後日談 アナライアの話5
カツラよーし。
お化粧よーし。
伊達眼鏡よーし。
いつもの凛とした白い美人顔から、ちょっと内気そうな表情のそばかす顔になりました。ありふれた茶髪の三つ編みのカツラと大きな瓶底眼鏡がこの上なくダサいです。
いやさすが私、完璧に別人です。
「お名前は?」
「ローズです」
「……よろしい。今日からよろしくお願いします……ね」
侍女頭の顔色がちょっと悪い気がするけれど、まあ仕方がないよね。
事情を知っているのはこの侍女頭だけだし、口の堅い彼女なら、もろもろ上手くごまかしてくれるでしょう。私の楽しい侍女生活を支えてくれている彼女。いつもありがとうございます。
まあ将来の王太子妃、ひいては将来の王妃様を部下にしないといけないというのは、確かに負担かもしれないけれど、うん、きっと彼女なら乗り切ってくれるはず!
「じゃあ今日は私とペアを組んで一緒に回ります!」
「そうしてください……できたらこれからもずっと」
やだあ、鬼の侍女頭様が何をそんなに弱気になっているんですかー。
でもずっと一緒に? それもいいかも?
うふふふふ~。
出来るだけ王太子まわりの御用を回してもらいます。
最初は朝議のセッティングですね。
王陛下と王太子殿下が出席されるので、準備に不備があってはいけません。
何人ものメイドや補佐官や事務官たちがせっせとセッティングをして退出します。
そしてそれと入れ替わりに入ってくる何人もの大臣方、秘書官方、そしてその後に王太子と補佐官方。王陛下は別の入り口から入っていらっしゃるので、彼らが入った後は扉がさっさと閉まります。
アルストラがこちらには目もくれずに真面目な顔、つまりはいつもの仏頂面で目の前を通り過ぎて行きました。物々しく補佐官方を引き連れて堂々と歩く王太子殿下は、いつもながら威圧オーラ全開です。さすがの生まれた時から培ってきた表の顔ですね。近寄ったら問答無用で切り捨てられそう。そして付き従う補佐官方も只者ではない気配を漂わせています。ただ一番下っ端で経験も威厳もちょっと足りないリチャード様だけがちらりと私を見て眉をひそめて行きましたが。ふん。
さてお辞儀をしつつそんな一団を見送ったあと、わくわくとアニーの方を窺うと。
あらこの人、何をうっとりしているんでしょうね。
顔に「かっこいい……」って書いてあるわよ。
あれ? 怖くないの?
普通初めてこれを見たら、威圧されて固まっちゃう子もいるんだけど。
まさか頬を染めて目をキラキラさせるとは思わなかった。
うーん、さすが?。
さて次は、王太子と補佐官方の毎日の朝の打ち合わせですね。
もちろん粛々とお茶を出して扉を閉めた後は二人で扉にぴったりと耳を……。
「あの狸め!」
おっと扉に耳をつけなくても聞こえそうな大声ですよ。朝議で何か嫌な事でもあったのでしょうか。なにやらとても不満げだ。
まあ大臣もいろいろな人がいるからね、いろんな思惑が入り乱れるのでしょう。
なにやらプリプリしながら矢継ぎ早に何やら指示を出しています。補佐官の人達もいろいろ意見を言っていますね。難しいことは突っ込まない主義なので、誰が怒りを買っているのか把握するくらいで私はスルーを決め込みますが、どこぞの侯爵のようですね。
「いつか引きずりおろしてやる! 弱みは全て把握しろ。妻子にも影を入れるぞ」
とか、本気でお怒りですよ。
アニーはというと、「まあ」という顔をしながら扉にくっついたまま固まってます。瓶底眼鏡で。
あんなにイライラとしたアルストラの声を聞くのは初めてなのではないかしら? もろに策略を巡らせているところも。
怖い? と目で聞いてみると、彼女は、
「びっくりね」
とでも言いたげな顔をしただけだった。
あら、これも怖くはないんだ。ま、まあそれは良かった。
考えてみれば、こんなことをしてアニーがアルストラを嫌いになったり怖くなったりしたら不味いのでは、と今更ながらにちょっと思った私。でも今のところ大丈夫かな?
不味い展開になったら彼女の気持ちもフォローしなければ。私はアルストラを泣かせたいわけじゃあないのよ。
二人の幸せな未来のために! ……そして私の平穏で楽しい未来のために。
突然人が扉に向かってくる気配がして二人で慌てて扉から飛びのいた。
すかさずお茶の準備で通りがかりましたーちょっと何か気になって立ち止まってます、という風を二人で即興で装う。まあこの部屋のメンバーには私の正体はバレバレなので意味はないのだけど、まあ、様式美?
案の定、扉から出て来たリチャード様に見つかった。
「あなたは……何をしているのですか。しかも新人らしき人を巻き込んで」
と言っていつものごとく睨まれる。なんでいっつも一言言わないと気が済まないんだこの男は。
「すみませーん」
と言って頭を下げた。私は今一介のメイドですからね。アニーもそれを見て頭を下げる。
「お嬢さん、この人に巻き込まれてはいけませんよ。困ったと思ったら遠慮なく侍女頭か他の上司に言うのですよ」
とリチャード様がアニーに優しく諭していた。ふふっ、リチャード様は全然気づいていないみたいね? 思わずほくそ笑む。
アニーが下を向きつつこくこくと頷いていた。もともとあまりしゃべる方ではない上に、今回は声で身元がバレる可能性を考えて出来るだけ声は出さないことになっている。アニーは忠実にその約束を守っていた。
ぴょこぴょこ跳ねる三つ編みが可愛い。
「では」
と言って颯爽と去っていくリチャード様は、また一番下っ端のために何かお使いに出たのだろう。なんだかんだ仕事が早いので、どうせ奴はすぐに戻って来そうだな。
「彼が帰って来たらまた何か言われるから、いったん離れましょう」
そう言って、私たちはその場から速やかに撤退したのだった。
まあでも結構不機嫌そうな様子も聞こえていたわよね?
とりあえず使用人用のダイニングに行った。どうやら今休憩しているのは私たちだけのようで話がしやすい。
わくわくしながら、
「どうだった?」
と聞いてみたら。
「素敵だったわねえ……凛々しくて……前に新聞に載っていた『素敵な王太子さま』の実際の姿ってこうなのかと思ったわ」
とアルストラを思い出してまたうっとりしていた。
あれ?
おかしいな、思っていた方向と何か違う……?
「でも彼、怒っていたわよね?」
「うーん、でも不機嫌にまかせて怒鳴り散らす人も知っているから。彼はちゃんと自分の感情を制御して憤っていたから大丈夫よ。怒る理由があったのでしょう。別に私に怒っているわけではないから怖くはないわね。関係のない人に八つ当たりする人ではないと知って嬉しいわ。怒っている彼も新鮮ね」
などと言いながら頬を染めて上機嫌な瓶底眼鏡と三つ編み姿のアニー。ん? いいのかこれで?
アルストラのこわーい姿を知ろう活動が、何故だかイメージアップ活動になっている気が……。
……まあいいか。
怖いから嫌とか言われるよりはずっといい……よね?
まあ順調? なようなので、計画は継続ですね。
うん、じゃあ次は、アルストラ達は……確か午後にお客が来る予定だったか。
よし、ではお茶出しで突入しよう。そうしよう。
そう私が決意をした時、なんとジニーが使用人用ダイニングに帰って来た。
「あ! アンナ、何こんなところでさぼってるのよ。って、私も人の事言えないか。あら、新人さん? 見ない顔ねえ。こんにちは、よろしくね! 私はジニー、イケメン大好き上級メイドのジニーよ」
にこにこ握手の手を差し出してくるジニーにおずおずと手を差し出して握手するアニー。
声を出さないようにぺこぺこしている。
アニー、環境に慣れるの早いわね……実に自然な普通の内気な子に見える。
「あら、内気なのね。そんなんじゃあ素敵な殿方には見初められないわよ! 積極的に行かないと! 素敵な男性は見つけた? 私のイチオシは王太子補佐官のリチャード様! 素敵よねえ、彼。日焼けした感じがワイルド~あ、まさかライバル? 違う? そう良かった。じゃあ応援してね!」
って、物おじしない子ねえ、相変わらず。
アニーが嫌そうだったら止めようかと思ったけれど、まあちょっと楽しそうだから様子見でいいかしら。いやむしろ、ちょっかい出すのもあり?
「ローズはアルストラ王太子派なのよね」
そう言ってみたら、アニーは突然真っ赤になってわたわたと慌てた素振りになった。顔と頭から湯気が出ているみたいだ。手で顔を扇いでいるけど全然効いていない。
あらやだ、可愛い。
そんなアニーいやローズを見てジニーが目を輝かせた。
「アルストラ様!? あらあ、それは残念だったわねえ。アルストラ様はアーニャ様にぞっこんだから~。でも好きな気持ちは止められないわよね! わかるわ~。まあ結婚式もまだ半年も先だし、何が起こるかわからないからね! 頑張れ! 私なら王太子が相手なら愛人でもいいかも? そしたら一生面倒見てくれるだろうしー」
まあこれはいつものジニーなんだけれど、アニーには刺激が……強かったみたいね。
びっくりして瓶底眼鏡の奥で目が白黒してるのが見えた。
「え、なに? 驚いてるの? でも私たちメイドなんて、見初められでもしなければこの生活より良い生活は出来ないのよ? そりゃあ王宮勤めは職業としては良いけれど、でも玉の輿の方がもっと良くない? ねっ?」
おお、ジニー積極的~。アニーが押されている。アニーが必死で「さあ?」という顔をしていた。
でもジニーはなかなか小悪魔的な魅力のある子だから、本当に誰かに見初められたりする未来もあるのかしら? どうやら何人かの王宮の使用人たちには言い寄られているらしいけれど、本人が相手にしていないという噂を聞いた。あくまで目標は玉の輿なのだ。
「まあでもアルストラ様って、顔はいいのよねえ。でも怖くない? あの方の笑った顔なんて見たことないわ。いっつもこーんな怖い顔して仏頂面だよね。たまに睨んだりすると超怖い!」
手で目を吊り上げてジニーが言うが、そうそう、それが通常の人への態度なのよ。昔から。
なのに誰かさん、一人で顔に?マークをつけないのー。
「え、見たことない? 私たちメイドには睨まないけどさ、たまに見るよねー」
「そうねー、見るわね。ほらローズは新人だから、まだ見たことないのよ。どんなに怖いか教えてやって」
面白いので私は煽ることにした。
「うわあ、そうかー新人さんだもんね。もうね、王太子が睨むと周りが凍るのよ! そりゃあもう誰も何も言えないで青い顔よー。一度どこかの令嬢が寄って行ったけど、ひと睨みで遠ざけるくらいには怖いわよ? そういや最近は威力が半減していたけど、また突然復活したわね、あの目! いやあん、睨まれてみたいーあっでも怖い~!」
ああ、本来の王太子に戻ったからねえ。リチャード様ではあの年季の入った睨みは再現しきれなかったか。
甘いわね、リチャード様。しかしジニー、三年前にはもう王宮に居たということは、この人一体いくつなんだろうね?
そしてアニーはすっごい熱心にジニーの話を聞いているけど、気に入ったのかしらこの話。
にっこにこだわよ?




