赤の女王
平日の昼間から道端のベンチに座り、私はぼんやりとまわりの景色を眺めていた。ついこの前までは仕事をしている時間帯だったが、昨日づけで会社をクビになったのだった。これからどうすればいいんだろう。不安にかられ、沈みきった気持ちでいっぱいだった。ベンチに座ってしばらく経った時、騒々しい女性の声が聞こえてきた。
「今日中にやっておいてね。できなかったらクビだからね!」
そういうと真っ赤な服を着た女は、携帯をきった。
私はふと、我が物ぶりなその態度が、まるで傲慢な女王様だなと思った。そこから連想して、学生時代に学んだ「赤の女王仮説」を思い出していた。あいにく、肝心の内容までは思い出せなかったが、その後の試験で出されて往生した苦々しい記憶がある。私は大学の講義に熱心な方ではなかった。
「ごめん。会議が長引いてしまって……」
そこに男が、あたふたしながらやってきた。冴えない感じのいかにも押しに弱そうな男だった。
「ほんとに、遅いわね。クズ」
二人の雰囲気は嫌悪なものだった。私の存在は、どうやら気が付いていないらしい。
案の定、二人が喧嘩を始めた。聞こえてくる限り、どうも彼女にも落ち度があるようだ。
よく出来た男だと思った。なぜ、あのような女性を好きになったのだろう。男女の恋愛とは常に謎に満ちている。
「あの女は、誰よ!」
「違うんだ。誤解なんだ。聞いてくれ!」
赤の女王は、彼の髪をつかんでヒステリックに何か叫んでいた。修羅場とかしている。修羅場であるが、他人事である。むしろ、見ていて面白ささえ感じた。マズい。彼女と目があった。
「さっきからあの人、こっち見てない?」
男が、ああ本当だねという顔をした。
「こっち見てんじゃないわよ!!」
赤の女王が、プリプリ怒りながらこちらに向かってきた。私は大慌てで、走り出した。走っていると、当時の講義の様子が頭をよぎった。生物がその場に留まるには、常に走り続けなければならない。確か、そんな話だった。