第五話 とんでもない報酬
「報酬、ですか?」
報酬という言葉に少し興味が湧いた。
冒頭で話した通り、徹は決してお金持ちではない。大学にも多少無理をして入ったくらいにだ。
したがって、この報酬次第ではこの依頼を受けてもいいかもしれないと思い始めた。
「もちろん。タダ働きは嫌だろう?」
「ええ、まあ。そんなお人好しは中々いないでしょうね」
至極真っ当な返事をする。世の中には見返りを求めない者もいるだろうが、徹は違う。そんな人間、損をするだけだ。
ゲルトは報酬の内容を伝えるためか、多少座りなおすしぐさをする。徹も改めて姿勢を直した。
そして、口元に少し力が入りこう言った。
「報酬はね……私の全財産さ」
突拍子もない言葉がゲルトの口から出てきた。
「……は?」
頭が真っ白になった。ゲルトを見ると笑っている素振りもなくいたって真面目な表情であった。
報酬に全財産を渡す輩がどこにいる?
だが、その輩は徹の目の前にいた。
「いや、待ってください! それってどういうことですか!? そんな馬鹿な報酬があるわけない!」
「いやいや、あるよ。何しろ依頼主の私が言っているんだから。依頼達成時には全財産を渡すよ。もちろんその中にこの屋敷も入っているさ」
両腕を大きく広げ平然と言ってのける。その栗色の瞳には迷いがない。それほど、この依頼には価値があるのだろう。
ゲルトが全てを渡すほどに、この依頼には一体どのような意味があるのだろうか。徹には理解しえないことだ。
「ゲルトさん、なんでそこまで……これに一体なんの意味が」
「単なる興味さ。君には理解できないと思う」
目を軽く伏せ、多少寂しさを感じさせる声色だった。
確かに徹には理解できない。こんな依頼に全財産を報酬として持ち掛けるなんて正気の沙汰じゃない。
「それで、君はこの依頼を受けてくれるのかね?」
視線を再び上げ、ゲルトは問うた。
徹は悩んだ。この依頼の報酬は多大なものだ。それだけで受ける価値はあるだろう。だがしかし、同時に簡単ではないだろう。向こうの世界に何が待っているか予想がつかない。もしかしたら、命に関わるかもしれない。もう戻って来れないかもしれない。そんな不安が徹を襲う。
しかし徹は、やらなければいけない気がした。妹のためにも頑張らなければいけない気がした。
この依頼の報酬を使って妹が今よりも元気になれる可能性がある。もっといい病院に行ってそれで、元気になれるかもしれない。
かけがえのない妹のためにも頑張る時が来たのかもしれない。
「……兄ちゃんも頑張るから……」
自然と言葉が漏れた。徹にも目標ができたのだ。今までのようにただ待っているだけにはいかない。兄が頑張らずしてどうするのだ。
「……さて返事を聞こうか」
ゲルトは真剣な眼差しで徹を見つめる。相変わらず机の上で指を組んでいる。徹の返事を一字一句聞き逃さない勢いだ。
徹の返事はすでに決まっている。今更考えるまでもない。
静かに息を吸い、ゆっくりと徹の口が開く。
「――その依頼受けさせていただきます」
ゲルトに返事をした後は、例の絵画までゲルトに案内してもらった。もちろん後ろにはモーゼスがついている。
例の話に合った絵画がある部屋はそれなりに広かった。この空間にはその一枚の絵が壁に飾られている。
徹が住んでいる部屋よりも少し広い程度だ。
徹はその絵の前に立ち尽くしていた。大きい絵ではないが、見入ってしまう魅力を感じる。
「これは誰ですか?」
何気なくそう聞いた。
そこには、一人の少女が描かれていた。銀色に輝くプラチナブロンドの少女である。日本人の顔立ちではなく、欧州人の顔立ちに近く色白で透き通るようなブルーの瞳、まるで人形の様であった。
「名前は分からないが、そこに描かれている少女の父親が描いたとされている。古いものだからあまり記録が残っていないんだ。画家というわけでもなく、ただ趣味かなにかで娘を描いたものだね。確か十五世紀くらいだったかな、それくらいだったと思う」
「ほえー、結構古いですね。にしても、娘を描くなんて溺愛してたんですかね?」
「おそらくかなり愛してたんだろうね。彼がどんな心境で描いたか私としてもとても気になるね」
ゲルトも絵画に見入っている。そのくらいの魅力がこの絵にはあった。
改めて絵を目に焼き付ける。この依頼は作者の思いを遂げることだ。これを描いた父親がどのような思いで描いたが鍵になるだろう。
絵を眺めていると、気付いたことがあった。
それは、首に銀のネックレスがつけられていたのだ。十歳にも満たなそうな子がネックレスなんて付けるだろうか。そういう風習があるのかもしれない。だが、気になるところではある。このネックレスがヒントになればいいのだが。
「あの、この依頼ってまず、俺がこの絵の中に入るんですよね?」
改めて確認してみる。何事も確認というのは大切だ。
だが、まあ徹は心配性なだけかもしれない。
「そうだね。入ってもらうことのなるね」
「あの……戻って来れるんですかね?」
淡々と言ったゲルトに恐る恐るそう訪ねてみた。これで戻ってこれなかったら大問題だ。入る前にこれだけは聞かなけれないけない。
ゲルトは少し困った顔をし、笑って見せた。
「ちょっと待ってくださいよ! 笑って誤魔化してもだめですよ!?」
「まあまあ、恐らく大丈夫だと思うけどね。目的を果たしてくれれば帰れるはずだよ」
なんて曖昧な。そして確証がない返事が返ってくる。
「つまり、途中で帰れないと?」
「そういうこと。本当は帰るための物があるんだけど、見当たらないから向こうにあるんじゃないかな? 依頼を達成すれば自然と見つかると思うから。まあ私としても、君にしても依頼を達成しないと困るわけだから、別にいいよね」
「別によくないですし!? ……本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫、目的さえ果たしてくれれば帰れるから、それは約束しよう。いざとなれば引きずり出す努力はしよう」
また、おちゃらけた感じで信用度が全くない返答が来る。
いろいろと不安は残るが、やらなければこの莫大な報酬は無いし徹にはやるしかないのだ。
「とりあえず、こっちに戻るのが難しいんなら、この絵を写真に残しておきたいんですが」
「それもそうだね。モーゼス、写真を撮ってくれるかな」
モーゼスの手にはすでにインスタントカメラがあった。どこから取り出したのだろうか。出来る執事である。
そのカメラでパッと写真を撮り、その場で写真が出てきた。それを徹に渡す。
「あ、どうも。にしても別にこんなアナログじゃなくてもスマホで撮るつもりだったんですけどね……」
「なるほど、デジタルだね。最近は便利になったものだね。確かにポラロイドより便利そうだ」
ゲルトは「なるほど、時代に取り残されないようにしなくてはな……」などと、呟いている。
徹は予備として、スマホで撮っておく。しかしアナログとして残しておくと、いざというとき助かる。徹も何かしらのパスワードはメモに残してある。
「さて徹くん、そろそろ入ってみるかね?」
また突拍子もなく言ってのける。
「もう行くんですか!?」
流石に驚きの表情を隠せない。
確かに行かないと話にならないが、こうもコンビニに行く感覚で行けるような場所ではない。
「善は急げと言うじゃないか」
「ええー、そんな簡単に言います?」
「ささっと終わらして帰ってくればいいから」
簡単に言ってくれる。近所のおばさんの家に回覧板を渡してきてと言わんばかりにだ。
自然とため息が出る。
「分かりましたよ。……これに触ればいいんですか?」
絵画の正面に立ち、目の前に広がっているものに指さした。
「そう、ここへ来た時と同じように触れればいい」
ついに向こうへ行く時が来た。改めて絵の前に立つと心臓の鼓動が速くなる。
息をのみ絵に手を伸ばす。
果たしてこの娘の父親は何を感じ、何を見てどんな思いでこれを描いたのだろうか。それは徹には分からないこと。向こうで何かわかるだろうか。不安である。
絵まであと少しまで伸びかけた手が止まる。妹の笑顔が頭をよぎった。
そうだ、言い忘れたことがあった。
「……行ってきます」
小さく呟き、そして触れた。
次回からいよいよ絵画世界編!