15.依頼
「この大きなサファイヤを指輪の地金にとめている手法が西の国のものですよ。爪が全く見えないでしょう? ここまで綺麗にはめるのには高度な技術が必要なのです。それにこの繊細な彫刻も西の国の門外不出の特殊技術です。私も久しぶりに見ました。しかもこの指輪は色からして金に混ぜられている金属がおそらく……特殊です。どなたから贈られたのですか?」
フリード様の顔が怖いくらいに真剣なものになっていて私は驚いた。
なんでしょうその知識、なんだか詳しすぎませんか。
そしてどこで手に入れた? ではなくて、誰に贈られた? とは、鋭すぎです。これではちょっと見かけて気に入ったから買いましたなんていう嘘はつけなさそうだ。
さすがの迫力に王子とキャロル様もびっくりしている。
ここは、正直に言った方がよさそうだと判断した。
「まあ、そうなのですね。これは今、西の国にいる私の幼馴染が贈ってくれたものなのです。最近少し帰国していた時に友情を温め直す機会がありまして、その友情の証として贈ってくれたのですわ」
「ほう、幼馴染がいらっしゃる?」
フリードさまの片眉が器用に上がる。
「はい、田舎の領地が隣同士でして」
でも性別は伏せる。男性から贈られた指輪をしているなんて吹聴するものではない。いらぬ憶測を呼んでしまう。もうこれ以上醜聞は避けたいところ。
しかしフリードさまの片眉は上がったままだった。
まるで私の隠したい秘密に気付いているよと言っているかのようでちょっと怖い。
それでもその後フリードさまは、
「大切なものを見せてくれてありがとう。とても芸術品としても価値がある指輪だから大切にしてください」
そう言って返してくださった。
そんなに注目されるとは思わなかったので、びっくりしたまま私はまた指輪を左手の中指に嵌めなおしたのだった。
「綺麗ですわねえ」
キャロル様がどうやら私の指輪を見てうっとりと言った。
「婚約指輪があるじゃないか。あれは気に入らないの? キャロ」
「あれはあれで素敵ですけれど、アーニャ様の指輪のように全体がキラキラしている金の指輪も素敵だなと思ったんですう」
キャロル嬢が上目遣いで王子を見上げた。頬がぷっくり膨らんでいる。
「ああ、なるほど。ではこんど一緒に選びに行こうか」
一瞬でだらしのない顔になる殿下。
「まあ、うれしい!」
「君が喜ぶなら本望だよ、キャロ」
熱く見つめ合う二人。
馬に蹴られればいいんじゃないかしらね?
なにデレデレと、しかも因縁のある私の前で鼻の下をのばしているのかこの王子。そしてなに人前で堂々とべたべた甘えているんだこの小娘。私とフリード様の視線を少しは気にして欲しい。人前でしなだれかかる方も方だがそれを嬉しそうに見つめて肩を抱くんじゃないこの〇〇王子。
なに、もしかして見せつけているの? わたしに? へえ? そうなの?
二人仲良く馬に蹴られて谷底にでも落ちてそのまま干からびればいいのに。そして二度と上がってくるな。
思わず目が据わって鼻に皺がよりそうになりました。
いけないいけない、せめて無表情くらいにとどめないと。腐っても王族、彼らの機嫌を損ねてはいけません。堪えろ自分。あれはヒラヒラしたピンクと空っぽの金髪がじゃれているだけだ。
…………。
…………くっ……。
……よし乗り切った。
もう帰ってもよろしいかしら? 私は全力で帰りたい。
ええまあそうは問屋が卸さないのですがね。知ってた。
「それはそうとロシュフォード侯爵令嬢、実は君に折り入って頼みがあってね」
ああ、やっと本日のメインがやってきましたね。お茶会開催の目的が。
王子に言われては断れないやつです。どうしよう本当に帰りたい。デレデレとした表情のまま私の顔を見るその様子からは嫌な予感しかしない。
あなた、私が誰だかわかっているのかしら? あなたが私に何をしたのかも。
「まあ、何でしょう?」
なんであろうと出来れば断りたい。嫌な予感だけでなく、何よりもうこんな男とは縁を切りたい。
想像力も思いやりもない気遣いの出来ない無神経男だとは今の今までは全く知りませんでしたが、知ったからには全力で逃げたい。ああ。
身分の差が恨めしい。
「キャロのお妃教育を助けてあげて欲しいんだ。君は経験者だろう?」
はあ? な ぜ わ た し が ?
私がなぜお妃教育を受けていたのか、まさか理由をお忘れなの? もしかして記憶力がないの? 〇〇なの?
「キャロのお妃教育が大変なせいでちょっと遅れていてね。このままでは結婚式の準備に支障が出そうなんだ。でも君は完璧だっただろう? ちょっとそのコツを教えてあげて欲しいんだよ。このままでは彼女が結婚式の準備を楽しめなくなりそうでね。そんなことになったらキャロが可哀想だろう? 彼女の理想の結婚式を挙げてやりたいのに、このままでは間に合いそうもないんだ」
はあ? なに嬉しそうに、なにさもいいアイディアみたいに言っているのかこの〇〇王子。なんで私にそんなことを頼めるの? こいつにはマトモな神経が全く無いのか?
お断りだ!
「まあ……、大変なんですのね」
お妃教育が大変? そりゃあそうでしょうよ。私だって大変だったもの。厳しいお母様に何もかもが最高であることを求められて努力した日々。なのにその上をいくお妃教育は、それは必死だったし頑張っていたのよ。そんなちょっとしたコツなんてあるわけがないじゃない。ひたすら地道に頑張るしかないのに。
だいたいオマエが結婚式を早めようとしているのがそもそもの元凶でしょうが。なのに何を言っているの。
そしてそこの男爵令嬢、王族に嫁ぐ覚悟はどこですか。
「もう大変なんですう。すごく厳しくてー。量もすごおく多いんですよ?」
じゃないでしょう。そんな困った顔で教えてくれなくても知ってます。
「でも私は最後までは受けませんでしたし」
そこの○○王子の気が変わったせいでね。まあほとんど終わっていたけれど。
「コツといっても思い当たりませんし」
ひたすら地道に頑張っただけよ。
「私では力不足かと思いますわ」
やるわけないでしょう!
そこの小娘、ええーって言わない。
「王太子妃殿下でしたら素晴らしいご指南役になられるかと」
そんなの身内でやってください。他人に迷惑をかけるんじゃない。
「義姉上はお忙しいから」
じゃあオマエが頑張れよ。オマエの婚約者のことでしょうが。
「あの人もきついからなあ」
フリード様、実弟ならではのご意見は今はいらないです。
「頼むよ、アーニャ」
なんですか殿下のその気安い態度。私初めて見ましたよ?
今までのブリザードが吹きすさぶような凍れる私への態度とはうってかわったその状態、一体あなたになにが起こったのですか? 別人ですよ?
ああ……。
恋をしたのですね。その上もしかして初恋ですか?
溺れているのですね、今まさに。恋人以外の人の気持ちや立場なんて、想像も出来ないほどに溺れているのですね。そして浮かれていらっしゃると。
恋をすると人はこうも変わるのですか。
幸せそうで何よりです。
いいんですよ、私の見えないところでやっていただく分にはね。
せめてそれくらいの配慮はしていただいてもよいのでは?
……でもそろそろ臣下という立場としては折れなければいけないのでしょう。ええ、空気を読むのは得意です。王子に頼むと言われて断れる臣下がはたしているのでしょうか。
こんなことならお家で本を読んでいる方が何百倍も幸せですね!
「わかりましたわ……」
「ありがとうございます! 仲良くしてくださいね。ぜひお友達になってください!」
飛び上がって私の所に駆け寄って、手を握って感謝してくれるキャロル様。
……きっと悪い子ではないのよ。うん。
ちょっと無邪気なだけなのでしょう。
もしくはご自分に正直なのか。
私がとっくの昔に捨ててしまったらしいその純真さが眩しいです。
本日、私に新しいお友達がデキマシタ……。




