八話 探索に向けて
朝起きて、まず視界に入ってきたのは僕の真上に巣を張って眠っている巨大な蜘蛛だった。起き抜けに蜘蛛の腹の構造など見せられたために余り良い寝起きとは言えない状況である。
……ちょっとした悪戯を思い付いた。
「――――水に嘆願する、彼の者の巣を氷漬けにし給え」
呪言を吐き出すと共に魔法が発動し巨大蜘蛛の巣が凍り付いた。
その冷たさに蜘蛛が飛び起きる。
「っ!!、!?」
「だから、僕の真上に巣を張るのは止めてくれってあれ程言ったじゃないか」
「? ――――、――――――――」
「……、蜘蛛語じゃ解んないよ」
言葉の意味が解る訳がない。ただ、状況を考えるに文句を言っている事に違いはないだろう。
手前にある二本の前脚を挙げて喚く蜘蛛を放って置きながら、僕は机に向かった。
机の上には昨晩広げた羊皮紙がそのままになっている。誰も弄らないのだから当然だろう。
椅子に座り机へ向かう。
引き出しから、何も記されていない羊皮紙を取り出し重要と思われる事を選別して書き写す。
まずは迷宮の大まかな構造だろうか。件の迷宮は洞窟を入口に持ち、内部の装飾はギリシャの神殿に近い雰囲気を持っているらしい。
しかし、雰囲気か。いや、ギリシャの神殿なんて余程の旅行好きでもない限り区別が付かないだろう。精々教科書や雑誌で見た程度か。ならばこの雰囲気の使い方はそこまで間違ったモノでもないだろう。
洞窟を抜けた後に待ち構える神殿迷宮は広大であり、洞窟を抜け出た先から巨大な階段を形成し一段毎に詳細不明の建造物が在るそうだ。形状は塔や柱を彷彿とさせるモノであるらしい。何か宗教的なモノなのだろうか。もしや魔物の巣か。これは調査対象に入れる必要がある。
十段目を下るまでこの建造物は乱立し、それ以降はまた別の形状の建造物が在るらしい。そして、十段目以降に差し掛かった時に魔物と遭遇する。それはゲーム内では見た事のない魔物であり、二足歩行を行うデミヒューマンタイプだったそうだ。子供と同程度の背丈を持ち、そのサイズに不釣り合いと言える程筋肉質な肉体を持つ。主な兵装は棍棒と意志を用いた投石。筋力こそ中々のモノであるが、知能が低いのか油断しなければ負ける事はない。そう資料には書かれている。
魔法を行使すれば何とかなる、と考えるのは余りにも簡単すぎる。現状においてこの街と関わりを持つ魔法使いは僕だけであり、魔法関連の事についてこの周辺は未知数なのだ。魔物、或いは迷宮自体が魔法の効かない場所である可能性もあり、ならば武装もしっかりしたモノが必要となるかもしれない。資料を見る限りだとステータスウィンドウを開く事は問題ないようだ。少なくとも十段目までは。
一先ず、用意すべきは武装、食料、人員といった所だろうか。
武装については自前のモノがあるので問題ないだろう。
食料についても、備蓄はある。飲み水に至っては魔法を行使する事で解決する。例え迷宮に魔法の使えない領域が有ろうとも、迷宮の外へ出て使用すれば何ら問題はないだろう。
人員について。これは魔法を使えない時の対策だ。魔法を使えない状況において、僕の価値は激減する。僕から魔法を失くせば、後に残るのは小生意気なクソガキだけだ。その様な事態に陥った時、僕一人では何をどうしようと助からない。故に戦闘を熟せるチームを雇うのが定石と言える。トーマスさんの様にコネが有る訳でもない為、どのレベルの人員が集められるかは定かではないが、条件として少なくとも純粋な戦闘能力で僕を軽く一蹴できる程度の腕は欲しい。
それを見極めるにも時間が掛かるだろう。なら焦らずにしっかりと準備を整えるべきだろう。そうなると、今日から準備を初めたとして数日は掛かる筈だ。一週間は掛からないだろうが、それでも結構な時間だ。
さて、そうと決まったなら報酬についても考えなくてはならない。幸いにして食料の支給はばっちりと言える。穀物と肉に関しては有り余るほど手に入れてある為、三食を保証すると募集要項に書こうか。おまけに水も飲み放題浴び放題だ。
その他、やる事と言えば連携の訓練だろうか。魔法を禁止された時に、僕が足手纏いにならないように、また有効に活用出来る様にするためにも能力の周知化と連携訓練は大切だ。
……今の所、こんなモノだろうか。
「さて、そうと決まれば勧誘だ。場所はどこがいいだろう? 中央広場? それとも西区まで足を運ぼうか?」
そんな事を呟きながら、僕は身支度を整えて屋敷を出るのだった。
◇
考えた結果、僕は中央広場にて勧誘を行う事にした。
理由は、中央広場が情報の集積場と化している事に有る。生産者達、商人達、戦士達が一同に顔を突き合わせる中央広場は、情報のやり取りをするのに御誂え向きだ。そして中央広場から各地区へ繋がる通りの入口は、それを見越したために商人たちが競って物件を買い取り酒場や喫茶店を経営し出している有様だ。
外から帰還する者以外、街の中に居る人間にとって一番賑わう場所は中央広場である。広場では大道芸で小金を稼ぐ男や屋台を出して芸を見に来たものに食べ物を売りつけようと考える者でごった返し、街の住人もそれを気に入っているのか、中央広場に人が居ない日はない。
「この街のお蔭で引き籠りが治ったの!!」
と発言したのは誰だったか。基本的に嫌な人間も少なく、文明社会の弊害に疲れ果てた人にもそれなりに居心地の良い空間となっている様だ。
そして現在、僕は酒場に居る。昼間から空いている酒場というのはどうなのだろうと初めは思ったが、探索者に朝も夜もない。命懸けの冒険から帰還した時に酒も飲めない様では悲しすぎるというモノだ。
と、昼の酒場を経営するおっさんが言っていたっけ。
さて、酒場の中は凡そ五割の客数といった感じだ。中央の大テーブルで騒ぐ集団が居れば、カウンター席で静かに安酒を飲む奴もいる。
入った理由は酒場に入った事が無いゆえの好奇心からだったが、成程、こういった雰囲気か。嫌いじゃはないかも知れない。
カウンター席まで移動し座ると、店のマスターが此方へ視線を投げてくる。
「ご注文は?」
「お勧めで」
「じゃあこれで」
そう言うと、マスターは己のアイテムウィンドウを選択し僕にそれを差し出してくる。
差し出されたのは瓶に入った牛乳だった。いや、牛乳かどうかは飲まなければ解らないわけだが、酒場でミルクとはこれ如何に。
「……マスター?」
「ウチは未成年の飲酒を禁止しているんだ。酒が飲みたきゃ余所辺りな」
「……取り締まる奴なんていないのに」
「だからこそってのもある。人間なんてなぁ、モラルを忘れちまえば途端に畜生へと成り下がる生き物なんだぞ? やっていけない事はダメ、やるべき事をやる、人様に迷惑を掛けない。これらをしっかり守らないと真面な大人にはなれないぜ?」
「まるで体験してきた様な言い種だ」
「応とも。二十年くらい前までは俺もダメ人間だったからな。まあ、真面な道に戻れたからこその発言だ、アドバイスは聞いとくもんだぜ?」
悪戯を潜ませた笑みを浮かべるマスターを前に、僕は素直にその忠告を聞く事とした。
マスターの話はとても良く理解出来る。実際に僕も約束を平然と破れる人間に成りたくないからこそ先約を何よりも優先しているのだ。
「忠告どうも。確かに、その通りだと僕も思うよ」
「解って貰えたようで何より」
ニヤ付きながら言うマスターを少し不機嫌に見ながらも、僕は差し出されたミルクの瓶を開け、コップを使わずに口を付ける。ミルクは砂糖が加えられているのか甘く、その味に驚いた僕はマスターが何故ニヤ付いているのかを理解した。
悪戯好きな様だ。
その後、僕が二本目のシュガーミルクをを飲み終わる頃、その女が酒場の入口を開けて入ってきた。
まず目を惹くのは黒いセミロングの髪と鋭い目だ。抜き放たれた刀の様な、そんな鋭く危うげな印象を僕は抱く。装いはレザーアーマー。どの様な加工をしたのか、それとも素材特有の色なのか、彼女の髪と同様に真っ黒だ。そして背中に下げられた、刀身を布で包んだ剣が彼女の武装だろう。刃渡り一メートルを越える、持ち手の形状からバスタードソードか。
バスタードソードの女は酒場を見回し、そして僕の方へ視線を合わせると迷わずに此方へ歩いて来た。
「……何か用?」
「貴方が魔法使いよね?」
「そうだけど、まずは僕の質問に答えろよ」
「失礼。私はリオン、ケントに聞いて貴方を探していたのよ。行くんでしょ? 迷宮に」
この鋭い女は、どうやらケントの知り合いらしい。
「そうだよ。で、君は僕を追って来たのか?」
「違うわ。昨日とても興味深そうに迷宮の地図を持ち帰ったって聞いたから、どこかで呼び込みするだろうと思って探してたの。私自身の足を使って一時間半ぐらいは歩いたかしら、褒めても良いのよ?」
何を言っているのだろうかこの女は。
しかし、一時間以上歩いたとは言え目的である僕を見付けて会話するに至っている現状を見れば、成程、その行動力と根気は評価できるかもしれない。
「はいはい、リオンちゃんは凄いねー」
「ふふっ、まあねっ」
目を瞑り、得意げに眉を曲げながらリオンは言った。……本当に何なのだろうか。
「で、僕は迷宮に行こうと思っている訳だが、それに同行したいと?」
「ええ、その通りよ」
「迷宮に行って何するのさ?」
「財宝目当て、と言っておきましょう。理由なんてそんなモノで十分なはずよ?」
表情を微塵も変えずにリオンは言う。
声音からも、特に嘘を吐いている様には感じられない。そもそも、僕に他人が嘘をついているかどうかなんて解らない。ならば、この女が信用に足る人物かどうかはその実力と契約によって判断しなければならない。
「実力を証明できる物は有る?」
「それこそ、これよ」
そう言ってリオンは背中のバスタードソードを握りその布を外した。
刀身がその姿を晒す。鋭利な両刃の刃金と、そして何よりも刀身で青く明滅を繰り返す紋章群が僕の眼を惹いた。一見して解る通り、それは魔法を帯びた代物であった。
「剣の魔道具っ」
「そう。過去に私は迷宮の探索隊に参加し、踏破とまでは行かずともこれを獲得して帰ってきた。それは実績と呼べるのじゃないかしら?」
「……その時のメンバーは?」
「現在は南に探索遠征中よ。元々固定パーティって訳でも無かったし、……もしかして、私の実力を疑っているのかしら?」
リオンは不機嫌そうな表情で当然の事を言う。整った見た目に反して子供っぽい性格の様だ。
「不明瞭である事は確かでしょ? だから、手合せしない? 少なくとも近接戦で僕より動ける事が最低条件だから」
「あら、負けて機嫌を損ねたりしないかしら?」
「あ、そういう事言っちゃう? いいよ、解った、マスター!!」
「ウチでは酒は出さんよ?」
「それはもう良いよ。証人になって欲しいんだ。僕がこの女に負けた際、下らない見栄で契約を反故にする事が有れば街中に『魔法使いは嘘吐きだ』って話を流布して欲しい」
言いながら、アイテムウィンドウから硬貨の詰まった掌に収まる小さな袋を差し出す。
効果の安定供給が無い今、その価値はゲームの時よりも高騰している。店を営んでいる以上、その価値が解らないなんて事は無い筈だ。
「フン、まあ受けてやろうじゃないか。で、どこでやるんだ?」
「噴水広場で。あそこなら大多数の眼があるし、酒場には話も自然に流れ込むでしょ?」
「成程な。ま、精々がんばれよ」
「うん」
軽く労いの言葉を掛けるマスターに短く返答し席を立つ。
そしてリオンの方へ振り返る。
「じゃ、行こうか?」
「その前に、私、喉か湧いてるのだけど」
「…………」
出鼻を挫かれるとはこの事だろう。
僕はリオンがシュガーミルクを二瓶飲むまで待つ事になった。
◇
噴水広場の一角にて。
僕とリオンはそれぞれ訓練用の得物を持って対峙していた。
疎らながら見物人付きであるためか、リオンの額には薄らと緊張によるものと思われる汗が滲んでいる。
「準備は良い?」
「え、あ、ええ、勿論よ?」
「……緊張してるの?」
「ま、まさか。私が緊張している訳ないじゃない!?」
「だって、訓練用とは言え剣の刀身を握るのってどうよ?」
「あ」
やはり緊張していたようだ。
顔を真っ赤にしながら剣の柄を持つリオンの貌はリンゴの様に真っ赤である。いや、この世界のリンゴは蒼かったか。
「……良いわよ」
「そう。じゃ、行くよ?」
宣言し、踏み込む。
槍杖の矛先をリオンの胸目掛けて繰り出す。が、それはリオンに軽々と受け流された。バスタードソードという細腕で振るうには余りにも大きすぎる剣を、慣れた手つきで、小回りを利かせた取り回しで僕の攻撃を流す辺り、技能は恐らく僕よりも上だろう。
槍杖を引き、繰り出し、流されまた引いて繰り出すという工程を十回程度続けただろうか。リオンが動く。
「ふっ!!」
バスタードソードの柄を片手で掴み、僕の繰り出した槍杖を絡め取った後、リオンは僕に殴り掛かってきた。
手首を保護するための物であろう、厚い革製のグローブに包まれた拳が体勢を崩した僕の顔面目掛けて迫る。
近接戦をある程度熟せるとは言え、それは本来の戦い方ではなく、また対人戦を行うには余りにも拙いモノである。そう、僕は技術不足だ。だから僕は、眼前に迫るこの拳を防ぐ方法を持っていない訳で。……詰まる所。
「ゴフッ!?」
リオンの拳が僕の顔面にクリーンヒットした。
鈍い音共に僕は後方へと転がる。強烈な一撃により感覚があやふやになり、立ち上がろうにも上手く力が入らない。
視界の端で、リオンのバスタードソードが石畳に転がる様子を見た。リオンはダメージなんか喰らっていない。だとしたら、何故己の得物を手放すのだろうか。答えは此方へ猛スピードで駆け寄るリオンが解答そのままだった。詰り、ふら付いている僕に迅速な止めを届ける為に己を軽量化したのだ。
ああ、不味い。さっきの一撃は凄く痛かった。それがもう一度来る。
そう考えた途端、先程までだらしなく弛緩していた身体に力が籠る。それを活用し即座に立ち上がると迎撃の為に槍杖の矛先を繰り出した。
しかしその一撃は身軽になったリオンに回避され、リオンは僕の懐に入っている。
僕は、リオンの拳が僕の腹に突き立てられる瞬間を見た。激痛と衝撃により身体がくの字に曲がる。しかしリオンの攻撃はそれで終わらなかった。終わってくれなかった。
リオンは僕の胸倉と腕を掴むとその場で回転する。そして僕の視界も回転した。
これが何のか、僕は体験を通して知っている。
『魔法使いの癖に格闘とか投げ技とか使うなよ!!』
『何言ってやがる? 要は勝ちゃ良いのさ!!』
大分前の記憶だ。魔法使いの知り合いと競い合っていた時に、奴は徐に僕へ近付きそれを放った。現状はその焼き回しに近い。その類似性は走馬灯の如く鮮やかに蘇った記憶が証明していた。
一本背負い。
リオンはどうやら柔道を嗜んでいる様だ。
そんな事を考えていた僕は、背中全体に到来した痛みにより暫く動けなくなるのだった。
◇
「大丈夫?」
「やった本人が言う事かよ?」
「御免なさいね。でも、これで実力は示せたでしょう?」
「……確かに」
噴水広場のベンチにて。
武器をしまった僕とリオンは座りながら契約を詰めていた。まだ背中が痛い。
「……詰り、リオンの欲しいモノは剣の系統の武器、それとそれなりの金銭って所か」
「ええ。贅沢な要求ではない、と言いたい所だけどこれだけ快適な状況での冒険ならそうも言ってられないかもしれないわね。一家に一台魔法使い、かしら?」
「止めとけよ、僕ならまだしも礫嵐何かが来たら大変だぞ?」
「誰それ」
「友達の魔法使い。風が得意。むしろ風でヒャッハーしてる。圧縮した風で地面を叩き割って、その残骸である石礫を吹き飛ばして攻撃してくる事からこの名前になった」
「……それ、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、基本温厚だし。怒らせると酷いけど」
そんな事を話している間にも契約は進む。
食料の支給をほぼ此方で受け持つため、探索における指揮権は僕が持てる様になった。これで無理な探索に付き合わされるなんて事もないだろう。
「さて、一人目は君で決まりだ。後四人くらい仲間を集めようか」
「六人か。それだけの食料、本当に賄えるの?」
「魔法使いを舐めるな、とだけ言っておく。……そんなに不安ならどれだけあるか出してみようか?」
「自信たっぷりね。ここじゃなんだし、貴方の拠点で見せて頂戴?」
我が家に来たリオンはお出迎えの蜘蛛に悲鳴を上げ、そして僕の出した食料群を見て腰を抜かしていた。いい気味である。