後日談 アナライアの話4
「で、アルストラ王太子が何を悩んでいるって?」
私は思わず聞きなおした。
「アーニャ様が何か悩んでいるようだと」
リチャード様が眉間に皺を寄せて言う。
「なにそれ。色ボケして幸せ絶頂じゃあなかったのあの従兄弟殿?」
「だけど、ちょっとした拍子に何か憂いているような表情をするんだそうですよ」
「だったら自分で聞けばいいじゃないの」
「聞いても何もないと答えられてお手上げだそうです」
そして二人でため息をつく。
「まあそういうわけで、アーニャ様と一番親しい姫に聞いていただこうと補佐官内で一致しました。なにしろ殿下が鬱陶しいので」
「なによ、そういうのは本人たちで解決しないとダメなんじゃないの?」
「まあ結婚すれば少しは安心するんでしょうけれど、今は長い婚約期間の真っただ中ですからね。殿下も彼女が実は結婚したくないと言い出したらと、どうやらとても弱気のようで突っ込んでは聞けないらしいです」
「相変わらず彼女に関してだけ弱気だわねあの人」
すっかりアーニャ様が弱点みたいになっているではないか。
「僕や他の補佐官が必要以上に近づくとまた殿下に睨まれるので、他に頼れる方がいないんですよ」
この男ももう散々睨まれ慣れていそうだけどね。でもアルストラもしつこいからな。
アーニャ様の住む別邸は、いまだに男性立ち入り禁止のままだ。呆れる。
まあそんな事情だし、私もすっかりアーニャ様は未来のお義姉様だし大好きだしでちょっと心配なこともあり、早速じっくり聞いてみたところ。
「きっと呆れる」とか「でも」とか「私の我がまま」とか「贅沢な悩み」だとか言って散々迷った末にぽつりとアーニャ様が言ったのは。
「私、愛されたいと思う時があって……」
はあ?
いや、デレデレでしょ。もう鼻の下が伸びっぱなしよ? 顔も明らかに緩みっぱなしではないか。
真剣な顔で何を言い出したんだこの人。一体何を根拠にそんなことを?
と思ったら。
どうやらアーニャ様の中では、愛し合う恋人同士というものは抱きしめ合ったりキスしたりするものらしい。
だけどあのヘタレ従兄弟殿は毎日礼儀正しく手に挨拶のキスをするだけで抱きしめる気配なんて全くないくらいに品行方正なのだとか。
で、ちょっと寂しく思っていたところに。
どうやら裏で「あなたはすげ替えやすくて体裁の良い形ばかりの王太子妃で、本当に愛する人は別に愛人として囲うのがこの国の王室の伝統」としつこく吹き込む貴族のグループがいたらしい。
それで彼女はこの国の貴族社会を昔から知っているわけではないから、もしかしてそんな自分の知らない暗黙のルールがあるのかとちょっと気になったらどんどん不安になってしまい、最近はもしかして自分に優しいのも表向きのポーズではと思うようになったとか。
ああまあ、たしかにそんな時代も過去にはあったけれど。
だってなにしろこの王家は暗殺とは切ってもきれない歴史があるからね。血筋重視の妃と跡継ぎを作る傍らで、間違っても死なせたくない大事な人は密かに囲うというのは理にかなっていたというかなんというか。
でもそんな暗殺事件も昔は多かったけれど、近年はほとんどないわよ?
ないわよね?
未遂事件はそういえば最近もあった気がするけれど……ま、まあ未遂だから。ちゃんと首謀者も捕まって断罪されているから……うんダイジョウブー。
だいたい、あのアルストラが最愛の人を愛人にして別人を正妻になんて器用な真似が出来るわけないだろう。あんなに顔に出ていて二重生活とか無理無理!
でも考えてみれば、今までのアルストラを知っている人間にはその変わりようが驚愕の一言だけれど、アーニャ様はその昔の女嫌いで非情なアルストラを知らないのだね。そしてアーニャ様のいないところでは今でもニコリともしないのも知らないのか。むしろデレデレした顔しか知らないのだ彼女は。
なるほど。
だから、
「あ、もちろん結婚が嫌なわけではないのよ? 私は好きな人と結婚出来て幸せよ? だからこれ以上贅沢を言ってはいけないとはわかってはいるのだけど、でもつい我が儘な気持ちになってしまう時があって……」
とか言わせてしまっているのか。
あの嬉しそうな緩んだ顔がアーニャ様限定なのを知らないのね。
そしてアルストラもいまだに礼儀正しくお茶だけしているのか。
え? この半年間? 本当に?
だから少しは甘い言葉でも吐けといつも言っているのに……!
へえ。
ならば、アーニャ様は真実を知ればいいんじゃないかしらね?
つまりはこっそり覗き見ればいいってことよねえ?
ふふふふ~? 腕が鳴るじゃないの?
そして二人だけの密かな練習は始まったのだった。
侍女も一日にしてならず。多少の練習は必要です。
え? 私の趣味に巻き込んでいる?
あら何のことかしら? 得意なもので勝負するのは世の常ではありませんかー。
私はせっせと別邸のアーニャ様のところに朝から通っては、午後のアルストラとのお茶の時間まで「侍女としてのお仕事」の講義と指導に励んだのでした。
いやあ楽しいですね!
この密やかな計画を通して、私たちもお互いに「アニー」「アナ」と呼び合うようになりました。
きゃっきゃと笑いながらの楽しい練習。
なにしろアニーを侍女に仕立て上げるには、まずはその上品すぎる所作を少しガサツにしないといけません。って、初めてよ、こんな努力。
少し大股で歩けとか、ちょっと姿勢を崩せとか。
大口あけて大笑いとか、本当にしたことがなかったの? そんなことってある? と思ったら、どうやら親御さんが厳しかったみたいですね。おかしいな、王族の私の方がよっぽど自由に育っている気がする。
まあ、侍女の中にはちゃんとした貴族のご令嬢が行儀見習いでいることも普通にあるから、その線でいきましょう。
所作以外にはお茶を淹れたりお辞儀をしたりは全く問題ないので、 あとは変装と防犯。
密かに毒煙玉とか光玉とか笛とか持たせて、不埒な人を一発で仕留める技なども伝授。
王宮内の風紀はしっかりしているけれど、万が一にもか弱い侍女相手に不埒な真似をしようとする人間がいたら大変だ。しかも相手が王太子最愛の人だったら、騒ぎになったとたんに下手すると大量に死人が出かねない。できるだけそういうことは未然に防ぎたい所存。
アルストラと王陛下の怒りを買ったら最後、私のバラ色の侍女生活が終わってしまうしね。念には念を入れますよ。
でもそんな危険を冒してでも、やりたいよね?
アルストラ王太子殿下の平常状態のこっそり見学ツアー。
彼はアニーの前でだけデレデレするのよ。でもそのデレた顔しか知らないアニーはそれが平常の彼だと思っている。
な ら ば。
平常時のアルストラ殿下をこっそり見てみましょうね~。
そしてその落差に驚くがいい!




