【Ⅴ】Change before you have to.2
教育……教育がすべてだ。まともな家庭に生まれて、まともな環境で、まともに勉強をさせて貰えて、まともな教育を受けて、それなりの学位を取れていたなら……僕も、ラティファや、ラシードや、ハシムや、トモのように、自分の意思で自分の生きる人生を選べたのだろうか。もっとマシな人生を選べたのだろうか。
スポイルされた人生を捨てて生まれ直したい。差別と抑圧、希望を持てないこの社会から自由になりたい。アラブ系じゃなくて他の人種に生まれて、階級社会の底辺に押し込められずに、普通のツイてる奴ら(ラッキー・フェロウズ)のように良い大学に行って、それで、カッコイイ仕事をするんだ。ブルーカラーじゃなくて、オフィスで頭を使う仕事がいい。
ふっ、と自分自身が可笑しくて鼻で笑ってしまった。
「どうかした、アミン?」
「ううん、なんでもないよ。なんでもないんだ、トモ」
僕は、みんなに嫉妬していた。
みんなが羨ましかった。
二〇一三年、一月十六日、アルジェリアの天然ガス精製プラントをアルカイダ系の反体制武装組織が襲撃し、中にいた従業員を人質として拘束し立てこもる事件が起こった。人質には日本人も含まれていて、十九日に行われたアルジェリア軍の攻撃で七人が死亡したらしい。犠牲者はアメリカ・イギリス・フランスなど各国総勢四十八名に上り、武装集団側も三十二人が死亡した。
アルジェリアは僕のルーツだ。
そこで日本人が犠牲になる事件が起こるなんてショックだった。
トモは事件が起きてから、政府軍による制圧が終わるまでの三日間、ずっとニュースに釘付けになっていた。多数の犠牲者を悼むコメントを各局のニュースキャスターが読み始めた時、とうとう倒れ込むようにテーブルに突っ伏した。
「何か食べたら? サンドイッチでも作ろうか?」
「食べたくない」
「立場が逆なら、トモも僕に食事をとれって言うんじゃない?」
片目を瞑って見せたら、トモは目をしばたかせ、「言うようになったね」と、数日ぶりの笑顔を見せてくれた。
簡単な食事を済ませて二本目のビールを開けた時、トモは情報収集の続きをすると言い出した。特にやる事も無かったので、僕も一緒にラップトップPCのディスプレイを覗き込む。YouTubeにアップされた動画をトモは次々に再生させていった。
「みんな演説をアップしてるのか? なんで? この人達も組織のメンバーなのか?」
「違うよ。彼らは勝手連だね」
トモが不思議な言葉で呟いた。日本語だと思う。
「通路を切る(cut lane)?」
「繋がりが無い(Standalone)ってこと。日本語だとKATTERENって言うんだよ。組織とつながりは無いけれど、それぞれ自分の心情に合う勢力を擁護する主張を勝手に演説してるのさ」
トモはプラント従業員の犠牲者だけでなく、武装勢力側の死者にも同情していた。テロと一言で片付けてしまうには情勢が複雑過ぎる、と……
アラブ諸国は独裁政権最後の砦と言われることもあり、ほとんどの国が西欧主義的あるいは社会主義的な強硬な独裁政権によって統治されていたらしい。アラブの外の世界から持ち込まれた支配システムは、中世的な習俗を色濃く残す民衆の気風に合わなかった。それに、独裁政権下では不当な抑圧が当然のように横行する。それに反抗するために、西欧主義の代替としてイスラム回帰が起こったのだとトモは説明してくれた。
悪辣な体制への抵抗運動としてのイスラム――
それは人情として、とても自然な流れであるような気がした。
「何もわかっていない」
何本目かの動画を再生させていた時、僕は吐き捨てるように言ってしまった。それが誰に向けた言葉なのか自分でも分からない。
動画のリプ欄には熱狂的な賛同と共に、様々な反論が書き込まれていた。
「君にはロングレンジ(Long range)の視野が無い。テロが起きても、どうしてそんな事が起きたのか原因を考えることもせず、切り取られた一部を見て、実行犯だけを非難する。ヒステリックに『テロリストは大切な命を奪いました』と喚き立てているだけで、報道されない場所で何が起きているのか考えもしない」
「連合国側の政策によって奪われている命は大切じゃないとでも言うのか」
「命の価値に、重さに、違いがあるのか」
僕は反論に引きずり込まれるように共感し、憤りを無理に飲み込む為にテーブルの上で拳を握りしめ、何度も深呼吸をした。なんとか取り乱すのを堪えたつもりだったのに、次の動画もまた僕の怒りを誘う内容だった。
画面には金髪の綺麗な女の子が写っていた。
やっぱり、リプ欄には狂信的な賛同と強硬な反論が書き込まれていた。
「君はバカだ。『卑劣なテロには屈しない』なんて、よくも言えたもんだ。一般市民を巻き込み、命を奪って犠牲にする列強の卑劣な駆け引きは今も行われている。平和だった街を、最も激しく破壊しているのは紛争だけじゃない、その原因を放置したり、逆に煽ったりして、騒乱を長引かせているエゴイスティックなパワーポリティクスだ。その事実には目を向けもしないで、よくもお高くとまれるものだ」
「どうしようもない傲慢さだ」
「みんな、仕方がないよ。このお利口そうな女の子は、正義の攻撃で死んでいるのはテロリストとその仲間だけだと信じてるのさ」
「そんなバカな話があるもんか」
リプ欄で展開されていた激しい口論に一通り目を通して、溜息をつき、何気なく振り返った時、窓ガラスに映った自分の死人のような顔色にぎょっとした。怒り過ぎて、元々暗い表情だった僕は見れたもんじゃない顔つきになっていた。何よりショックだったのは、落ち窪み、一種異様な虚脱と激高を同居させたヒステリー患者のような目だ。
僕はこんな恐ろしい顔をしていただろうか。
気味が悪い。
呪いを掛けられた気分になる。
まるで底の無い井戸でも覗き込んでしまったように……
動画の中にいるのはまだ十代に見える綺麗な女の子だ。明るい色の金髪と青い瞳。白い肌に薄くソバカスが散っていて、伝統的なイギリス人の風貌をしている。自信に満ちた表情で堂々と持論を展開していく。スピーチ慣れしている。きっと良い教育を受けているのだろう。
良い教育……
不意に、この場には関係の無いはずの暗い妬み混じりの怒りが沸き起こる。
教育――教育ってなんだ?
カフェで初恋の女の子に侮辱された記憶がフラッシュバックする。
「あなたにも、この本の哲学的な意味が分かるのね」
意外そうな態度をされたことが、僕には意外だったよ。移民三世でまともな教育を受けていない「おバカさん」にしか見えない僕が、大卒の君が読むような高尚な本を読んで理解しているなんて、本来は有り得ないことだわ、と君は思っていたんだ。
要するに、こういうことかい?
学位が低い奴はろくに物も知らないバカだ――
彼女に自覚が無くても、僕は確かに侮辱された。だって、彼女が僕を「可哀想なおバカさん」だと思っていることが、僕には分かってしまったからだ。侮辱したつもりはなくても、侮辱は成立する。僕を心の中で見下していた事実は消えない。取り繕えない。
ねえ、それって、君達が作り上げた価値観やルールを押し付けて、そこから漏れた僕達は、一生見下されて、惨めで死にたくなったとしても、それでも、黙って虐げられてろってことかい?
たかが金髪の女の子に話しかけるのに、学位が必要なのか?
だいたい、あの夜、彼女と一緒にいた野郎たちと僕の何が違うって言うんだ。教育の差なんて、生まれた家が金持ちだったか貧乏だったかの差でしかない。僕から見れば、あいつらだって立派なバカだ。ほんの少しだけ教養がある、ディスカッションという芸を仕込まれただけの低能どもだ。レトリックだの、マナーだの、そんなもの、仕込まれれば誰でも出来る。教師を雇って『お勉強』を詰め込めばいいんだろ。僕だって、金持ちの家に生まれてさえいれば、サマになる芸を仕込んで貰えたはずだ。
貧乏人はバカだ――あいつらは、そういうルールを作って悦に入っている。
それが差別ってやつだ。差別は思想だ。思想は、その思想を抱いている者が自ら変えなければ変わらない。差別する側が変わらない限り、僕が差別される状況は変わらない。
こんな不平等があるか?
僕らは、差別から抜け出すために、現に差別を行っている奴らに改心を求め、平等に富と機会を分配してくれと懇願し、彼らがそうしてくれるよう祈って、気紛れな彼らに運命を委ねるしかないって事なんだ。そこまで運命を握られて、おとなしく礼儀正しくお願いをし続けられるわけがない。力づくで、と考えないわけがない。
そこまで考えて、僕はゾッとした。
テロリストの気持ちが分かってしまう。
だって、分かってしまうんだよ。そういう立場に生まれたから……




