第58話【追いかけっこをしよう】
(僕の姿が見えている?)
それが、再び2人に遭遇したシエルの最初の感想だった。魔生命族と遭遇したことがないシエルは、なぜ自分の透明化魔法が見破られたのか考え……ふと、ある話を思い出した。
(……あぁ、そう言うことか)
妖魔の魔法……ある種の幻術と呼ばれるそれらは生身の体を持つ格下の相手にしか効果がない。血の通わぬ器を体としてを持つ魔生命族は本来、妖魔にとっては天敵でしか無いのだ。
(……面倒だけど……でも、面白そうだね)
獲物をいたぶり、弄ぶ。まだ知能を持たぬ獣であった頃の、とうに捨てたはずの心が、2人を捕まえろと叫ぶのをシエルは感じていた。幸いにも、利はこちらに有るのでゆっくりと遊べるはずだ。
「追いかけっこをしようよ」
廊下の向こう側へと逃げた二人に届くかもわからぬ言葉を発しながら、シエルは2人が逃げた道筋をなぞるようにゆっくりと歩き始めた。
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シエルに追い付かれぬよう、レーゲンと涼太は青に染まった廊下を必死に走る。荷物を持ったまま駆け回るのはただでさえ大変だが、敵に追われていると感じながら走ると言うだけで、その分体力と神経が磨り減っていく。あまり長くは走れなさそうだ。
「レ、レーゲン……」
「あ、悪い……どこかに隠れるか」
必死にレーゲンに話しかけた事で、ようやく状態に気がついてもらえたらしい。二人は一番近くにある部屋に隠れるように駆け込むと、すぐにレーゲンは扉の近くの棚を動かして扉を塞いだ。
「よーし、流石にこれなら入ってこれねぇだろ」
やりきった表情でレーゲンはそう言うが、涼太はどうしても不安が拭えない。息を整えつつ、涼太はどこか異国風な雰囲気のある赤い部屋の、見たこともないような豪華さを持つ赤いソファに腰かけた。
「……レーゲン、さっきのって……」
「見えてなかったのか? さっき追いかけてきてたのは、あの妖魔の王様だぜ?」
「……どんな表情をしてた?」
「顔ねぇ。何かこう、ギラギラした獣みたいな? 少なくともあの時あった表情とは全く違ったように見えたな」
涼太が、見たことのあるシエルはとても理性的な表情をしているように思えた。だからこそ、レーゲンが見たという獣のようなシエルの異常さを感じたのだろう。しっかりと、その両手で槍を握りしめる。
「あー……危ないことは止めとけよ?」
レーゲンも涼太の仕草から何かを感じ取ったのだろう。隣に座ると、優しく声をかけた。
「でも」
「でもは無しだ。正直言って俺達じゃ正攻法では絶対に勝てねぇ。諦めて貰うのを待つしかねぇな」
「正攻法じゃ……」
その時、ふと涼太は初めて部屋中を見渡した。何か身を守るために使えるものはないかと目を通し……そして、あるものを見つけた。
「お、どうした?」
ふと、立ち上がりレーゲンに言葉を返すこと無く、涼太が部屋の隅にある小さな机の上を探れば……確かにそれはあった。簡単で、古典的な罠だがおかしな状態になっているシエルなら意外と引っ掛かるかもしれない。
「見て」
机の上にあったそれを見せれば、レーゲンも涼太が何をしたいのか理解したのか表情もみるみると変わる。
「……なる程な……仕掛けるんだろ? 手伝うぜ」
ニヤリと、悪戯っ子のような笑みをレーゲンは浮かべた。
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この城で唯一の生きた人間の匂いと気配を辿り、シエルはふらりとひとつの部屋の前へとやってきた。魔生命族は匂いや気配と言った類いのものが希薄なのでこれだけが頼りだ。
(魔生命族のあいつ一人だけなら逃げれただろうに、馬鹿だな)
獣だった頃も群れるような生き物ではなく、妖魔となっても性質に引っ張られて孤独に生き、うっかり先代王を殺して妖魔の王となってからは他の妖魔と交わることすら許されなくなったシエルは『誰かの為に』という言葉が嫌いだった。
(騒ぎが起こるから殺しはしない、ただ血を貰うだけ)
だが、本当にそれだけで自分は満足できるだろうか?もうシエルは何十年も好物であるはずのあれを口にしていない。もし、血を口にしたらもっと欲しくなり、自分を押さえきれなくなるかもしれないとぼんやり考えたが、その考えはすぐに捨てることとなった。
(あぁ、この匂いだ。食欲をそそる……僕の大好物の……)
妖魔は人間より欲望に忠実である。我慢など出来なかった。
扉を開ければ、何かに邪魔されること無くすんなりと開く。本来であれば、その事態に警戒心を持つべきだったのだが、シエルの頭の中は欲望に埋め尽くされ、判断がつかなくなっていた。
部屋の中に、2人の姿はない。恐らくどこかに隠れているのだろうとシエルは何の警戒もすることなく部屋を歩き……足元の簡単な罠にすら気がつけなかった。
かくん、と何かが足に引っ掛かったような感覚、そして自分が倒れる感覚と、何かが自分に落ちてくる気配。この時、ようやくシエルは冷静になれた。
(あぁ、してやられたか)
ゆっくりとその場に倒れたシエルの視界にちらりと入ったのは、自分の趣味ではない赤い花瓶だった




