第5話【はじまり】
次の日の朝、朝早くに目が覚めてしまった涼太が、部屋からリビングに出てくるとスピカはもう既に起きており外へ行く準備をしていた。
「スピカさん、おはよう。何処行くの?」
「起きたか涼太。昨日のドレイクを解体しようと思ってな」
「ドレイクを解体してどうするの?」
確かに昨日、ドレイクを倒したはいいがドレイクの体は森にそのままになっている。
「鱗や皮を町で売る。血は血抜きが出来なかったから食い物にはならんが、ドレイクは滅多に流通しないからな……高額で買い取ってもらえるだろう」
確かにドレイクは頑丈な鱗を持ってはいたが本当に売れるのだろうか。日本の常識ではあり得ないような状態なだけに涼太は想像がつかない。
「今日は遅くなる。食事はそこにパンがあるから適当に食べておけ」
そう言うとスピカは有無を言わさずに家を出ていった。それとほぼ同時にナナが目を覚ましたのか部屋からカリカリと扉を引っ掻く音が聞こえてきた。
涼太が扉を開けると部屋の中にはまだ寝ぼけているナナが居る。
「おはよ……あれ? スピカちゃんは?」
スピカが居ないことに気がついたナナは一気に目覚めたようだ。
「スピカさんならドレイクの所に行ったよ」
「お肉にするのかな? ……でもドレイクって美味しくなさそうだよね。」
確かに、と涼太も思ってしまった。
涼太は昨日スピカから聞いていたのだがドレイクはドラゴンではなくトカゲの一種らしい、流石にトカゲの肉は食べたくない。
「確かに、美味しくは無さそうだね。ほら、スピカさんがパンを食べていいってさ。一緒に食べよう」
「うん!」
「いただきます!」
「いただきます」
涼太はナナを連れてテーブルにつき、パンをひとつ手に取り、2つに割ってみた。妙に固いパンの断面は白色ではなく茶色だ。
(これ、食べれるのかな……)
ここまで尽くしてくれたスピカを疑うわけでは無いが、日本で暮らしてきた涼太にとってパンとは白く柔らかいものが当たり前であり、茶色の固いパンは一種のカルチャーショックを与える物だった。
涼太はパンを食べる気になれず隣のナナをちらりと見る。ナナは当たり前のようにテーブルに乗ってパンを犬食いしていた。涼太がナナを呆然と見つめているとナナと目があった。
「……涼太君? どうしたの?」
「……ううん。何でもないよ」
ナナの行儀が悪いが、ナナとスピカは自分が来る前はどのような生活をしていたのだろうか。涼太はそれが気になって仕方無い。
「ごちそうさま!」
「御馳走様でした」
結論から言うと、涼太にとって茶色のパンは美味しい物だった。普通のパンと比べて固い為食べる最初は勇気が居るものの何が混ぜてあるのか食欲をそそる香ばしい香りがする。
お腹がいっぱいになったところで良太はナナと話をすることにした。
「ねぇナナ、ナナはこの森の外に出たことある?」
「うん。近くの町にはスピカちゃんと一緒に行ったことあるよ!でも遠くの方は危ないからってスピカちゃんが言ってたから……前は怖かったけど、でも今は遠くに行くのが楽しみなんだ!」
ナナはそう言うと尻尾をパタパタと振った。
「どうして?」
「だって、スピカちゃんと、涼太君と、私の3人でお外に行くんだよ? 楽しいに決まってるよ!」
楽しみだなーと呟くナナを見た涼太はいっその事このまま3人で暮らすのも悪くないのではないかと思ってしまったが、そう言うわけにはいかない事を理解していた。
自分の帰りを待つ両親や友人の事を思うとやはり自分は帰るべきなのだと、本来ここに居てはいけないのだと感じてしまい寂しい気分になる。
そんな気分に沈んでいると、ふと誰かに服の裾を引っ張られた。涼太が下の方を見るとテーブルから降りたナナが涼太の服の裾を噛んで引っ張っている。
「どうしたの?」
「涼太君、一緒に本を読もうよ」
「本?」
「うん!ほら早く早く!」
ナナに連れられて涼太は移動する。
この建物には部屋は4つ、涼太の記憶が正しければ自分が居た部屋やリビングには本など置いてなかったはずだが何処に本があるのだろうかと移動しながら考えてしまうのだがナナはある部屋の前で止まった。
そこはあろうことかスピカの部屋だった。
「ここに入るのはダメじゃないかな……」
何となくだが女性の部屋に入るのは気が引ける。どうしたものかと涼太があぐねいている一方、ナナはカリカリと扉を引っ掻き始めた。
「涼太君、ここ開けて」
お願い、と目を輝かせるナナに逆らえず。自分の甘さを自覚しつつも涼太はスピカの部屋の扉を開けた。
「どうぞ」
「ありがとう!涼太君もおいでよ!」
ナナはお礼を言いつつ扉の中へ入っていき、涼太も最初は悩んだが、ナナが部屋の入り口で待っていたので仕方無くスピカの部屋へと入っていった。
そこは正に簡素な部屋だった。寝具と棚と本棚以外には何もない、女性らしさの欠片もない部屋だ。女性の部屋なのだから多少飾ってはいるだろうと思っていたのだがそうでもない様子に涼太は驚きを隠せない。
一方ナナは本棚を漁り始めているが獣の体では上手く出せないのかこのままでは本棚を倒してしまいそうだ。
「僕がとるよ、どれ読みたい?」
「あれ!」
ナナがくいっと鼻で指したのは「チュラ公国民話集、カエルの王子は何故泣くの」という本だった。涼太はその本を手に取りナナに渡した。
「ありがとう!」
ナナは絵本を床に置くとそのまま読み始めた。ナナは器用なもので前足でページめくりも出来るらしい。
ここで、涼太は強烈な違和感を覚えた。その違和感の正体は本……いや、本に書かれた文字だ。本棚から適当に生物図鑑を取った涼太はその本の表紙の文字を見て確信することとなる。
「やっぱり、本が日本語で書かれている」
そう、ここは日本では無いにも関わらず全ての書籍が日本語で書かれていたのだ。
涼太は手に持っていた生物図鑑をパラパラと捲りドレイクの項目を見る。ドレイク、爬虫類、エウペル王国に広く分布……時々難しい漢字が出てきて読めないものの間違いなく日本語であることを確信する。
「どうして?ここは日本じゃ無い……の……に……」
ここまで呟いた涼太はある事実にも気がつく。スピカもナナも、日本語を話しているのだ。違和感無く会話出来ているせいで全く気がつかなかったが、ここが本当に日本で無いのであれば、明らかにおかしな状況だ。
「幻想大陸グランバース……ここはいったい……」
本当に何処なんだ、という言葉は声に出なかった。
とりあえず状況を整理するべく生物図鑑を戻したその時、本棚の本に隠されるように片手になんとか乗るような大きさの箱がひとつ置いてあることに気がついた。
スピカに気がつかれたら怒られるだろうか、そう思いながらも箱を手に取り蓋を開けてみるとそこには古びた十字架のネックレスが入っていた。
「何だろう、これ……」
十字架は明らかに古い物であり、ところどころ錆が入ってしまっている。
涼太が十字架を裏返すと裏には『Throw the past』と書かれていた。
(え、英語?)
涼太は英語が読めないので意味はわからなかったのだが刻まれた文字の荒々しさに並々ならぬ感情を覚え、そっと表に戻すと、そのまま箱を元あった位置に片付けた。
「涼太君? どうしたの?」
「ナナ!? な、何でもないよ。」
気がつくとナナが後ろにいた。ただ、箱を触った事には気がつかれなかったらしくナナは不思議そうに首をかしげている。
「涼太君、次はあれが読みたい!」
ナナは絵本を読み終わってしまったらしく次の本を催促していた。
「いいよ、今度の絵本は一緒に読もうか」
「わーい!」
涼太は次の絵本を取るとナナと一緒に絵本を読み始めた。
夜が更け生き物が皆寝静まった頃。スピカはようやく家に帰ってくることができた。がどうも不機嫌そうだ。
「あの商人、何が「商人組合で取引価格が決まっている」だ。私が提示した価格で書いとればいいものを……」
そう呟くスピカの手にはエウペル銀貨20枚が入った袋が握られていた。袋を見てはぁ、とため息をつく。
(これでは路銀として全く足りない、誤算だったな。旅をしながらやりくりする必要がありそうだ)
疲れていたのかスピカは食事を取らずそのまま自室に入った。部屋の違和感を無視し、本棚に隠してあった箱に触れる。
(もう、これは必要のないものだと思っていたのだがな)
弱い人間だった頃の自分との決別、人間だった頃の持ち物は全て処分していたのだがこの十字架だけは捨てられなかった。
外から来たのだと話す少年、涼太と出会い、自分の何かが変わりつつある。スピカはそれを自覚し、そして……手にした十字架を旅の間使用する鞄に乱暴に放り込んだ。
(明日、涼太に聞くべき事があるな)
そう思い、スピカはそのままベッドに潜り込むと眠りについた。
「ナナ、準備は出来たか?」
「バッチリだよらスピカちゃん!」
いよいよ旅立ちの日となった。
涼太もスピカから鞄と必要な物を渡され、旅が始まるのだと自覚し、そして暫くしか過ごさなかったとはいえ、この家にもう戻ってこないのだと思うと寂しく感じるものがある。涼太が感傷に浸っているとスピカが隣にやってきた。
「涼太。お前に聞きたいことがある」
その目はなにかを探っているかのようだ。
「ドレイクと交戦したときに何かあったか?」
「ドレイクと……?」
「噛み砕いて言おう。ドレイクの足の骨が折れていた。お前が何かしたのか?」
涼太はドレイクが宙に浮いたことを思い出した。確かに不思議な現象だが自分がそうさせたならドレイクをずっと宙に拘束するだろう。
「ううん、ドレイクが骨折したのは多分宙に浮いたからだと思うけど」
「宙に?」
「少なくとも、僕がしたんじゃないよ」
そこまで言うとスピカは「そうか」とだけいい、それ以上聞いては来ずに、2人を見つめる。
「改めて問おう、2人共準備はいいか?」
「準備おーけー!」
ナナは尻尾を振り、涼太は力強く頷いた。もうこの家には戻らない、自分は日本に帰るのだ。
「うん!」
こうして3人はアヤメに会うために旅立った。
この旅は涼太の運命を大きく変える大切な出来事となるのだが、その事を知るのはずっと遠い先の話である。




