prologue
「間に・・・あった・・・」
デパートの従業員入り口で、息も絶え絶えに受付に向かうと警備員に怪訝な顔で見られた。悪かったな遅刻ギリギリで。そう思いながら名前を書いていると、聞き覚えのある声がした。と同時に肩を叩かれて、振り返ると、思った通り彼女だった。
「お久しぶりです、みぎさん!」
一月中旬。正月も終わり、テレビでは今年成人を迎えるアイドルが晴れ着姿でインタビューに答えている。
こたつとみかん、膝のうえには猫。俺はこれ以上冬休みの過ごし方を知らないし、これ以上の幸せがあるとは思えない。ああ日本に生まれてよかった。
まったりとした空気の中、唐突に兄が喋り出した。
「佑樹もスーツじゃなくて振袖着ればよかったのに。」
いきなり喋ったと思えばそれか。げんなりと見やると、兄はきらきらした目でこちらを見上げていた。
「絶対似合うと思うんだよね、スタイルいいんだし。」
「いやだ。」
「なんでよー、せめて袴着てほしかったなあ。」
「それもいやだ。」
実際、袴を着てくるのはいいとこの坊ちゃんか派手な奴らぐらいだ。だいたいの男はスーツ。黒、グレー、紺といった色が溢れかえる成人式で、あいつはよく目立っていた。色は周りと同じ黒なのに、悔しいくらい目を惹きつけられたのを一年経った今でもよく覚えている。紋付袴が似合っていると、そう認めざるを得なかった。
「袴が似合う男こそ真の男というもの!佑樹!お主それでも男か!」
「そんなに言うなら晴樹が着ればよかったじゃん。」
「俺はね、ゆりがスーツがいいって言ったからスーツにしたの。女の子にリクエストされちゃ応えてあげるしかないでしょ。」
ゆりさんは晴樹の彼女だ。来月のバレンタインデーに入籍することが決まっている。一年前から二人は同棲しているが、この連休はお互い実家に帰って過ごすと決めたらしい。
「はいはい、そうですか。」
「お前もなあ、彼女の一人か二人作ってキャンパスライフエンジョイしなきゃもったいないぞ?」
「俺はそういうのいいから。別に一人でも十分楽しいよ。」
「これだから今時の若者は!」
「三つしか違わない晴樹に言われたくない。」
「あーあ、そんなツンツンしちゃって。中学の頃は可愛くてモテモテだったんだろ佑樹。チョコいっぱいもらってきてたもんな?」
「可愛くもないしモテたこともないよ。チョコだって全部義理だし。」
「義理?あれが?ハート形の手づくりチョコがか?」
「あれはっ・・・いらないって言ったら義理だからとにかく受け取ってって押し付けられただけ。」
「なんだよそれ、絶対ほんめ」「あー!もうなんで晴樹がそんなこと覚えてるの、ずっと前の話なんだから掘り返さないでよ!だいたいあれは・・・あの子が勝手に俺があの子に気があるって噂を信じて」
「なあ佑樹。」
急に晴樹の声のトーンが落ちる。
「・・・何。」
「もうすぐ14時になるけど、お前今日面接じゃないの?10分のバス乗るんじゃなかった?」
「うっわ」
俺がいないと本当にダメなんだからお前は、とつぶやく晴樹の顔を睨んでから、俺はコートとバックを掴んで玄関を飛び出し走り出した。
「お久しぶりです・・・みぎさんってやめてくださいって、何度も言ってるじゃないですか・・・」
結局バスには間に合わず、一本遅いバスに乗って停留所からダッシュしてどうにか時間には間に合った。まだ心臓がばくばくいってるけど、でも、予定通りのバスに乗ってたらたぶん彼女に会えなかった。
「いいじゃないですか、みんなみぎさんって呼んでるし、わかりやすいし!」
にっこり笑う宮舘さんに、俺は苦笑いで返した。正確には、久しぶりに会えて、嬉しくて、うまく言葉が出てこなかった。
「面接ですか?」
用紙の入店理由欄に短期アルバイト面接、と書き込み、事務室の脇を宮舘さんと歩く。
「そうです、今年もまた受けてみようかと。」
「みぎさん入ってくれると助かります!みんなも喜びますよ!」
「いや、まだこれから面接なんで、採用決定したわけじゃ・・・」
「何言ってるんですか、みぎさんが落ちるはずないですよ。」
話しながら階段を昇る。宮舘さんは二階で立ち止まった。
「じゃあ私、ロッカー二階なので。またよろしくお願いしますね!」
「はい、それじゃ。」
彼女を見送って、俺は三階の面接会場に向かった。