16.勉強1
前回の反響が思ったよりも大きいようなので、少しネタばらしをしようと思います。
前回、今回、次回は、この話が終わったときに「あー、あの王子、終わったなw」と思うための仕込み回でございます。ついでに主人公の今後のホームシックの軽減も兼ねるため大変不遇になっております。
裏タイトルは
前回「第二王子はクズ・序章」
今回「クズの選ぶ女は同レベル」
次回「第二王子はクズ・本領発揮」
実はお話全体ではそれほど重要ではありませんので、クズの話なんぞ読みたくない! 不愉快! という方は、申し訳ありませんがその次、第三部からお読み下さいませ。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
「アーニャ様はそんなにいつも完璧で、疲れないのですか? もう私は無理ですう」
机に突っ伏したあと、キャロル様がまた言い出した。
集中が切れたのですね。もうですか。前回の休憩から三十分も経っていませんよ?
とはさすがに言えない私の立場です。
これはあれですね、お友達というよりかは、あれ。お守り。
キャロル様はいつもニコニコ愛想よく、そして明るく大変オカワイラシイ方なのですが、少々飽きっぽいところがあるようで、こうしてちょくちょくと休憩なされます。
このペースでは今日中に宮中行事の名前と意義と内容を全て暗記するのは難しいかもしれません。
私は心の中でため息をついた。一週間かけたけれど、まだ入りきらないのか……。根性で一日で覚えた私はきっと偉かった。キャロル様は王族とそのご親戚の方々の正式なお名前と称号もまだ完全ではありません。
本来ならば主だった周辺国の言葉もせめて簡単な挨拶と受け答えくらいまでは出来るようにしたいところ。それぞれの歴史も概要だけでも頭に入れておかないと、外国とのお付き合いで地雷を踏みかねないので、せめて、せめて何を言ってはいけないのかくらいは国別に頭に入れていただきたいのですが。そちらはまだ全く手をつけられていない状態です。
「私、昔からお勉強は苦手で……」
そんなかわいらしく困ってみせられても、私にはどうすることも出来ないのですよ。わたくし王子直々にお妃教育がちゃんと終わるようにお願いされている立場です。
「なんでこんなにたくさん覚えなければいけないのー!」
なんて癇癪を起されても私にはなんとも出来ません。
「こんなことを覚えなくても、私は妻として綺麗にして王宮で旦那様をお待ちしていればそれでいいと思わない?」
キャロル様はよくそうおっしゃるのですが。
まあ、普通の貴族の妻だったらそれでも良かったでしょう。そしてたいていの場合は大人しく黙っていれば乗り切れたかもしれません。
でも高位貴族や王族の妻となると、国を代表して夫婦で表に立つ機会は避けられないでしょう。王族の正妻である限り、それは仕事なのですよ。そして仕事には知識がどうしても必要なのです。
都度そのようにご説明するのですが。なかなかわかってはいただけないようです。まあたいていの令嬢は貴族に嫁いで家に居て、旦那様のお世話とお家の切り盛りをすれば良いと教えられてきますからね。
あの〇〇王子もそういうことはちゃんとご自分で諭していただきたいものです。
こっそり私に丸投げなんて、本当に無責任ではないですか? しかも私が補習のお手伝いに来ていることも、愛する婚約者の出来が悪いのを知られたくないからでしょう、お友達を訪ねて来ている体裁にしろと暗に言われています。
どうして私がキャロルさまとお友達になれると思っているのか、本当に謎ですね。
権力って本当に残酷。
もちろんキャロル様には悪気はないのでしょう。ええ。
きっと世のほとんどの女の子のように、王子さまに見初められて幸せに暮らしました、という夢を持っていらしただけなのでしょう。わかりますよ、女の子の基本ですから。
でも、夢を叶えた幸せそうな人でも、案外人の知らないところでたくさん努力していたりするものだったりしませんか。
公式行事なんて一日中続くものもありますよ。その行事の最中に、檀上で疲れたからなんて言って机に突っ伏すわけにはいかないんです。だらっと座っているだけで、あなたの愛する王子に恥をかかせてしまうことになるのですよ。
だから練習だと思って、きちんと座ってください……。
「アーニャはいっつもそんなにピシッと座っていられて、ずるい」
って、上目遣いをされても困ります……。
王宮なんて、いつどこで誰が見ているかもわからないのですから当然です。気を抜いた態度をとっていて「幻滅した」とか「だらしない」とか噂されたら大変ではないですか。
ああ、もしかしてもういいのかしら?
しかし悲しいかな、長年かけて身に付いた習慣はおいそれとは変えられないのでした。こんどはかわいらしく座る練習でもすればいいのかしら。はて、どうやるんだろう?
「キャロル様と私、二人を足して二で割ったらちょうどいいのかもしれないですね」
そうしたら私にも少しは可愛げが出るかなと、思わずそう言ってみたら。
「今、割るとか数学の言葉を聞いたら頭痛がしそう。でももしかして、二人合わせたら最強になるのではないかしら? すてき! アーニャと私でなんでも出来そうじゃない?」
と、可愛らしく目を輝かせて言われてしまいました。そう、まさにこんな可愛げですよ、私が欲しかったのは……。と、つい遠い目になってしまったけれど。
「私もアーニャみたいに何でも覚えられる頭があったらよかったな」
ええ、キャロル様もキャロル様なりに頑張っているのですよね……。それはわかりますよ。
「……何もしなくていいよって。ただお嫁に来てくれるだけでいいって言ってくれて嬉しかったのに……」
再び机に突っ伏したまま、呻くようにそうおっしゃるキャロル様。
え? それ、王子が言ったんですか?
それは随分無責n……ええと、とても恋に盲目になられていたのですね。
あの全く興味がなさそうに、いつも冷たい目で私を見ていたあの殿下がねえ?
……ふーん?
恋とはすごいものなのねえ。羨ましいのか面倒そうなのかよくわからないけれど。
私にもいつかそんな風に言ってくれる方が現れるのかしら?
ふとそう思ったときにディックの笑顔が浮かんできたのだけれど、なぜ。
ああ、他に男性の心から嬉しそうな笑顔なんて見たことが無かったからかしらね?
私はなんとなくディックの指輪を右手で撫でてみるのだった。
彼は西の国で元気にやっているのだろうか。そしてたまには私の事を、少しでも思い出してくれているだろうか。
今や毎月送られてくるお花とこの指輪が私の心の拠り所になっていた。
私にはディックという……お友達がいる。彼が私を忘れさえしなければ、私は元気に生きていけるような気がした。
忘れられたら……泣くかも。
今の私が一番怖いのは、王子の乱入による補習の邪魔でもなく、キャロル様の全くはかどらないお妃教育でもなく、ただ一つだけ。
彼が言っていた好きな人との、結婚したという知らせだった。
結婚したら、もう花なんて贈ってはくれなくなるだろうし、たとえ帰国したとしても気軽には会えなくなるだろう。もし会うとしても二人で会うわけにはいかない。
もし彼が結婚したら、私は彼の幼馴染として、ちゃんと笑顔でお祝いを言えるのだろうか。
彼の奥さんともちゃんと仲良くできるのだろうか。
なんだろう、心が締め付けられる。
「せめて今日は半分だけでも終わらせます!」
意を決したように机からガバッと起き上がってキャロル様が宣言した。
お妃教育の課題の多さに悲鳴を上げながらも辞めないで努力するキャロル様は、きっとあの王子の事が好きなのだろう。ついぞ私には抱けなかった感情を、あの王子に向ける人。
キャロル様が語るジークフリード王子は甘くて、優しい。
デレデレと無限に鼻の下を伸ばした殿下を思い出して、なるほどな、と納得した私だった。
いいんじゃないの、お似合いで。
でも出来たら勝手にやってほしい。私の見えないところで。
二人が幸せだからといって、過去が無くなるわけじゃない。世間はそう簡単には忘れてはくれないんですよ。
今でも私が後ろ指を指され続けていることには、二人とも全く気付いていないのですね……。




