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さらに色々されました……。




 組体操って、いわゆる『マスゲーム』の一種だと言われているそうです。

 マスゲームというのは何かと言うと、たくさんの人たちが集まって体操やダンスを一斉に行う遊戯の事です。つまり本来は、他の人たちに集団演技を『魅せる』事を目的として行われるものなんだそうです。戦前からあった競技で、当時は集団行動の訓練を目的としていたらしいって先生が言っていました。

 だからこそ、そこで重視されるのは、参加する人たちがどれだけ互いを信頼し、相手を思い遣り、そして協力する事ができるかなんです。誰か一人でも自己中な人がいると、組体操は成功しません。

 そう、かつての私みたいに。


 心を入れ換えた私は、今まで以上に頑張りました。

 頂上が落ちたら大惨事だし、頂上が格好悪ければ全体が微妙になってしまいます。自分の肩に乗った任の重大さを、本気になって初めて悟りました。いいんです、今からちゃんとやればいいんだから。

 下で私を支えてくれる子たちのためにも、もっと安定して立ち上がれるようになって、きつい練習を減らせるように。バランスボールとか平均台とか色んな手段を使って、私は平衡感覚を鍛えました。水曜日、木曜日と過ぎていくうちに、タワーの頂上に立つ事はそんなに大変ではなくなってきました。

 今では、

「最近のアオイ、すごく支えやすくなったよ!」

「ぐらぐらしないでくれるから、痛くなくて楽でいいわぁ」

 なんて言われるくらいです。

 頂上で隼人くんと手を繋ぐ時は、極力無心を心掛けました。寂しい気持ちもあるけれど、今は組体操の完成が優先です。



 そうして、体育祭前日の木曜日の練習も無事に終了しました。

 よし、と先生は微笑みます。

「女子はずいぶん良くなったな。これだけきちんと立つ事ができれば、当日も問題なく立てられるだろう」

「やったーっ!」

 女子軍団、大歓声です。何人もの子たちがハイタッチを求めてきて、私も喜んで返します。

 次いで沙月ちゃんが勢いよく私の背中を叩きました。「アオイの頂上、すっごくいい感じだよ! 明日もこの感じで頑張ろう!」

「うんっ」

 首が痛くなるくらい頷いて、私は笑いました。足手まといにならないで済みそうだと思うと、何だかとっても心が休まりました。ああ、爽やかってこういう感覚なんだなぁ……!

「明日も頑張るぞー!」

「おお────っ!」

 勝どきを上げる私たちの姿を、男子軍団も笑顔で眺めていました。男子のタワーは三日前には完成形に辿り着いていたので、安心なのです。


 早く明日、来ないかな。




「疲れたー……」


 夕方。通りかかった橋の欄干に両の腕を投げ出して、私は夕陽で身体を温めていました。

 ずっと気張ったままでいると、やっぱり疲れちゃいます。家に帰ってストレッチしたいけど、その家はまだまだ遠い……。まだもう少し、ここでぐだぐだしていたい気分です。

 ああ、少しずつだけど緊張してきました。私の身体、色んな意味でばきばきです……。



 そんな私の肩に。

 とんとん、と誰かが触れました。

「?」

 振り返った私はぎょっとして、次にびっくりしました。誰って、隼人くんです! 隼人くんだったんです! 声が裏返っちゃいます!

「どっ、どうしてここに!?」

「ここ俺の通学路だし」

 不思議そうに答えた隼人くんは、顔を真っ赤にしている私の隣にやって来ました。

 やだ、急にそんな所に立たないでよ……。せっかく平常心を保とうって頑張ってたのに、そんな近くに寄られたら……。ドキドキは頑張って圧し殺して、私はなんとか真顔を作りました。なんか、懐かしい感覚がします。

「疲れてそうだな、三笠」

 悶々とする私に、隼人くんは無邪気に笑いかけました。

「ここ最近ずっと、人が変わったみたいに練習に励んでたもんな。俺、どうしちゃったのかと思ったよ」

「だって、それは」

 隼人くんが励んでるから。

 そう言おうとしたのに、隼人くんが先に口を開いてしまいます。

「てっぺんに立って手を伸ばしてくる三笠、かっこ良かったよ。それと、……楽しそう」


 ぼっ。

 顔から火が出ました。


 だって、だって……!憧れの人に誉められたんですよ!?

 自分でもかなり納得のいくレベルにはなったと思っていたけど、隼人くんに言われるとやっぱりうれしいなぁ……!頬が弛んじゃいます、ああっといけない!悟られないように、悟られないように……。

 答える代わりに私は長めの息を吐き出して、隼人くんの横顔を見ました。オレンジ色の澄んだ目は、どこかずっと遠くを見ているみたいに見えます。


「三笠は────」


 隼人くんは、小さな声で聞きました。

「三笠は、どんな理由で組体操を頑張ってるんだ?」


 どきりとしました。

 ドキドキしたんじゃありません。どきっとしたんです。まるでその問いは、隠しているはずの私の秘密を暴こうとしているみたいで。

 隼人くんの部屋に入って、その真剣さに感銘を受けて頑張るって決めた。そう答えたらいいんでしょうか。ああ、ダメだ。私が勝手に部屋に侵入したのがバレちゃうよ。ふるふる首を振って、私は他の可能性を考えてみます。

 ……ダメです。どれだけ遠回しな言い方をしたとしても、私が隼人くんに片想いしてるからって理由に帰着してしまいます……。

「ハヤトくんは?」

 代わりに尋ねると、隼人くんは自分を指差して首を傾げました。うん、そう。隼人くん。

「口にするのは恥ずかしいんだよな」

 照れ笑いを浮かべた隼人くんは、私から顔を背けます。


「──『大切な人』に、俺が頂上にいる姿を見せてあげたいって思ってさ」





 その一言で、十分でした。


 そっか、と私も負けじと笑いました。いえ、笑顔を作りました。

「だから、頑張れるんだね」

「うん」

 ぽりぽりと髪を掻いた隼人くんは、西陽に照らされて眩しく輝いていました。隼人くんから見た私はどうだったんだろう。……そんなの、分かりません。

「普段は心配ばっかりかけてるから、こういう時くらいは俺がいいトコロ見せたくてさ。カッコつけたかったんだ」


 さっき、『大切な人』って言いました。

 間違いないですよね。隼人くんにはきっと、意中の人がいるんです。

 その人に──ううん、その子にアピールをしたくて、だから隼人くんは頂上に立候補したんです。そう考えたら、隼人くんの頑張りの理由がはっきりします。

 なんだ、理由は私と一緒だったのか。一瞬そう思ったけど、よく考えれば全然別物です。隼人くんは組体操を完璧に魅せなきゃいけない。でも私の願いはただ、隼人くんと同じ舞台に立ちたいだけ。元から目的(レベル)が違ったんです。

 なんか、恥ずかしいや……。叶うはずのない片想いに、私はこれまでずっと心身を投じていたんだな……。大切な人が誰なのか私には分からないけど、その人が心底羨ましいです。私と、代わってほしいです。


 ええい、しっかりしろ私。

 オトナになりなさい。

 どんな事情があろうと、私は組体操を全力でやり遂げるって決めたんだから。今さらここで失恋したって、そんなの明日の働きには関係しないじゃん。

 だから……今は黙って、こう言うしかないんだ。


「その人に伝わるといいね、ハヤトくんの頑張り」


 私はそう言いました。

 隼人くんは目を丸くして、それから少し細めました。その口が、小さく開いて閉じてを繰り返します。

「優しいな、三笠は」

 偽りだけどね、その優しさは。そうバラしてしまいたかったけど、ぐっと我慢してお腹に溜め込みます。代わりの一言は、すぐに出てきました。

「私にも、協力させてほしいな。一緒に頂上に立って、最高の組体操を見せてあげようよ」

「ああ。組体操、何がなんでも成功させような」

「One for all,All for oneだよ」

 この前授業で習ったばかりの言葉を言うと、あははと隼人くんは笑ってくれました。私の心の奥に、じわりと赤くて温かい何かが広がりました。


 そう。

 一人はみんなのために、みんなは一人のために。

 それが組体操で、一番大切な事。

 私は私なりに精一杯頑張るしかないんです。隼人くんの事は、きれいさっぱり忘れて……。




「………………」



 どのくらい、そのまま黙ってそこに立っていたのか、よく覚えてません。

ふっと気づいたら、私の胸の前に二本の腕が──!

「!?」

 なになになに!? 誰の手、これ!?

 慌てて振り返った私は、隼人くんがすっと手を引っ込めるのを目にしました。元気出たか、と彼は明るく笑って言います。

「ごめん、疲れてるかなって思って。充電的な?」

「じゅう……」

「もう遅いし、帰ろうぜ。明日は体力使うだろうしさ」

 ああ、待ってよ。そんなにさっさと歩き出さないでよ。

 顧みる事もなくすたすたと歩く隼人くんの後ろを、私は追い掛けようと慌てて歩き出しました。心の整理はまだついていなかったけれど、そんな事より今は歩くことに専念したかったんです。


 だって、おかしいじゃないですか。

 想い人がいるはずの隼人くんが、充電とか言って私を後ろからぎゅってしてくれるだなんて……。






 その夜は、眠れませんでした。

 布団には潜っていたけれど、悶える気持ちを押さえ付ける事なんてできないです。ずうっと布団の中でゴソゴソ動きながら、私は同じ悩みの間をぐるぐる回っていました。


 結局のところ、隼人くんは誰が好きなんだろう。

 少なくとも私じゃない、それどころかクラスメートじゃない。だって、隼人くんが『魅せる』相手が仲間の中にいたらおかしいもん。

 だとしたら、今までの隼人くんの行動は何だったの? 壁ドンとか頭なでなでとか、手を引っ張られたりデートに誘われたり……。それがぜんぶ私の早とちりな誤解だったとしても、今日の後ろからぎゅってするのは説明がつかないよ。

 ねぇ、なぜ? どうして? どうして君はそこまでして、私の心を惑わすの? それだけならまだしも、どうして好きな人がいる事を私に話しちゃうの……?


 もう、私には、何も分かりません……。


 はぁ……。

 哀しいくらい荒くなる息を、私はそっと肺の外に逃がして捨てました。捨てたそばから、気持ちの悪い空気が肺から上がってきました。

 もう泣きそうです。どうにかしてよ、隼人くん。こんなにぐちゃぐちゃに絡まっちゃった私の気持ちを、責任持って元通りにしてよ。

 そしたら私ももう、潔く諦めるから。隼人くんの彼女になる夢なんて諦めて、隼人くんの好きな子との関係を作るのにも協力するから。ああ、だから隼人くん、今すぐここへ来てよ。

 私のこの想いを、忘れさせてよ……。






 そんな事を幾らか想っているうちに、

 気がつけば空は白み始めていました。








「やばい……」


 通学路を辿りながら、私は密かに危機感を抱いていました。

 やばいんです、眠いんです。全然眠れなかったせいで、眠気がまだ四肢に満ちてるんです。その証拠に、今の歩き方も心許ない感じになっちゃってます。

 もしも組体操の途中で眠くなってしまったら一大事です! しかもそれが『タワーブリッジ』の最中だとしたら……!

 とにかくどうにかして、学校に着かなきゃ。必死に歩くうち、向こうの道から沙月ちゃんが姿を現しました。

「あ、おっはよー!」

「おはよう……」

「あれ、もしかして元気ない感じ?」

 バレバレでした。うん、と私は正直に首を垂れます。「昨日の夜、あんまり眠れなくって……」

「いつ寝たの?」

「十時半には布団に入ってた」

「その時間に寝て寝不足って……。なにか悩みでもあったの?あ、さては成田関係か」

「……うん」

「…………」

 ああ、沙月ちゃん呆れてます、超呆れてます。当たり前ですけど……。

「……とりあえず、学校行こう。本番で眠気とか、本気でやばいから」

 少し間を空けて、絞るようにそんな声を出した沙月ちゃんは、項垂れる私の背中をそっと押しました。





 結果から言うと、眠気はどうにかなりました。体育祭のムードが学校中で盛り上がっていて、朝からクラスがずっと騒がしかったからです。

 眠るに眠れずにいるうちに、いつの間にか睡魔さんはどこかへ消えていきました。開会式が終わる頃には、もうすっかり。


 次から次へと過ぎ行く演目を、私たちはそれなりに楽しみました。

 あっ、私ももちろん出場してるんですよ?徒競走は六人中五着、綱引きは大して貢献もできずに敗北、借り物競争は英語のお題が読めなくて友達に聞きに行ってる間に大差つけられちゃいましたけど……。違います、これは眠気のせいじゃないんです!

 ……その代わりと言ってはなんですけど、時おり隼人くんの顔がチラッと見えるたび、思わず立ち止まって俯いてしまうんです。

「アオイったら、成田のこといちいち気にしすぎー」

 ついに周りの友達にたしなめられてしまいました。

 私が隼人くんに片想いしてる事は、沙月ちゃんたちがうっかり言いふらしたせいでクラスメートの大半が知ってます。言うまでもなく、当の隼人くん以外。


 はぁ……。




 来ちゃいました。

 組体操の時間が。




《それでは続いて、中学二年生全員による組体操『ネクサス』です!》

 中学三年の放送委員さんの声に合わせて、私たちはグラウンドの中央に向かって行進します。

 大丈夫、大丈夫。あれだけ練習したんだから。あれだけ自分を高める努力をしたんだから。練習は本番のように、本番は練習のように、だよ。

 ……必死にそう言い聞かせていたら、いつしか声になっちゃってたみたいです。周りがクスクス笑ってます。

 最初の演目で一緒になる子と向かい合わせに立ち、スタンバイは終わりました。やるよ、と前の子が口パクで言いました。

「うん」

 頷いた私の頭上で、音楽(ファンファーレ)が鳴り響きました。


 びっくりです。すいすいこなせます。

 二、三人の小技から七人くらいの中規模の技、全員でやる波動(ウェーブ)。私たち、息ピッタリです。今朝の眠気は何だったのかっていうくらい、私の身体も動くんです!

 あれだけ必死に練習して、全ての動きが音楽と馴染むように極めたんです。ただ、結果が出ただけの話。でもこれなら、眠気があってもいける!

 直感でそう思いました。大丈夫、大丈夫だから。自分とみんなと、それから隼人くんを信じるの。

 夢中で演じていると案外あっという間に組体操は過ぎていって、いよいよラストの『タワーブリッジ』の時間がやって来ました。


 音楽が鳴り止み、先生が台の上に立ちました。空気が割れるような号令に、 おーっ! とあちこちから声が上がります。

 ここも練習と同じ。いつも通り、いつも通り。まだ私は語りかけながら、素早く二段目まで組まれたタワーの基礎に足をかけます。慣れた動作でスムーズに登りきると、ほとんど目と鼻の先で男子のタワーが準備を終えていました。

 ここが『タワーブリッジ』の最大の難点なんです。かなりの近さでタワーが立たなければ、頂上で二人が手を繋ぐことは叶いません。けれどその前に片方が崩れれば、もう片方の倒壊も免れられない。二つのタワーがしっかり立って初めて、この技は完成するんです。

 ああ、頂上に隼人くんがいます。昨日あんなに輝いていたあの瞳が、真っ直ぐに私を見ています……。


「両タワー、上昇(ジャッキアップ)始め!」

 先生の掛け声に合わせて、タワーの立ち上がりが始まりました。

 私は腕と足でバランスを取りながら、必死に隼人くんを見続けました。このタワーが立ち上がってしまえば、あとは隼人くんと手を繋いで、そしてこの演技を見てる誰かに向かって精一杯のアピールをするだけ! たったそれだけなんです!

 逸る気持ちで左胸がぎこちなく震動してます。私はそっとそこに手を当てて、残る右手を隼人くんに伸ばしました。

 タワーが無事に立ちました。隼人くんが向こうから、手を伸ばそうとしています。





 ああ。

 あの手を、握ってしまえば。


 その時点で、

 私の恋は終わりです。





──嫌だ!


 心の中で、もう一人の私が叫びました。

──こんな終わり方、したくない! 私の気持ちは隠したまま、隼人くんと別の誰かのためにパフォーマンスするなんて嫌だ! どうせ振られるならこの想い、隼人くんにぶつけて砕いてしまってから終わりたいよ……!




 その想いを奥歯で噛み潰した私は、

 隼人くんに伸ばした手を強く突き出しました。

 まだ、まだ届かない。

 隼人くんが遠い。


 そしてその時、身体がゆらりと傾きました。

 噛み合わなかった手の平が、虚しく空気を掴みました。

「あっ────!」

 もがいた時にはもう、私の身体そのものが斜め後ろへと崩れ始めていました。ああ、私、最後の最後でバランスを失っちゃったんだ……。

 私を見つめる隼人くんの目が、信じられない、って言ってます。あとは何が何だか分からなくなって、誰のものかも分からない手や足や身体が私の上に重なって、頭の後ろに痛みが走って。


「痛ったぁっ……」


 うめき声が聞こえます。

 横になった視界に、あちこちを押さえたり摩ったりしながら起き上がるクラスの女の子たちが映りました。

 私が招いてしまった事態は、すぐに頭の中に入ってきて私を責め始めました。女子のタワーが崩壊したんです。

 やだ、起き上がれない……。地面に突いてしまった右手が痛くて、動けない……。

「女子、大丈夫か!?」

 駆け寄ってきた先生が怒鳴ってます。「男子も一旦、タワーを下ろすんだ!」

 男子のタワーはすぐに降下して、頂上の隼人くんが飛び降りてきました。私たちを振り返る男子たちの目線が、全て私に集中しています。ああ神様、どうか私を起き上がらせてください。みんなに弁解させてください……。

 それでも、右手の痛みは消えなくて。


 その時。

 私の背中と腰に、腕が差し入れられました。


「…………!!」

 見上げれば、そこに隼人くんの顔がありました。そのまま私はぐいっと身体を持ち上げられて、隼人くんの腕にもたれたみたいになります。足は地についているけれど、お姫様抱っこです。

「大丈夫?」

 隼人くんはただ、その一言だけを言いました。そして、どこまでも優しくて酷いその目付きで、私を見てくるんです。


 あと一週間早く、してくれたなら。

 そしたら私も、素直に喜べたのに。


「……ありがとう。大丈夫」

 独り言を垂れるみたいに呟いた私は、隼人くんの腕を押し退けるようにして頑張って立ち上がりました。お姫さま抱っこは、私の方からキャンセルです。

 幸いにも痛いのは右手だけで、他は大丈夫みたい。自立するのに支障はありません。ちょっと驚いたようにする隼人くんが、視界をすっと横切りました。隼人くんに期待を打ち砕かれた時の私も、あんな顔をしていたのかな。

「無理するな、三笠」

 先生が尋ねましたが、私は首を振りました。安堵らしいため息が、私の周りに一斉に広がりました。それだけの人数の仲間に、私は心配かけたんだな……。改めて、そう思いました。

「組み直そう!」

 一段目の子たちが早くも動いています。男子も組め、と先生が叫びます。二段目が組まれ、私が登り、二つのタワーは同時に高みに立ちました。とうの昔に完成されていた他所のクラスの『タワーブリッジ』たちが、私たちに早くしろと急かしてるみたいです。

 今度は私の手、隼人くんに届きました。しっかりと結んだその手を、私は最高の作り笑顔と一緒に送り出しました。


 右手の感覚は、もうほとんどありませんでした。









 これで、いいんです。

 よかったんです。

 きっと。






「う…………っ」


 体育祭が終わって、みんなが教室に帰っている頃。

 私は独り、体育館の裏手に座って泣いていました。


 私の恋が実らなかったからじゃ、ないんです。

  隼人くんの姿を魅せるために、協力する。私、あの時そう言って約束したのに。私のせいでタワーは崩れて、隼人くんにやり直させちゃったんです。

足手まといになりたくなかった私が、結果的に一番の足手まといになっちゃったんです……。しかも私、お姫様抱っこまでされちゃって……。

 あんな姿を見せられて、隼人くんの好きな子はどう思うんだろう。そんなの分かりきってます。私はただ、自分のするべき事だけを完璧にしなきゃいけなかったのに……。

 自己嫌悪で、死にたいです。


 と、沙月ちゃんの声が聞こえてきました。

「……どこ行ったんだろうね、マジで。みんな待ってるのに」

「見当とかはつかないのか?」

 あ、隼人くんの声も聞こえます。

「んー、あたし何となく、こっちの方からアオイの匂いがするような気がするんだよね」

 私は慌てて草むらに身を隠しました。嫌です、こんな汚い泣き顔を見られるなんて。っていうか沙月ちゃん、意味分かんない方法で探さないでよ……。

 努力も虚しく、体育座りで縮こまる私の前に二人の姿が現れちゃいました。


「……泣いてんの?」

 沙月ちゃんが聞きます。

 見れば分かるじゃん……。けど、泣いてる理由はどうか聞かないでください。

 返事もしないですすり泣く私を前にして、二人は困ったように顔を見合わせてます。隼人くんが言いました。

「石橋、先に教室に戻ってていいよ。手を痛めたから保健室に寄ってる、とか何とか適当に誤魔化しちゃってくれればいいから」

「分かった」

 ああ待ってよ、沙月ちゃん。行かないで。私と隼人くんの二人っきりにしないでよ……。

 隼人くんも隼人くんだよ。なんでそんなに優しい顔をするの。なんでそんなに、ぴったりくっついて座るのよ……。


 私、

 隼人くんの役にも立てないし、

 隼人くんに気持ちを伝えることもできないのに。




「ぐす……っ……」

 ちっとも止まらない涙を、私は体育着で拭っていました。

 そこに、すっとタオルが出てきました。

「これ、使って」

 隼人くんでした。

「なんで……」

 かすれた声で私が訊くと、隼人くんは少し、顔を赤くします。

「その、三笠がそうやって顔を拭うたびに、腹、見えてるから」

 !?

 隼人くんの五倍くらい、私真っ赤になっちゃいました。うそ!?見えた?見られた!?

「それ、使っていいから」

 少しぶっきらぼうな言い方で、隼人くんは言い切りました。私は私で俯いたまま、しばらく顔を上げられませんでした。

 そしたらかえって、さっきよりも涙がこぼれてきました。


 何してるんだろ、私ったら……。



「……ごめんね」

 泣きながら、謝りました。

「私のせいでタワー作り直しになっちゃったし、私のせいでハヤトくんの好きな子に嫌な場面見せちゃったし……。軽蔑していいよ、私のこと……」


 すると隼人くんは、気にすんなよ、って笑うんです。

「結果オーライじゃん。最終的にはちゃんと立ったんだから。それに俺たち、あの『タワーブリッジ』のチームだろ。チームメートに助けが要る時は、俺たちが動く。そんなの当たり前だし」

「そうかも、しれないけど……」

 責めないの? しくじった私のこと、責めないの?

「むしろ俺、やっぱり人選よかったなって思った」

 隼人くんは私の気持ちなんてまるで無視して、語り続けます。

「あんだけの早さで再建できたのは、バランス感覚のいいやつらを二段目にしたお陰だと思うんだ。一段目のやつらは運動部で固めたから、地はしっかりしてたしさ。頑張り屋っぽいなって思って三笠を頂上にしてもらったら、すげえ努力してくれるし。身長体重のを考えてもちょうど良かったもんな」

「……じゃあ、あのメンバーはぜんぶ、ハヤトくんが……」

「俺が先生に頼んでやってもらった。どうしても、俺が頂上をやって完成させたくって」

 そっか……。

 だからあんなに気合い入ってたんだね、隼人くん。何も知らない自分が恥ずかしくなって、私はまたあふれ出した涙をタオルに染み込ませました。

 隼人くんは低く笑って、言葉を続けました。

「まぁ、良かった。喜んでくれたしさ、俺の両親」








 ……涙、止まりました。


「両親?」

「うん。魅せたかったの、俺の両親だよ」

 大切な人って言ったろ、と隼人くんは首をかしげてます。「俺ん家、両親が共働きでなかなか顔も合わせないから。こういう時くらい、カッコつけたくて」

「…………」

 ごめん、隼人くん。私もうそれ知ってる。隼人くんの妹ちゃんに、この前聞いた。

 えっ……、本当なの? もしかしてもしかして、私の勘違いだったの?

私が勝手に『大切な人』を『好きな人』に脳内変換してただけ────!?


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だウソだウソだウソだウソだウソだウソだ────────っ!!

 ショック過ぎます!じゃあ私、ずっと勘違いのために悶々とし続けてたっていうの? 私の恋は終わったなんて悲しくなる必要も、失敗して泣く必要もなかったの!?

 混乱しまくりの私に、隼人くんは声をかけます。「あ、そう言えば三笠、俺に好きな子がどうとかって」

「気のせい!」

「え? でも確かにこの耳で」

「気のせい────ッ!」

 両手で顔を覆いながら、私は絶叫しました。萎縮してしまった隼人くん、すごすごと引き下がります。でも表情は嬉しそうです。

「……何だか知らないけど、元気、出たんだな」

 うん、と心の奥だけで答えてから、ふと湧いた疑問を私は口にします。

「ねえ、ハヤトくん。昨日『充電』って言ってやってきたアレは何?」

「テレビか何かで、温もりが人に元気を与えるって言ってたから」

「…………!」

 もうやだ、この人! そんな程度の気軽さで、私の心をぐちゃぐちゃにしないでください!

 隼人くんを好きじゃなかったら、今すぐこの場で殴り倒しちゃいそうです。



 なんだ。

 私はそっぽを向いて、ちょっとだけ笑いました。

 まだ私にも、チャンスあるんだ。今からでも間に合うんだ。そう思った瞬間、頭上の空がとてつもなく高く、広く見えました。

 受け身だったからいけなかったのかもしれません。どうせ片想いなんだから、私がアクションを起こすしかないんです。ううん、両想いでもそれは同じはず。

 想う気持ちが強すぎて、引かれるかもしれません。空回りしちゃうかもしれません。身分不相応だって撥ね付けられるかもしれません。それでもいいんです。だって今この瞬間、私は隼人くんのことが好きなんだもん!


 見ててよね、隼人くん。

 私がその鈍い心、きっと射落としてみせるんだから。いつまでも君からの行動を待ってるんじゃなくて、今度は私から仕掛けにいってやるんだから。

 壁ドンも頭なでなでも何もかも、折られたフラグは私が立て直す。絶対ぜったい、私に惚れさせてやるんだから!




「ね、教室に戻ろう」


 私は立ち上がって、隼人くんに右手を伸ばしました。つい数時間前、あの二人きりの高みで伸ばしたように。


 すぐにその手の平は、あったかな温度に包まれました。












これにて、本作は完結となります。

活動報告において掲載した超短編(テーマは壁ドンでした)が案外上手く行き、調子に乗って妄想を膨らませて書いたお話だったのですが。まさか総字数三万を突破とは……。妄想とは斯くも凄まじいものなのですね←

テーマソングを設定してはいませんが、片想い系の明るい歌ならばだいたい雰囲気にあってくれていると思います。西野カナとか! 西野カナとか!(殴


とは言え正直、あまり中身のない物語となってしまいました。書き上げた感しか作者にはありません……。


お読みいただきありがとうございました!


2015/5/6

蒼旗悠





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