22.王太子1
視線が一斉に動く。大広間の一番大きな扉が開いて、どうやら王太子が入ってきたらしい。
らしいというのは、人ごみで全く見えなかったから。
でも来てしまいましたね、お仕事が。
何をどうすればいいのかは一通り聞いたとはいえ、自信はない。だけれどとにかくベストは尽くさなければならない。
王太子が一斉に有力貴族の方々に囲まれた雰囲気を感じます。まあ、ある意味政治の場ですからね、男の人にとっては。私はおば様から紹介されるまでは傍観でいいのかしら?
そんなことを考えつつ眺めていたら、視界の端に赤いものが動いた。
スローデル公爵令嬢が優雅な足取りで王太子に近づいてゆく。さすが高位貴族令嬢で有名人です、周りの人たちが道を譲っている。
なるほど? あの後ろを歩けば私、王太子に近づけるのではないかしら? そうしたら未来の国王カップルが見れるかも。見たい? もちろん見たいわよね?
さっそく控えめを心掛けつつ真っ赤なドレスの後ろをわざとらしくないようについて行って、じりじりと目的に近づいていく。
先ほどご挨拶した方々が私に気付いたら、もちろん優雅を心掛けつつほほ笑みと頷きを振りまきますが、足取りはしっかりと赤いドレスの後ろを進みます。やがてなんとか二人が見える位置まで移動することができました。ふっふっふ。
「殿下、今日は舞踏会ですわ。難しい話は後にして、まずダンスを踊るべきではございませんこと?」
スローデル公爵令嬢が扇で顔を半分隠しつつ王太子に近づいて話しかけた。
「スローデル公爵令嬢、全くその通りですね。今日は舞踏会です。みなさんぜひ楽しんでください」
そう笑顔を返すのは、黒髪にエメラルドの瞳、きりっとした、でも親しみやすそうな表情が素敵な所謂見慣れた美形王太子だった。ちょっと、この国こんな美形が多くないですか? 非常に眼福なので嬉しいですが。
しかし、本当にかっこいいのねえ。これは人気が出るのも納得だ。美しくも珍しい黒髪に目が釘付けになる。そういえば他には見ない。漆黒の、黒。美麗というよりは勇ましい感じの母国の王太子を思い出して思わず頭の中で比べてしまう。
公爵令嬢が静かに佇んでダンスに誘われるのを待っている。もちろんここに、いや国中のどこにも彼女に対抗できる女性などいない。
誰よりも高貴で誰よりも美しい人。いやあこの国も安泰ですね。
なんて美しいカップルの成立を期待してわくわくしていたのですが。だって自国の人とお話する時に通訳はいりませんからね。
突然私の腕をガシッと取って、そこにリンデン伯爵夫人が割り込んだ。
ええ!? おば様!?
「まああ、アルストラ様、すっかりご立派になって! 元気そうで良かったですわ! 紹介するわね、イストのロシュフォード侯爵家の令嬢、アーニャよ。もう私、目に入れても痛くないくらい可愛がっているのよ。よろしくねええ!」
などとテンション高めに場を奪う。一斉に私に突き刺さる視線がとても痛いです、おば様。
もちろん王太子殿下とも目が合ってしまったので、魂を持っていかれつつも渋々ご挨拶をする私。
「お初にお目にかかります、王太子殿下。アーニャ・ロシュフォードでございます」
お辞儀をするときに、こちらを睨みつけるスローデル公爵令嬢の顔をチラリと見た気がするけれど、いや今の私にどうしろと? むしろ私はおば様に巻き込まれた被害者です。よね?
睨む公爵令嬢、びくつく田舎の侯爵令嬢の私。いやん怖い。
なのに全く空気を読まない人間がまた一人。
「ああ、ロシュフォード侯爵令嬢、ようこそセルトリアへ。セルトリアはいかがですか? もう名所など見てまわられましたか?」
なんて言いながら手なんて差し出されたら、ますますあそこで睨んでいる人が……。
「ぜひ最初のダンスを私と」
殿下!
それを私に言うんですか? それはあそこにいる大輪の薔薇の後にしていただかないと、この先の私の社交生活が真っ暗な気がするのですが!
つまりは、やめて? そういうのは。私のことは正しくモブとして扱っていただきたい! だってモブだから!
主役はあっち!
まあ、はい、心の声なんて聞こえないですよね。知ってます。私も大国の王太子に逆らう度胸なんてもちろんありません。
「まあ、ヨロコンデ……」
願わくば、誘ったのは王太子であって私は何にもしていないし逆らえないのだと、あそこで蒼白になっている真っ赤な薔薇とどよめくお偉方が正しく認識してくださればいいのですが。
王太子さま、少しはご自分の立場と場の空気を考えてくださいませ……。
しかも一曲踊ったら解放されるかと思いきや、全くそんなことはなかったのだった。なーぜー?
私はそのまま王太子とおば様に挟まれて、イストの大使としてこのパーティーにやって来たリンデン伯爵とそのまま対面したのだった。
ええ? 大使はおば様の最愛のご主人ではありませんか。
妻と息子がお世話になっています的な世間話が続く。どうやらフリード様もずっとこの国に滞在しているらしい。家に一人で寂しくなって大使に立候補したなんて言って伯爵は場を和ませていたけれど。
私の出番はリンデン伯爵が「我が国の財務大臣が」とおっしゃった時に、どうやらとっさに誰なのかが出なかったらしい王太子の様子を見てさりげなく名前を出して会話に入ったくらいです。
全くの役立たずではないかもしれないけれど、それ、私じゃなくても良くないですか?
なのにリンデン伯爵夫妻と離れてからも、
「助かりました。ありがとう。喉は渇いていませんか? ではデザートは? お好きですか?」
などとおっしゃって、そのまま私を侍らせているのですが。
なぜ?
イストの使者との交流は終わったのでは?
なぜ私はワルツのお相手までしているのでしょうか?
ワルツを踊りながら、思わず思考が別のところに飛んでいく。だって魂がここから逃げたがっていますからね。現実逃避万歳。
ああディックと踊ったワルツはとても楽しくて、そして幸せだったわね……。
この国の全女性の憧れであろう王太子と踊っているのに針の筵としか思えなくて、ついそんなことを考えている私。
いえ王太子も素敵なんですよ? ただ、なんというか、素敵ねえとは思うけれどときめかないというか、ドキドキしないというか……。なんだろう、この方、とても美しいお顔だし、なんとなく親しみやすくて安心する感じではあるのだけれど……?
雰囲気や顔の感じが誰かに似ている? んん……? 踊っているとゆっくりは考えられないけれど、まあ美しい人はみんな似ているという説もあるわね。美形ミンナキレイ。笑顔もフリード様のような美しく整った笑顔で、上品で魅惑的だった。そしてお声は爽やかな優しいお声で。まさに全国民のあこがれが具現化したような方。
周りからの突き刺さるような視線がなければなかなか御伽噺のような素敵な場面なのだけれど……。
「私の顔はお気に召しましたか?」
魅惑のほほ笑みで見つめ返されて我に返った。
あら、じろじろ見つめすぎてしまったらしい。
「まあ、そんな。私ごときがそんなことは申し上げられませんわ。でもとても素敵な方だと思っております」
ええ、態度には気を付けないと。お世辞も言いますよ。
私が不興をかうとリンデン伯爵ご夫妻にご迷惑がかかりますからね。
「それは嬉しいですね」
そしてにっこりしてくださる王太子殿下。
でもその笑顔をぼんやりと見つめながら、私は違うことを考える。
今日のパーティーには、どうやらディックは来ていない。
今日のおめかしした私の姿を見せたかったのに。残念だわ……。




