26.提案
ストレス展開再びです。すみません。
「そろそろ動きがあるかもしれない」
そう眉間に皺を寄せて心配そうに私を見るディックは、心から私を案じてくれているようで、ちょっと嬉しい私はゲンキンだわね。
「動き?」
でも一応真面目に会話に集中する。
「そう。実は今までずっと調査をしていたのだが、今まではなかなか向こうに隙が無かったんだ。だが、やっと今回証拠が集まりそうだ。それもこれも全て君のお陰だよ。どうやらやっと追い詰められたようで、とうとうボロが出た」
「まあ、それは良かったわね」
そう言いながら、私はお茶をまた一口飲んだ。
私が体を張って、汚名を着せられつつも頑張ったかいがあったようで良かったです。ちょっと不本意でしたが、まあ、それでディックが嬉しいのなら、きっと私は後悔はしないのでしょう。
ディックが真剣な顔をして続ける。
「これでようやくこちら側も動くことができる。だがあちらが先に動く可能性もあるので、いくつか注意事項を聞いて欲しい。まず、その指輪は絶対に外さないこと。外そうとする人間がいたら、手を握って絶対に開けられないようにして。あと、このお茶も毎日飲んで。そしてどこかへ行くときには、必ず僕かアンナを連れて行って。あとは……」
ディックは私を隣に呼んで、声を潜めて言った。
「スローデル公爵には特に注意して欲しい。令嬢も同様に。今までは君が怖がるだろうと伏せられていたけれど、いつ何が起こるかわからなくなった。今までも、そしてこれからも全力で君を守る体制は敷いているし、もちろん君に害が及ぶ前に全て解決しようとはしているけれど、いつどこにいる時も周りには気を付けて欲しい」
そしてまた一段と声を潜めて彼は言った。もう顔と顔がくっつきそうだ。
「これは隠されているけれど、三年前、王太子はスローデル公爵に毒を盛られて倒れ、二年間床から出られなかった」
は? 毒? 公爵が!?
思わずあんぐりと口をあけてディックを見つめてしまう。
「公爵がやったという証拠はどこにも無い。だが王は確信を持っておられる。だからそれ以降王太子も過剰なくらいに厳重に警備がされている。これはあまり知られていないけれど、王太子がいなくなれば今のところ王位継承権はスローデル公爵が第一位だ。間に何人もいるように見せかけられているが、全部公爵が用意したダミーだとわかっている。公爵は警戒されて王太子に手が出せなくなった後、次に令嬢の輿入れを画策していたが、それも君のお陰で頓挫しようとしている。そのため公爵がとうとう、どうやら動き出した。これを利用して今回、今度はこちらから公爵を追い落とす」
いきなり怖い話だった。なるほどそりゃあそんな人の娘なんて輿入れさせられない。下手すると跡継ぎが生まれたとたんに王太子が殺されてしまう。
でもだからといって国内では、あのスローデル公爵親娘を差し置いて嫁に来たがるような娘も嫁がせたい親もいなかったのだろう。公爵家が怖すぎる。そんな状況の中で何もわからずに王太子の近くに侍って、そしてもし万が一何かあっても後処理が楽そうな田舎の貴族の娘の、なんと都合の良いことか。
しかし毒とは……。
そういえば王太子、今はピンピンしているように見えるけれど、大病したという話だったわね。それが実は毒で寝込んでいたということか。
前に読んだ本の、この王室の血塗られた歴史を思い出してぞっとした。あの時はまさか自分がかかわることになるとは夢にも思わなかったけれど。
思わず呆れた顔で視線を泳がせてしまった。
しかしディックも王太子も随分危ない橋を渡っている。
早く終わるといいわね、こんな物騒なこと。
そう考えて、ふと思う。
もしかして、これが一件落着したら私は帰国することになるのかしら?
公爵さえ追い落としてしまえばあの美形な王太子には高貴な令嬢たちがさぞかし群がる事だろう。
なんだか母国イストを出たときには帰りたいと願っていたのに、今はそうは思っていない自分に驚く。ここで何か月も過ごすうちに、どうやら私はこの国にすっかり馴染んでしまったようだった。ここでは友や仲間と言える人たちがたくさん出来た。
ああでも、ディックたち二人が幸せになるところを見なくてすむのは、良いことなのかもしれない?
「聞いている? アーニャ」
ディックに聞かれて我に返る。
「あら? ごめんなさい、ちょっと考え事をしていて。ではこの件が無事に終わったら、私の役割は終わるのよね? そうしたら私はイストに帰るのかしら?」
思わず思い浮かんだことを聞いただけだったのだけれど。
でもディックはそれを聞いてなんだかショックを受けたような顔をした。
「なんで? 帰りたいの? 怖くなった?」
ディックの顔が悲しそうに歪む。
「え? いえ別に怖いのは前からだし帰りたいとも思ってはいないけれど、でもそのうち私は役目が終わったら帰国するのでしょう? そうなったらあなたにお手紙を出せるようにしたいのよ。だけれど、たとえばセルトリア王宮内リチャード・グレン様宛で出したらあなたに届くかしら?」
「……いや……君の役目はたくさんあるよ。でも、帰りたいなら言ってほしい。……どうにかする」
ディックが悲しそうな顔のまま言う。どうにか……してくれるのね。優しいわね、相変わらず。
「別に役目があるならいいのよ。私に出来ることならやらせていただくわ。でももし役目が終わったら、その時は言ってね」
その時は、ちゃんとお別れを言うから。きっと、言えるから…………うん、練習しておこう。
ディックが無言で私を見ているけれど、私は困った顔しか出来なかった。
しばらく沈黙して考え込んでいたディックが、突然私の目を見つめながら、意を決したように言った。
「アーニャ……君は、王太子妃になることはどう思う?」
はあ? 何を言っているの?
そんな思いが顔に出ていたに違いない。ディックが続けた。
「実は王太子が君を望んでいる。そして周りも君を認め始めている。実際に君は今まで見事にあの王太子の隣でパートナーとしての役割を果たしてきたし、いろいろ聞いて回っても、君を出身国や家柄、そして愛人疑惑以外で悪く言う人間は今のところいない。言葉も知識も品格も、君個人は全く問題ない状態だ。愛人疑惑も実際に結婚してしまえば熱愛の末と話を変換できるだろう。考えたことは?」
「ないわよ。なんなの突然」
なんで私、好きな人から他の人に嫁ぐ話をされているの?
なんでディックがそんなことを言うの。
王太子が望んでいる? あの冷静な顔で? まさか。
ショックで呆然としてしまう。
でもそんな私を見てますます真剣な顔で彼は続ける。
「じゃあ、考えて。今のようなあやふやな状態ではなく、正式に婚約だけでもしてしまえば僕たちも正々堂々と君の警護を厳重にして守ることができるし、スローデル公爵も手を出しにくくなる。しかも今この国はちょうどイストとの関係を良くしようとしているところだから、君が嫁げば両国の友好にも良い。結婚したら君はイストには帰れないかもしれないけれど、いつか里帰りは出来るだろう。できるだけ協力する。だから」
だから、考えろと?
王太子に嫁いで、王太子と寄り添いながら、あなたが別の女性と幸せになるのを見ていろと?
よほど私は酷い顔をしていたのだろう、ディックは辛そうに続けた。
「王太子妃という立場は大変かもしれない。でも君なら出来る。僕はそう思っている」
「だから、私に好きでもない人のところへ嫁げと? 本気になるなと言ったのはあなたよ」
「だが君は、政略結婚を受け入れるんじゃあなかったのか?」
「だからって! なんで。なんであなたから言われるの」
これが親から言われたとか、王太子本人から言われたとかならまだ私は冷静だったかもしれない。
でも。
なぜ、あなたが言うの。
ディックが私の様子をじっと見ている。
確かに政略結婚をするつもりだと、かつての私は彼に言った。だから彼は間違ってはいない。
でも私はあの時からは変わってしまったのだ。
いまさら好きでもない人のところへなんか、いきたくない。
「僕からでなければいいのか?」
「誰から言われても一緒よ。今は……結婚したくない」
好きな人を置いて、違う人となんて。
ディックが苦い顔で私を見ている。
そしてしばしの沈黙のあと、ディックはとても、とても辛そうに言った。
「すまない。だが、もうレールは敷かれている」




