後日談 アナライアの話3
「で、何ですか、用事って。よっぽどの急ぎなんですかね」
腕を組んで睨む。
ああいうことをされると、下手に注目を浴びてやっかみだの嫌味だの面倒なことが起きるから困るのよね。
でもリチャード様も負けじと言った。
「申し訳ありません、急ぎですね。この前いただいたクリーム、なぜか置いておいたところに無くて困っています。追加ってありますか?」
「追加? それならちょっと作らないと。まさか盗まれたわけではないわよね?」
「それは多分大丈夫だと思いますが。もう一度よく探してみます……」
リチャード様がちょっと情けない顔になった。まあそりゃあ管理不行き届きですからね。
「急いで作るからちょっと待ってて」
材料はあるから、当面の分くらいはすぐに作れるだろう。色味は……たしか記録があったはず。
「で、アーサー様派だったんですか? 意外ですね。今度二人で会えるようにセッティングしましょうか?」
「はあ? いやいやあれは方便だから。アーサー様だったら公爵家の嫡男だから、メイドが現実逃避に憧れるのにうってつけってだけ。叶わない夢を語るのが一番安心安全なのよ、ああいう時にはね」
だから余計なことはしないでもらいたい。
「でもアナライア姫の降嫁先としては非常に良いお相手になりますよね」
「やめて! 本当にそんな気はないから! 全然そんな気にもならないから!」
言われてみれば確かにそうなので困る。
でも私はこの身軽で楽しい生活を手放す気は無いのよ!
にやけた王太子補佐筆頭兼幼馴染の顔が浮かんで思わず渋い顔になった。
あのただの陽気ないい奴を夫に……? 子供の時から私やアルストラと一緒に育ったあの男?
「ないわー。ときめきが無いわー。私はアーニャ様とは違って政略とかもう無理だわー。そりゃあ立場もあるけどさー、でも今まで自由にやってきちゃって、今更公爵夫人とか無理だわー。特権階級の王族万歳」
思わずリチャード様に訴える。まあこの男に言ってもどうにもならないんだけど。でも根回しというか、意思表示はチャンスがあればしておいた方が良いと私は思っている。知らないところで政略結婚の話なんて出ていたら、同情して教えてくれるかもしれないじゃない?
「え、では、結婚しないんですか?」
「まあ王族の務めもわかってはいるけどさあ。今のところは私には、結婚するより侍女生活の方が大事なのよ。それに結婚相手の家がよほど金持ちじゃないと、私の研究生活にも支障が出るかもしれないし? だいたい考えてみればこんな毒に詳しい妻なんてもらったら、相手もいつ私が機嫌を悪くして暗殺されるか気が気じゃあないんじゃないかな。そんな立場にあえてなっても良い人なんて、いるわけないわよねえ?」
ふふふ~、いいねえ、そういう方向でこの先みんな断らせよう。よし。
私は私の今の生活を守るのだ。
こんどアルストラにも言い含めておこうっと。
「あ、じゃあ早速私、あなたのその無くしたクリーム作りに行くから! 侍女頭にはそう伝えといてね~」
そしてまた不審人物を見るような目でこっちを見ているリチャード様を顎で使いつつ、私は自分の研究室に向かったのだった。
「リチャード様と何を話したのよ~~白状なさい」
がっしりとジニーに捕まって尋問されたのは次の日の昼。
おっと忘れてた~~~。
「えーと、アナライア姫が見当たらないから、一緒に探してくれって。で、結局午後中探し回るはめに」
「あーだから午後いなかったのか。しかしあなたでも把握出来ないって、どういうこと?」
「あー、ほら、あの方気まぐれだし、神出鬼没というかとらえどころがないというか、ねえ?」
「あ、わかる! 大抵どこにもいない感じの方よね! 本当に研究室以外で存在することがほとんどなくて不思議な人だよねえ。さすが『変わり姫』」
ああ、うん、そうね……。
「で、結局どこにいらしたの」
「ああ、結局研究室に戻っていらしたところをね。あ、私お茶の支度をしないと~」
「結局研究室かーい!」
ジニーが”たははー”と笑って会話が終了した。よかった、リチャード様のことはなんとか誤魔化した。
そして今はそのアナライア姫として、王太子の婚約者のアーニャ様と午後のお茶をしているところだ。私の淹れたお茶で。ええ、切り替え自由自在です。楽しい。
最近はアーニャ様も私の二重生活に慣れて、こうしてほぼ毎日会っているのだ。
私がアーニャ様の侍女をかつてしていた役得で、お茶の用意を申し付けられて午後のお茶のセットを持っていくと人払いをしたアーニャ様が待っているという寸法だ。
なので見た目はメイド、中身は姫という肩書のお友達として、楽しく一緒にお茶をしている。
「それでそのリチャード様にはそのクリームをもう渡したの?」
優雅な仕草でお茶を飲む王太子の婚約者。
今は王宮の別邸に引き続きお住まいで、結婚したら正式に王宮住まいになる予定だ。でもアルストラ王太子が毎日顔を見たいがためだけにお茶の時間に彼女を呼び出しているので、そのために彼女は毎日午後のお茶の時間になると王宮にやってくる。
私とのお茶の時間は彼女に会いに来るアルストラが現れるまでの時間つぶしとも言えるけれど、アーニャ様が喜んでくれるので私も楽しんでいるのだ。
「渡したわよ。急ぎでね! ここまでお膳立てしたのにバレるなんて許せないでしょ。しかし何で無くすかな」
すっかりくだけた口調になってしまっているけれど、お互いにかしこまらない相手というのも貴重なので私たちの仲はあっというまに良くなった。
アーニャ様はどうやらアルストラ王太子に「ディック呼び」を禁止されたらしく、素直に自分の幼馴染のことを「リチャード様」と呼ぶようになった。相変わらず何をやっているんだあの私の従兄弟どのは。
一度、束縛が強くて嫌にならないかと聞いてみたら、幸せそうににっこりされてしまったからまあ彼女としては不満はそれほど無いようだけど。
「しかし随分雰囲気が変わったわよねえ、彼。口調もちょっとサウト風の訛りになったりして芸が細かいわ。あの人器用だったのね。なにやら人気も急上昇みたいじゃない?」
うふふふ~とご満悦なアーニャ様。そんな風に他の男の話を嬉しそうにしていると、嫉妬する人がいるのはわかっているのかいないのか。
「まあ、私にはジト目か渋面か呆れ顔しかしないから、私にはどこが良いのかワカリマセンがねえ」
「まあ、でもそれは、素が出せているという事なのではなくて? きっとあなたには心を許しているのね」
「はあ? 私としてはもうちょっと……」
おっと、そんな話の最中に王太子アルストラの登場だ。
嬉しそうに颯爽と部屋の入ってくる従兄弟殿。
「アニー、待たせたね! アーサーがなんだかんだと引き留めるから、振り切るのが大変だったよ」
いやお仕事投げ出さないでくださいよ。そして目の前でいちゃつかない。なにうっとり顔を見ているんだ従兄弟どの。毎日毎日飽きないな。
アーニャ様もアーニャ様で嬉しそうだからいいけれど。毎回赤くなるあたり可愛い人だ。私は毎日何を見せつけられているのか。
「あー、じゃあ新しいお茶をお持ちしますね」
すかさずメイドに戻る私。アルストラも忙しい人なので、せっかくの逢瀬の邪魔をしてはいけない。
そう思って立ち上がったら珍しくアルストラがこっちを向いた。
「そういえばお前、アーサーが好きなのか? リチャードが言っていたぞ」
アルストラ、お前もか。
「だから違うわよ。確かに他のメイドの手前アーサー様がいいとは言ったけど、それはそう言っておけばそれ以上変に煽られたり睨まれたりしないからであって、別に身分が高ければ誰でもいいんだからあなたに憧れていることにしてもいいのよ? でもあなたには婚約者がいるでしょうが」
「そうなのか? だったらいいんだが。アーサーが相手ならこのままだと降嫁になるからな、ちょっとまずいことになるかもしれない」
「ええ、お嫁に行っちゃうの!? せっかくお友達になったのに、お嫁に行っちゃったらこんなに毎日会えないじゃない……」
アーニャ様、よく聞いて。そんな悲しそうに動揺しない。私は違うって言っているでしょ。
「だから行きませんよ。私は今の生活を続けたいんです。今の生活を守るためなら何でもしますよ。だから何を心配しているのか知らないけれど、それは杞憂よアルストラ」
「ふうん? ならいいけどな。まあ好きなやつがいたら早めに言え。ちょっと考えていることがあるから」
「うわあ、あなたが言うととっても危険な香りがするう。早めに何を考えているか教えてくれると嬉しいわね」
まさかもう嫁入り先が決まっているとか!?
そんな思いが顔に出たのかアルストラがちょっと考えた顔になった。
「そうだな……まあここならいいか。じゃあ伝えておくが、正式に決まるのはもう少し先だ。でもおそらくお前、王家の娘になる。王弟の娘じゃなくて、現王の娘だ。王女なら結婚しても王族に留まれるからな。結婚するとしても婿入りしてもらって、王家からは出さないことになる。お前の毒の知識が危険過ぎて、他家に出せないと父上が判断した」
うわあ、むしろ反対方向だったー。芸は身を助くってこういうことかしら?
「ディグ、またそんな勝手に……」
アーニャ様が心配そうな顔になって言うが。
「でもアニー、彼女が嫁いだ先で脅されたり夫やその親族に騙されたりして毒の知識を漏らされたら、その攻撃の矛先は僕たちになるんだよ。危険すぎるだろう。そして王家の誰も今の時点で彼女に対抗できない。王家から出すわけにはいかないんだ」
わーい一生王宮にいられるぞー。願ったりかなったりー。
「だから、もしアーサーが好きならあいつ、公爵家の嫡男だからマズいと思って。まあ、お前が好きではないなら大丈夫だな。じゃあ進めるぞ? この話」
「はーい、よろしくお義兄様ー。もちろん私の父母の立場も保証してくれるのよね?」
「もちろん」
「まあ、じゃあ姫が義妹に? 嬉しいわ!」
うん、アーニャ様もだんだん慣れてきたねこの一族に。良い切り替えです。
「だから、好きになる男はどこかの次男以下にしとけ。婿入りしてもらうから」
「そんな簡単に行くかなんてわからないわよ。でもまあ了解」
「了解しちゃうの!?」
いやアーニャ様、そんなに驚かなくても。
どうせなるようにしかならないから~。もしどこかの長男を好きになったら、その人を長男ではなくすればいいだけなのよ~。まあどうにかなるでしょ。ほら、アルストラも同じ思考の顔をしている。
「本当にアーサーだったら奴にはたしか弟がいたはずだから、どうにかなるぞ」
「だからアーサー様ではないって! ないから! そうやって無いはずの外堀を埋めないで!」
危ない危ない。あんな「噓も方便」とばかりについた話で結婚させられてはかなわない。もう今度からは架空の人でも言っておけばいいのかしら。
油断も隙もありゃしない……。




