12.本
もう私を訪問してくれる友人はいない。
だけど、なんと私の唯一の友人は、山ほどの置き土産を置いていってくれた。
それは、たくさんの本。
ディックがこの国を出るのとほぼ同時に、彼から私宛にそれはそれはたくさんの本が届いたのだった。
ディックが来たときに私が読んでいたような物語だけではなく、歴史、経済、法律、科学、文化、等々。ありとあらゆる分野の本があった。だいたい入門から中級くらい? のもののようだ。
しかもこの国のものも少しはあるけれど、そのほとんどが西の国の本だった。
この山ほどの本だけでも一財産かかるはず。
彼は随分高給取りらしい。いや、こつこつ長い期間で集めたのか。そんな大切で高額なものをこんなに私がもらってもいいのかしら。明らかに新品もあるようなのに。
でも申し訳ないと送り返そうと思っても、私は彼の住所も何も知らないことに今更ながらに気づいたのだった。なんということ!
何も知らない。
彼がどんなお仕事をしていたのかも、どんな所に住んでいたのかも、西の国でのお友達も、大切に思っている人も。
楽しくおしゃべりしていたと思っていたけれど、私ばかりが話していて彼が話したい話題は出せなかったのかもしれない。
そのことに今更ながらに思い至って、私はとても自分を恥じてしまった。
もっと大人にならないと。視野を広く持ち、教養のある気配りの出来る素敵な人になれたら。
そしてディックにいつか再会したときに、胸を張って会えるようにしたい。
完璧は無理かもしれないけれど、今より少しだけ成長することなら出来そうではないかしら?
そう思った私は、ディックの贈ってくれた本をできるだけ全部読もうと決めた。
正直興味のない分野もあるけれど、でもディックはわかりやすい初心者用の本もたくさん入れてくれたので、せめてこの初心者用のものだけでも一通り理解しようと思ったのだった。
知識はどれだけあっても困ることはないだろう。きっと私の世界を広げてくれる。そして私には幸い時間がたくさんあった。
西の国の言葉は幸いこの国とあまり変わらないようで、そのままでも何とかぼんやりと意味がわかりそうだったし、辞書もあった。簡単な言葉の指南書もあったので、まずは読めるようになることを目標に学習することにした。
そうしたら次は……そうね、歴史書にとりかかりましょう。歴史なら物語のように読めるのではないかしら。
今まで私は将来の王族の配偶者としてふさわしいようにという両親の方針で、たくさんの家庭教師がつけられて学んできた。
貴族の娘としての教養や作法だけでなく、この国の歴史も一通り学んだはずだった。
でも、それは「この国の貴族の令嬢として」必要な範囲だった。
ジークフリード第二王子の婚約者に内定したときからは、お妃教育のために王宮へも通っていた。
そこでは王族として知っていなければいけない王宮行事や王家の先祖や王家の詳しい歴史、ほかにも細かいしきたりや心構え果ては国民へのふさわしい態度や表情まで、ことこまかなことを学んだ。
正直私はこの国のたいていの令嬢たちよりは知識も教養もあるつもりだった。
だけど。
ディックの贈ってくれた西の国の本は、そんな私の知識がとても狭い範囲だったことを教えてくれたのだった。
この国の人間はみな、自分の国のことを「中の国」と呼ぶ。そして西隣の国を「西の国」、東にある国を「東の国」というように呼んでいる。それは生まれてから今日まで、当たり前の常識だった。
でも、ディックの贈ってくれた歴史の本を読むまでは、私たちの国がどれほど小さいのか、私たちが「西の国」と呼ぶ国が、どれだけ大きな国なのかを私はわかっていなかった。
そしてそれぞれの国にちゃんと名前があることも。
考えてみれば今まで私が目にしてきた歴史の本は、すべてこの国で作られたものだった。この国の歴史。だからか隣接する国たちはそういえば簡単にしか学んでこなかった。王国であるとか、交易品は何かとか。
それが「令嬢として」必要十分な知識だったのだろう。そして知識よりもより優美で上品であることに重きをおかれていたということだろう。
対してディックの贈ってくれた歴史書は、西の国で作られたものだった。
西の国、いやセルトリア王国がはるか昔に建国されたときから現在までの長い長い歴史は、どれもこれもが初めて知ることで新鮮だった。
特にそのセルトリアからこの中の国、つまりイスト王国が、当時のイスト地方の領主の反乱で建国されたというくだりはかつてのお妃教育でも聞いたことがなくて心から驚いた。
王宮ではどう習ったのだったかしら?
たしか勇猛果敢な初代の王エイストラが……無能の王を倒して王位を奪ったのだと……。
ま、まあ、歴史なんてそんなものなのかもしれない。こちら側から見たら正義でも、あちら側から見たら裏切りなんてこともあるのだろう。そして都合の悪いことを歴史書から抹殺したり良く言い換えたりもすることも、まあおそらくあるだろう。人の思惑や権力によって、過去の記録なんてきっとどうにでも出来るのだ。
だいたい西の国の国名のセルトリアがそのまま「中の国」を表していた。そして我が国の名前「イスト」の語源が東という意味を持っているようだ。
だからこの国初代の王エイストラは、独立したあとに旧母国と同じ考えで国を呼ぶことにしたのだろう。自分の国が中心であると。こっちが中心なのだと。
どうりでこの国と西の国の仲があまり良くないわけだ。今の王は仲良くしようとしているみたいだけれど、昔から西の国の印象はわが国ではあまり良くなかった。そのせいか西の国の情報はあまり耳に入ってこなかった気がする。
果たして現在我が国で、この国が西の国から「イスト」と呼ばれていることを、一体どれ程の人が知っているのだろうか。
なるほど、ディックが西の国から帰って来ないわけだ。
私は納得してしまった。
入門編の本を一通り読むだけで、わが国よりも西の国の方が国土も大きく、そして文化や技術が発展していることがうかがい知れた。専門家レベルではどうかはわからないが、少なくとも私の知っている生活の範囲では、とても似ているけれども少しあちらの方が新しいものが多そうだ。
きっと人口と国土の広さの違いが関係しているのだろう。
西の国の王族の歴史も伝記を読んだ。歴史が長い分波乱万丈で血なまぐさい事件が多くて、私はそれはそれは驚いてしまった。だけれどそれが実在した人物の人生だったことを思うととても興味深かった。
人って、権力のためにここまでするのね……。
これに比べたら私の婚約破棄なんて、ほんの些細な事に思えてきてしまう。いやもう殺されなかっただけでも良かったとさえ思えたわ。もしかして我が国の王族って詰めが甘いのかしら?
わが国の王家の歴史をまとめた本もあった。西の国の人はなんでも本にするのかしら。
思わず手に取って読んでしまった。どうやら西の国にわが国の王家の研究者がいるらしい。
専門家ってすごいわね。お妃教育でも聞かなかったことを見つけてしまったわ。
どんな知識も知ってみるとたいていがおもしろかった。
様々な人や物や出来事が繋がり合って、お互いに影響し合って歴史や文化が形作られていくのが、本を通して見えてくる。
いつしか私は知ることが、楽しくて仕方がなくなっていた。
そんなこんなで私は最初に思っていたよりも、随分たくさんの本を読み漁ることになったのだった。




