32.馬車の中
二人きりの馬車の中。
アナライア姫が一緒に乗り込みたそうにしていたけれど、従兄弟殿に断固拒否されてしぶしぶ諦めたので結果二人だ。
「アーニャ……驚かないんだね。私の髪の色が違うこととか」
私がずっと睨んでいるためか、なんだかしゅんとしている。
「アナライア姫にひととおり聞きましたからね。なにしろ何日も監禁されていましたし? いつ殺されるかわかりませんでしたし? 彼女が私に後悔のないように、私がなぜそんな状況なのか納得のいくように説明してくださいましたからね」
「あいつ……」
とても渋い顔で目の前の彼が呟いた。
「で? 私はあなたを何とお呼びすればいいのですか? 嘘つきの王太子殿下。ああ、殿下でよろしいでしょうか?」
「ええ……それはちょっと、他人行儀じゃないかな……出来たらアルスとかディグとか名前で呼んでほしいと……やっぱり怒っている?」
なんか気弱な風情なのに、でもしっかり希望は言うんですね。
「ではアルスと」
「ああでもディックって呼ばれていたから、ディグの方が嬉しいかな……家族もそう呼んでいるし」
「だったら最初からそう言ってください」
そしてますますしゅんとしてしまった彼だった。
まあね、颯爽と助けに来てくれた姿は素敵でした。真っ先に来てくれたのも嬉しかったです。
だから、一応そう伝えてお礼は言いましたよ? でもね?
「それで説明してくださるのかしら?」
「何を? もう全部聞いたんだろう?」
ちょっと弱気にこちらを窺うディグ。
「多分全部ではありません。たとえば、いつから私を……その」
しまった、好きだと言われていないのに、彼が私を好きな前提で話そうとしていたわ。まさかアナライア姫の勘違いということはない?
突然恥ずかしくなってしまう。私の自意識過剰だったらどうしましょう?
内心慌てふためく私。
でもそんな私をじっと見て、何故か突然元気を取り戻した彼が嬉しそうに笑って言った。
「いつから君を好きだったか? うん、顔が赤いよ、アーニャ。今の今まで強気だったのに本当に君はかわいいよね」
ちょ、そんなに顔を見ないで。思わず手でパタパタと顔を扇いでしまう。鎮まれ、鎮まれ。
これは……どうやら、そんなに怒っているわけではないことがバレたわね。
ちょっと、なんか突然にやにやと余裕な態度でご機嫌になり始めたわよ? 今までのしょんぼりしていた紳士は一体どこへ?
思わずそう言って睨んだら、「だって、もう私の気持ちは知っているんだろう? そしてその様子。今君に嫌われていないのなら、もう私に怖いものはないね」と嬉しそうに言われてしまった。なんだろう負けた気分になるのは。
「そうか、正直に言えば良かったのか。でも君は僕のことは何とも思っていないのかと……ついどうしても帰したくなくて策を……そうか……」
とか、目の前でブツブツ言うのはやめてください。すみませんね、顔に出さなくて。
「……初めて君を見たのは、親善で行ったイスト国でのあの第二王子の婚約発表の日だった。事前に本来の婚約者ではなく、違う娘と婚約すると聞いてこれは修羅場になると思っていた。そして同時にリチャードから、婚約を破棄されたのは幼馴染の君だとも聞いていた」
彼は真面目な顔になって、静かに語り始めた。
ああ。あの時、あの場にいたのか、この人は。
「あの第二王子にきっぱりと言われたのに泣きも騒ぎもせず、凛と立っている君は美しかった。そしてその後の様子を見て強い人だとも思った。今思うと一目ぼれだったのかもしれないが、その時の私は興味がわいたから君とちゃんと知り合おうと思って、あちこちのパーティーに顔を出してみたのに、君はその後全く社交界に出てこなかった」
まあ、謹慎させられていたから出なかったわね。まさかそんな思惑の人がいるなんて思ってもいなかったしね。
「だから、リチャードから情報を引き出して、君の家に乗り込んだ。もともとリチャードとして働いていたから簡単なことだった。君の家の執事を買収するのにはちょっと骨が折れたけど」
そう言ってウインクする。
え、執事!? 買収されていたの!?
「まあ王家の情報と威光と圧力でどうにかなった。彼を責めてはいけないよ? 彼は逆らえなかったんだ。君のお父上もね。それで、君と知り合って、そしてますます惹かれてしまった。君はかわいらしくて、素直で、そして強い。王太子妃、ひいては王妃となっても君ならその重圧に負けることはないだろう。すでに君にはそのための準備もしてもらったし、周りの説得も終わった。全ての障害は排除した」
そしてディグが私の手を取って『龍環』にキスをする。
「だから私と結婚しておくれ、アーニャ。愛している」
改めて跪いて申し込んでくれたことが嬉しかった。真剣な目で私を見つめてくれる最愛の人。
やっぱり女性として、とてもとても幸せ。
ええ、たとえそれが出来レースであっても。
「……私はここで拒否はできるのかしら?」
「いいや?」
そうでしょうね。そうでしょうとも。
いまさらこの流れを変えることなんて出来ないのは私もようくわかっていますとも。
そしてうんと言うまで策を弄するのもだんだんわかってきた。
「でも君が今、一言うんと言ってくれれば、あとは全部私が引き受けて一生君を守る」
だから、言え。そんな圧力が眼差しからひしひしと伝わってくるのですが、それは。
「……そうね。守ってもらいましょうか。一生よ?」
そんなすがるような目をしなくても、大丈夫。私は拒否はしませんよ。
この一族に勝てる気なんて全くしないし、まあ、幸せですしね?
私がにっこり微笑むと、彼は優しく私を抱きしめて、そしてキスをしてくれたのだった。
だけどそろそろ王宮に着くかしらという時。
「ところで一つ聞きたいんだが」
あら、なにかしら? 突然ふんぞり返ったわよ、この人。
「君が好きになった『厄介な人』って、誰?」
にやり。
『……本当に、私も厄介な人を好きになったわよね』
……え? なんで? あれ、聞いていたの!?
突然あたふたしてしまう私。
「ドアの前で聞こえたんだ。あれは確かに君の声だった。で、誰? 相手によっては今後の監視とか追放とか考えないといけないし、なんなら毒の実験台にでも」
「いやいやいやいや……」
もう、わかっているくせに! だからそんなニヤニヤしながら私を見ないでー!




