第六話 危機は唐突に
屋敷に来た時のような感覚から、意識がはっきりとする。
ここは一体?
果たして無事に来れたのだろうか?
ひとまず身体に異常がないか確かめるためペタペタと自身を触ったが特に問題はなかった。
「とりあえず、大丈夫みたいだな。……てか、本当に絵の中なのか?」
身体に影響がなかったことに胸をなで下ろし、一旦辺りを見回してみた。
徹を挟むかのように両サイドには終わりが見えない程木々が生い茂っていた。
どうやら辺りは森に包まれており一本道が続いているだけのようだ。
徹が今踏んでいる道は車が一台余裕をもって通れる程度の幅で舗装なんてされてなかった。しかし人が通っているのか踏み固められており、よく見ると車が通ったような二つの線の様な跡が残っている。
「……本当に来ちまった……夢じゃないよな」
先ほどまで確かに屋敷にいたはずだが状況は一転し、こうも森のど真ん中に放り出されては目を疑う。
頬をつねっても痛みを感じるし、温かさも感じる。どうやら現実のようだ。そう考えるしかない。
辺りは街の雑音もなく自然の静けさに満ちている。風が吹き森の鳴く音がなんとも心地いい。 木々に触れていった風が徹をなでる。
「向こうと違って涼しいな……てか、誰もいないんだけど……」
辺りを見回しても人のいる気配はしない。あるのは緑だけ。
これは困ったものだ。こんな場所で目的地も分からずどうすればいいものか……
「なんか無茶な依頼受けちゃったのかな……でも、やると決めたんだ。さっさと終わらして報酬貰ってハッピーエンドといこうじゃないか」
まだまだ始まったばかりと気合を入れる。
どこへ向かおうかと考えていると風がまた吹いた。
空を見る。
今日はいい天気だ。
「……とりあえず、歩くか」
風に背中を押される形で、徹は歩き始めた。
歩き始めて数分しただろうか、時間を確認しようとポケットの中にしまい込んでいたスマホを取り出そうとしたら、写真が一枚落ちた。どうやら同じ場所に入れていたようだ。それは屋敷の執事モーゼスから貰った絵画の写真だ。
それには幼さが残る少女が描かれている。日本では見ることのない白銀色の髪が綺麗だ。
「まずはこの娘を探さないと話にならなそうかな」
写真を片手にそう呟く。
探すとなるとまず人を探さなければいけない。スマホの時計は午前七時四十分前を表示していた。
「ん? 七時? こんなに早い時間帯だったかな?」
自身の家にいたときはもう少し遅かった気がしたが、特に気にすることでもないだろう。
人を探すにしても辺りは木々で囲まれており、人の気配がなく町が見えるわけでもない。これには徹もため息が出る。誰かに出会うことを信じ歩くしかない。
一瞬、野宿という単語が脳裏をよぎった。
「いやあ、まさかね。今何も持ってないし、野宿はきついかな……ハハハ」
渇いた笑いは深い森の中へ何事も無かったかのように消えていった。
それから数十分、代り映えのしない景色が永遠と続いた。木々ばかり見て、飽きては時折空を見上げるといった具合だ。野生の動物たちはいるのだろうが姿は見えない。野鳥の鳴き声は先ほどから森中に響き渡っている。
「そこの兄ちゃん、こんなとこ一人で歩いてると危ないぜ」
不意に後ろから声を掛けられた。徹は慌てて振り返る。そこには若い男が立っていた。身なりはあまり綺麗だとは言えない。
というか、この男はいつからいたのだろうか。
徹がここまで歩いていた時は確かに後ろには誰もいなかった。つまり森の中から出てきたとしか考えられない。
「あ、危ないって、熊とかが出るんですか?」
唐突な事だったため、吐き出す言葉が詰まった。
「へっ、熊ね……まあ出ないこともないが、熊よりもあぶねえのが目の前にいるかもな」
男は馬鹿にするように軽く笑い、少し体の向きを変える。
目の前?
男は目の前と言っていたが、徹の目の前にいるのは先ほどから一人しかいない。しかし、男が少し体の向きを変えたために徹はあることに気が付いた。
男の後ろ腰に銀色に日の光を放っているものがあった。
そう、男の腰に一本の短剣があったのだ。それを見た瞬間、額に冷や汗が流れる。
男は徹の視線に気が付いたのか、ニッと笑いその短剣を腰から抜いた。
「兄ちゃん、そろそろ何が……いや、誰があぶねえかわかったろ?」
男は短剣を器用にクルクルと回しながら、こちらにゆっくりと歩み寄ってくる。口元は少し笑みを浮かべているようにも見える。
鼓動が一気に早くなる。
これはマズイと、徹は直感した。
「あ、あんたは、一体誰なんだ?」
声を出さないと恐怖に押しつぶされてしまう気がした。だから声を出した。なるべく大きな声を。
今のところ徹にはこれしかできなかった。話し合いで何とかなるとも思えないが、近くに誰かいることを願い何とか時間を稼げないものか。
「俺が誰かなんて、んなことどうでもいい。兄ちゃんとここで長話する気はねえからな。兄ちゃんはここでくたばってもらう。それでいいだろ?」
全くもってよくない。何とか会話を続けなければ、本当に殺されそうだ。
「えっと、あのー、俺、なんも持ってないっす」
彼に恨まれるようなことは絶対にしていない。だとすると目当ては金銭だろう。
だから全力で一文無しアピールをすることにした。
「服でも身に着けてるもんでもなんでも、金にはなる」
この男、徹の身包みを剥がすつもりだ。「流石に裸は嫌だな」などと能天気な感想を小さく吐く。
会話など最初からする気がない男相手にどう時間稼ぎをしたものか……
男との距離はまだ十数メートル。
男はまだゆっくりと近づいてくる。それは余裕の表れだろうか。それとも徹が何か持っていることを警戒しているのか。前者、後者どちらにせよこのままでは徹のもとまでたどり着くのは時間の問題だ。
しかし、後者であった場合徹にも多少隙を作らせることが出来る。
徹は一度男を観察する。男はかなり近づいてきている。まだ十メートル程はあるだろうか。こちらに近づくごとに男の笑みが消えていることに気が付いた。これは無意識に警戒していることが表情に出ているのだろう。
徹は息をのみ右手を腰の後ろに回した。
これで相手からすると何か隠し持ってるかのように見せることが出来る。
すると徹の作戦通りに男は足を止めた。男の表情は一層硬くなり、短剣を握りなおす仕草をする。男は徹の隠されている右手を警戒している。そのため視線はずっと腰のあたりにある。
チャンスは今しかない。
徹は息を思い切り吸い込む。そして……
「誰かー!! 助けてくださーい!!」
喉が張り裂けんばかりに大声を出した。
男は急な出来事に目を丸くし、思考が一瞬止まる。
この一瞬に徹は賭けていた。一瞬の隙さえ作ってしまえば、逃げ出せるかもしれない。
こういった事態で大声を出して助けを呼ぶことは重要な事でもある。大声を出すことで恐怖で固まった身体をほぐすことが出来る。それによってすぐ行動に移せ、同時に助けを呼ぶこともできる。まさに一石二鳥だ。
身体がいい感じにほぐれ、徹は回れ右をし走っていた。走り出してしまえば先ほどまでの緊張状態も無かったかのようだ。久しぶりに走ったが足は軽快であった。
しかし、走り出して数秒で右耳を数センチ掠めるように小さいナイフが風を切り飛んできた。
どうやら男が持っていた短剣より一回り小さい投擲用ナイフを隠し持っていたようだった。
急な出来事で手元が狂い、幸運にも掠める形に終わったが、内心死ぬかと思った。
三十メートル程走り後ろを見ると十数メートル後方を男が走っていた。
「マジかよ……見逃してはくれないか」
少しだけ期待していた。しかしそう甘くはないらしい。
足の速さには自信あるが、体力に関してはその逆の徹は男との差がどんどん縮まっていく。
「兄ちゃん、追いかけっこはもう終わりだぜ」
すぐ後ろ、まるで耳元で囁かれたかのように不気味な声が聞こえた。
――もう終わりだ。
そう感じた。
背後から命を刈り取るが如く冷酷な殺気が近づいた。