23.茶番
「何様のつもりなのかしら。小国の田舎者のくせに」
そう聞こえて私は思わず振り返った。
そこには今日はオレンジのドレスを華麗に着こなすスローデル公爵令嬢が立っていた。
「ごきげんよう、スローデル公爵令嬢。今晩もお美しいですね」
まあ、そんな言葉では彼女の機嫌は直らないだろうけれど。
「あなた、なんなの? 殿下の周りにいつもいらっしゃるけれど、あなたの身分では殿下の恋人には不足でしてよ?」
「はい、私もそう思います。全く同感です。なので心配はいりませんわ。きっと外国の女が珍しいので連れ歩いているだけでしょう。そのうち飽きると思います」
満面の笑顔で言ってみました。
なんでこんな場面になっているかというと、あのダンスを踊った日以来、なにかと王太子が私を連れ歩いて何処に行くのにもお供をさせられているからです。これでは秘書というよりは恋人のように見られてもしかたがありません。非常に不本意ですが、もちろん私には拒否権なぞ最初からありません。
どうやら王太子殿下に気に入られてしまったようです。
と、いうのは表向き。
どうやら王太子がイストに対する知識全般が不安だと言い出したそうで、言葉だけでなく、ついでにイストの知識の補助もして欲しいとお仕事が追加されました。まあ、簡単に言えば通訳から臨時のイスト専門補佐官に昇格したみたいなものですね。
そしてお忙しい方なのでゆっくり時間が取れず、いつの間にかに連れまわされながら王太子の質問に答えたり説明したりしていくというスタイルが出来上がってしまいました。
やっていることはほぼ秘書か補佐官なのに、そうと公言はしていないものだから、こうしていらぬ恨みを買っているという状況です。うっかり私でお力になれるのなら、なんて引き受けたのが運の尽きでした。まさかこんなことになろうとは。
「まさか殿下の愛人になりたい令嬢がいらっしゃるとは思わなかったわ。ベタベタと殿下のまわりをウロチョロして、イストの女って恥を知らないのかしら」
そしてひと睨みしてからくるりと踵を返して去っていかれる公爵令嬢。
まあ怖い。
私、せっかく王族のリンデン伯爵夫人のご紹介で社交界デビューしたはずなのに、このスローデル公爵親娘が私のことを愛人だと声高に吹聴するせいで遠巻きにされております。なんか理不尽。まあ公爵家が怖いのはちょっとわかるけど。
「ああ、ここにいらしたのですね、探しましたよ。さあ、行きましょう」
ちょっと、王太子自ら探し回るとは、何事ですか。しかも声が大きいです。
そのうっとりと見つめる目線もいりません。お仕事とは関係ないでしょう。私は社交界の端っこで、有名人を観察しているくらいが一番楽しいと思っているのに。なんでこんなに常に話題と視線の中心にいないといけないのでしょうか。それもこれも王太子の体面のためだけに。
でも自国の第二王子にも逆らえない私、もちろん大国の王太子に逆らうなんて出来ません。自分の命は惜しいのです。もっと本も読みたいし、大作のレースにもまだ挑戦していないし、ディックともずっとおしゃべりしていたいのです。
しかもそのディックに「君には悪いけれど、実はこの状態はとても助かっているんだ。もう少しの間協力してくれると嬉しい。そんなに長くはかからないと思うから」などと真面目な顔でお願いされてしまうと、ついつい頷いてしまう私。それに最近はお仕事を通してディックや他の補佐官の方々と頻繁にお話が出来るのも密かな楽しみになって来ていて。秘密を共有するというのは、ちょっと特別な感じがするものだから。
それに王太子殿下も何故か表では熱くとろける眼差しで溺愛してくるも、誰も居ないところでは「大丈夫? 辛かったら言ってね」と熱い視線など皆無の全くの素面で気を配ってくださって、私を心配して下さっている気持ちが伝わってくる。基本的には優しい方のよう。
そう、全てはお芝居なのです。なぜかみんなで壮大な茶番を演じている。いったい何故なのでしょうか?
しかし殿下、演技のオンとオフの差が見事ですね。
そして私は今日も殿下と一緒にダンスを踊り、一緒にお食事をいただき、一見楽しくおしゃべりしながらひたすらおそばに侍っているのでした。会話は非常に事務的ですが、ちょくちょく溺愛演技が入るのはどういうことでしょうね。やれやれ。
そしてそんな状態が随分続いてしまった最近は、すっかり愛人候補から、とうとうあまりの王太子のあからさまな溺愛ぶりに結婚するのではないかという噂が流れ始めました。
いやないでしょ。
いくら何でも。
あの大輪の薔薇とそのバックが許すはずがないではないか。
でももしかして、わざと煽っているのではないかという疑念も最近の私の中で形になりつつあった。
どうもあの公爵家、歴史があってお金持ち、そして政治的にも国の中枢を牛耳っているらしく、この国の中でダントツに一強。敵なし。そして何より怖い「黒い噂」がたくさん。これはもしかして王太子が結婚してはいけないお相手なのでは。
でもそれでは、王太子とその補佐官たちは、その公爵家に喧嘩を売るような真似をして何をしようとしているのだろう? だってそうでないとスローデル公爵令嬢とそのご父君の目の前でこんなにしつこく、これみよがしにいちゃつく必要は無いと思うのよ。まさか私、縁談除けに使われている? 暗に諦めろと? それとも単に文句を言ってくるように仕向けている? とりあえず私にわかるのは、王太子のスローデル公爵令嬢を見る目が冷たいということだけだった。
しかし迷惑……。
こんなことになるなら最初から教えて欲しい。そうしたら絶対に最初に断るから。
ああだから何も知らされなかったの?
最初はただの通訳だって言うから承諾したのに。
あの公爵、不思議と邪魔者が常に都合よく死んでゆくらしいですよ。なんて怖い……。
どうやら危険なところまで来てから状況が見えてきた悲劇。気が付いたら引き返せなくなっているとは。
ディック、もしや私を騙したわね? 思わず指輪をした左手を握りしめた。
「どうしたのですか、美しいあなたに、そんな憂い顔は似合いませんよ」
魅惑の笑顔で甘い甘い嘘を吐く王太子。この人も役者よね。人目の無いところではいつも冷静な顔になるくせに。思わず遠い目をしてしまう。
危険という意味ではこの人も火中の栗を拾いに行っている。なにしろケンカを売っている張本人だ。こんなことをしないといけない王族って本当に大変ね。
「まあ、申し訳ございません……」
その時私はふと思った。
もう手遅れで逃げられないのなら、あとは必死で生き残るのみでは。
たとえどんなに切り捨てやすい田舎の小娘にも、しぶとく生き残る権利くらいはあるはず。
こうなったら全力でこの茶番に乗っかって、周りにさっさと解決してもらうしかない。
かくして私は今までの戸惑いの表情をかなぐり捨てて、うっとりと見つめ返したのだった。
早く終われ、こんな茶番。さあ今から私は女優。この王太子に夢中です!
熱い視線には熱い視線で返しましょう。自分の姿が滑稽過ぎて、羞恥で顔が赤くなるけれどむしろそれは好都合。王太子殿下も近くで見守るディックや他の補佐官たちも、どうせみんな茶番は承知の上だ。
驚きにわずかに目を見張った王太子が、そのままうっとりと見上げる私を見つめたまま、静かに顔を近づけて来た。間近に見る殿下の視線は熱くて私も酔ってしまいそう。この人どこまでやる気だろうか? まさかこのままキス……?
そう思ったとき、ガタっと机に何かがぶつかる音がして王太子が我に返った。
ふと見たら、ディックが机に足をぶつけたらしく苦悶している。一体あの人は何をやっているのかしら。
隣で王太子がにやりと笑った気配がした。ん?
そして、「そうそう、そろそろワルツの時間だ。おいで」
そう言って王太子が私の腰を抱いて、その場から私を華麗に連れ去ったのだった。
ああ、私は見ている方になりたかった……。
きっと王室ロマンスと女のバトルの行く末にドキドキわくわく出来たことだろうに。
今、私は大輪の薔薇とその後ろに立つ権力の権化からの鋭い視線で、今にも射殺されそうです……。




