6.忠告
自分のお部屋でリボンを眺めていたら、珍しくお母様からお呼び出しがありました。
ええ、ちょっと予想はしていました。
……そして、お話の内容も想像がつく。
「グレンのところの三男坊と出かけたのですって?」
ベッドには入っているものの、どうやらお母様はそれほど憔悴されているわけではないようだ。
私をベッド脇に座らせると、私を見据えて開口一番そうおっしゃった。
「はい、お母様。お父様が許可されたと聞いておりますが」
「お父様が……? 私は聞いていませんよ。わかっているの? 自分を安売りしてはいけないって、あれほど言ったでしょう。将来なんの爵位も継げないような三男坊といる時間があったら、良いお家に嫁げるように自分磨きでもしていた方がましよ。あんなにお父様とお母様があなたを最高のところにお嫁に行けるように頑張っていたというのに、まったく親の気持ちも知らないで」
そう一気に言った後、お母様はまた弱々しくベッドに伏してしまったのだった。
ベッドの中から小さな、でも私にははっきりと聞こえる声で続ける。
「いいですか、いつ王子がまた心変わりするかわからないのですよ。それまでは傷心していると世間に思わせておくのです。王子が結婚するまでは何が起こるかわからないのよ。もし王子があんな男爵なんて爵位の低いお家の娘なんかと結婚したらいい恥さらしなの。うちみたいな侯爵家をこけにして結婚しようとしても、きっと障害が出るにちがいないから。だからそれまであなたは、きれいな状態でお待ちするのです。万が一にもへんな男にフラフラしている姿なんて絶対に見せてはいけないの。そうしていたら、もしも王子が心変わりしなくてもお父様とお母様がちゃあんとあなたを立派なお家に嫁げるようにしてあげるから。いいわね? これからはたとえあの三男坊が来ても、適当にあしらって帰ってもらうのよ。あなたの評判に傷がつく前に。いい? お母様の言うことがわかるわよね? あなたのために言っているのですからね?」
ここで立派なお家とは、お年寄りか既婚者しかいない公爵家とか? などと聞いてはいけない。お年寄りだろうが病気だろうが、公爵家がどんなに希少で尊いのかという話を延々聞かされるだけなのは火を見るより明らかだ。
王族か公爵家、それが昔からの母の許容範囲だというのを私は知っていた。最悪でも同じ格の侯爵家。
きっと伯爵家の跡取りであっても格下だと不満に思うのだろう。自分は子爵家の出自だということはとうの昔にあえて忘れ、ひたすら婚家の侯爵家を誇りにしているのだから。
その昔母の両親が、母をうまく政略で侯爵家に嫁入りさせた。そしてその伝統は今も母の中に受け継がれている。
「聞いているの? アーニャ。お返事は?」
「はい、わかりましたお母様」
「ではもう行きなさい」
そうして私は追い払われたのだった。
「そこで、君は『はい』と答えたんだ」
後日訪ねてきたディックがちょっと悲しそうな顔を作ってそう言った。
この人、最近頻繁に顔を出している気がするのは気のせいなのかしら。それともお仕事が暇すぎて、暇つぶしにちょうど良いとかかしら?
私は話し相手がいて嬉しいけれど。
「だって、そこで『はい』以外のお返事をしたら、素直じゃないとか、反抗的とか、口答えするなんて十年早いとか、結局『はい』と答えるまでずっと文句を言われるもの。私が根負けするまで、ずっとよ? 昔は私も頑張って私の気持ちをわかってもらおうとしたけれど、何時間訴えても、何日不機嫌になって抵抗しても、絶対に親の考えが正しいからと変わる気はないし、いい加減機嫌をなおしなさいって結局さらに怒られて。そんな生活を何年もしていたら、私も省エネルギーで暮らすことに慣れてしまったわ」
ディックが何でもうんうん言って聞いてくれるから、ついつい本音や愚痴が出てしまう。この人とっても聞き上手でつい甘えてしまう自分を最近自覚はしているのだけれど。何を言っても頭ごなしに否定されないのがつい嬉しくて。
「十年早いって……じゃあ十年経ったら聞いてくれるのかな」
「もう十年以上前からセリフが変わらないから、きっと十年後も言っていると思うわ」
そして二人でくすくす笑っているのがとても楽しい。まるで無邪気な幼いころに戻ったかのよう。
「君のお母上はお母上のご両親と同じように考えているのに、君は違うんだね。君はなんとしてでも王族や公爵家に嫁ぎたいわけではないんだろう?」
ディックが不思議そうに聞いて来た。
「そうね、別に生活に困らなければ私は誰とでもいいわ。違うのはもしかしたら、私が小さい時は両親がほとんど王都に行っていて、私は田舎の領地で乳母と暮らしていたからかもしれないわね。今思うと乳母が私に随分とよくしてくれていた気がするわ。そう、あなたとよく遊んでいた時ね。あの頃から母と暮らしていたら、もう少し違っていたかもしれないわね。もし母がいたら、まずあなたとは遊ばせてもらえなかったのではないかしら。相手をしていいのは長男だけよって」
そう言うとディックが目を丸くして、そしてそれを見た私が笑ってしまった。
「結婚相手は誰でもいいの? 若い女性はいろいろ結婚相手に夢があると思っていたんだけど」
ディックがふと思いついたように聞く。
「だって私が恋をしても、それが叶うとは思えないじゃないの。貴族の娘は両親の決めた相手に嫁ぐのが普通でしょう? お母様も結婚すれば愛情は後からついてくるっておっしゃっているし」
「君はそれでいいの?」
「嫌だと言ったら何か変わるのかしら? 今私に出来るのは、親の選んだ相手が優しい良い人であることを願うことくらいよね」
「たとえ年寄りでも?」
「そう。たとえ年寄りでも。信頼できて、尊敬できる人だったらいいわね。暴力を振るう人はいや」
「それは随分ハードルが低い」
「そうかしら。信頼や尊敬というのは、誰に対してでも持てるものではないと思うわよ?」
人差し指を顎にあてながら考え考え私は言った。
あら? ディックが何故か考え込んでしまったわ。
そんなに難しいことを言ったかしら。それともおかしな事を言っていた?
「恋をしたいと思ったことは?」
「今の私が恋をしたら、苦しいだけな気がするの。だってまず叶わないのよ? だから恋はきっとしない方がいいわね。あなたは恋をしたことはあるの?」
「そうだね。……今も恋をしているんじゃないかな」
「まあ……。叶うといいわね」
幼馴染として応援するわ、本当はそう言わないといけないのかもしれないけれど。
何故かその言葉は喉の奥で詰まってしまって、声には出来なかった。
ディックは複雑そうな少し寂しそうな顔でほほ笑んでいる。
あまり幸せな恋ではないのかもしれない。何か事情があるのかしら。
でも愛する人を想うとき、あなたはそんな顔をするのね。