四話 トラブルシューターな魔法使い
遊牧民の皆様との邂逅から三日が経過した。
風邪も治り、現在僕は水の補給及び魔物の討伐を率先して行う事で協同体内での地位を確立していたりする。
中でも水の補給はネラの率いる赤を着る荒野の民以外の部族からも頼まれて出張を行っていて中々に大変だ。
そのお蔭か、今や遊牧民の中で僕の名前を知らない者は殆どいないと言えるぐらいには有名人だ。
そして今日もネラが仲介し別の遊牧民へ水をお届けに参上していた。
ゲルから各々の家庭で使用する水瓶を持ち出し、遊牧民の方々が整列している。
その表情には安堵が有った。
ここ最近、全く雨が降らない為に最悪の場合部族間での闘争が展開される寸前だったとか言うから、その表情にも納得がいく。
しかし、僕を湖代わりにするのは如何なモノかと思うのだ。
いや、人の役に立つ事は嫌いではないし、魔法の練習にもなるから良いのだが、どうにも釈然としないモノがある。
「――――水に嘆願する、彼等の水瓶を満たし給え」
幾度も繰り返したこの工程は、図らずして僕の魔法の腕を高める事となった。
この通り、居並ぶ人々の所持する空の水瓶を十秒と時間を掛けずに満たす事が出来るようになっているのだから、案外これは重労働なのかもしれない。
そして今日の勤めが終わった。
「ライガー、お疲れ」
「ん、ありがと」
僕の名を呼び、労う様にネラが話し掛けてくる。
その手の中にはコップと水の入った瓶が有り、どうやら俺に対するお裾分けの様だ。
コップを受け取り、その中へ水を注いで貰う。
瓶の中の水は、つい先日俺がネラ達へ与えたモノだ。
水は透き通り、魔法の力が残留している為に湧水や雨水よりも雑菌が少ない。
口を付けて少しずつそれを啜る。
面白味もない味の水分が喉を潤していった。
コップを置き、伸びをしながらここ数日を振り返る。
考えるに、僕の暮らしは中々に充実していると言えた。
ネラの率いる部族が客人用のゲルや毛布等を用意してくれている為に夜はぐっすり眠れる。火の魔法を上手く使ってダニ取りノミ取りも楽々である為更に良し。何気に他の人達にも評判が良かったり。
風呂関係は僕が魔法使いである為に魔法で水を出してそれを更に火の魔法で温めればお湯の完成だ。お湯を雨の様に降らせての天然シャワーは中々に乙なモノだ。
宿飯の恩返しの魔法は、相手を潤わせると同時にこちらの腕も磨ける為相互に得をする。
そしてその日の仕事を終えると族長であるネラが直々に接待をしてくれる。
隣に座ると馬乳酒を振る舞い、時には歌を聞かせてくれる事もあった。
女性と触れ合う機会の少なかった僕は最初こそ戸惑ったモノの、今ではその距離感を心地良く感じている。
「あ、そうだ。ライガー、聞いてほしい事がある」
「うん? 私に頼みごとかね? 何なりと言ってくれよ、宿や食事の対価分くらいは働こうじゃないか」
空のコップに再び水を注ぎながら尋ねるネラへそう返す。
注がれたそれの半分を飲むとネラは話し始めた。
「先の部族が言ってた。水不足、荒野の民だけじゃなくて麦の民も困ってる。水が無いと、大地の力を借りられない」
「麦の民。……畑を持っている人々がいるのか?」
「うん、赤を纏う民、麦の民とよく取引する。たまに食べるパン、おいしい。肉とチーズを分けると宴になる」
「肉、チーズ、パン。なんか、とても豪華で美味そうな響きだな」
赤を纏う荒野の民と過ごす生活は悪いモノではない。
振る舞われる牛や馬、羊の肉や乳製品の数々はとても美味しく不満など湧こう筈もない。
しかし、穀物を食べて育った影響なのだろう。米やパンが恋しくて堪らない。
そして、この地にいる農耕民が困っていると聞く。これは、手助けしたらお礼を貰えたりするのではないだろうか。パンとか。
そう考えると助けに出向くのも悪くない。
「詰り、私の力をその人達にも貸して欲しいと?」
「お願い。麦の民、良い奴多い」
「良いでしょう、協力は惜しみませんとも。まあ、代わりにパンをご馳走になろうなどと考えてはいますが」
「お礼に宴、開いてくれると思う」
「それは、何とも心が躍る響きですなぁ」
こうして僕は農耕民の皆さんを救出する為、馬に跨り荒野を渡る事となった。
仮面と外套を纏い、馬にて駆ける荒野はいつもと違った様子に見える。位置が高くなったのと、速度が変わった事も関係するのだろう。
馬を借り受け、赤を纏う民の領域を南東へ走る事二日。
途中遭遇した魔物から肉を取ったりしながら荒野を走ればそこには広大な畑が広がっていた。
稲にも似た植物は恐らく麦だ。
粉になってない奴は見た事なかったが、まず間違いないだろう。
畑と畑の境界は土の道路が出来ている為に馬の交通には問題ない。
麦畑を南下していくと、畑の他にも人が住んでいると思われる家が点々と見え始める。
家は木造で、木の板を何枚も重ねているのが遠目からでも解る。
見ている内にどことなく麦の様子が萎れている様な気がしてきた。
一先ず、眼に入る中で一際大きな家の戸を叩く。
「はーい?」
ノックに対し返答の声が返ってくる。
という事はノックの習慣は有るのか。
出迎えの為に玄関の扉を開けた人物を見て、僕は内心驚いた。
僕よりも清朝の低い彼女、人間の年齢で言えば十三歳くらいだろうか、その顔には人間のモノではない耳が生えていたのだ。その耳は白く、形状は猫のそれに近い。それとなく背後に視線を映せば、揺らめく尻尾が確認できた。
いよいよ異世界染みてきた。
獣人がいるとは。
「初めまして御嬢さん。私は旅の魔法使いでして、滞在させていた頂いた赤を纏う民の方々から問題の解決をお願いされて……」
「お母さんお母さんお母さん!! 魔法使いが家に来たぁ!!」
「…………」
何やら猫耳の御嬢さんは興奮しながら母親を呼びに行った。
やはり魔法使いは珍しいのだろうか。
家の奥へ猫耳の御嬢さんが消えたと思ったら、数秒もしない内に猫耳の奥さんが現れた。
慌ただしい親子だ。しかし、そこがまた愛らしくもある。
「し、失礼しました。貴方様は魔法使いでいらっしゃるのですか?」
「別に普段の口調で構いませんよ。大して高貴な出、という訳でもありませんし。ふむ、確かにこんな仮面を被った怪しい男など信用も出来ますまい。ならば、何かお困り事を一つ言いなされ。それを見事魔法にて解決致しましょう」
僕の中にある魔法使い像のままに何か困り事が無いかと聞けば、やはり差し出されるのは水瓶だった。
最早水瓶を満たすのも片手間である。
「――――水に嘆願する、この水瓶を満たし給え」
呪言が紡がれると魔法が発動し、瞬く間に水瓶は水で満杯になる。
それを見た猫耳の親子は心底驚いた様に眼を丸くしていた。心なしか、その尾は毛が逆立っている様にも見える。
「まあ、こんなものです。それで、此方の方々が抱える問題を解決する為に来たのですが、皆を纏める立場の人は何処でしょうか?」
「は、はい。案内します」
猫耳の奥さんが僕を連れて家を出る。
後ろでは案内される僕と猫耳の奥さんに対し、猫耳の御嬢さんが気を付けてと手を振っていた。
◇
更に南へ。
道程に歩き辿り着いたのは集落である。
点在していた家々と同じ建築様式の家が集合し、農具と思われるモノがそれぞれの家に立て掛けられていた。
あ、鍬だ。矛先、それとも切っ先と呼んだ方が良いだろうか、そこが申し分程度に金属で覆われている。
荒野の民も金属製の鏃が付いた矢を所持していた事から、製鉄技術はある事が解った。
案外、遊牧民達は農耕民の集落に立ち寄りそれらを補給しているのかもしれない。
「到着です。あれが村長の住む屋敷になります」
「あれ、か……」
手で指し示された方向には猫耳の奥さんが住んでいた家の三倍は大きく、そして立派な屋敷が有った。
「案内ありがとうございます。……そうだ、宜しければ名前をお伺いしても?」
「あ、……これはとんだ失礼を。私の名前はレイラ、娘はサリアと言います。今後宜しくお願いします」
「良い名前だ、正直にそう思います。ではこれで。本当にご苦労様でした」
「いえいえ。また、いらして下さいな」
屋敷の前でレイラと別れ、僕は村長の屋敷の扉をノックする。
数秒と経過しない内に扉は開かれた。
「……どちら様でしょうか?」
扉の向こうから現れたのは犬に似た耳を持つ女性だ。
言葉遣いは丁寧であり来客の対応を行うという事は、この女性は下働きの人なのだろう。
「初めまして、私は旅の魔法使いです。水不足の件について赤を纏う荒野の民が長、ネラより問題の解決に手を貸してくれと頼まれ参りました」
「それを証明するモノはお持ちですか?」
「これを」
証明するモノはと尋ねられたので、借り受けた馬に取り付けられている鐙を見せる。
鐙の側面には、赤を纏う荒野の民が掲げる部族の紋章が描かれていた。
ネラが僕に依頼する際、それが何よりも証明となると言っていたが、果たしてどうなるだろうか。
「……交差する二頭の馬、その交点へ配置された剣、そして縁取りの赤。確かに赤を纏う荒野の民が所持している紋章ですね。承知しました、どうぞこちらへ」
玄関から出て来た犬耳の女性は鐙に描かれている紋章を確認すると、俺に屋敷を案内し始めた。
現在屋敷の廊下を犬耳の女性の背中を追いながら歩いている途中だが、僕の視線は女性の尻に注がれていた。
いや、正確に言えば尻ではなくその尻尾だ。
丸いのである。
こう、普通の尻尾が反り返っているというか、柴犬っぽい感じになっているのだ。
それが歩く度に揺れる為、非常に和むのです。
「到着いたしました、此方が村長の御部屋になります。……それと、あまり女性の臀部を凝視するのは良くありませんよ?」
……バレていらっしゃいましたか。
いかんいかん、常識的な行動を取らねば。
「村長、お客人をお連れしました。赤を纏う荒野の民の紹介です」
「……ほう、良いじゃろ、入り給え」
村長のモノと思われる声を聴き視線を犬耳の女性へと向ける。
女性はその視線に答えるように一つ頷くとそのまま立ち去った。
これは、入室しても良いと言う事だろう。
「失礼します」
一言告げてからドアノブを捻り室内へ入る。
室内は広く、仕事用の机と絵画が数枚壁に飾ってある程度の装飾が施されていた。
「伝書鳩で送られた手紙に君の事が書かれていた。歓迎するよ、仮面の魔法使い」
椅子に座っていた初老の男性が僕に対してそう言った。
どうやら既にこちらが来る事を知っていたらしい。
「魔法使いのライガーと申します。以後宜しく」
「こちらこそ。私は麦の民が長、名をレイモンドという。では、早速問題の現場へ行こうか」
軽く自己紹介と握手を済ませると、村長のレイモンドは直ぐにでも現場へ行こうと提案する。
腰が軽く、直ぐに動く事の出来る長なのだろうか。
いや、直ぐに動かなければならない程に困窮しているのかもしれない。
「解りました、行きましょう」
その提案を了承し、僕とレイモンド氏は直ぐに現場へ赴く事となった。
◇
昼下がり。
レイモンド氏の屋敷から数十分程度歩いた所にそれは有った。
眼の前に広がる大きく窪んだ大地。聞くにそれは貯水池だったのだとか。
乾ききった泉、とでも言おうか。
範囲が広大過ぎる為、これを満たすとなると数日かかるかもしれない。
「……レイモンドさん、これを満たせと?」
「そうは言わん。せめて四分の一でも稼げたならば、そう思ったのじゃよ」
答えるレイモンド氏の表情には疲労が見える。
この問題に相当頭を悩ませているのだろう。
出会って数時間程度の付き合いだが、悪い人ではない。そしてネラが良い人と言っていたのだから充分に信用が出来る筈だ。
「……成程、では宴の用意でもしながら待ちなされ。必ずや、私がこの貯水池を満たして見せましょう」
「おお、真ですか?」
「勿論にございます」
「では、頼みましたぞ」体験できるのだ
そう言うとレイモンド氏は村の方へと駆け足で向かう。
本当に、フットワークの軽い御仁である。
しかし、だからこそ好感が持てるというモノだ。
「……さて、じゃあ僕も頑張ろうか。宴で振る舞われるパンの為にも」
呟き、僕は準備に取り掛かる。
まずは魔法陣を形成する。
僕の魔法とは自然界に存在する神秘的なエネルギーに対し呼びかけ、その力を借り受ける事によって発動する。
故に僕の魔法は大抵の場合嘆願になるのだ。
他の魔法使いには温いだの甘いだの言われるが、それら自然の意志、そうだな、"spirit"と"elemental"を掛け合わせて"Spirital"とでも言おうか。それに語りかけ繋がるだけで心が燥ぎだしたくなるのだ。
きっと、普段は味わう事の叶わない不思議な感覚に酔っているのだと思う。そして、僕はその奇跡的な感覚を与えてくれる存在に感謝し敬っている。
もしもそれに明確な姿が有るのなら、言葉だけでなく僕に出来るあらゆる行動で以てお礼を行いたいと思う程には感謝しているのだ。
だって、素敵じゃないか。
魔法だぞ。
本来なら夢物語である筈の奇跡を、それらの力を借りる事で体験できるのだ。これに感謝せずに何に感謝しろと言うのだ。世界を創造した神にでもしろと言うのなら、ソイツを眼の前に呼んでくれ、額を地面に擦りつけながら感謝の言葉を連ねてやる。
っと、考えている間にも魔法陣が完成した。
後はそこに僕という楔を打ち込み、より広範囲の水に纏わる力へ言葉を届けるのだ。ひょっとしたら、ここは異世界だし精霊や妖精等にも会えるかもしれない。
陣の中央に立ち、陣へ魔力を流す。
魔力の流動した魔方陣は蒼白い光を放ちながら胎動を始める。
さあ謳おう、貴方達への感謝を。
「――――日頃より我らのそばに寄り添いてその生活を支えてくれる皆様に感謝を。また、毎度の嘆願に快く力を貸して頂いた事にも感謝を。今日この日、これまで借り受けた力よりも大きな力を願います。故に、どうか水に纏わる皆様、我が腕にその力をお貸しください」
紡いだ呪言が大気を震わせる。
が、乾燥した大地故か力の集まりが良くない。
ならば、もっと広範囲に魔力の波を広げよう。
ついでに、この地に住まう方々に僕はこういう人間だとプレゼンしてしまえ。
魔力の波を広げると、僕の魔力が水の様に乾いた地面へと吸い込まれる感覚を覚える。
なんだろうか。
この乾い貯水池の下だ。
そこに大きな何かが居る。
『――――――――』
「っ!?」
突如、僕の頭の中に何かの意志が語りかけてきた。
それは人間の言葉では表しきれないが、とても困っているという印象だけを与えた。
「――――地下に住まう貴方。貴方が何にお困りかを聞かせてください。そして、僕に何か出来る事が有るのならば、遠慮なくお求め下さい!!」
半ば叫ぶように、僕はその弱々しくも大きな意志へと語りかけた。
そして、次の瞬間それが姿を現した。
乾いた貯水池の中央、その地面がひび割れ中から何かが這い出した。
それは巨人だ。
目測で十メートル以上の体長だと思われる人型など巨人で十分だ。
そして、地下に住まう者が告げる。あれこそが此度の異常な日照りの元凶なのだと。
「お前が問題児か。悪いが僕に倒されろ」
「グルルルルルッ」
威嚇なのだろう唸り声を上げながら此方を睨んでいる。
今一度巨人を見直そう。
巨人の体表は緑色であり、その腹は醜く膨らんでいる。
顔も不細工と形容した方が速い程には醜い。
ならばあれの呼称は醜い巨人で十分だ。
今現在、彼等の力を借り受ける事は出来ない。
何故ならば、この醜い巨人と対峙している今でも交信を続けているからだ。
だが不安はない。
この程度、己の力だけでどうにでも出来るというモノだ。
「グルァッ!!」
「――――氷柱、綴り、番え、突き出す!!」
攻撃すると言う意志に魔力を纏わせそれを作り出す。
鋭利な氷は凶器に転じる。
ならば氷柱を綴って矢を作り、それを番えて突き出してしまえ。
構成された五メートル程の氷柱を、高速で撃ち出す。
氷柱は醜い巨人へ真っ直ぐ飛び、その上半身を根こそぎ吹き飛ばした。
そして醜く膨れていた腹から、発行する眩い水が噴出しそれが大地へとばら撒かれる。
するとどうだろう、先程まで快晴だった天気が途端に曇り、そして雨が降り始めた。
優しい雨だ。
乾いた大地を撫でて慰めるように、降り注ぐ水は地面へと染み渡る。
数秒と経たない内に雨は土砂降りになった。
けれど、喉の乾ききっていた大地にとっては丁度良い塩梅と言えるだろう。
そんな土砂降りの中、僕はそれを見た。
青白い光は、薄らと人の輪郭を取り、口を動かして何かを告げた。
その意志に込められる感情を読み取るに、どうやら感謝の言葉の様だ。
「……ああ、素敵だぁ」
思わず見惚れてしまった。
眼の前のそれこそが精霊と呼ぶに相応しい存在だと直感したからだ。
だから、この気持ちを言葉にして伝えよう。
「――――こちらこそ、ありがとうございます。貴方に会えると言う素敵な体験を頂きました」
「――――」
そう言うと、精霊は表情を変えて掻き消えた。
その表情は笑みに似ていた。
空を仰ぐ。
分厚い雲から降り注ぐ雨は、まだ止む事を知らなかった。
◇
「ああ、美味い、堪らない」
夕暮れを越し夜が始まる。
暗い空に散らされた星々と、地上の火を囲み踊り謳う人々。
現在、僕は麦の民が開いた宴を楽しんでいた。
あの醜い巨人を倒してから既に丸一日程度の時間が経過している。
昼夜を問わず降り注いでいた雨が止み、光が大地を照らし出す頃には既に夕方だった。
若干湿気が残る中、各家々が椅子や机を持ち出し外へと並べて水不足の解消を祝っている。
希望が繋がれた事に対する笑みとは、やはり見ていて心が和む。
振る舞われる料理の数々はネラ達と共に食したモノとはまた別の味わいが有り、そして久方ぶりに食したパンの感触は格別だった。
若干口が乾くので、咀嚼しながらスープを流し込むと丁度良い触感になる。
弦楽器だろうか。
小気味良く奏でられる旋律はステップを踏むかの様に軽やかであり、こちらの心を明るくざわつかせる。
注がれる果実ジュースの味が喉越しが良く、甘酸っぱさも素晴らしい。
とても、良い気分だと言える。
「料理の味はどうですかな?」
「レイモンド氏、はい、最高です」
長椅子に掛けて飲み食いする僕の隣にレイモンド氏が座る。
その表情は初めて顔を突き合わせた時と同様に疲れてこそいるが、それよりも確かに穏やかなモノだった。
「誠にありがとうございます。我々は、貴方のお蔭で助かりました」
「お礼ならば、私よりも湖の精に言うと良い。あの方が居たからこそ、ここまで規模の大きい魔法を行使できたのですから」
日照りの元凶と交戦した際の詳しい話をレイモンド氏へ語る。
レイモンド氏は勢い良く話すこちらに若干引いていたが、それでも話を最後まで聞いて笑顔で頷いてくれた。
「ならば、そのお方を讃える石碑でも建てますかのぉ」
「それが良いでしょう。ここの水源はどうにも、長い間あのお方に守られていたようですから」
その後も果実ジュースを飲んだり、肉の串焼きを食べたりしながらも談笑を行う。
村の何々がこんな事をやってのけた、遊牧民達との交渉は最初が一番大変だった。その他にも様々な村人の事やネラ達の事を聞いている内に、自分がこの異世界を大分気に入っている事に気が付いた。
それを少し嬉しく思いながらジュースを飲んでいると、レイモンド氏が言い難そうに口を開いた。
「……ライガー殿」
「なんでしょうか?」
「もう一つ、この村が抱える問題が有るのです。それを解決しては頂けませんか?」
レイモンド氏は苦々しい口調でそう言った。
◇
宴会の日の後。
僕は直ぐさま荒野に躍り出た。
レイモンド氏が言うに、最近になって亜竜種の魔物が活動を活発化させている為に村に被害が及んでいるのだそうだ。そして、活発化した魔物の討伐と活発化した原因の解明を依頼された。
近年まで亜竜種の魔物が荒野を越えて麦の民の領域へ足を踏み入れる事はなかった。
しかし、最近では荒野と農地のギリギリのところまで迫っているそうだ。
そのため、麦の民も農地の端まで行かない為に収穫量の減少や作業の滞りが発生しているとの事。
僕は、その依頼を受けた。
依頼を受けるに当たり、僕はこの地に拠点を持てないかを聞いた。
今までは基本的に旅の魔法使いとして活動していたが、たまには数日ぐらいの時間を同じ場所でゆっくりと過ごしてみたい、そう思った故の問いだ。
これに対するレイモンド氏の回答は色の良いモノだった。
どうにも使われなくなった家屋や営業を辞めた宿屋が有る為に、それらを隙に活用して良いとの事だ。無論、使用にはそれなりの料金が掛かるのだが、それは格安にしてくれるそうだ。
そんなこんなで現在、僕は褐色の大地を馬で駆けていた。
こちらに来てから初めて遭遇した巨体の亜竜種とは違う小型で身軽な亜竜種が隣を並走していたりするが、横槍ならぬ横氷柱を叩きこむ事でさっくりと倒せるので問題なかったりする。
希に食欲からではなく単純な好奇心からこちらに擦り寄ってくる個体が居るのでそういった奴には麦の民から報酬として頂いたジャーキーを少し分けてやった。
そしたら、何故か離れてくれなくなった。
現在乗っている馬よりも一回り程大きいそいつは、僕を餌のなる木とでも思ったのか執拗に追い回している。
そしてしつこく並走こそするがこちらへ危害を加える様な行いはしてこなかった。
ある程度の知能を所持している様だ。
……ひょっとすると、こいつは馬の代わりになるのではないだろうか。
「どぅどぅ」
馬を止めて降りると、停止と同時に止まった亜竜種の方へと近付く。
亜竜種は首を忙しなく動かしこちらを観察している。面白い動きだ。
ジャーキーを取り出し地面へと放る。丁度亜竜種の顔の手前辺りだ。
亜竜種はそれに対して機敏に反応し喰いついた。
その隙を付き、僕は亜竜種の背中に飛び乗った。
「グワッ!?」
ガチョウみたいな声を上げて亜竜種が驚き暴れ出す。
が、こちらが乗るだけで何もしないと解ると暴れるのを止めて大人しくしている。
ここで僕は餌付けを試みる事にした。
長い首を曲げてこちらへ迷惑そうな視線を送る亜竜種へ、僕は再びジャーキーを取り出してそれを顔の前へと放った。
やはり食にに対する認識が素早い、亜竜種は見事にそれを空中でキャッチし喰らい始める。
と、亜竜種の背中に乗るまでは良かったが、こいつをどうやって走らせようか。
腹を蹴ったら怖がって逃げるかもしれないし、鐙や手綱は馬に有るモノを流用できるが壊したら大変だから使えない、借り物だし。
そうすると、乗れたは良いが走れない訳だ。
まあ、野生の魔物が餌を必要とするとはいえ人を背中に乗せる事が驚きなのだが。
走ってくれる様に調教を施すのはどうだろうか。時間は掛かるが、この方法を知っていれば魔物を戦力として扱う事も出来るかもしれない。
となると、ここでバイバイするのは得策じゃない、か。
「よし、お前はお持ち帰り決定な」
「?」
何を言っているのか解らないと首を傾げる亜竜種の背中から降りて再び馬に乗る。
即座にこちらへと擦り寄る辺り、この魔物の中での俺は金蔓ならぬ餌蔓として認識されている様だ。
「付いて来な!!」
「グワッ!!」
俺の呼び掛けに対して亜竜種の魔物は元気良く返答するのだった。
◇
小型の亜竜種を手懐けてから二時間程荒野を走っただろうか。
前方に大型亜竜種を発見した。
数は五体。同種の様だが、縄張りを争っているのか二対三で睨み威嚇しあっている。
レイモンド氏は周辺の亜竜種を討伐して欲しいとも言っていたし、早速仕事を始めよう。
「――――氷柱、綴り、番え、爪弾く!!」
掌を上へ向け魔法を行使する。
体内を循環する魔力を掌へと収束させ、大気に滲み出したそれを綿飴の様に綴る。
出来上がった氷柱の鏃、その切っ先をいがみ合う魔物の一体へと向け撃ち出した。
指を鳴らした時の甲高い音と共に、氷柱の鏃が大気を裂き駆ける。
放たれた鏃は五体の魔物の内、一体の頭を粉々に粉砕し掻き消えた。
崩れ落ちる首から上を失くした巨体。
攻撃されたと解ったのか、こちらへ視線を向ける魔物達に対し次の鏃を用意し始める。
「――――追加し、番え」
再び撃ち出そうとしたその時、魔物達が先程まで行っていた縄張り争いを忘れて一目散に逃げ出した。
「あ……、やれやれ、面倒な狩りになりそうだ」
構成していた魔法を解除し、馬で駆ける。
並走していた小型の亜竜種は頭を潰した魔物の死骸を通り過ぎようと言う時にそこで留まりその肉を貪り始めた。
一先ず、小型竜種を放置し追跡を継続しよう。
それにしても、やはりあの巨体がトップスピードに至ると物凄い速さだ。
ネラから借り受けたそれなりに良い馬だと言うのに少しずつ離されている。
先に逃げた二体の内の一体なんか既に見えない。
「――――風に嘆願する、我らの背中を押し給え」
故に魔法の力を借りる事にした。
魔法が発動し風が僕と僕の乗る馬に纏わり付き、そして追い風が吹く。
突風と言っても良いその風に背中を押され、馬の駆ける速度が著しく上昇する。
しかし例えスピードが上昇しても離された距離を詰めるにはもう一手必要と言えた。
「――――土に嘆願する、彼の者らの足を引き留めたまえ」
次の魔法を発動させる。
後ろから追い縋っている対象の、その更に先へ魔法を仕掛けた。
そして魔法の仕掛けられた大地を通り過ぎようとした時、その大地が爆ぜた。
爆発した際に勢い良く飛んだ岩や土の破片が体表に接触し少ないながらもダメージを与えている。
「――――再度土に嘆願する、先の奇跡を繰り返したまえ」
怯み近付いたが故に捉える事の出来るようになった魔物へ魔法を掛ける。
すると魔物の前方が断続的に爆ぜ、その走る速度が目に見えて低下した。
これ幸いと接近すると魔法を解き攻撃に転じる。
「――――氷柱、綴り」
収束させた魔力を殴り付けて殴りつけて魔法を発動させる。
魔物達の前方に氷柱の槍が出現し、それに突進してしまった魔物達は息絶えた。
「っと、一先ずこれで四体か。滑り出しにしては上々だな」
それら絶命した魔物の死骸を見下ろしながら僕はそう呟いた。
大量の肉だ。何日分の食料となるだろうか。用途の想像が止まらない。干し肉やタレを付けた焼き肉、他にもパンに挟んだり煮付けにしても良いかも知れない。
再度見やる。……心にふつふつと歓喜が湧いてきた。
「うし、大量。それにしても、こっち来てから調子良いなー」
ゲームよりも数段魔法の効力が上がっている様な感覚に僕はそう呟くのだった。
◇
「おーい!!」
「うん?」
人の声が聞こえた。
声の低さからして恐らくおっさんと思われる。
おっさんかー。おーいだってさ。そんな話し方久々だなー。
そんな事を考えながら声の聞こえた方向を向く。
そこには荷車を引く集団が有った。
荷車には武器や飲料、その他寝袋を代表としたサバイバルグッズが盛り沢山である。
装いを見るに冒険者か何かだろうか。
どうにも、ここ最近顔を突き合わせたのが褐色の肌を持つ遊牧民の皆様と動物的特徴を持つ農耕民の皆様だったが故にアジア系の顔に違和感を覚えると言うか何というか。
翌々見れば外人さんも居る様だ。アッチのロングボウを持っている人は白人さんだ。引き締まった筋肉と鋭い目付きが素敵だ。正にハンターという言葉が相応しい雰囲気を持っている。
声をかけて来たと思われるおっさんはこちらが手を振りかえすと安心したように息を吐いていた。
「よう、俺はジョウって言うんだ。そんでもってこいつらは仲間達だ」
「ジョウ、さんね。僕はライガーって名乗ってる」
「ライガーってライオンと虎のハーフかよ。どことなく中二臭さが……」
「むっ、良いじゃんかライガー。格好いいじゃんかライガー。……あれ?」
ライガーを中二臭いと言われ少しばかり腹に来たが、そうも言っていられない。
この男は、ジョウは今、中二と言ったのだ。
それはこの異世界で普及している言葉だろうか。
そんな訳がない、そんな異世界有って堪るか。
だとすれば、もしかしたらこのジョウというおっさんは、僕と同じように異世界から来た可能性が有る。
「ひょっとして、ジョウ達って異世界出身?」
「そう言うお前さんだって、中二って言葉に反応していただろうに」
「……………………」
「……………………」
僕は暫し呆然としていた。
まさか、自分と同様に異世界へ訪れた人が居るとは思わなかったからだ。
そんな僕を、ジョウは訝しげに見ている。まるで何に呆然としているか解らないと言いたげに。
そう言えば、ジョウには共に行動する仲間、ゲームならばパーティーとも呼べる人々が傍に居た。
もしや、異世界に来た人って意外と大量に居るのではないだろうか。
「ジョウの仲間も異世界出身?」
「ここかりゃ見りゃそうだろ。何を不思議がって……、ああそうか、ライガー、お前魔法使いだろう?」
「え? あ、うん、そうだけど?」
ジョウが僕の事を魔法使いだと言い当てる。
大分離れた所からこの人々は来たけれど、まさか魔法が見えていたのだろうか。
だとしたら中々の視力を持っているに違いない。
「やっぱな、プレイヤーの中で魔法使いは別々の所に飛ばされたって話は本当なのか?」
「プレイヤー? ジョウは何の事を言っている?」
「説明はそっからか、まあ一先ず移動しようぜ?」
僕はジョウの提案に従いその場を後にする。
そして、その後ろを小型の亜竜種が追跡していた。
僕に対する警戒心は無いようだが、新しく現れた人々を警戒しているのだと思われる。
◇
「ハァ!? 何それ!?」
ジョウの言葉にライガーは叫ぶ。
それ程までに自身がこの異世界へと導かれた理由に納得がいかなかったからだ。
「ま、それが普通の反応だよなぁ」
「私達の時は周りのテンションがアレすぎたよねー」
「確かに。だがああやって騒ぐ馬鹿共が精神的な緩和剤になった事は間違いないだろうさ」
「案外わざとだったりして」
「だとすれば、普段は馬鹿を装っている賢者タイプという事になるか。中々格好良いじゃないの」
ジョウと仲間達はライガーの預かり知らぬ話題で盛り上がっていた。
実際問題、この非常時においてふざける事の出来る人間が果たして何人いるだろうか。そして、本当は喚き散らしたい心情を抑圧し、敢えてふざけて見せたのだとしたら、その者の精神力は一体どれ程のモノなのだろうか。
それを考え頷き感心する者や、それが本当かどうかを聞こうと決めた者が中にはいた。
置いてけぼりを喰らったライガーは、若干面白くなさそうにしている。
「で、ジョウ達は農耕民と交渉して来る食糧難をどうにか回避しようって腹積もりなんだ」
「そういうこった。それに、ここ最近肉を食ってなかったしな」
「今夜はステーキだ」
「焼き肉のタレってないの?」
「異世界に有る訳ないだろうが」
「あ、調味料なら持ってるけど?」
「何!? ……ふっ、流石は魔法使いと言った所か」
「いや、ここから南にある村に住む麦の民から譲って貰ったモノだから僕はあんまり関係なかったりする」
「…………待て、『麦』の民?」
「うん」
ライガーの言葉に街から来た一行が固まった。
彼等の目的は穀物類の入手ルート確保であり、ライガーの放った言葉はその度の道程を大きく縮める可能性を持っていたのだ。
「そ、その麦の民とは……」
「んー、多分だけどジョウ達の言ってる農耕民って麦の民の事だと思う。日照りが悩みで穀物の生育に悩んでいたけど、元凶をどうにかしてあげたから今年は問題なく収穫できると思う」
「案内してくれ!!」
ジョウ、トーマス、その他探索チームのメンバーがライガーに詰め寄った。
しかしライガーは顔を顰めている。
「うーん、案内は良いんだけど今村長のレイモンド氏から頼み事受けてるんだよ」
「頼み事?」
「そう、最近亜竜種の活動が活発化してるから討伐と原因究明を依頼されたの。そんな訳で忙しい」
「そ、そこを何とか……」
「大体だけど、ここを真っ直ぐ行くとすぐ着くよ? 畑に。後は交渉頑張ってとしか言いようがない」
ジョウ達に対し、ライガーの反応はドライだった。
ライガーがこういった態度を取る事は本人の人格的特徴だが、出会って間もなく、また出来る限りの安全を確保したいジョウ達とっては冷徹に映った。
「……俺達の安全よりも、その約束が大事か?」
「当たり前だよ、破ったら何の為の約束か解らないじゃないか。それって信用の失墜に繋がるし、一度やったら多分一生やり続けると思う。それが怖いから僕は約束を順番に片付ける事にしてるんだ」
「……でしたら」
ジョウの問いに答えたライガーへトーマスが語り掛ける。
「でしたら、私達を同行させて頂けないでしょうか?」
「おいトーマス!?」
「ジョウ、ここからは私が話します。それでどうでしょうか?」
「メリットは? 僕は大概の事は自分一人で出来てしまうからね」
「何が欲しい?」
「今の所欲しいモノはない」
「では、……そうだな、我々との協力関係が結べる、というのはどうだろう?」
「おいトーマス!!」
「ジョウは黙ってろ」
声を荒げるジョウをトーマスが一喝する。
その迫力にジョウは慄いた。
ジョウは自分本位の発言を行おうと思った訳ではない。ただ単に仲間を交渉の材料として扱う事に納得がいかなかった。例え依頼主と言えど、全体の事は少なからず話し合うべきであり、それが義理だと考えていたからだ。
しかし、その一方でジョウはトーマスの行動も理解できる。要はスピードなのだ。これだけの奇跡、魔法使いに遭遇するという奇跡が次も訪れるとは限らない。例えあったとしてもその者に話が通じるという保証がないのだ。故にジョウは引き下がった。
そして、次こそは邪魔をしないと心の中に固く誓った。
「どうですかな? 魔法使いがあらゆる方面に秀でていると言えど、人間である以上完璧ではない。貴方も、完璧を目指していると言う訳ではないのでしょう?」
「うん」
「ならば、旅は人が多いに越した事はない。貴方の状況を考えるに、暫く同郷の者に有っていなかったでしょう。例え気心の知れた人が現地に出来たとして、それは早々安息に繋がるでしょうか?」
「む、まあ不安が無いと言えば嘘になるけどさ」
視線を逸らしながら言うライガーを見て、トーマスは内心でしめたとガッツポーズする。
ライガーが魔法使いと言えど、その人格は少年のモノだ。
大の大人でさえ恐るべき状況に、まだ少年と言える年齢だろうライガーが不安に思わない筈がない。
「けどねトーマスさん、僕と貴方達との間には信頼関係なんかないんですよ? 悪く言ってしまえば、貴方方は此方に寄生しようとしているんですよ? 大人が、子供にです」
「それが? 生き残る為ならば何でも使いますとも。寄生で大いに結構、私は貰いっぱなしになる気は更々ないモノでしてね。状況が安定したならば、貴方に対して商品を安く提供する事が出来る」
「トーマスさんは商人なんだ?」
「ええ、S.W.内では手広くやっていましたとも。食料から地図、武器防具まで良品と呼べるモノだけを取り揃えている事が自慢でした。店頭でね? 並べてある品を見たお客様が悪いモノが一つもないと驚く様が楽しかったモノですから」
「…………」
ライガーがトーマスの言葉に訝しげな視線を向ける。
それに対するトーマスは常に笑顔を向けていた。
それを見て、ライガーは溜息を吐く。
「……はぁ、そうだね。結構大人数居るみたいだし、研究の為に商人と手を組んで置くのは得策だと思うよ」
「では?」
「良いよ? まず亜竜種の件を解決し、その後で君達と共に村へ行く。依頼が終わったら報告しなきゃいけないからどちらにしろ行くんだし」
「それは良かった。宜しくお願い致します」
「こちらこそ」
「……それに、知り合ったのに見捨てたら寝覚め悪いしね」
小声で呟いてライガーの言葉は風に吹かれ、誰かの耳に届く事なく掻き消えた。
こうして探索チーム御一行は仲間に魔法使いを入れ、更なる冒険に出る。