29.龍環
気が付いたのは見知らぬ部屋でだった。
ここは、どこだろう?
ぼんやりした頭で見回す。
とりあえずはあまり酷い状況ではなさそうに感じる。
ベッドもそれなりに高級品だし、調度も悪くない。ただ……窓には鉄格子。美しくデザインされてはいるけれど、それはまさしく鉄格子だった。
これは捕らわれたわね。
「気がつかれましたか! 良かった!」
横を見るとアンナが泣かんばかりに喜んでくれていた。
よかった。アンナがいる。独りぼっちではない。
それがなんと心強いことか。
「ここはどこ? 状況はどうなっているの?」
そしてアンナは状況を説明してくれたのだった。
どうやら私はやはり毒を盛られて倒れたらしい。
紅茶を飲み干していたら命がなかったかもしれないという物騒なもののようだ。
「思っていたよりも強い毒だったようで心配しました。こんな毒を入手して使うということは、まあまずスローデル公爵の仕業で間違いないでしょう」
と悔しそうにアンナが言う。
どうやら一口だけだったのと解毒用の丸薬を口に含んでいたおかげで、丸二日ほど寝込んでいただけで今起きられたということのようだった。どうりで体が重い。多分熱が出ていたのだろう。
心配したというアンナの目の下にはくっきりとクマが出来ていて、その気持ちが嬉しいやら申し訳ないやら。
しかしスローデル公爵家、容赦ないわね。全力で私を消しにかかってきているではないか。
ちらりと脳裏に、前に読んだ血塗られた王家の歴史が蘇る。でもただの発表段階の婚約者では、あの本の「消された女たち」の項目に名前が載るかどうかも微妙なところだったわね。いや危なかった。
表面だけ見ると、私が倒れた伯爵家が疑われるだろうから公爵家は関係ない。普通なら。
年頃の令嬢もいたから、私に嫉妬してとかなんとか理由はいくらでも作れる。
でも公爵家は前からマークされているから、きっと今頃はディックを始めとした王宮のメンバーが動いているだろう。
「とりあえずここは公爵家だとは思うのですが、たくさんあるお屋敷の内のどこかまでは今はわかりません。ですが、現在は貴賓扱いですので危害は当分の間はないかと思います」
私が気が付いてほっとしたのか笑顔になって、アンナはてきぱきと説明してくれる。
貴賓扱い?
「いっそさっさと私を殺したいのではないの? 公爵としては」
「きっとそれはもう。でも実は公爵は今、軽々しくはアーニャ様を殺せません」
「なぜ?」
私の問いにアンナがちょっと迷いを見せた後、とても言いづらそうに小声で言った。
「こんな状況なので説明させていただきます。実は『龍環』を持つ人間を少しでも害すると、反逆罪になります。すでにアーニャ様の『龍環』は示されました。今アーニャ様を少しでも傷つければ問答無用で王室への反逆罪に問われます」
「りゅうかん?」
なんだろう。初めて聞く気がするけれど。
「その指輪のことです。王族のみが持つ指輪で、このように、表面に龍が彫られています。」
そう言って、アンナは彼女の左手にある金の指輪を私に見せた。
その指輪は私の左手にある指輪とそっくりな形をしていて、そして表面には細かな細工で龍が踊っていた。
「本来ならば婚約式の時に贈呈されるものなので、公爵はもうアーニャ様が『龍環』を持っているとは思っていなかったのでしょう。アーニャ様の指輪もダイヤとサファイアで飾られていて、一見龍の模様が目立たなくなっていますが、よく見ると龍が彫られているのがわかると思います。ここが頭。胴、そしてメレダイヤで模した宝玉を握る手がここにあります。この手をよく見ると三本指になっているのが見えると思います。三本指の龍は王家直系とその配偶者しか持てません」
そう言ってアンナは自分の指輪を見せてくれる。アンナの指輪の龍は、四本指だった。
「…………」
思わず黙る私。ちょっと待って? どういうこと?
そんな気持ちでアンナを見る。
「実は私は今の王太子アルストラの従姉妹にあたります。今の王の弟の娘でアナライア・ケイナ・セルトリアと申します。結果的に騙した形になってしまい申し訳ありません」
そう言って彼女は頭を下げた。
え? 王族? 侍女じゃなかったの? たしかに王の家系にアナライア姫って、いたけど……。王族との顔合わせは婚約式の後の予定だったから、たしかに会ったことはない……。
私の驚く顔を見て、少し気まずそうに話すアナライア姫。
「えー、実は趣味と実益を兼ねてアーニャ様の侍女をやっておりました。いやもうアルストラの必死さが面白くてつい、からかいがいが……あ、いえ、応援したくてついつい離れがたく」
そう言いながらくすくす笑い始めた。
「いやあ、ふふっ、あの、アル、ストラが……ぶふっ」
なんだか言葉になっていないけれど、うん楽しそうだ。
でもアルストラって、あのプライベートでは常に冷静なあの王太子よ?
それにこれはディックにもらった指輪のはず。
あの王太子殿下に会うずうっと前から私の指にはまっていたものなのに。
私は指輪をそっと外して中を確認する。今は他には誰もいないから大丈夫よね?
『アーニャへ。Dより』
やっぱりディックからだ。
私がしげしげと指輪の内側を見ていたら、やっと笑いが収まったらしいアンナ、いやアナライア姫が覗き込んできて、そしてまた笑いの発作に見舞われていた。
「彫ってる……! すっごい彫ってる! いやもうどんだけ必死なの……びっくり……」
いや私もびっくりですけれど?
とりあえずまた中指に指輪を嵌めなおしてアナライア姫の笑いが収まるのを待つしかない。
指輪に名前を彫るのって、そんなに珍しいこと? よく聞くわよね?
ちょっと落ち着いてきた姫にそう聞いてみると。
「えー、実は『龍環』は金に特殊な金属を王家だけに伝わるやはり極秘の割合で混ぜて鋳造されるもので、ものすごく固いんです。それこそ普通では傷もつけられないくらいに。ちょっとだけ普通の金とは色合いが違うでしょう? そしてやはりその固い指輪に龍を彫るのも王家お抱えの一握りの職人にしか伝わらない技法でしか出来ないんです。王家だけが作れる完全オーダーメイド品です。固すぎて普通の技術ではその龍には何も付け足せないし、潰せない。それが特徴の指輪だから、その固い指輪の内側に名前を彫るのも、ものすごく大変なんですよ。しかもこんなにたくさんの文字とか。職人もこれは苦労したでしょうね。普通は贈る相手のイニシャル一文字が慣例です。いやあさすがアルストラ容赦がない!」
そしてアナライア姫はまた笑っていた。
そんなに固いのか、これ……。
特殊な金属。そういえば、リンデン伯爵家のフリード様もそんなことを言っていた気が……。
フリード様はリンデン伯爵夫人のお子さまだから、セルトリア王家ゆかりの方で……もしかして『龍環』のことを知っていた……?
え? だからあのお茶会の時に気付いた……?
だから「誰にもらったのか」と聞いたのか。たしかにそんなモノだったら、売っているはずがない。
あの時のフリード様の様子では、もしかしたら龍の三本指まで確認していたかもしれない?
おう、フリード様、なかなかの腹黒さではないか。その後に何も教えずに私をこの国に送ったのもきっと何か理由があるに違いない。
かつてのイスト王宮でのお茶会を思い出した私は、思った。ん?
「いやでも待って、これは幼馴染のあのディックからもらったものよ? それこそアルストラ王太子殿下に会うずっと前に」
そこだけはおかしくない?




