18.連行
馬車に揺られながら、私は一生懸命に「良いところ探し」をしていた。
まず、お母様と離れてうるさく注意をされなくなった。とても嬉しい。
王宮での面倒なあれやこれやからも解放されて、これも嬉しい。
旅のお供には美しいおば様と、見目麗しい青年がいる。
おば様は優しいし、青年も礼儀正しい。
何より贅を尽くしたこの馬車は、それはそれは乗り心地もよく、そして泊まる宿も常に最上級だ。
だがしかし。
「なんでそんなに眉間に皺が寄っているのです。せっかくの美しいお顔が台無しですよ」
目の前の青年が美しい笑顔でのんびりと言った。まるでちょっとそこまでパーティーにでも行くかのような、そんな感じで。
しかしフリード様がどんなにお世辞を言ってくださっても、どうしてもついつい眉間に皺がよってしまう私です。
「フリードさま、本当に私はお役に立てるのでしょうか? あまりに突然のお話で私はまだ信じられません」
「ああ、でも先方の希望が育ちが良くて、かの国の言葉のわかる人というものだからね。それを考慮すると君が一番だと、もちろん君も思うだろう? 君が快諾してくれて本当に助かったよ」
にこにこにこ。この人いつも同じ笑顔で感情が読めないという意味で、完璧な貴族だわ。快諾もなにも、有無を言わせないで流れるように事を運ぶその手腕、実に見事でしたよ? なにしろこんなことになるとは露知らずにうっかり承諾したあの日から、今日までいったい何日しか経っていないとお思いですか?
初めてお茶会でお話ししたときには気づかなかったけれど、考えてみれば陰謀策謀いろいろ渦巻いていそうな王宮で立派に王太子妃を務めあげている人の実弟だ。そりゃあ世渡りも上手かろう。この麗しい笑顔が完璧な仮面だと思うとむしろほれぼれしてしまいますね。絶対に仮面の内では舌を出して笑っているに違いない。
「あらあら、アーニャちゃん、そんなに心配しなくても大丈夫よぉ。私がついていますからね。なんにも心配しなくていいのよ? ほら、第二王子もあなたのご両親も快く送り出してくださったんだから大丈夫。この不肖の息子もついていますからね、安心して? せっかくだから楽しみましょうねえ~」
目の前で優雅にほほ笑みながらそんな能天気な安請け合いをしているのは何をかくそう、現王太子妃とフリード様のお母様、リンデン伯爵夫人である。なぜか目がキラキラと何かを期待するように輝いている。
そりゃあ私の両親では逆らえません。さすがに後ろに王族がいたら、あのお母様でも空気を読むのです。本当はどんなに反対したくても、もちろん出来なかったことでしょう。
そしてあの第二王子もさすがに大国からの要請と王太子夫妻の判断には異を唱えられなかったようで、あっさり解放されました。ちょっと睨まれたけど、なぜ。理不尽だわ。
しかしリンデン伯爵家、強い。
そんなお家の人に目を付けられて、ええもちろん私には逃げることなど出来ませんでした。
お断りするチャンスなんて、どっこにもありませんでしたよ?
どうしてこうなった。
どうやらお二人のお話では、西の国で女性の通訳が必要になって、あちらの国から内々に要請があったとのこと。
その通訳は言葉の知識だけでなく家柄と育ちが重要視されるとのこと。まあつまりは貴族の令嬢か奥様を寄越せということです。
その結果、家で西の国の本を読み漁っていた私に白羽の矢が立ったという話だったのだが。
どうして私が西の国の本を読んでいるのを知っていたのかは不明です。
だって私、誰にも言っていなかったのよ?
もしかしてお父様かお母様が誰かに話したのかしら。
しかも私、なんとか読めるくらいで話せはしないのに、そんな家柄も重要視されるような怖そうな所に行って即戦力になれるとはとうてい思えません。
そう何度も申し上げたのだけれど、お二人に大丈夫大丈夫と押し切られて今に至っております。
まあ確かに今まで険悪だった両国です。好きであちらの言葉を習うような令嬢なんて、他にはいなかったのかも知れないけれど。でも。
本当に大丈夫なのかしら。なんだか面倒なことにならないといいけれど……。
「ほらまた皺が。心配しても何も変わらないのだから、もう諦めるのがいいと思うよ? いやあ、早く決まってよかった。これで頼まれた私の面目がたつというもの。ちょっと心配だったからね。だから君には感謝しているんだ。ほら、そんな心配そうな顔をしない。ね? それに西の国には幼馴染の友人がいるんだろう?」
まんまと罠にはまった獲物を見るような目で見られている気がする。一見そうは見えないけれど、でも何故かそう感じる。怖い。
でも、そうなのよね。西の国に行ったらディックに会えるかもしれない。
それだけが今の私の明るい希望だった。
ディック元気かしら。
もし再会できたら、また前みたいに笑ってくれるといいのだけれど。
ディックを思い出すたびに左手の中指にはめた指輪を右手で撫でる。
もうそれは最近の癖になっていた。なんだかもう外せない。この指輪はあの楽しかったつかの間の思い出の象徴として、私の心の拠り所になっているから。
私が西の国に現れたら、ディックは驚くかしら?
きっとびっくりするわね。でもそのあとには、また前のように笑ってくれるといいな……。
まずは再会できることを祈りましょう。
手紙の送り先がわからないから、こんな状況になっても何も知らせられないのが残念だった。
とにかく全てが何事もなく終わりますように。
いつか、笑い話として話せる日が来ますように。
とにかく、無事に帰れますように。
「もうすぐ西の国に入るわねえ。西の国は私もとっても久しぶりだから楽しみなのよ。美味しいものもたくさんあるから、楽しみにしていてね、アーニャちゃん。私ぜひ行ってみたいところがあるのよ~」
おばさまがウキウキと言ってくださるのだけど。
「母上、残念ながら先方はどうやらお急ぎのようですのできっとそんな時間はありませんよ。外出はしばらく母上だけで我慢してください。アーニャ嬢は今後きっと忙しくなるでしょうからね」
とフリード様は不穏なことをおっしゃった。
ええ、何が待っているの!? 怖い!
「一体何があるのです? ご存知なら教えてくださいませ、フリードさま。私不安で夜も眠れませんわ」
いつもより気合を入れてしおらしくお願いしてみる。まあでも答えは知っているけれど。
「実は私も詳しくは知らないのですよ、申し訳ありません。でもこれだけ急いで行かなければならないということは、きっと忙しいに決まっています」
何度聞いても同じ答えしか返ってこないのですよ。
でもそこはかとなく感じる雰囲気から、彼は多分知っているのだ。
知っていてしらばっくれて、そしてほくそ笑んでいる。
一体何を喜んでいるのやら。
馬車は走るよ容赦なく。
本でしか知らなかった、はるか西の国へ向けて。




