腐神に向かって唾を吐く
俺の名前は田中星夜。
日本でよくある名字に、微妙にキラキラが混ざってるんじゃねぇ? と思わなくもない名前のごく普通のβの男だ。ちなみにβというのは、第二性と呼ばれるカテゴリーで、まあ普通の人だ。
ただ両親はαとΩ。この二人から産まれるのは大抵がα。時折Ωなので、βというのは珍しい。ちなみに不貞ではない。それ言うと、親と俺の兄弟がガチギレするので止めてくれ。
えっ? αとΩってなんだってだって?
世界人口の中でも極わずかな性種で、まあ、ぶっちゃけαは超人、Ωは子供を産むのに特化してる(男女問わず)カテゴリーの人だ。詳しくは、まあグーグル先生にでも聞いてくれ。
ただこのカテゴリーを知らないって……お前、まさか、俺と同じ境遇か?
そうでないなら、俺の話はただのジョークだと思ってくれ。
俺はいたって平々凡々、何処にでもいる田中だが、一つだけちょっと変わっていてな。実は、このオメガバーズがない世界から転生した転生者なんだ。
◇◆◇◆◇◆
この世界にオメガバーズなんてものがあると知ってから、はや数年。俺はこの世界の神は腐っていると気が付き、日々BL世界に投入されないかビクビクしながら過ごしている。こうやって、とんでもない世界に転生したのだと気が付けたのは、前世の腐った姉のおかげだ。正直微妙な心境ではあるが、一応感謝している。
俺は兄弟がαとΩである以外基本普通スペックしかないが、腐神様の気まぐれで、平凡受けなんて状況にいつ追いやられるか分からない。とりあえず、『突然のスパダリα様による、バース変更、やったね君も今日からΩ(受け)だ!』なんて無茶ブリ設定が追加されても大丈夫なように日々勉強の毎日を送っている。というのもΩがBL世界で受けを担当する最大の理由である発情期を抑制する薬を研究する為に大学は薬科に入らなければいけないからだ。転生者なのに、特にチートもなく、がり勉君キャラで友人が少ない人生だが後悔はない。
そんな俺に、力強い友人ができた。
その名前を見た瞬間、俺は悟った。こいつは信頼できると。俺と同じく目立たず一生を終える同士に違いないと。
「なあ、分からなくもないけど、お前が言っている事、結構酷いからな」
「何をいう。こんな腐った世界で、目立たず、普通に生きられるって、かなり貴重なんだぞ。なあ、茂部≪もぶ≫」
そう。俺の信頼できる友人。彼の名字は茂部。カタカナで書くと、モブだ。
素晴らしい。二次創作で、オリキャラ投入するけどどうしようと悩んだ時に選ばれる名字だ。ちなみに名前だと、モブ男とか、モブ子とかモブ美とか、モブスキー(外人設定)なんかになる。ちなみに彼らは主人公とホモ関係になることはまずない。
何故なら、二次創作は、元々の押しカップリングがある上で成り立っているからだ。俺はこの世界が何の話なのかさっぱり分からないので誰が主人公なのか分からない。しかしオメガバースという設定がある時点で主人公以外もかなり危険にさらされる世界なのだ。それでも流石にモブとモブの恋は書かれることが少ない。
「まあ星夜みたいに兄弟にαやΩがいない、ごく普通のβ一家だけどさ。世に中の腐女子はモブレとか書く人もいるんだからな。安心しすぎるなよ。人の萌えはそれぞれだから」
「は? モブレって、あれだろ。モブによるレイプ。そんな糞な事、茂部はしないだろ。あと、俺のことは田中と呼んでくれ。その方が安心する」
このあふれ出るモブっぽい名字を俺は気に入っている。モブにありそうなんて、全国の田中さんすみません。でも、この世界のモブは勝ち組です。
「……そう言う事、さらりと言う所が、本気で危険なんだからな。自覚しろ。お前は絶対腐神に目をつけられている。あと、このクラスに田中が二人いるから。友人やるなら名前で呼ばせろ」
ため息交じりで話すこのモブ――じゃなく、茂部は、実は俺と同じ転生者組だ。大人しい性格で、俺と同じくあまり人の輪に入って行かない奴だが、仲良くなるにつれて気が付いた。あ、コイツ、腐男子だと。大人しくしていたのは、周りを観察していたからだ。
そんな中、どうして腐ったのかを聞いてみたら信じられないかもしれないがと前世では腐女子っだったのだと中二病爆発な答えが返ってきた次第である。ちなみに俺も中二病爆発して真っ黒こげになっている転生者組だということをその時に打ち明け、俺らは親友となった。
「危険って言われても、さっぱりわからん。前世姉のおかげでBLの知識はあるけど、俺自体は腐ってないから、いまいちBLのツボが理解できないんだよなぁ。だから理系攻めで対策してるんだけどさ」
俺の頭は文系ではなく理系だ。オメガバース世界で精神的死に至らないように、その設定への対抗策を薬の開発という方向で考えている。しかし茂部は文系らしく、度々フラグを発見しては教えてくれた。
「止めろ。攻めとか、ドキドキするだろ」
「するな。俺は絶対襲わないからな」
「星夜の場合はなんかあったとしても、男前受けだろうから、攻めはないだろうけど。そもそもオメガバースっていう、男性妊娠設定を使う場合はリバはほぼないって言ってもいいし」
攻めは男役、受けは女役、リバはそれが話の中で交代する事もありという事は分かるが、俺が男前受けとか聞きたくない。そもそも男が男前であるのは当たり前で、その上で女役とか何でそんな複雑怪奇なんだと腐女子に言いたい。
でも茂部の観察眼は侮れない。コイツ、このクラスのBL関係者を全部言い当てやがったし。しかも付き合う前段階で教えてくれた。
「まあ俺も、知識と萌えはあるけど、ドリーム小説派じゃないから、好きなのは女子だし」
「その感覚は凄く謎だけど、茂部がホモじゃなくて良かったよ」
前世腐女子、今世腐男子なんてものをやっている茂部だが、幸いなことに性癖は普通だった。体が男な上に前世の記憶も曖昧なところが多いからか、意識が男になったそうだ。
ちなみに、ドリーム小説というのは、自分自身がとある作品の中に主役として入る二次創作のことである。もしもここがドリーム小説なら、どこかにイケメンホイホイな奴がいるだろうが、今の所俺の周りにはいない。
「ちなみにホモとBLはイコールというわけではないからな。そもそも二次創作の場合、最初から両者ともに男が好きなんて面白みのかけらもない設定は使わない。やるなら運命的に、彼だから好きというパターンだ。男の中で彼が一番好きというナンバーワンではなくて、オンリーワンだ。話には出てこないが、性癖はバイだな。男も女もどっちもいける。まあ男は特定の彼になるけど」
確かに両者ホモなら、なんの障害もない。それだとわざわざBLを選んだ意味が半減しそうだ。
「オンリーワンねぇ。でも確かにオメガバースにある『運命の番』設定は、完璧にオンリーワン設定だな。となるとここの腐神は、ハーレムものに見せかけた、ニコイチが好みってことか。まあ、男同士でも結婚できて子供が産めるから、その部分が使いたくてその設定かもしれないけど」
オメガバースものだと、Ωであるが為に迫害にあって、主人公可哀想からのスパダリαに愛されなんて内容が受けたりするが、今の所うちの母や弟が迫害されているところを見た事がない。歴史上は迫害があったとされているが、現代ではそういう差別は人権団体がうるさいのだ。ちなみに人権団体はβなので、Ωからするとどうでもいいという感じのことでも勝手に差別だと騒いだりすると言っていた。まあ、そんな感じなので国が絡んだ可哀想設定はないと思う。
「後はオメガバースに限らないが、BL世界では受けが攻めから、女性的にみられることが多いから。見られるようになったら、フラグが立っていると思え」
「女性的ってなんだよ。だったら本物見ろよ」
「そこがホモじゃないってとこなんだよ。腕や腰が細いとか、コイツ女みたいに小さいだとか、いい匂いがするとか――あっ、匂いは別にフェロモンとかそういう話じゃないから。花でも石鹸でもたとえは何でもいいけど、間違っても汗臭いとかではないな。汗臭くて興奮するとかになってくると、それはホモ系の話になってくるし。あくまでも、BLはキラキラファンタジーなんだよ」
姉が見せて来る絵は、男なのか女なのか分からん絵が多かった。あれが攻め視点から見る世界だと言われれば納得だ。攻めの目からは好きな相手が、女ではないけれど、より女を感じる男にみえているという事なのだろう。ただしオネエではないのだから、やっぱり複雑怪奇な世界だ。
「ん? でも、さっき俺がもしもそこに投入されるなら、男前受けとか言っていたよな。女みたいに見える男で男前っな男って、なんかややこしくないか?」
「あくまで女みたいが入るのは外見なんだよ。男前は中身。まあ、攻めの内面をカバーするタイプって言えばいいのか? 懐広くて、自分の為じゃなく相手の為に動けたりする奴」
「俺、完璧に自分の為に生きてるぞ?」
腐神に喧嘩を売り続けているのだ。自分の為以外の何物でもない。
「あと無自覚ってのも受けにありがちだから気を付けろよ」
「無自覚って……。ヤバい。やっぱり腐女子の考えが理解しきれん」
俺の何処に受け要素を見出せるのかさっぱりわからない。この理解できない状況が神の思し召しのせいなのか、何なのか。いや、神の思し召しイコールお腐れ要員だから、そうではないと信じよう。
「大体さ、αとΩって、どっちも美形なんだから、この二人でくっ付いた方が絶対絵づらがよくないか? わざわざ平凡βを出すより」
「どっちも綺麗ってのはお耽美でそれはそれでいいけど、遠い世界って感じもあるんだよ。平凡受けは身近さがある。そもそも、平凡平凡って言っときながら、絵にすると普通に美形の範囲ってのがBLなんだよ。まさに、お前がソレ。ちなみに世の中の不細工受けも、本気の不細工じゃないって俺は思う」
茂部の言っていることは分かるが、本当に俺を巻き込むなと言いたい。
「どちらにしろ、星夜が無理やり手籠めにされないよう協力はしてやるよ。ここはあくまでBLファンタジーの世界を模した現実だからな。ファンタジーでも無理やりな性表現はいらない派だったけど、現実だったら絶対なし派だから」
「無理やり?」
「考えてみろ。本来入れる場所じゃない所にアレを入れるんだぞ。最初からヨガって気持ちがるとか、ファンタジーだろ。どう考えても、大事故だ。下手したら病院送りだ」
想像してキュっと尻の穴が閉まった。
うん。確かにないわ。あそこはそもそも入れる場所じゃない。
「この世界の神の嗜好がどうかは分からないが、BL二次小説は大抵エロシーンが入る。完璧な準備をしてならまだいいが、下手をすればレイプ一歩手前で、ローションもゴムも何も用意なし。受けも事前準備なし。これで成功するって、ファンタジーだろ」
「……ファンタジーだけど、生々しすぎてファンタジーって言いたくないんだけど。ファンタジーって妖精とかエルフとか魔法少女とかの世界だろ」
あれと一緒にしないで欲しい。確かにとんでもない行為をしておいて、腰が痛いだけで済んでいる表現とか、回復系魔法でも使ったのか? 状態だろうけど。そんな使い方しないでくれ。
「妖精、エルフに魔法少女って……お前も大概だな」
「うるさい。前世からの童貞舐めるな」
可哀想な目で見られて、俺は頬杖をついてそっぽを向く。それに対し、茂部が悪い悪いと笑いながら謝ってきた。
「まあでもさ。一番のファンタジーな状況は、こんな話を教室でしても誰にもツッコまれない現状だよな」
「確かに。βなのに、男に対してアイツΩっぽいとか、アイツなら抱けるとか、意味不明な事言っている奴多すぎるしな……くっ、腐神め」
男同士で隠れもせずBL談議なんて寒いを通り越して痛い状態だろうに、当たり前に認められている日常が、ある意味一番のホラーだ。恐ろしい。
「でもまだオメガバースだけで行ってくれるだけ優しい世界だと思うぞ。ここに、ケーキバースとかセンチネルバースとか入ってみろ。もっと大変だからな。俺らがまだ知らないだけで、実はどこかでその設定が入っていて、時限爆弾になってるのかもしれないけど」
「えっ。ちょっと待て。何、そのケーキとかセンチネルとか。俺、それ知らない」
「説明をしだすと長いから、今度教えてやるよ。まあオメガバースの亜種みたいなもんだ。基本は別々で扱われているんだけど、時折混ぜる人もいるんだよなぁ。……萌えは人それぞれだから」
俺自身が腐っていたわけではないので、その単語がどういう設定なのかを知らないが、聞きたいような聞きたくないような恐ろしさを感じる。くそ。腐神め。男同士で合体する為に、何でそう厄介な設定を思いつくんだ。
「くっ。俺は絶対負けない」
「ほどほどにしとけよ。あんまり頑張りすぎると、それこそ神に目をつけられて天に向かって唾を吐く状況になるかもしれないんだからな」
下手に抵抗した方が危険なのかも知れない。
でも流されて、BL世界投入なんて絶対ごめんだ。俺は絶対あきらめない。大丈夫。俺には兄弟や親友という仲間がいるんだから。
後日、動物の耳と尻尾が生えるという前世では考えられない奇病が流行り、唐突にぶち込んできたトンデモ設定に腐神の恐ろしさを目の当たりにするのだが、それはまた別の話だ。