番外編 リチャード・グレンの回想2
「真実の愛に目覚めたんだ! 僕にも幸せになる権利があってもいいだろう?」
そう目を輝かせて語るわが母国であるイスト国のジークフリード王子だったが、セルトリア王太子とその補佐官チームにとってそれはとても無責任な言動に見えた。
「は? 真実の愛? なに今更寝言を言っているんだかな」
この時は王太子がこの事態を鼻で笑っていた。彼は王族という立場をよく理解していたから、彼は王族の伴侶というものが、好きという感情だけで簡単に挿げ替えられるものではない非常に公的な立場であると理解していた。
そして彼がそんな冷めた目をしているその横で、僕は一人驚いていた。
その婚約破棄される令嬢とは、懐かしいわが幼馴染ではないか!
「リチャードの幼馴染?」
「そうです、アーニャ・ロシュフォード。もう十年以上会っていないのですが……」
「ああ、前に言っていた隣の子? ふうん? かわいそうにな」
最初彼女を本当に心配していたのは多分僕だけだったと思う。
実際にジークフリード王子がアニー(昔僕は彼女をそう呼んでいた)にきっぱりと婚約破棄を告げ、そして彼女が会場を去るまで、僕たちは離れた所からただ見守っていただけなのだから。
アニー、アニー、かわいそうに。何も悪いことをしていないのに、この先彼女にはきっと茨の道が続くだろう。でも僕は今は何もしてあげられない。いつか僕が出世したら、友達として何か援助ができるだろうか。
そんな風に思っていたからある日、王太子が突然僕に質問に来てびっくりした。
「リチャード、君のあの幼馴染、何て言ったかな。彼女の家はどこにある? あと印象的な思い出は?」
表情が真剣だ。え、何かの仕事か? 最初はそう思ったくらいだ。
彼は最初は慣れない宮仕えという仕事を、しかも僕というセルトリア王宮の中では最底辺の外国の小貴族として働くうちに、どうやらいろいろと新しい学びがあったらしい。
ある時などはなにやら不機嫌にブツブツ言っているからどうしたのかと思えば、
「私の中身も仕事ぶりも何も見ずに見下して馬鹿にしてきたリチャードの元同級生たちの名前を頭に刻み込んでいる」
と、将来の王が固い決意の顔で語っていたりした。
どうやら身分が低いのに、成績だけで自分たちより出世したことになっている「リチャード・グレン」を、学園を卒業した今になってもまだ虐めにきた奴がいるらしい。
ああいう輩は大人になってもきっと変わらないのだろうな。南無。
そんな経験をどうやら他にもたくさんして、そして補佐官として人に仕える仕事も一通りこなすようになった彼は、とても変わった。人間に幅が出たというか。そして僕はそんな彼をとても信頼するようになっていた。
だから何をしたいのかはわからなかったがアニーの家を知りたいと言われても、あまり心配しないで僕は教えたのだった。
まさか、仕事を放り出してまで通い詰めるようになるとは思わなかったんだよ!
最低限の仕事を終えたら、すぐにロシュフォード家に飛んでいく姿は僕たち補佐官には衝撃だった。
あんなに仕事の鬼だったのに!
女性の話なんて今まで全くしていなかったのに!
流行りの女性が喜ぶような店を教えろだ?
その変わりようにみんなが心からびっくりしたものだった。
なにやら終始鼻の下が伸びてにやけている。
「これは……天変地異がおこるのか?」
アーサー先輩が戦々恐々としている。
「あいつ、女が近寄るだけで逃げてたんだぞ?」
アーサー先輩は、どうやら学園時代からの王太子のご学友というやつらしい。
そしてお忍びで毒草採取のために付いてきていたアナライア姫が、その変化に飛びついた。
「なになに? なんか面白そう! やだ、手伝う!」
こうなるといくら仲間とはいえ、我々補佐官ごときが王族二人に逆らうことなんて出来ないのだ。協力しろと言われて拒否などできない。結果、補佐官の一人は業務の合間を見て必死でご婦人に人気のお店を調査しに走り回ることになった。
彼は後に、
「たくさんの店でケーキを食べまくってちょっと太ってしまった」
と語ることになる。
そんな裏方の努力の末に、どんどん殿下の恋は燃え上がっていったのだった。
しかし相手があのアニーとは……。
僕の記憶の中のアニーは幼くて、ただのおてんばな小さな女の子だったし、今の姿を見たと言ってもイストの第二王子の婚約発表の日に遠くから、しかも少しだけだったから、アルストラ王太子の執着具合にはただ驚くことしかできなかった。
「帰国したら私のことは忘れてしまうかも」
「どんなに優しくしても全然私を好きにならないんだ……他にどうすればいいんだ……今までの令嬢たちはみんな何もしなくてもすぐにうっとりしていたのに」
「私が目の前にいるというのに政略結婚するって当たり前のように言うんだ」
「準備してから迎えに行っても手遅れになるかもしれない。急がないと。いやいっそ……」
真面目な顔に目だけがどんどんすわっていって、最近独り言が多くて怖い。
仕事でもそんなに悩んだ様子を見せたことが無かったのに、あのいつも余裕な態度のアルストラ王太子は一体どこへ行ったのか?
そして急ぐとは?
一人アーサー先輩だけが震えている。
「これはお前の幼馴染、人生が終わっ……いや決まっちまったかもな……。おーい、アルス、忘れられたくなかったら、花でも送っとけ? な?」
アーサー先輩はそう言いつつ乾いた笑いを顔に貼り付けていた。
そんな感じで補佐官たちがみんなで目を白黒させて驚いていたらさらに、目を輝かせたアナライア姫が「初恋だね!」と言い出した。
またこの姫は何を嬉しそうに……。
「今まで地位があるせいでやたらとモテていたからね! ちょっと女嫌いになっていたみたいなのに、今回は身分を隠しているところに好みの子に会っちゃったみたいねえ。やだ運命? うふふふ~これは応援しないと~」
とアルストラ王太子だけでなくアナライア姫までが妙に行動的になってしまい、もう僕たちにはどうしようもなかったんだ。
僕は知っている。この王族の人たちはとてもアグレッシブで、欲しいものは必ず手に入れる人たちだということを……。
帰国の日が決まって二人の距離が離れることが決まって、王太子の態度はますます切迫した。執着が強くなったと言うか。
「とりあえず、本は一通り山ほど用意したからそれを全部贈ろう。勉強にもなるし、これだけ取り揃えれば気に入った分野がきっとあるはずだ。彼女は本を読むのが好きだから、これでしばらくはまだ家に籠っていてもらう。他の男の目に触れさせるな。そしてその間に準備を終わらせる」
準備って、なに!?
アーサー先輩が具体的な指示をされて動いていた。でも漏れ聞こえてくる内容がちょっとおかしいよ?
「そのアーニャ嬢の親も抑えておいた方がいいんじゃないか?」
「一番問題のある母親は今は田舎にいる。とりあえず戻って来たら報告が来るようにしてある」
「父親も抑えとけよ」
ねえ、本当に、こそこそ何をやろうとしているの?
「もういっそ、セルトリアに一緒に行こうって言えばいいんじゃねえの?」
「それも考えたんだが……実は私が他の女といくら親し気に話していても彼女は全然平気な顔だったんだよ。くそっ。少しでも嫉妬でもしてくれるようなら連れ去ろうかとも思ったんだが……今は自信がない。無理をして嫌われるのはまずい。そんなリスクは負えないな。道中でやっぱり帰ると言われたら困る」
アニー、なんか話の内容が誘拐みたいなんだけど、いいのかな……。
悪気は……ないんだよね……?
アーサー先輩以外の補佐官の仲間たちと一緒に僕は、着々と黒い相談をしている二人を遠巻きに見ているしかなかったんだ。
アーサー先輩、そこは止めるところではないんですか……?




