第九話 院長は男
鍛冶屋の店主と別れてから何人か住人らしき人に絵に描かれている女の子について尋ねたが、誰ひとりとして知る人はいなかった。
やはりこの村にはいないのか……。
そんな不安がトールを襲う。
仮にこのウルンフォルツにはいないとするとかなり面倒なことになる。果てしない世界を旅して終わりの見えない物語を彷徨うことになる。しかも元の世界に戻れるか定かではない。あの屋敷の主人であるゲルトは、いざとなったら引きずり出す努力をするなどと言っていたが向こうとコンタクトが取れない状態で、いざという状況はどう判断するのだろうか。今考えてみてもかなりテキトーなことを言っていた人である。
「まずいなあ……このままだと帰れない。下手すると何十年もこの世界にいることに……それだけは避けないといけない。向こうには妹を残してるし、あいつ一人じゃ……」
視界には石畳の道しか存在しないかのように俯きながらぶつぶつ独り言を呟いていた。今後の方針を考えないといけない。
どうしたものかと考えているうちにお腹のあたりがキュウと寂しくなってきた。
そもそも昼近いためお腹がすいてくる頃合いだ。しかし、ここで重大なことに気が付く。
「やばいな……俺、金持ってないぞ。メシどうすんだ……」
一応財布は持ち歩いているが、そもそも日本の通貨が使えない時点で価値がないも同然。この世界では通貨に何が使われているか不明だが、詰まる所無一文ということだ。これでは昼飯を食べることも、夜も、下手すると宿無しがあり得る事態だ。
これは参ったという具合に頭を掻く。今後何十年もこの世界にいるかもしれないという心配をするよりも今日明日の心配をした方が良さそうだ。
「とりあえずどうするか……金を借りれそうな知り合いはここにいるわけないし……これはマジでやばいな」
とりあえず無一文のため誰かに助けを求めないと飢え死にする可能性が出てきた。この世界での稼ぎ方を知っているわけないし、アルバイトを雇っている雰囲気もない。
食べるだけ食べて会計の時に「金持ってないです。皿洗いでもなんでもしますから雇ってください!」なんて言う勇気もない。
今度は今現在からの方針を考えないといけない。
途方に暮れながら歩き、ふと顔を上げると気になる光景が目に映った。
「……なんだあれ?」
そこには後姿しか見えないが何やらうずくまっている人がいた。
こんな道端で何かあったのだろうか。一応確認だけでもしておいた方が良さそうな雰囲気ではある。
一体何事かと少し駆け足で近づいてみると、それは白髪のご老人であることが分かった。しかもそのご老人が苦しそうに唸り声を出しているものだから驚いた。
「――おじいさん!? どうしましたか!?」
ご老人の肩を軽き、顔を覗く。
額には汗を流し苦痛に顔を歪めていた。右手は心臓を掴むかのように力強く胸を押さえていた。
これにはトールもどう対処していいものか分からず焦りを見せる。
「し、心臓が痛むんですか? と、とととりあえず病院行きましょ! 立てますか? 肩かしますよ」
何とか急いでご老人に肩を貸し立たせる。何とか歩けそうだ
こんな状況経験してないためトールも不安だらけだが、ほっとくわけにもいかない。とりあえず病院に行かせようとしたが、この村について全く知らないトールは肝心な病院の場所が分からない。
「えーと、おじいさん。こんな時に悪いんだけど病院ってどこ?」
「うう……すまんの。この先を真っすぐに行ったとこに見えるはずじゃ……」
喋れる程度には大丈夫なようだ。しかし心配だ。
「そっか。おじいさん、そこまで歩くけど大丈夫?」
「平気じゃ、だんだんと痛みも収まってきたからの。それにいつものことじゃ」
ご老人の顔を見ると、多少痛みは引いているようで先ほどにあった苦しさは無くなっている様だった。
「いやいや、いつもだったらヤバいよ。とりあえず医者に診てもらった方がいいから」
一時はどうなることかと思ったが、今すぐにどうにかなるようなことはなさそうだ。
ご老人に肩を貸し歩くこと百メール程度。それは意外にも近くだった。
「ここじゃ、これがゼーベック診療所じゃ」
白を基調とした綺麗な建物がそこにはあった。上に掲げられている看板は読めないが恐らくゼーベック診療所と書いてあるのだろう。
「おじいさん、足元気を付けて」
入り口前に小さい段差があったため声を掛ける。一段上がるとすぐ扉がある。左肩を貸している状況のため右手でそれを開ける。
ベルが付いていたらしく、可愛らしくチリンと鳴った。診療所内はシンプルで決して広いわけではなかった。質素だが清潔感がある、そんな印象だ。
奥に白衣の医者らしき男性が丸椅子に座っていた。何やら書類らしきものに目を落としていたが、ベルの音に気が付いたのだろう。顔を上げこちらを向く。
「あらぁ、ブルーノのおじいさん。また、私に会いに来たのぉ?」
……ん? これは、いやな予感が……。
トールは目を丸くし、念のためもう一度確認するがどう見ても男性だ。しかも少々筋肉質ときた。
「違うわい。……少々心臓が痛くなってな。はあ、お主は相変わらずじゃな」
医者の前に置いてある丸椅子に座る。
「冗談よぉ。最近調子が悪くなってることは知ってるからね。ところで隣の可愛い子は誰なのよぉ? 見ない顔だけど?」
医者の熱い視線がトールに浴びせられる。背中がゾクッとし、なぜか冷や汗が流れる。これはあれだ。草食動物が肉食動物に見つかった状況だ。本能的に食われると感じているのだろうか。なるべく考えたくはないが……。
「儂が道端で動けなくなっていたとこをここまで連れてきてくれたのじゃ」
「そうなの? いい子じゃない。私はここ、ゼーベック診療所の院長、カリーナ・ゼーベックってゆーの。よろしくねぇ」
ここの院長であるカリーナがニコニコとした顔もちで気さくに挨拶した。
「え、えっと。片桐徹です」
こういったタイプの人間と関わったことがないため、反応に困る。調子が狂うのだ。
「あの、それでおじいさんは大丈夫なんですか?」
先ほどから心配でたまらなかったおじいさんの調子を聞いてみる。今は辛そうではないが、最初あれだけ苦しんでいたのだから持病でも持っているのだろうか。
「ん? ダイジョーブよ。いつもこんなだしね。もう年よ、私じゃ何もできないわぁ」
「そうじゃな。儂ももう年じゃな。長生きしすぎた」
カリーナの手遅れのような返答にご老人は驚く様子もなく、覚悟をすでに決めていたかのような反応をした。
「でも、もう少し頑張ってくれなきゃ困るわぁ。いなくなったら村のみんなが寂しがるもの」
カリーナは少し寂しそうな顔をする。軽く対応していたが寂しいものなのだろう。それに対しご老人はカッカと笑っていた。ここの人たちは皆こうなのだろうか。この会話に対して何やら温かさを感じた。
「ささ、ブルーノさぁん。ここにいてもお話しするだけだし、今日はゆっくりお家で休んでなさいなぁ」
「そうしようかの……トールと言ったかな? 今日は本当に助かった。良かったらこれを受けとっておくれ」
ご老人は改めてトールの方を向きお礼を述べ、何やらコインを握らせた。トールは視線を落とし見てみると、握られていたものは金色のコインだった。
「これって……」
この世界の通貨だろうか。だとしても受け取っていいものか。
「では儂は帰ってゆっくりしてようかの……どっこいしょ」
ご老人は重い腰を持ち上げるかのように立ち上がり扉へ近づいていく。
トールは声を掛けようとしたがカリーナに止められる。するとチリンとベルが鳴りご老人は出て行ってしまった。
「素直に受け取っておきなさい。トールちゃんには受け取る資格があるわ」
「そうなんでしょうか。……でもまあ、俺もそろそろ」
この場からそそくさと退出しようとトールも腰を上げかけたところで。
「あらぁ、トールちゃん、私ともうちょっとお話しましょお?」
逃走に失敗した。どうやら簡単には逃がしてくれないようだ。溜息を吐きおとなしくする。これは長くなりそうだ。
「なにやら嫌そうな顔ねぇ。別に取って食べようなんて考えてないわよぉ。まあ顔は結構タイプだけどねぇ」
背中に寒気が走った。恐怖とは違うがなんだか嫌な感じだ。
……だめだ、このタイプの人間は苦手だ。
「ところで、もうお昼ご飯は食べたぁ?」
「い、いえ食べてないですが……」
「ちょうどいいわぁ。さっきのブルーノさんのお礼もかねて、ごはん、一緒に食べましょっ」
手を叩き、飛び切りの笑顔でそう言った。昼ごはんに困っていたトールからすればこのお誘いは願ったり叶ったりだ。断る理由もないだろう。
「いいんですか? ちょうどお腹すいてたんですよ」
「じゃあ、早速おごらせてねトールちゃん。ほらっ、行きましょ」
カリーナが意気揚々と立ち上がり、弾むように扉まで移動する。そして満面の笑みで振り返り手招きをした。
やれやれとトールも後を追うかのように立ち上がった。
「ちょっと待ってくださいよ。カリーナさん」
「置いていっちゃうわよ。トールちゃん」
はやくはやくと急かすカリーナ。
カップルかと突っ込みたくなる会話だが、相手は男だ。何度も言うようだが男だ。しかもそれなりに筋肉質。だが、何となくいい人だと感じた。
「今行きますよ」
微笑んでいるカリーナのもとへ歩み寄る。彼、いや彼女は扉を開けるのは今か今かと取っ手を握りしめている。
「何を考えていたの?」
そばへ来たトールの顔を覗き込み尋ねてきた。正直顔のアップはビビるからやめて欲しい。
「いや、何も……それよりどこへ行くんですか?」
カリーナが扉を開けるとチリンとまたベルが鳴った。トールは軽く頭を下げ先に出る。
「うーんとね、あっ! そういえばトールちゃんって、ここの人じゃないわよね?」
扉の鍵を閉めながらそう尋ねてきた。
「ええ、今日来たばっかりで」
「だったらね、この村のお店はおいしいのよ。小さい村だからお料理を出しているお店って一個しかないんだけど、そこがおいしいの。夜はお酒を出したりしてね」
目的地に向かって歩き始めたカリーナの横をついていく。カリーナはそれなりに身長がある。トールも決して低いわけではないが、百八十後半はあろうカリーナの横を歩いていると低く思えてしまう。
「そうなんですか。じゃあこの時間は混んでいたり?」
「うーん、いないことはないと思うけど、大半の人は家で食べちゃうからねぇ。衛兵の人たちが休憩の合間に食べに来てることが多いかしら。でもでも夜はいろんな人がいるわよ」
皆に愛されている食事処ということか。そういうところはなんだか温かい感じがして落ち着く。今から楽しみだ。
「へぇー。カリーナさんはよく行くんですか?」
「私? よく行くわよ。お友達がそこのお店好きでね、よくいるの。だから私もよく行くの」
友達? 同じタイプの人間だろうか。だとしたらかなりカオス空間になりそうだ。いや、いい具合に共振してまともになるのかもしれない。いや今がまともじゃないという意味ではない。いい性格だと思う。
「そういえば、なんていうお店なんですか?」
「森の家、だったかしら。可愛らしいわよねぇ。確かにここ周辺は森に覆われてるけど……あっもうすぐ着くわよ。ほらあそこ見えるかしら?」
クスクスと笑っているカリーナが指さした方向にそのお店はあった。意外と近くだ。まあ、軽くこの村を回った感想としては、聞いていた通り小さな村であるため店と店の感覚が狭い印象だった。
目の前まで来るとテラスがあり、そこにもテーブルが用意されている。中に人がいるのだろうか、香りが外にまで漂ってくる。
「さっ、そんなとこに突っ立てないで中に入りましょっ」