31.毒
それからまた二日ほど経った。
食事もトイレもお風呂まで、不自由はなかったけれどもお部屋からは出られていない。
「もし消すなら周到な準備をしてからになるでしょうから、もう少し時間がかかるでしょう。その間にアルストラが証拠を固めて動いてくれるのを祈りましょう。まああの彼を心底怒らせたからには公爵の命は決まったようなものでしょうけど。私だったら絶対にごめんですね。あ、その食事は私のものと取り替えます。あとしつこいようですが私の後に食べてくださいね。私は毒に慣れていていますが、あなたは素人ですからね」
こういうことを素面で当たり前のように言うところはさすがこの国の姫というところでしょうか。
暗殺に関して詳しすぎはしませんかね。消すならとか毒に慣れているとか、物騒だわ……。
「今はヨナ茶が無いので特に用心しなければいけません」
「ヨナ茶?」
「毎日私が淹れていたあのお茶です。あのお茶を飲んでいると、たいていの毒は口に含んだ時に異常な味として検知できるようになるのです。王家が密かに発見して、近年になって製茶技術も確立しました。昔は直接葉を噛んでいたんですよ。あ、口外はしないでくださいね? あのお茶のお陰で今回も、紅茶に仕込まれた毒をあまり摂らずに済みました」
なにその技術と準備。どれだけ毒殺が怖いんだ王家。物騒!
私が驚愕していると、アナライア姫は、
「まあ毒殺は昔からの常套手段で証拠も残りにくいんですよね。種類が多い上に権力で病死に出来るから、使う方としては便利で」
と、しれっと続ける。姫……さすがあの血塗られた王家の人……。
呆れて言葉もない私を見て、アナライア姫がにっこりと言った。
「アーニャ様冷静ですね。普通の神経の令嬢ならきっと失神するか泣いて怖がって逃げたがると思うんですが。うん、さすがアルストラが惚れるだけのことはある」
うんうんと頷いているけれど、いやこれ冷静なの? 感心されても困るような。だってただ呆れているだけだから……。まあ泣きはしないけれども。そう言えば彼からも逃げたい? って、聞かれたな……こういうことか……。
「あ、これダメですね。料理に毒が入っています。んー、ちょっと止めておきましょう。デザートは大丈夫みたいなので、私が口を付けたもので申し訳ありませんが、こちらを召し上がってください」
突然昼食のときに、まるで世間話の続きのようにアナライア姫が言った。だから何なのその手慣れた感じ。
私は素直に渡されたデザートだけを食べた。一応味におかしなところはないか気を付けるけれど、まあ素人が頑張っても所詮なんちゃってである。プロには従いますよ。ええ、自分の命は大切です。
「と、いうことは公爵がとうとう動き出したということ?」
デザートだけでは足りないけれど、食べないよりはましだ。きっとこれから修羅場になる。
「そうでしょうね。思ったより早かったです。よっぽど前から準備をしていたかな。いざという時には私が防波堤になりますので、あなたは全力でお逃げください」
「一緒には逃げられないの?」
「あなたが捕まって始末されてしまったら、どのみち私がアルストラに殺されますから。それに私にも少々護身術というか武術の心得がありますので、あなたには逃げていただいた方が私も助かります」
さすが王家、危機管理が行き届いている。むしろ行き届きすぎでは?
と、いうことはあの習った護身術、やっぱりそういうことだった?
この王族いろいろ黒過ぎでは。
いいのかしら私、このまま流されて。
そんなことを思って呆然としていたら、ドアの外に人の気配がありました。
来た。
さあ、頑張って生き残りましょうか。
「……おやおや、さすがですね、お二人ともお元気そうで。何度も毒を潜り抜けるとは、『龍環』をお持ちの方には龍の加護がついているという噂は本当なのでしょうかね?」
なんと部屋に入ってきたのはスローデル公爵その人だった。
なんで本人が来ているんだ。自分の目で確かめる派なのかしら。
アナライア姫が挑発的に言った。
「あなたは『龍環』をお持ちでなくて残念ね。王陛下にお願いしたら、あなたも作っていただけるかもしれなくてよ?」
しかし公爵は余裕の笑みを崩さない。
「なるほどそれは良い案だ! でも心配ご無用ですな。なぜなら自分で作れば良いのだから。そうは思いませんか、アナライア姫」
「まあ、なんと不穏な。王陛下も、王太子殿下もいらっしゃるというのに」
「ああ、あの死にぞこないの王太子ねえ。あの時の毒で少々頭の働きが弱くなったのではないですかな? 昔は血気盛んな若者だったのに、最近ではすっかり大人しくなってしまわれてまるで人形のようですな。しかし操るのにはちょうどいい。次の王を産む我が娘も、相手は今の王よりかは若い王太子の方が嬉しいでしょう。せいぜい頑張っていただきますよ。でもその私の孫が王位を継ぐには、娘は正妻でないと」
そして勝ち誇ってニヤニヤしながら私を見るその顔は、とても醜くて非常に不愉快だった。
「王太子との結婚を夢見ていたなら、残念でしたなあ。愛人で我慢しておけばよいものを、欲をお出しになるから」
いや全然欲なんて出していませんけどね? むしろ外堀を埋められた結果な気さえしていますが。
もう、本当になんでこんなことになったのかしら。思わずため息をつく。
「……本当に、私も厄介な人を好きになったわよね」
そしていつでも逃げられるように、立ち上がる。
自分にちょっと呆れるわ。
こんなことになっても、やっぱりまだ好きだなんて。
もしここで死ぬとしても、彼の婚約者という立場で死ねるのは幸せなのかしらね?
できたら埋葬の時にはこの『龍環』をつけたまま埋葬してほしいかな。
スローデル公爵にはにっこりと微笑みましょう。
脅しには屈しないわよ? 全力で戦うからね?
いざ逃げるときには、一番気弱そうなあの護衛を蹴り飛ばして走ろう。
自分と護衛とドアの位置を確かめる。公爵自身はきっとアナライア姫が止めてくれるだろう。
その時アナライア姫が私の前に出て、言った。
「せっかく芽生えた我が従兄弟どのの恋、わたくし全力で応援すると決めたのです。誰があんな高慢な娘と結婚なんてさせるものですか。それじゃあ私の楽しみがなくなってしまうじゃないの。デレデレ鼻の下を伸ばしているのをからかうのが楽しいのであって、慰めるなんてまっぴらごめんよ!」
ちょっと、姫? 本音が出てますよ?
バアン!
その時突然扉が開いた。
「お前! なにを勝手にしゃべっているんだ! アーニャが聞いているだろう! やめろ! これ以上俺の邪魔をするな! アーニャ! 助けにきたぞ! ああ、スローデル公爵、反逆罪で逮捕だ。もう逃げ道は無いぞ。全部塞いだからな! ……楽に死ねると思うなよ?」
入って来たのはぞろぞろと部下を引き連れたディック……いや、髪を黒に変えた元ディックだった。
部下たちがてきぱきと公爵とその部下たちを捕らえるのをしり目に、彼はまっすぐ私を見据えながら足早に私の方へ向かって歩いて来る。あら、心なしか痩せた? そして目の下にはくっきりとクマが。
「アーニャ、怖かっただろう、もう大丈夫だから。遅くなってごめん」
そして彼が私を抱きしめた。
私も思わず彼を抱き返しながら思った。
彼の温かさ、そして匂い。ああ……助かったのね。
そうね。怖かったわね。もう死ぬかと思ったわよ。
今はちょっと安心して足から力が抜けてしまって、思わず全面的に彼にすがってしまっているけれど。
でもね?
「……それで、一体あなたは誰なのかしら。もちろん説明はしてくださるのよね?」
いくら感動の場面でも、そこは有耶無耶になんてさせないわよ?




