1.終わり、そして始まり
煌びやかな舞踏会の光景は、それはそれは美しい花園のようだった。
傍目から見れば。
しかし今の私には断頭台と何が違うのかわからない。
民衆だろうが貴族の面々だろうが、大勢の人の目が私の絶望する姿を期待してこちらを見ていることに変わりはないのだから。
私に目をとめた第二王子ジークフリード様は、びっくりしたように目を見開いた。
さあっと人が分かれて王子と私の間に道が開く。
ここで内緒話なぞできない。なぜなら彼は王子だから。常に耳目を集める立場だから。
だから彼が自然に出来たその道を通って私の前に来たのは、周りの期待に従っただけ。そして、言いたいことがあったから。別に彼を非難するつもりはない。ええ、たとえ私は死ぬほど嫌だったとしても。
「なぜ今日ここにいる?」
冷たい目で見降ろす金髪の麗しき君。つい最近まではこの顔をどうやったら笑顔にできるか考える日々だったのに。
「両親に出ろと言われましたので、仕方なく」
もう考えなくてもよくなったのは良いことなのだろう。きっと。
「今日は出なくて良いとお父上に伝えたはずなのだが」
「はい、私もそうお聞きしましたし、その方がよいと両親にも申し上げたのですが、残念ながら両親には納得していただけませんでした」
ええ、そりゃあもうプライドをかなぐり捨てて泣いてお願いしましたとも。
「私は行きたくない」
と。
わざわざ恥をかきに行くなんて、一体誰がしたいと思うのでしょう?
だけど。
「何かの間違いだから」
と聞く耳を持たなかったのは両親の方なのですよ。
「婚約者が婚約発表に行かなかったらおかしいから」
などと、現実を受け止められずにまだ夢を見ているのは両親の方なのに。
諦めの悪い。
私は両親の期待の表れである王子の婚約者にふさわしい豪華なドレスを着せられたまま、今日ここで息の根を止められるのだ。
今この瞬間も、じわじわとその時が近づいているのを感じながら立っている。他にどうすることも出来なくて。
「君との婚約はなしだ。今宵、私はこのキャロルと婚約する。君にはこれからも私の良い友人でいて欲しいと思っている」
いきなり最後通牒が突き付けられた。
知っていたこととはいえ、やはり直接本人から言われるとショックでないとは言えなかった。
その口で、あたたかな家庭が作れたらいいですね、と言ったではないか。
あなたは王族になるのは嫌ではないのですか、と聞いたではないか。
内々定とはいえ、婚約に同意したのはあなたも同じではないか。
私だって無邪気に結婚に夢を見ていたのですよ。
なのに。
冷たい視線で今言うのはそれなのか。
彼の言葉を聞いた周りの人たちみな一様にはっと息をのんで、そして表向きは憐みの、だがその実は衝撃的な場面を目撃したという興奮の目で一斉に私を見たのだった。
耐えろ自分。ここは平気な顔をするのだ。
自分のプライドにかけてもここで泣いてはならない。醜態を晒すようなことはしたくない。
ここで今ショックで泣き崩れたとしても、どうせそのうちに実は知っていたということは知れ渡ってしまう。
近々私は、婚約破棄をされたのに着飾ってのこのこ他の女との婚約発表の場に乗り込んだ厚顔な女として噂される運命なのだ。
「もちろんですわ。おめでとうございます」
笑え、私。こんな時のために散々練習してきたではないか。貴族としての誇りにかけて、渾身の笑顔の仮面をはり付けろ。
そしてジーク、いいえジークフリード王子、早くここから立ち去って。
私の必死の演技が続くうちに。
早く私がこの会場から出られるように。
そんな私の思いを見抜いたのかそれとも単に用事が済んだからなのか、まあきっと後の方の理由でしょうね。夢のような金髪の王子様は、その腕に可愛らしい私とは似ても似つかない別の女を腕に抱いて私の前から立ち去っていったのだった。
さすがにお幸せに、とは言えなかった。私の人生を踏み台にしてあなたは幸せを掴むのだから。
これからも仲良くしてくださいとも言えなかった。金輪際かかわりあいたくなどなかったから。
私と私の両親をぬか喜びさせて、そしてあっさりと手の平を返すのは酷いとは思わなかったのですか。
あなたももしかしたら悩んだのかもしれないけれど、せめてもう少し期間をおくことは出来なかったのですか。
いくら突然恋に溺れたとしても、たとえどんなに早く結婚したくてたまらなくなったとしても、あなたにも立場というものがあるでしょうに。
そして私にもあるのですよ、立場ってものが。
この期に及んでまだ私を言葉もなく憐みの目で見つめている貴族のみなさま、もう見せ物は終わりましてよ?
さて、この状況で一番ふさわしい態度というものはどういうものでしょうか。
公衆の面前で事実上の婚約者に捨てられた令嬢として、一番ふさわしい態度は。
……仕方ないですね。なぜ私があんな男の尻拭いをしなければならないのか少し納得はいきませんが。
「みなさん、ジークフリード王子は真実の愛に目覚められたのですわ。王子は生涯心から愛せる女性に出会われたのです。私は友人として心から殿下を祝福いたします。みなさまもぜひ祝福してさしあげてくださいませ」
そして渾身の笑顔だ。晴れやかに、嬉しそうに。発表されなかった婚約は最初から無かったことにして、真実の愛に目覚めた友人を喜んで送り出す役割に徹するのだ。
そしてちょっと友人と話しただけという顔で人の輪から抜け出して、そのまま会場から退出した。帰るにはまだ少し早いのかもしれないけれど、でもこれ以上私がここにいて一体どんな意味があるのでしょう?
しずしず歩いて廊下にも人がいなくなった後、数ある控室の一つに入って扉を閉めた。念のため鍵をかける。カチリという音を聞いて初めて張っていた気を少し緩めた。
手が震えていた。足もガクガクして震えが止まらない。
私はうまくやれたのだろうか? 人々の目には、捨てられた哀れな娘とは少しでも違う印象を与えられただろうか?
少し考えて、そんなことは出来ないと首を振った。
王子に婚約を破棄された哀れな娘。
そのレッテルは一生私についてまわるだろう。
内々定の段階なのに、喜びのあまりその情報を漏洩させた両親を恨めたら、どんなによかったか。
両親に褒めそやされて、周りから羨望のまなざしを浴びて、嬉しくなかったとは言えない過去の自分が恨めしい。
別に王子が好きだったわけでは多分、ない。
しかし私は物心ついた時から、両親に将来は王子の妻になるのだと、繰り返し言い聞かされてきた。私はそのために育てられてきたと言っても過言ではなかった。
常に将来王族に仲間入りしても恥ずかしくないように、私の生活の全てが管理されて来たのだ。
両親の野望。もしくは悲願。
娘を王家に輿入れさせる。
その為だけに人生を捧げてきた両親だった。
私はその両親の願いと努力を知っていたから、私もその両親の願いを叶えたいと思って今日まで努力してきた。
しかし、現実は非情だ。
内々に婚約解消の連絡が入った時、父は怒り狂いその攻撃の矛先を私に向けた。
母も半狂乱になって私をなじって、そして今も寝込んでいる。
先ほど両親の一縷の望みは完全に潰えた。別に彼は私の顔を見ても翻意することはなかった。
そりゃあそうでしょう。ころころ婚約したり解消したり、そしてまた復縁したりなんてするわけがない。向こうもそれなりに考えた上で行動しているはずなのだ。
そうは思ってみても、長年呪いのように言い聞かされてきた両親の悲願を叶えられなかったという喪失感はすさまじかった。
私は捨てられたのだ。私が結婚すると思っていた人は、私ではなく別の女を選んだのだ。
じわっと目が潤んだが、まだ早い。
今は駄目だ。まだ。化粧が崩れる。泣いていたのが周りに知れてしまう。
私は何度も深呼吸をして、気持ちをなんとか落ち着けて、それからこっそり帰るために馬車に向かったのだった。