二十四話 瓦礫の街の探索者
「……もう、日が暮れたのね。なら、私は仕事を始めましょうか」
廃ビルの屋上にて。
明るい月と疎らな雲の彩る綺麗な夜は、文明の光が息絶えた事でより鮮明にリオンの眼を刺激した。
睡眠のために横たえていた身体を起こしたリオンは、立ち上がり崩れたフェンスの間に立ち下界を見下ろす。高い所からは壊された世界の様子が一望できた。
無表情でそれを見下ろすと、リオンはビルの内部へと戻り、階段を下りて地上へ出る。高めのビルの階段を降り切る頃には夜も相当深まっていた。
活発化した魔物共の声が辺りから響いている。その不気味な音に若干気を削がれながらも、リオンは夜の廃墟を徘徊する。
数分程歩くと、リオンは大きな交差点に辿り着いた。
建設時の規格よりも背を低くしたビル群の隙間より見える月が、薄らと闇の中に蠢く者共を照らし出す。その見通しの良い交差点を陣取っていたのは弓矢と短剣で武装したゴブリンだった。数にして凡そ三十程の集団だ。
ゲーム内においてゴブリンレンジャーと呼称されるその魔物は、小器用に素早く動き、そして矢を放ってくる。これと相対する場合の最も効率的な戦闘方は重装備の歩兵による制圧行進だ。頭から爪先までをプレート装備で覆い、その上更に盾を構える事で敵の放つ矢を無力化するのだ。
だがリオンはそのセオリーを無視する。アイゼンリートという破格の魔道具を持つリオンにとって、戦闘のセオリーなど重荷でしかないのだ。
交差点へ立ち入るリオンの足音を敏感に察知したのか、ゴブリンレンジャーは一斉にリオンの方を向き、携える弓と矢を構えた。
その中で武器を構えずに腰に下げていた角笛を吹こうと試みる個体が居る。その個体は、笛を口に付ける前に首を撥ねられ息絶えていた。
突如姿を消すと共に青い残光を残したリオンを追い振り向くゴブリン共。角笛のゴブリンを斬り殺したリオンは、撥ねると同時に天高く舞い、そして落ちてきたゴブリンの首を手で受け止め、それをボールを叩き付ける様に地面へと叩き付けた。
鈍く湿った音が辺りに響く。だがリオンの行動はそれで終わりではない。地面へ叩き付けられた衝撃で若干歪んだその首を、リオンは勢いよく踏み潰した。
頭蓋の中に収められていた血液や脳などが辺りに飛び散る。それを行ったリオンは、挑発めいた笑みを浮かべる。何よりも瞭然な宣戦布告だった。
「ゴギャァァァァァァァァッ!!」
一際大きなゴブリンが擦れた金属の様な咆哮を上げる。それに呼応し、その他のゴブリンレンジャーは弓を構えリオンに向けて矢を放つ。
しかしリオンは、矢が放たれる頃には残光を残し姿を消していた。
「ギィッ!?」
「ギギャッ!?」
悲鳴が二つ、矢を放ち終えたゴブリンレンジャーの後方より響く。即座に振り向いたゴブリン共は、二本の剣を振った体勢で止まっているリオンを視認した。
右手に持つのは愛剣であるアイゼンリート。もう片方、左手に持つのはアイゼンリートよりも一回り大きな両手剣だった。
重量で言えば五キロ以上はあるであろうそれを、リオンは左手一本で軽々と振って見せる。その姿に、ゴブリン共は恐れ慄く。先程の勇ましい咆哮はどこへやら、彼等は既に及び腰である。
二本の剣を振るうリオンは、ゴブリン共の目に留まらぬ速さで動き、そして一分と経過せずにその半数を斬り刻んだ。
その状況を見てか、リーダー格の個体が何事かを叫ぶ。すると、周囲のゴブリンレンジャー共は腰のポーチから何やら取り出し、それを地面へと投げ付ける。
投げ付けられたそれは破裂し、濃い煙を辺りに立ち込めさせていく。それは煙球だった。
煙により閉ざされた視界の中、リオンは剣を構え息を止めると視線を上へと彷徨わせる。その眼に街灯が映ると、即座にその上へ飛び移る。
煙から抜け、毒ガスの危険性が無い事でリオンは呼吸を再開する。バランスを保ちながら街灯に立ち、地上の様子を観察すると、暫くして煙が止んだ。
煙の晴れた交差点には、ゴブリン共の影は既にない。視線鋭く、リオンは交差点を観察する。そしてそれを見つける。
大方慌てていたのだろう、ゴブリン共の持っていた装備の一部が辺りに散らばり、まるで道標の様にその行き先を告げている。その連なりは歩道の脇にある地下鉄への入口に繋がっていた。
「成程。話で聞いた奴らの特性を聞く限り、地下鉄は絶好の借家か」
三日月達の経験した異世界において、魔物達は夜行性であった。
ならば昼間はどこに潜むのかと考えると、地下鉄と言う領域は広さや湿度の関係も合わさり魔物共にとって理想的な物件なのではないかと考える。
幸先良く巣穴を発見できた事に、口元がニヤける。が次の瞬間、リオンはその思考を改めた。
「……巣穴の入口が有る場所で、こんな適当な撤退をするものか? もしも位置がばれたなら、攻め込まれる危険性が生まれると言うのに。知能が低いのか? それとも、……罠?」
左手の剣を仕舞い、アイゼンリートを背中に背負うリオン。入口の前で立ち止まり、暫くの間黙考した後に地下鉄への侵入を決心した。
アイテムウィンドウを操作し、懐中電灯を取り出す。それはリオンが昼間の街を探索して見つけた物だった。廃墟となった電気屋にて、リオンは今手に持っている小型の懐中電灯の他にも様々な物を回収したのだ。
リオンは侵入にするに当たり、入口の周囲を照らして罠が無い事を確認する。粗方見て取り、罠が無い事を確認すると、ゆっくりと慎重に階段を下りていく。地下鉄へと続く階段は、血と何かの液体により滑っており、その感覚がリオンに足場に対する集中を促した。
時間を掛けて降りた先に、街中に張り巡らされた地下道への接続口が集中する広場がある。リオンは広場の中央へと懐中電灯の光を巡らせる。
ゴブリン共はそこへ密集し、車のボンネットや喫茶店のテーブルなどで作った簡易的な砦の中から弓を構えていた。懐中電灯から発せられる光を、弓に番えられた鏃が反射する。
「おっと……」
危機を感じ取ったリオンは、懐中電灯を持っていない方の手を背中に背負うアイゼンリートの柄へ持っていき強く握り込む。刀身を包む布の内側から青い光が発せられる。ゴブリン共が矢を放ったのは正にその瞬間だった。
青い残光を残し、リオンは矢の射線上から退く。
それと並行し、アイテムウィンドウを操作して発煙筒を取り出し着火して周囲へ投げる。赤い光と煙が立ち込めて、闇の中で蠢くゴブリンの影を照らし出す。
数瞬前まで己の立っていた場所を通過する矢の群れを尻目に、リオンはゴブリンの簡易砦へと駆け出す。
そして辿り着くや否や抜剣し、その外装を力任せの横薙ぎで吹き飛ばした。
一夜の城は脆くも崩れ去り、崩落する瓦礫より逃れたゴブリン共は己の得物を抜き放つ。そして、抜いた瞬間にリオンが切り捨てた。薄暗い空間はリオンの残す移動の軌跡をある種神秘的に演出していた。
得物を構えたのとは別に、散り散りに撤退した個体は改札を飛び越えたり地下道へ続く道へ走ったりと大忙しだ。リオンは追跡を開始しようとしてふと考える。追跡するとして、己はどちらへ行くべきだろうかと。
改札の向こう側へ逃げたゴブリンは、ホームから二方向に解れるだろう。その際、どちらへ行くべきか。地下道へと逃れたゴブリンは蜘蛛の巣の様に張り巡らされた迷路の如き道を歩くだろう。
どちらにしろ、一人では到底追跡しきれない。
「さて、どうしたものか」
リオンは再び考える。このまま探索を継続するべきか否かを。
現状において、リオンには無理をする理由がなく、また依頼された内容も魔物がどこへ消えているかの調査であり、魔物の討伐は重視する必要が無い。
「……なら、ここで帰還しても構わないわよね。帰りましょうか」
ならば長居は無用だとばかりに踵を返し、リオンは地上へ続く階段へと歩き出そうとする。
帰還のために一歩を踏み出そうとした瞬間、辺りに爆音と大きな揺れが発生した。
「っ、なに!?」
姿勢を低くし、得物に手を掛けながら懐中電灯で辺りを見回すリオン。仄暗い空間を懐中電灯から発せられる光が奔る。発煙筒の煙も合わさり、光は白い線の様に辺りを行きかう。
光がある所で止まった。そこは崩落したのか、瓦礫で埋め尽くされている。リオンは信じられない思いでその瓦礫を睨む。リオンの記憶が正しければ、そこはリオンが地下鉄へ侵入するのに使用した階段だった。
「罠、か。……クソッ、面倒な」
どうするか。
リオンは考える。入口である階段は先程崩落し、その他の出入り口については地理的な知識が無いため解らない。詰り、己は現在、この地下鉄に閉じ込められたのだ。魔物と罠で、この地下鉄の中は迷宮染みている事だろう。そう考えたリオンの頭を軽い頭痛が襲った。
◇
暫く、リオンは迷宮染みた地下鉄を彷徨った。
歩けど歩けど終わりなく続く闇。地上の光が届かない領域は、地上に光が無い時間帯にその闇をより一層濃くしていた。
只管歩き続けるリオン。歩き始めて既に二時間が経過していた。
楽に終わると思っていた依頼であるが故に現状の地下鉄散歩状態は相当に忌々しいのだろう、眉間の皺が凄まじい事になっていた。
「クソがっ!!」
地下鉄内部を転がっている適当な瓦礫を蹴り飛ばす。口から吐き出される罵声もより鋭いモノへと移行していた。
リオンの心は嵐の海の様に荒れていく。視界が不明瞭な状況と、いつ魔物に襲撃されるか解らないが故の警戒がその精神を追い詰めるのだ。
歩き続け、やがてリオンはそこに辿り着いた。
「地下鉄の終点?」
辿り着いたのは地下トンネルを抜けた広場だ。
地下から地上へ。雲と雲の間から差し込む月明かりが、闇夜を蠢く影を薄らと照らし出す。
月明かりの下、蠢くのはゴブリン共だった。細かい瓦礫で囲いを作り、木材を燃料にたき火をし、野営を行っている。
観察するリオンの視線は、火で炙られる肉に吸い込まれた。何故なら、その炙られている肉は原型を残していたのだ。その肉は、人間の足の形をしていた。小さいその足は、火で適当に焼かれ黒く燻ぶっている。
歯ぎしりが鳴り響く。それは、リオンの歯から自然と発せられた音だった。
抜剣し構えるリオン。
屈む様に低くした姿勢は、足をバネとして瞬発力を得るための突撃姿勢である。アイゼンリートに灯る光が、リオンの中に生まれた激情に寄り添う様にその輝きを増す。
輝きはリオンの腕から身体中へ伝い、リオンをより一層その力で包み込んだ。
「ハァァァァァァッ…………」
深く息を吐き、そして吸う。
視線はゲラゲラと口汚く笑い酒を飲むゴブリン共へ。
己の愛剣を握る手に更なる力を込める。
纏う青白い光の、秘めたる力のままに、リオンは足を踏み出す。
その瞬間、リオンの周囲が爆音と共に爆ぜた。