十七話 The profile of lion
「……ここ、は?」
突如発生した閃光に目を眩まされたリオンは、咄嗟に閉じた眼を開ける。視界に入った世界はリオンの見慣れたモノだった。そこはとある街にあるビルの一室、リオンがダイバーズ・ギアの実験で使用している部屋だった。
リオンは自分の格好に目を向ける。異世界で使用していたレザーアーマーはそのままであり、首にはライガーから貰ったアミュレットがある。それを見て、リオンは優しい微笑みを浮かべた。
「お疲れ様でした、リオンさん」
「……一条さん」
寝台らしきモノの前に立っていたリオンに誰かが後ろから声を掛ける。その声の主をリオンは知っていて、振り向きながらその名を呼んだ。
振り向いた先に、一条と呼ばれた若い女が居た。一条 アカネ。黒い髪を短く切り、平均より高い身長をスーツに包む彼女の雰囲気は格好の硬さとは打って変わり柔らかい。普段なら、リオンは彼女に対し悪性の感情を持つ事はない。しかし、彼女も異世界転移騒動の一翼を担う者である可能性は高く、以前の価値観でそれなりの好意を抱こうとも、彼女に対する認識は敵対者へのそれに近かった。
「……貴女も、一連の騒動に関わっていたんですね?」
「ええ」
「私の現状を知りながら」
「その通りです」
「っ!!」
飛び出しそうになった罵声を抑え込み、リオンは一条へ詰め寄りその胸倉を掴むと己の方へ引き寄せた。
「こ、のっ……」
「謝りません。此方にも理由があった。それに、貴女は謝罪など欲しないでしょう?」
「そうね、その通りだわ。……けど」
「あぐっ」
引き寄せていた一条の貌に、リオンは拳を打ち込む。顔面と拳が衝突する際の鈍い音の後、殴られた一条は後方へ点とした。
「私が冷静でいられるかどうかは別の話よねぇ?」
「……確かに」
溜息を一つ吐き、殴られた頬を摩りながら一条が立ち上がる。立ち上がった一条は己が抱えていた荷物をリオンへと手渡す。それは、リオンが外泊と称し実験に付き合う際に使っていた着替えなどの旅行セットだった。
「一ヶ月が経ちましたが、その間の貴女の家族に対する保証はしっかり行わせて頂きました」
「当然よ。でなければもう五、六発程拳が飛んで行ったでしょうね」
「…………」
リオンの言葉に、一条は笑顔を浮かべながら冷や汗を流した。先程の一撃が余程痛かったと見える。
「母さん達にはどういったフォローを?」
「外国に有る支社へ向かったと言って置きました。緊急依頼の手当てを水増しした額、煎餅の入った箱の底に詰めて見たら凄い目で睨まれましたけど」
「……流石に一ヶ月と言う時間は誤魔化せないと判断した訳ね」
「その通りです。まったく、誤魔化しを担当する私の身にもなって欲しいモノです。これで何回目だって話ですよ。後、使える方法は幾つありましたっけ……」
やれやれと肩を竦ながら考え事を始める一条に、リオンは苦笑を浮かべた。リオンと一条の関係は実験における被検体と実験者のそれであり、そして社員と雇用主の関係でもあった。リオンが実験に参加し、既定の事を行いその分の報酬を受け取る。報酬の取得に関する諸々の面倒は一条が解決しており、その点から一条は少なくない信頼をリオンに向けられていたのだ。
「さ、早く帰ってあげなさい」
「言われなくてもそうするわ。それじゃ」
なんでもない事の様に答えると、リオンは荷物を背負い部屋を後にした。
その後ろ姿を、一条は唯複雑そうな視線で見つめていた。
◇
夕暮れの住宅街をリオンは歩いていた。その格好はレザーアーマーではなく通っている高校の制服である。
学校帰りの喧しい笑い声、道路を規則正しいスピードで走る車、無機質な文明の匂い。それらがリオンに久方ぶりの安寧を与えた。帰ってきた、リオンは実感を伴ってそう確信する。
己の家に向かうその足は次第に急ぎ足になる。早く、家族の表情が見たい。笑っているのか、それとも泣いているのか。異世界にいる間、気がかりで仕方なかったそれらの思いが一気に溢れ出す。
いつの間にか、リオンは全力で駆け出していた。息を切らせ物凄いスピードで歩道を走るリオンに、周りの通行人たちは怪訝な視線を向ける。しかし、リオンはそれらを全く気にしていなかった。
そして暫く走り、リオンは我が家へと辿り着く。
「はぁ、はぁ……」
息が熱と共に口から排出され、即座に新しい空気を取り入れまた吐き出す。息の切れたリオンは呼吸を正すと玄関へ歩み寄り、そのドアノブを握った。
捻るが、玄関のドアは開かない。どうやら鍵が掛かって居るようだ。
「……?」
リオンは首を傾げる。夕方のこの時間帯は、家族全員が家に揃う時間だ。鍵が掛かっているという事はどこかへ外出しているのかもしれない。もしや自分の居ぬ間に外食でもしているのでは、そう考えリオンは苦笑した。走ってきた自分が馬鹿みたいではないか、帰ってきたら愚痴の一つでも言ってやろう。そう心に決めながらリオンは家の鍵を取り出し開ける。
ドアノブが捻られ、玄関のドアが開いた。
「ただいま!!」
その言葉を発したリオンは一種の爽快感を感じた。
ようやく日常に戻って来れた。辛い事は多いが、笑っている家族と共に過ごす時間と言う幸福を取り戻したのだ。その考えがリオンの目尻に涙を滲ませる。
滲んだ涙を拭い、リオンは靴を脱ぎ己の部屋を目指す。
辿り着いた部屋は、何も変わっていなかった。掃除をしていないからか若干埃っぽくは有るものの、逆にその状態がリオンを落ち着かせた。
荷物を放り、ベッドへ飛び込む。毛布や枕には己の生活臭が染みついており、それを嗅ぐ事でそこが自分の居場所なのだと強く認識する。寝床の寝心地を転がりながら確かめると、己の部屋の天井を見つめた。何も変わっていない、蛍光灯と白い壁紙の天井だ。
窓から差し込む日の光が部屋を若干赤く染めていた。
次第にリオンの意識が薄れて行く。
落ち着ける環境でのリラックスした状態は、精神に多大なストレスを抱えていたリオンに疲れを癒す様にと言い聞かせる。その悪魔の甘言にも似た睡眠欲求に従い、リオンは眼を閉じた。
微睡の帳が降りてくる。
呼吸が和らぎ、全身が重くなって行く感覚に、リオンは精神が解放されていく錯覚を覚えた。
その最中、何かが音を鳴らした。
硬く重いモノなのだろう。大きく鈍い音が部屋に響き、それはリオンを微睡の淵から引き摺り上げた。
重い瞼をどうにか開け、音の発生した方へ視線をやる。
そこには、リオンの得物であるバスタードソードがあった。バスタードソードが、机に立て掛けられているのだ。
「……………………ぇ?」
微睡から抜け出せないのか、漏れ出た声は無防備且つ愛らしいモノだった。
鈍重極まりない思考でリオンは考える。バスタードソードはリオンがゲーム内で愛用していた武器であり、それは異世界においても心強い力だった。それが、机に立てかけてある。
その異常性を認識した瞬間、リオンは微睡を金繰り捨ててベッドから飛び起きた。
「なんでこれがっ!?」
驚愕の余り叫ぶリオン。
そして次の瞬間、爆音が響き渡った。轟音と震動がリオンを襲う。
爆発による衝撃は部屋の窓ガラスを粉砕する。その危険性を考えた咄嗟に回避行動を取る。リオンは瞬時にベッドのマットレスを跳ね上げ盾にしその身を守った。
飛来するガラス片がマットレスを切り刻む。その音を耳にし、リオンの精神は異世界で戦闘を行っていた時と同一の状態へと移行した。
疑問を放置し反射的にバスタードソードを手に取り、机の引き出しから手鏡を取り出し窓の縁から覗かせ周囲を確認する。見れば、住宅街の細い道路に魔物が居た。ゴブリンやリザードマン等のデミヒューマンタイプから、魔犬や亜竜種などのクリーチャータイプまで、様々な種類の魔物が犇めき合いながら遠方より来る。その魔の群れに、人々はただ飲まれるのみだ。
体格の良い男が居る。足を魔犬に食い千切られ、機動力を失くした状態で貪られてしまった。
包丁を握って半狂乱になりながら魔物を殺す主婦がいる。やがて正気を失い、注意力が霧散したところをリザードマンの持つ槍に貫かれた。
阿鼻叫喚、地獄絵図。
人々の悲鳴と魔物の雄叫びが主旋律と和音の如く絡み合い一つの戦慄と化す。
それを聞き届け、リオンは吐き気とイラ付きに襲われ歯軋りを鳴らす。
人々が直接的に死ぬ様を見たのは、波乱あるリオンの人生においてもこれが初めてだった。そして己の帰還した日常が容易く破壊される様に大きな怒りを抱く。
怒りに呼応する様に、バスタードソードの刀身が発光する。
視線の先で、逃げ遅れた子供が一人魔の群れに飲まれようとしていた。小さい、小学校は低学年くらいの女の子だ。足を縺れさせて転んだ少女は涙を浮かべながら跳び掛かる魔犬を見た。
その牙が到達するよりも速く、リオンのバスタードソードが魔犬を脇腹から両断した。窓辺を蹴り飛ばしたリオンが高速で飛来し、少女と魔犬の合いでに割って入ったのだ。
血飛沫と臓物が飛び散り、リオンの着ている青いブレーザーを赤く汚す。その様を、逃げ遅れた少女は呆然と見つめていた。
「……貴女」
「っ!?」
リオンが振り返り声を掛ける。
魔犬を葬った剣の青と赤が、突如現れた暴力の化身とでも言うべき女が少女に恐怖を抱かせた。
その内心を考慮せずにリオンは言った。
「この状況じゃ、誰も貴女を助けられない。怖いでしょう? 辛いでしょう?」
「……う、ん」
「皆同じなの。だから自分を助けるので精一杯。私は、少しだけ強いから今貴女を助けられた。けど、それにだって限界はあるの。……だから」
少女の小さな肩に手を置いて、力強く万人の心に響く様な声でリオンが少女に命じた。
「走りなさい。そして、生き残りなさい」
言葉を吐き終えるとリオンはアイテムウィンドウを表示する。そこから鞘付きのナイフを取り出し少女に託す。
「これは選別よ。きっと必要になるから、大事にしなさい」
言い終え、リオンは踵を返し迫る魔物共と対峙した。
その背中が少女の目に焼く着く。恐らく、少女はその背中を一生忘れられないだろう。
リオンに背を向け、少女は受け取ったナイフを胸に抱え、脇目も振らず全力で走り出した。その足音を聞きながら、リオンは獰猛な笑みを浮かべた。
眼前には見渡す限りの魔物共。しかしリオンはそれらに対し一片の恐怖も抱かない。ただ湧き上がる怒りのままに切り刻もうと考える。
「手間を掛けてもいられない、か。なら多少の無茶もしなければいけない、そういう状況よね。解ってくれるわよね? ライガー」
胸元に下げられたアミュレットを見てリオンは呟く。
そして目付きを鋭いモノへ移行させ、バスタードソードの柄を両手で持ち構える。
「――――起きなさい、アイゼンリート。戦の時間よ?」
その言葉に呼応し、バスタードソード、アイゼンリートが極光を放つ。魔道具としての力が解放されたのだ。
その光は腕を伝い、リオンの身体や長い頭髪を蒼白く発行させる。
青く明滅するリオンに対し、魔物共は気圧される。基本的に魔物は本能に従う生き物だ。その本能が告げた。この眼の前の化け物には敵わない、尻尾を巻いて逃げるべきだ、と。
「アイテムウィンドウを開く事が出来る、か。まだ、あの男の引き起こした事件の途中なのかもね。……まあ、どうでも良いわね、そんな事」
青い燐光を纏いながら、リオンは一度剣を横薙ぎに振るう。
風を切る鈍い音が魔物共を威圧した。
リオンにとって、魔物共は取るに足らない有象無象でしかない。ゴブリン・アーミーならいざ知らず、大した知恵も持たず隊列も組まない低能な魔物は狩りの対象にしかならない。本来ならば脅威として認識される筈の圧倒的な数ですら、リオンには刺激が弱い。
「母さん達を探さなきゃいけないんだ。邪魔だ、退け。退かない奴は全部斬り潰して押し通る!!」
発した声と共に、その場に青い残光を残してリオンは敵を切り刻み始めた。
◇
戦いは終わらない。
異世界と元の世界。場所を選ばず、彼女は戦う事しか出来ない。
獅子の名を冠する者はこれまでと同様、これからも戦い続ける事になるのだろう。
彼女はそれを不満に思わない。戦いこそが現状の彼女を構成したからだ。
大切な者の為に行使する手段であったそれは、既に彼女の骨肉になったが故に。
そして彼女は、壊れかけた世界で鉄歌を奏でた。