25.サウト国
「大丈夫? 疲れた?」
そう優しく聞いてくださる王太子殿下に慌てて笑顔を向けた。
いけない、お仕事中だった。
自分の都合で落ち込んだりしていてはいけない場面だ。
王太子はにっこりした後また相手に向き直る。
いけない、今はサウト国の使者をお迎えしているところだ。気を抜くなんて私としたことが。
幸い私がぼうっとしていたのはあまり問題にはならなかったようだけれど、気を付けなければ。
晩餐会の会場に入って案内された席に着いた。使者の一行とセルトリアの主だった貴族との晩餐会は王宮で華やかに催される。私も何度か経験して、緊張しながらもやっと料理の味がわかるようになってきたところだった。
「なぜ彼女があそこに座っている?」
しかし近くで王太子が小声でなにやら文句を言っている。
視線の先はスローデル公爵令嬢だった。
「スローデル公爵がそうしろとおっしゃいまして。一番身分の高い女性が座るべきだと」
たしかにスローデル公爵令嬢の座る席は、本来ならば女主人の座るべき席だった。しかし王太子に妻はまだいない。
ならば一番身分の高い女性が座る。一番平和そうな解決方法だと思うのだけど、だめなのかしら?
「今一番立場が上なのはロシュフォード侯爵令嬢だ。変えさせろ」
は? なんの冗談ですか? 妄想も演技もたいがいにしてください。
この国の公爵令嬢と、隣の小国の侯爵令嬢では格が全然違うでしょうに。それに私、あんな所になんてできたら座りたくありません。今みたいに端っこで楽しく美味しく過ごしたいです。あんなど真ん中嫌ですよ。少しもミスなんて出来ないんだから、緊張するったら。いつもどれだけヒヤヒヤしていることか。
「王太子殿下、もう皆さんお座りですから」
向こうからそう注進するのはスローデル公爵だ。
たしかにもう皆さん座っていて、そして王太子に注目してしまっている。
それを感じて王太子は渋々という感じで席に着いた。
そして和やかに晩餐は始まったのだった。
私は久しぶりの端っこの席でリラックスしてお食事をいただいた。さすが王宮料理人が腕によりをかけて作ったお料理です。大変おいしゅうございます。いやあ、緊張すると味なんてわからないから、今日は堪能出来て幸せです。などとうっかり本音が出そうになるのを理性で押しとどめ、にこやかに両側に座る使節団の方々と歓談します。
ええ、一応接待ですからね。
話題を振り、退屈させないように頑張りますよ。
そんな感じで楽しく過ごしていただきつつ晩餐が終わろうとしていたとき、ざわっと中央でどよめきが上がった。
あら何かしら?
みんなが中央を見守る。すると、どうやら使者の方、つまりは主賓ですね、その方が怒っていらっしゃるようです。
え? 怒っているの?
「我が国ではそれは侮辱だ。今の言葉は謝ってもらおう!」
立ち上がりはしないけれど、ひときわ大きな声に険悪な雰囲気を感じる。
スローデル公爵令嬢が戸惑ったように言った。
「まあ、私は正直に申し上げただけです! 絶対にお鬚が無い方がすっきりとして素敵だと思いますわ。その方がずっと男らしくて……」
私の近くの使節団の方もどよめいた。
髭が、なんだと?
ああ、髭は豊かで濃い方がかっこいい国なのですよね、サウト国。髭がない男は子供扱いのはず。まああの使者の方はたしかに髭が無い方が若々しくて素敵になりそうではあるけれど、ちょっと他の方々よりもお鬚が薄くていらっしゃるから、もしかしたら髭がコンプレックスだったのかもしれないわね。
使者を怒らせてはいけません。こういうことが怖いから私はあそこには座りたくはないのです。
とりあえず今回は周りの方たちが、スローデル公爵令嬢に形だけでも謝らせて何とか事なきを得たようです。くわばらくわばら。
さてその後は歓迎パーティーです。
ダンスをしたり飲み物を飲んだりして自由に過ごしていただきます。サウト国は宗教がいくつもあり、それぞれ戒律が違っていて、中にはお酒が飲めない宗派の方も混ざっているので注意が必要です。
お酒を飲めない方のために、今回は果実を絞ったものを何種類か取り揃えているようですね。
サウト国とセルトリアは貿易の面ではとても良い関係のようなので、もしサウト国のご機嫌を損ねるとセルトリアの経済にダメージが出るかもしれません。
いやあ、お勉強って大事ですね。私はこの国に来るまで宗教がこんなにいろいろあるなんて知りませんでした。
なにやら王太子にはぴったりとスローデル公爵令嬢が寄り添っているので、私はちょっと離れた所で他の方々のお相手をしています。たまに王太子が私にタスケテーという目線を送って来たり、王太子を離れて見守るディックの眉間に皺が出来たりしているけれど、実は私は先ほどスローデル公爵から直々に、今日の王太子のお相手は娘がするからお前は近づくな、とそれはそれは厳しく釘を刺されてしまいましたの。ええ、もちろん権力者には逆らいません。自分の身はかわいいですからね。
ついでに「愛人風情が分をわきまえろ」と吐き捨てられましたが、まあご自分の愛娘にとっての障害に見えるのでしょうから、そんなものでしょう。ええ、怒ってはイマセンヨ? ちょーっと公爵への心証はこれ以上ないほどには悪くはなりましたけど、まあ顔に出すほど私も初心ではありませんから、にこやかにしながらも最速で退散しました。絶対に近づかないぞ。
あら、何かサウト国の使者の方が今度はグラスを投げ捨てて怒っていますね。サウト国、南の国でのんびりかと思いきや、なかなか気性が激しいようです。でもスローデル公爵と王太子がとりなしているようなので、まあなんとかなるでしょう。王太子のタスケテーの視線より、スローデル公爵の方が怖いので、もちろん私は傍観一択です。
「だから君は行かなかったと」
ディックがため息をつきながら言った。
「だって、忠告を無視して近づいたら絶対に後から何か報復がありそうな雰囲気だったのよ? 怖いじゃない」
恒例のお茶会兼打ち合わせ。
私も今やこのひと時をご褒美に日々の役割を演じているような気がする今日この頃。
アンナが来ると赤くなるディックを見るのは辛いけれど、でも彼を独り占めできる時間は今の私には嬉しかった。それがたとえほんのひと時でも。
心を隠して、負担にならないように。一緒にいられるこのひと時を大切にしたい。
だから全てを報告して相談する。
もちろんスローデル公爵の言動も報告させていただきました。ええ、暴言も全て。
「まあ、確かにやりかねないか。なるほど、そこまで釘を刺されていたならまあ君を責められない。ただ、今回はスローデル公爵令嬢がいろいろやらかしてくれたから、出来たら助け舟を出してくれたら嬉しかった」
まあ、私が助け舟を出せると思ってくれているというのは有難い評価ですが。
でもこれ以上の面倒ごとは出来るだけ避けたいです。
「君が直接対応していた使者団の方々にはとても心証が良かったようだから、今頃はきっと彼らが使者の方をとりなしてくれているとは思いたいが、明日は君が王太子のそばに居てくれ」
そう言われましても、スローデル公爵にこれ以上恨まれるのは嫌です。
と、思っていたら、翌日は王太子直々に迎えに来られてしまいました。どうやらスローデル公爵令嬢は今日は出てきていないようです。しょうがないので流れで王太子のパートナーのお役を全うしております。
スローデル公爵がこちらを睨んでいるけれど、王太子にこうもガッチリと掴まれていては私にはどうしようもありませんよーわかってー? この状態、見えるわよねー?
「お嬢様はとてもわが国に理解がおありなのですね。言葉もお上手です」
使者の方の機嫌もなんとかとりました。事前勉強と補佐官方の情報と対策万歳。
「セルトリアもこのような方がお妃になられたら安泰ですね」
まあ、お世辞という皮を被った爆弾もほどほどにしてください。何事も行き過ぎると毒ですよ。そして王太子もにやけるんじゃない。溺愛演技やり過ぎですよ。
ほら、すぐ近くのスローデル公爵の顔が……とっても怖いです……。
命の危機って、こんな感じ? しくしくしく。




