二十三話 祈りの魔法使い
「……この周辺に、彼女が居るのか」
見渡す限りに広がる草原。
その一点にライガーは立っていた。足元には来訪者の街に通じる転移魔法陣が赤々と輝いている。陣の中から踏み出し、周囲を警戒しながらライガーは草原を歩き出す。
「こう広いと目視じゃ見つけ難いかな。――――風に嘆願する、我が耳に生き物の音を届け給え」
魔法を行使し、己を起点にした半径数十メートルの音を拾う。その状態を継続しながらゆっくりと前進するライガー。その耳には数多の鳥の囀りや虫の鳴き声が入り乱れている。
これは暫くかかりそうだ。そう思ったライガーは次の瞬間己の耳を疑った。
『天に召します我らが父よ、願わくば御名を崇めさせ給え――――』
「……うわ、簡単に見つかった」
ライガーの耳が活力に溢れた大きな声を拾う。その声はマタイの福音書に記載されている主への祈りを口にしていた。
その方向へライガーは歩く。暫くして目的の人物を肉眼に捉えた。
白く、大きなフードの付いたローブを着た長身の女性。ライガーは歩み寄りながらその女性に声を掛けた。
「クリスティーナ!!」
「国と力と栄えと、うん?」
ライガーの声が聞こえたのか、クリスティーナという名前を持つその女性は振り返り、フードの奥で輝く碧眼をライガーへと向ける。そして己の名前を呼んだ人物がライガーであると知ると、破顔し満面の笑みを浮かべてライガーへと歩み寄った。
「ライガー? おお、ライガーではないか!! 精霊の御子よ、元気そうで何よりだ」
「……はぁ」
精霊の御子。
その単語を聞いた瞬間、ライガーは溜息を吐いた。その言葉はクリスティーナのライガーに対する認識を現すモノだが、ライガーはその呼ばれ方が好きではなかった。
「その呼び方、止めてくれない?」
「うん? ああ、そうだったな。ライガーはこの呼ばれ方が嫌いだったか。いや、久しぶり過ぎて忘れていたよすまん」
「……まあ、いいけどさ」
互いに歩み寄るクリスティーナとライガー。
クリスティーナはあと十歩ほどでライガーに手を伸ばせるという距離に来ると、被っていたフードを脱いだ。フードの中に纏められていたのか、長く美しい金髪が風に揺られながら解放された。
「今までどうしていた? いや、まず私は状況が掴めていない。暫く前にこの地を踏んだが人の影も見えなくてな、正直困っている」
「あー、クリスティーナはこっちに来てどれくらい?」
「うん? 三か月程だな。そちらは?」
「一ヶ月強って所。……成程、やっぱりズレがある」
クリスティーナの言葉を聞いてライガーは呟く。
過去にトーマス達と邂逅した際、ライガーは己とトーマス達来訪者との間で異世界に転移する時期が若干違っていた事を覚えていた。誤差の生じた原因が気になったが、ライガーはクリスティーナに事情を説明する事優先しようとする。一端、疑問を脳の隅に追いやり口を開いた。
「じゃあ現状について説明しよう。まずここは異世界で、クリスティーナの元居た世界は滅びました」
「…………は?」
端的且つ簡潔な言葉である。しかしその内容があまりにも突拍子の無いモノであるため、クリスティーナはその言葉の意味を咀嚼しきれずに疑問の声を漏らした。
「えー、次に」
「いや、待て。待つんだライガー。流石に突拍子が無さすぎる。異世界? ああ、ゲームの世界に似ているし、にしてはいやに現実臭さがあったからそんな予感は薄々していたさ。けれど、世界が滅びたってのはなんだ?」
「あー。ま、そうなるか。じゃあ映像を見せよう」
混乱の余り上ずった声で問いかけるクリスティーナを見て、その様子も仕方ないと納得したライガーは実際の映像を見せ理解を促そうと考える。
ウィンドウを開き、必要な操作を行うとクリスティーナの眼前に映像が投影された。そこには、崩壊した街が映し出されている。砕けたビル街。立ち込める黒い煙。それらを認識したクリスティーナの胸中は、ライガーの言葉が本当かもしれないと考えながらも、そんな事があってたまるかと認めたくない思いで溢れていた。
「……ライガー、頼む。嘘だと言ってくれ。どうせまた、Mr.三日月の仕出かした性質の悪い実験なのだろう?」
「三日月と知り合いだったんだ。なら話は早いか。三日月はこれを見越して僕達を異世界に飛ばした。そこには多分、突如訪れる非日常に対する免疫を構成しようって意図も有ったんだろう。僕達は魔物との戦い方を覚え、彼やその同志の下でその力を振るう事が期待されている」
「皆は、ジーンやサラは無事なのか!?」
クリスティーナはライガーの放った言葉が本当のモノなのだと判断し、詰め寄りライガーの両肩を強く掴んで尋ねる。
ライガーは嘘や冗談を殆ど言わない少年であり、嘘や性質の悪い冗談を嫌う性格だったと記憶している。少なくとも、ゲームを通してクリスティーナが認識したライガーという人物の性格はそうだった。
冷静に、冷たさすら感じる声音で淡々と説明するライガー。その様子がどうしようもなくクリスティーナを不安にさせた。
「その二人は、君とどういう関係?」
「身内だ。……血の繋がりはない。私達はスラム街で知り合った」
「だったら大丈夫だ。三日月は僕らを運用する為にプレイヤーの身内や周辺の親しい人を保護している。尤も、人質みたいなものだけどね」
「じゃあ、無事なのかっ」
「名簿を見てみよう。その二人は何歳?」
「どちらも十二になったばかりだ」
「ほいさ。えーと……」
ライガーはサポートシステムを活用し、保護者名簿からジーンとサラを検索する。その機能を知ったのはつい先程の事だった。説得に必要とい成るかもしれないと三日月が言い、ライガーの扱うサポートシステムに対し名簿の閲覧権限を追加したのだ。
早速必要になるか。心中で呟きながら、ライガーはウィンドウを二つ展開し名前の項目に目を配る。下へ下へと項目をチェックする内に、並べ立てられ流れていた文字群の動きが止まった。
「見付けた。これであってる?」
検索結果を開き、クリスティーナの眼前に表示する。
開かれた二つのウィンドウ。それぞれに少年と少女が映し出されている。少年は短い赤毛の生意気そうな印象を受ける顔立ちをしていた。対する少女は長い銀髪と褐色の肌を持つおっとりとした印象の少女だった。
「ああ、ああっ、主よっ!!」
感極まり、跪いて祈りを捧げるクリスティーナ。涙を流しながら祈りの言葉を呟く彼女を見て、どうやら当たりの様だとライガーは判断する。
暫く、彼女は涙を流しながら祈りを捧げていた。
◇
「落ち着いた?」
「ああ、みっともない所を見せてしまったな」
「気にしなくて良いよ」
数十分ほど経過し、心を落ち着けたクリスティーナが立ち上がる。
その姿勢は危うげなく、双眸はしっかりと現状を見定めようと開かれていた。
「それで、詳しく話を聞きたい」
「解った。三日月にも頼まれていたしね。まず……」
ライガーは己の知り得た知識をクリスティーナへ披露する。崩壊した世界。敵の勢力。味方の規模と現状。それらを聞き終わり、クリスティーナは考え事を始める。眉間に皺を寄せ、目を閉じて己の中で結論に辿り着こうとしていた。
暫くして、クリスティーナは閉じていた眼を開く。その表情は自信に満ちていた。
「考え事が終わったようだね」
「ああ。と言うより、私にとっては考える事すら必要無かった事だ。どうやら、突然の事態に動揺していたらしい。まったく、情けない限りさ」
「へぇ。その考える必要すらなかった事、聞かせて欲しいかな?」
自信に満ちたクリスティーナの発言に、ライガーは若干の興味を惹かれた。
その問いに対し、クリスティーナも気負う事なく堂々とした態度で返答を行う。
「三日月が私の身内を保護している事は解った。これで一番の心配事が無くなったと言える」
「まあ、そうだな」
「そして、私の魔法は使用に際して制約が課せられている。故に、人質が有ろうと無かろうと、三日月は私の単独行動を黙認しなければいけない」
「……あ、そうか。あんたの魔法ってお祈りだっけ」
ゲーム時代を思い出しながらライガーは言う。その言葉に、誇らしげな微笑を浮かべながらクリスティーナは答えた。
「その通り。そして私の行使する奇跡は人々の救済という目的が無ければ発動しない。そもそも、これは借り物の力に過ぎない。それを、己の勝手気ままに振り回すのはいかんだろう?」
「…………」
クリスティーナの言葉に、ライガーは己が魔法を使った時の状況を思い出し、割と勝手気ままに力を振り回していたのではないかと考え始める。スピリタルに対する感謝や尊敬の念はあれど、使わなくても良い時に使ってはいなかっただろうか。
己の魔法の使い方を回想し、ライガーは溜息を吐くと共に反省した。
「ど、どうした?」
「ううん、自分の魔法の使い方について少し考えてて……。はぁ……」
「まったく、君の悪い癖だな、その脱線思考は。それに、君はどちらかと言えば精霊寄りの存在じゃないか」
「……そういや、クリスティーナは随分前から僕を人間扱いしてなかったね」
ライガーはクリスティーナとの邂逅を思い出す。
彼女は魔法を使うライガーを見て、ライガーを魔法使いではなく精霊と呼んだ。当時のライガーは己に対する認識を否定されたような思いを抱きその言葉を嫌っていたが、三日月を経由した情報で己の存在についての知識が入るとその呼称も的を射てると納得できた。
語るべきは、一目でライガーを人間ではないと見抜いた彼女の眼についてだろう。
ライガーの言葉に対し、クリスティーナは首を少し傾げながら口を開く。
「うん? いや、君が人間ではないのは一目瞭然じゃないか。普段からそれだけ周囲を輝かせているのだから」
「……え?」
思いも因らないクリスティーナの言葉にライガーは間の抜けた声を出す。
その様子をクリスティーナは訝しげに見つめていた。
「え、じゃないよ。私がこの力を行使できるのも、君が君の周りに居る精霊たちと心を交わす様を見ていたからだ。不思議じゃないだろう?」
「……クリスティーナ」
「なんだ?」
「ひょっとして、……見えてるの?」
「何がだ?」
「君の言う、精霊」
「ああ、今も君の周りを旋回しているではないか。本当に、美しい……」
どこか恍惚とした表情でクリスティーナが言う。その反応を見て、ライガーは確信した。クリスティーナはスピリタルを視認しているのだと。
ライガーはスピリタルを感知できるが、それを視認した経験は余りにも少なくその条件も定かではない。そのライガーを差し置いて、クリスティーナの眼には常にスピリタルの輝きが映っていた。
半精霊的な存在であるライガーを上回る認識力。それは魔法と言う分野における才能の大きさに繋がるのでは、そうライガーは考える。
「……兎に角、だ。私の力は人助けに使われるべきだ。私は私に対しそう誓約した。故に、残念ながら君と共に三日月の下へ行くわけにはいかない」
「クリスティーナ?」
十字を模した大きな杖をどこからともなく取り出したクリスティーナはそれを横に振る。その瞬間、彼女の足元に魔法陣が展開された。
「すまんなライガー。三日月の下で動くと決めたのだろうが、生憎私は勝手に動かせてもらう。出来れば、私の家族にも目を掛けてやってくれ。……去らば!!」
「クリス、ぐぅっ!?」
突如発生した眩い閃光と暴風に目を瞑るライガー。再び目を開けた時には、クリスティーナの姿はなくなっていた。
「……三日月からの頼まれ事、これは失敗かな」
残されたライガーは草原で一人呟き、三日月と連絡を取る為に通信用のウィンドウを開いた。