13.招待状
知識があると、同じものでも今までと違って見えるというのは、不思議ね。
今まではただ単に「良い家柄のお家に嫁ぐのが一番の幸せ」と言い聞かされてきて、そういうものかと思ってきたけれど。
幸せって、なにかしら。
嫁いではいなくても、ディックと一緒におしゃべりしている時間は幸せだった。
あんな楽しい会話が出来ないような結婚生活だとしたら、それは幸せなのかしら?
本を読む時間も幸せだった。物語にわくわくして、新しい知識に驚いて。物事がすっきりとした形になって理解できる瞬間は気持ちがいい。それも幸せよね?
レースは編むのも楽しければ、自分で努力して積み上げたものが美しい形に仕上がってゆくのも嬉しかった。これも幸せと言ってもいいわよね。
幸せって、けっこうどこにでもあるものなのね。
そしてどれもが一番ではなくても、たくさん幸せがあるというのも素敵なことよね。
今まではひたすらお母様の言う通りに行動してきただけだったけれど、今の私にはやりたいことがいくつも湧き出てくる。
私は朝起きて朝食をいただいたら、その後に父が読み終わった新聞を読むようになった。
経済や法律というものの基礎を学ぶだけで新聞に書いてある様々なことが随分理解できるようになった。そうすると新聞から今の時代の動きがどんなものなのかが読み取れるのがおもしろい。
その後は私室で本を読んで、息抜きに庭を散歩する。
ガーデニングや花の図鑑を読んだので季節の移ろいや庭師の努力が見えるようになった。
私はお家の中から全く出ていないのに、私の世界はとっても広がったらしい。そしてそれが結構幸せだった。
ディックには感謝してもしきれないわね。こんな日々が送れるなんて。
そのディックといえば毎月、私のお誕生日と同じ10日になると、お花が届くようになった。
嬉しいけれどカードしかついていないから、彼の住所がわからなくてお礼が言えなくて困っている。
あの人、どうしても私に手紙を書かせたくないらしい。
お礼状を出せないのはとても不本意で嫌なのだけれど。
だけど、お花が届く間はディックが私を気にかけてくれているような気がして嬉しかった。
本当は単に出国前にお花屋さんに毎月送るように手配しただけかもしれないけれど、でも、その気遣いが嬉しいわね。
なんだか私、もらってばかりだわ。今度いつか会った時にはたくさんお礼を言わなければ。
彼は西の国で元気にやっているのだろうか。
そんなふうに過ごしていたら。
ある日なんと王宮から招待状が届きました。
私に?
しかも招待した主は私をあっさり袖にして他の女性を選んだ、あのジークフリード殿下なのですが。
は? どういうこと?
今さらなぜこんな世捨て人を? 一体なんの思惑が?
正直ごめんこうむりたい。
まあ王族からのお誘いですから、どんなに嫌でも断れないのですが。
身分というものは時に残酷ですね。
どうやらお茶会の招待のようです。
「少人数で楽しい会話を楽しめればと」と書いてあるけれど、「楽しい会話」?
あらまあ、茶番ですわね。どうして私があなたと楽しく会話できると思うのかしら? あの王子、そんなに想像力が無い人だったの? それともご自分のしたことがよくわかっていないとか?
……まあいいです。大丈夫よ。だてに貴族令嬢として生きてきてはいませんよ。
腐っても私は侯爵令嬢。今の評判がどうであろうとも、貴族の令嬢として、まるでお手本のように優雅に過ごしてみせましょう。
幸い今はもう新聞にも、ついでにたまに読むゴシップ新聞にも、私の話題は見当たらない。
それに私の姿を見かけて過去を思い出す人がいたとしても、もうそろそろ私もどうでもよくなってまいりました。
きっと今も傷ついているのは、お母様くらいじゃあないかしら?
今でもたまに、まだちゃんと謹慎しているかとか、どんなにご自分が辛い状態なのかとかをくどくどと書いたお手紙が来るのだけれど、実は最近はあまり読まずに引き出しに放り込んでいる。
なんだか本を読んでいるうちに、私も少々吹っ切れたようだった。
世界が広がったからかしら。今の私の頭の中には、私よりもずっと不幸で辛い境遇から雄々しく立ち直って生きた人たちが何人も住んでいる。不幸なのは私だけではない。そして私が一番不幸なわけでもない。
開き直りかもしれないけれど、私は私の人生を、自分で少しでも幸せにしようと決めたのだ。
まあ今の気持ちはもしかしたら、無神経な王子への怒りなのかもしれないけれど。
だって謝罪も和解の言葉もなく、いきなりこれ?
今私には、黒い何かがふつふつと湧き出しているわよ? 向こうがそういう態度なら、私も受けて立ちましょう。どうせ泣いていても今までと何も変わらないのだから。
評判と噂だけが人生の全てだった昔の私とは、違うのだ。
久しぶりに社交界に復帰ね? だって、王族のご招待では仕方ないわよねえ?
まあタイヘン! 今の流行のドレスを仕立てなければね!
今あるのはもう前のシーズンのものになってしまったもの。
そんな古いドレスで王子の前に出たりしたら、きっとお母様がお怒りになるに違いないわよねえ?
でも今までなら張り切ってお母様が仕立屋を呼びつけて、あれがいいだのこれがいいだの言っていたかもしれないけれど、今はお母様がいらっしゃらないわ?
うふふふふ……。
ええ、仕立屋は呼びましたよ? 私がね?
ドレスも決めました。 素敵なドレス。
王子主催のお茶会までには届く予定です。
青地に白いレースのすっきりとしたデザインのドレスです。自分の感じる素敵をたくさん入れてみました。
仕立屋さんは今までとは違う趣向で驚いていたけれど、そんなこと私が気にすることではありませんね。
お母様がいらしたら、きっと反対されたことでしょう。
「若い令嬢はそんな派手な色のドレスを着てはだめよ。こういうかわいらしい淡いピンクや白を着るものよ」
とか言って。お母様はフリフリで可憐な色がお好きなのよね。知っているわ。
でもピンクや白はもう飽きたのよ。それに今回は結婚相手を探す目的もないわよね? 目の前に私の評判をズタズタにした元凶がいて、私にどうしろというのでしょう。王子と私を同時に視界に入れている人に対して、私のイメージを良くしようとしてもまあ無理というもの。ならばもう評判はあまり気にすまい。びくびくしていてもきっと何も変わらない。どうせなら好きなドレスでも着て出来るだけ気分を上げましょうとも。
そうそう、ドレスに合わせたアクセサリーも考えないと。
アラタイヘン、新しいドレスに合うアクセサリーがないわ?
まあまあ、急いで買わないといけないわね?
さすがに宝石商を呼びつけるのはお父様かお母様しかできそうにないので、あら、ではお出かけね?
私はこれ幸いと侍女をつれて街に出ることにした。大丈夫、一人は初めてだけど、お出かけ自体はしたことがあるから。ええ、行ってやりますとも。怒りという感情は、時には大きな原動力になるのね。
なにしろ私には「王子からのお茶会のご招待」という強力な免罪符がありますから、誰も反対なんてできませんしさせません。みっともない姿で王族の前に出るなど侯爵家に恥をかかせる行為ですからねえ? そうよね、お母様?
最後に街に出たのはいつだったかしら。
そうそう、ディックと一緒にリボンを買って、お茶をした時だ。
そう思い出したとたんに懐かしさと寂しさが込み上げてくる。でもあの経験のお陰で、きっと今回のお買い物に出る決断が出来たのだと思う。ありがたい。
かくして私は我が家がよく利用している宝石店に行って、若い令嬢がつけても派手になりすぎないというサファイヤのネックレスとイヤリングを買って意気揚々と家に帰ったのでした。
自分で好きなものを選んで買うのって、とっても楽しいのね。教えてくれてありがとう、ディック。今度あなたに会った時には、今日の事を褒めてくれるかしら?




