にも言ったけど、私は、そもそも色恋沙汰ってものに、興味ないんだ。それより、見延君、ちょっと電話かけたいんだけど、この近くに公衆電話はあるかな? 一応、今日は泊まるって電話しとかないと、親に要らない心配されるからね」
……今日日の感覚では、解りにくいけど。
この当時、携帯電話なんて無かった。
急に友人の家に泊まると言うことで、家に電話をするとなると、公衆電話か、その家の電話を借りるってのが当たり前だった。
一応、携帯電話もあるにはあったけれど、ショルダーホンと呼ばれる野戦無線機のような大仰な代物で、普通の人には縁がなかった。
だから、電話と言えば公衆電話、アドレス帳はアナログな手帳。
同人誌も奥付に、自分の家の住所や電話番号を載せるのが当たり前。
そう言う時代だったのだ。
「公衆電話? 近くには無いから、歩かないと。そう言う事なら店の電話でも使う? もっともこの時間……店で、折込バンバン作ってるから、ちょっとうるさいかもしれないけどね」
「さすがに、それはちょっと気がひけるなぁ。それに、少し話があるんだ……いいから、ちょっと付き合いたまえよ」
灰峰姉さんの言いたいことはなんとなく理解できた。
皆に聞かれたくない話……まぁ、この旭興荘関係の話ってところだろう。
まぁ、俺はよく解らんのだけど、灰峰姉さんは、人に見えないものが見えて、人に感じないものを感じる。
ある種の霊能力と言われる不思議な力を持っている。
彼女にまつわる不思議な話は、枚挙にいとまがない。
ドッペルゲンガーに遭遇して、生き延びたとか、異世界に迷い込んだとか、そんな謎エピソードも盛りだくさん。
俺も色々巻き込まれて、妙な体験を幾度もしている。
「ああ、いいよ。すまん……皆、ちょっと灰峰姉さん、道案内してくる。ついでに、コンビニ寄ろうかと思ってるんだけど、なんかいる?」
早速、スーファミ版スト2とか始めた仲間達に告げると、皆して手を振る。
ゲーセンでは、ワンプレイ50円だけど、スーファミならタダで好きなだけやれる。
こんな調子で、当時の俺たちは誰かの家に押しかけて、徹夜麻雀ならぬ、徹夜スト2とか、徹夜桃鉄やらをやるような良くも悪くもオタクな若造共だったのだ。