番外編 リチャード・グレンの回想3
帰国の途にあってもアルストラ王太子とアーサー先輩補佐官は、なにやらずっと怪しげな相談をしているんだ。
そして帰国早々補佐官の僕たちに、王太子
が意気揚々と宣言した。
「父上の許可はとった。調査の結果もまず問題はないだろう。すでに『龍環』の手配もした。あとは公爵を片付けるだけだ!」
許可って何の!? 『龍環』って……正式なやつ!? もうそこまでいってるの!?
天下のこの王太子が本気を出したらどうなるか、僕たちはまざまざと思い知らされることになった。
「そのロシュフォード侯爵令嬢は了承したのか?」
「いやしてないんじゃないか? そんなことを誰か聞いているか?」
「いや聞いてないぞ。いいのかこれ?」
アーサー先輩を除く他の先輩方も面食らっていたということは、そういうことだろう。僕は静かにアニーの幸せを祈るしかなかった。だって、誰も止められないんだよ。あの人を止められるのはもう王陛下と王妃陛下くらいだろうけれど、もう許可を取ったと言っているなら、きっともうどうしようもないんだ。
仕方がない。せめて彼女があの王太子を少しでも好きになるように、僕たちも一緒にアニーへのアプローチを考えて円滑に事を運べるようにしよう。せめて。
そう仲間内でこっそり示し合わせたというのに。
そこにイストのフリード・リンデン様がやって来たものだから、全てがぶち壊しになって、さらにややこしい事態になった。
何やら二人でこそこそ相談していると思ったら勝手に話がついてしまったのだ。
王太子が言った。
「アーニャを呼ぶ事にした。表向きは王太子の通訳として来てもらう。そのまま王家の別邸に隔離して、王太子妃に必要な教育を極秘でするから」
え、それ、誘拐じゃあないの? 騙してるよね? 大丈夫なのか?
でもそれはすでに決定事項だった。
決定事項!
アニー……残念だけど、やっぱり君の運命は決まっているようだよ……。
あの黒い笑みを浮かべた彼に、逆らえる人間なんてもうここには誰もいないのさ。なのにそれを煽る奴はいるんだ。
後日、まさかこんなにいろいろな計画で固められた罠にはまっているとも知らないで、素直にアニーが王宮の別邸に入るのを、僕は複雑な気持ちでこっそり見届けたのだった。
十数年ぶりに間近で見たアニーはとっても綺麗になっていて、なるほど王太子が惚れこむのも納得の女性になっていた。昔の面影は……あるかな? さすがに昔過ぎてそこはあやふやだけれど。でも王太子の話では僕のことをディックと呼んでくれたみたいだから、当時は幼かったのに彼女が僕を覚えていてくれて嬉しかったな。いい子なアニー。そんな子がこんなことになるなんて……。
それからは僕は表向き王太子としての公務があるので、僕以外の五人の仕事に、アニーの対応が加わった。もともと本来の補佐官の仕事もあるのだ。それはそれは忙しい。
なのに彼女の事は極秘なのを言い訳に、王太子が彼女のいる館を男子禁制にしてしまった。おかげで館一つの全てを女性で賄わなければならなくなった。
「これで当面は安心だな。他の男と結婚なんてさせるものか」
そう言って黒い微笑を浮かべる王太子は、もはや恋の奴隷と言ってもいいのではないのかな。イストのジークフリード王子よりたちが悪い気がするのは気のせい?
「リチャード、お前は特に、間違っても会うなよ? あと幼馴染とも口が裂けても言うんじゃないぞ? アーニャは今若干ホームシックだからな。そんな時に幼馴染に会ったら、まずいのはもちろんわかるよな?」
王太子の一番の警戒が僕に向くのが非常に迷惑極まりない。
「男子禁制ということは、補佐官であるあなたも会えませんよ。行ったらすぐに報告が来てバレますからね。前例を作ったら、あとはなし崩しになりますよ」
「うっ……! いたしかたあるまい。他の男を近づけるよりはましだ……」
しかしアニー、君、本当に大変なやつに狙われたな……。
それからの王太子はといえばアニーの極秘お妃教育の進捗をご機嫌で監視して、デビュー用のドレスを密かに注文する浮かれよう。そして彼女の教育の終了に合わせてデビューの場をセッティングするという念の入れようだ。そのためだけにイストのリンデン伯爵を呼びつけるという暴挙にも出た。
「すでにリンデン伯爵家はアーニャを養女にする話を内諾しているからな。将来のセルトリア王太子妃の後ろ盾になれるとなれば、どんな協力も惜しまないだろう。リンデン伯爵夫人もアーニャを気に入ってくれているみたいだし、うん、順調だな」
ねえ、アニーは何も知らないんだよね?
それでも黒い笑顔で楽しそうに計画を練っている王太子。
僕そろそろ怖いよこの人……一ミリもアーニャを諦める気は無いよね……。
アーニャもなんだかんだと素直に計画に乗ってしまっているから、ますます王太子が勢いづいていく。
僕たち補佐官が時間をかけて作り上げた「全国民憧れの貴公子」のこの姿……。
国中の令嬢がこれを知ったら全員が落胆するに違いない。
そしてこの事態を知ったスローデル公爵親娘の怒りが想像できてしまう……。
その怒りを向けられるのは僕なんだけど!?
でも結局は、その状況をあえて派手に演出して煽ってスローデル公爵を追い落とす計画も自然に持ち上がったのだった。
実はこの三年間、王太子とその補佐官たちが全力で取り掛かってきたにも関わらず、スローデル公爵の「敵意」の決定的な証拠を押さえることは出来ていなかった。あちらも非常に用心深い。巨大な資金と人材を抱えて、上手く人を動かして公爵までつながらないように全てを画策しているようだった。
ここで「王太子結婚か?」と煽ることで、なんとか公爵を焦らせて穴を見つけようという話が自然と出てくる。
そしてその話に、なんといっても王太子がすごく乗り気だった。むしろ主導していると言ってもいいくらいだ。
なにしろ公爵を追い落とすのが彼が表に復帰する王からの条件だったから、どのみち今のままでは彼が結婚なんて論外なのだ。
つまりいくらアニーを王太子妃用に教育しても、今のままでは王太子はアニーにプロポーズができない。
そして日に日にスローデル公爵令嬢を推す声も高まってきていた。王太子もとっくに結婚していても良い年だから、断るのにも限界がある。公爵令嬢もその気だからどんどん積極的になってきていて、影武者をしている僕もたじたじだ。目が猛禽の目のようでとっても怖い。
正直、王太子の組んだ要求の高い教育をアニーが順調にこなしてくれたのは幸いだった。
もうあまり時間の猶予は無さそうだったから。
まあそんな事情でとにかく「公爵を煽」らなければならないので、アニーがデビューしたらすぐに熱愛しているように見せかけろとの王太子からの指示は出た。しかもできるだけ短期間で燃え上がったように見せかけなければならない。が。
「ただし! 絶対に本気になるなよ? そして絶対に本気にさせるな! 絶対だぞ!」
そんな鬼気迫る注文も同時にだ。本当に無茶を言う。でも顔が本気だから、逆らえないよ。
多分アニーが僕を好きになったら自分消されるな。
王太子から僕への風当たりがちょっときつくなったのは、彼の焦りからなのか嫉妬からなのか。
しかしもうかれこれ三年もたいした成果が出ていない公爵の追い落としだから、他の補佐官たちもやれることはやろうという意見で、一番若輩者の僕には拒否権なんて無かったんだ。
溺愛って、どうすりゃいいんだろうね? 経験なんて全然無いよ。
「ああそうか! アルストラ様がアニーを語るときの真似をすればいいんだ!」
そう叫んで王太子に睨まれたけど。
どうせ王太子の代わりなのだから、本当に王太子のようにしていればいいんだな。うん。
僕は少々破れかぶれだった。まさか影武者の業務にこんな演技が必要とは思わなかったよね。
案の定最初は面食らっていたアニーもしばらくしたら状況を察したらしく、僕が溺愛演技をしている時だけ調子を合わせてくるようになった。
そういう察しのいいところがまた、このアルストラ王太子が入れ込んでしまうポイントなんだろうなあ……。優秀なのもホント考え物だね。
おかげで僕たちは表向き熱愛状態でイチャイチャし放題だ。たまにちょっと演技が熱過ぎると明らかに動揺する王太子を見るのも楽しいね。
そしてその度にいちいち呼び出しを食らう僕。
でも僕も仕事だし、そもそもその指示を出したのはアナタではないですか。
「馴れ馴れしくアニーなんて呼ぶんじゃない! 節度を考えろ! 私でさえ愛称でなんて呼べていないのに」
はいはい。
「絶対に正体をばらすなよ。幼馴染なんて知ったらアーニャがほだされるかもしれないからな」
はいはい。
「うっとり見つめられても、あれは全部芝居だからな!」
はいはいはい。
アニー、もう早めに王太子に落ちてくれないかな……。
僕の立場が日に日に悪くなっていくんだよ……。




