十五話 考えるライガー
噴水広場の地下を出て、既に三日の時間が経過していた。
その三日間、ライガーは只管己の事に思いを馳せている。屋敷の自室、ベッドに転がり見上げる木製の天井。視線をそこに向け、情報として脳が処理しようとも、ライガー自身はそれを見ていると認識していない。ただ己の内側に意識を傾け続けている。
その様子を、同居人の蜘蛛がただ見ていた。人間よりも数の多い眼球はがライガーを映して輝いている。蜘蛛は、暇さえあればライガーを見ていた。それがどの様な理由で行われている行動かなど蜘蛛自身も理解していない。
「……僕は、人間じゃない」
感情の感じられない小さな声で、ライガーは呟いた。
「なんで、人間なんだと勘違いしていたんだろう?」
呟き理由を考える。
そもそも、ライガーはスピリタルを認識できていてもその本質を理解している訳では無い。ただ光り輝くモノに魅了されていたにすぎないのだ。
ライガーが己を人間だと勘違いした最大の理由は己の形状にあると言える。二本の腕と二本の脚。二足のみで直立する行動形態。物を掴み、握り、振り回せる腕。言語を発するのに適した声帯。その他さまざまな要素が人間と相似しており、ソルジャーズ・ワールドには同じ形態を持つ知性体が何体も居た。
それらと行動を共にする内に、言葉を交わす内に、ライガーは己を人間だと勘違いしていったのだ。そう自身の中で結論を下す。
「……僕は、人間である事に拘っているのか?」
次に考えるのは自分がどの様な感情を持っているかという事だ。
ライガーは普段から人間とは何か、などという哲学的な考えをしている訳ではない。しかし、三日月に人間ではないと暴かれて少なくない衝撃を受けて居た事もまた事実だった。
ではその衝撃の正体とは何か。悲しみか、怒りか、諦観か。それがライガーには解らない。そもそも感情の全てを知り尽くすには余りにも短い経験しか持っていないのだ。人間の三歳児に対し感情を詳細に説明せよ、と言って説明できる者が一体何人いる事だろうか。しかし、ライガーは考える事が無茶であるという発想を持たない。
何故ならば、自我を形成してからというもの、ライガーは何かに付けて考え事をしていたからだ。魔法を使うにしろ、迷宮を探索するにしろ、それがゲームの場と言えど頭は使う。ライガーは生まれてから延々とゲームを攻略していたのだ。失敗しては撤退し、失敗した理由を見つければそれを潰し、成功しても失敗の経験を忘れず次へ活かし、ゲームという括りこそあれ考えるという思考の働きは既にライガーの日常と化していた。
そのライガーを以てしても、自分がどの様な感情を抱いているのか判然としない。それが焦燥感を生み、しかし解らない以上それを指針とした行動を起こせない。故にライガーはベッドの上で寝っ転がっていた。
「……解んないや。次の事を考えよう。僕は、スピリタルなのだろうか?」
記憶を洗って出て来た青い光。それが自分に接触した影響に心当たりが有った。
ライガーの使う魔法とはスピリタルに対する要請である。声を発し、力を借り受けて奇跡を発生させるという、他力本願の魔法。しかし、それとは別に、ライガーにはもう一つの魔法が有った。氷柱である。
ライガーは始まりを思い出す事が出来なかった。しかし、記憶の中ライガーは何時如何なる時もこの氷柱を呼吸する様に、手足を動かす様に自然な動作で行使して見せていた。要請とは違い、嘆願とは違いそれはライガー自身の感覚によって行使される、ライガー自身の力であった。
「……僕の氷柱は、僕自身の力で生み出されたモノだ。ならば、僕は氷に関連するスピリタルなのか?」
氷とは低温化における水の固体であり、そこから考えられる魔法的意味合いは低温、硬度といった所だろう。その力は、接触した青い光が齎したモノなのではないか、そうライガーは考える。
「…………」
今一度、ライガーは己に意識を向ける。
魔法を行使する際の呼びかけを意識し、外界への認識を捨て只管内側のみを見つめ続ける。
すると、見えた。
ライガーは己の中に灯る青く、そして冷たい光を見つけた。それは紛れもなく、あの時触れた、あの時知った冷たさだった。
「……あ、あ」
手を伸ばす。
それは遠くで瞬いている様に見えた。だがそれは大きな問題ではない。何故なら青い光は己の内界に居座っていたのだ。ならば、手が届かない事はない。
手を伸ばす。手が短いのか、それは光には到底到達しない。それを見て、ライガーは鼻で笑う。己の手が、己の内側に届かない程短くあって堪るかと呟きながら、手を伸ばす。
腕は、面白い程に巨大化して光に触れる。いや、ライガー自身が巨大化しているのだ。触れた光はライガーの思った通りに冷たかった。そしてそれが自己と同一の存在でない事も認識できた。
「……そっか、ずっと僕の中に居たんだ。僕は、独りじゃなかったんだ」
浮上した意識と共に、ライガーは己の身体を掻き抱く。
自覚すればはっきりと認識できた。己の中の光は冷たい。寒さを伴いながらライガーの中に居座る。しかし、それでもライガーには暖かく感じられた。孤独ではない事がライガーの心を救っていた。
眼を開くライガー。しかし、そこでまた疑問が浮上し、首を傾げる。
「……そう言えば、僕は何で自分の事を十七歳だと思っていたんだろう?」
ライガーの考えは事はまだまだ続く。
◇
「……貴女、そこで何してるのかしら?」
「わきゃ!?」
ライガーの屋敷の前にて。消沈しているライガーの様子を見に来たリオンは奇妙な人影を見つける。柔らかそうな短い金髪とメイド服を身に纏った小柄な少女という情報は、瞬時にアリッサだとリオンに認識させた。
アリッサは屋敷の門前で引き腰の体勢になりながら内部の様子を窺っていた。そして現在、リオンに声を掛けられて素っ頓狂な悲鳴を上げているといった状況である。
後方より声を掛けられ、驚き身体を震わせながら振り向く様がリオンに小動物的印象を与えた。
「で、何してるのかしら? 私はライガーの様子を見に来たの。そこに居られると、邪魔なんだけど?」
「うぅ……」
鋭い視線で睨みながらリオンが言う。その視線と発言に怯んだアリッサは短く呻いた。リオンの中に有る疑心と憎悪は、その内心に強く根を下ろしたままだ。それを解るからこそ、アリッサは反論が出来ない。その内心はこの場から逃げ出したいという思考で埋め尽くされていた。
「……わたし、は」
しかし、アリッサは逃げると言う選択肢を持っていない。
「私も、ライガー様の様子を見に来たのです」
何故なら、彼女の目的はリオンのそれと同一のモノだったからだ。
「へぇ……?」
口の端を一つ痙攣させ、態と感心した様な声音でリオンが呟く。その思考を覗けば、どの口がほざくのかという怒号を耳に出来る事だろう。だがリオンは、その感情の猛りを声に出さない。目的である帰還が約束された以上、無駄な労力にしかならにと判断しているためだ。また、アリッサは三日月側の人間であり、下手に手を出して機嫌を損ねられでもしたら堪ったモノではないといった警戒もあった。
「……まあいいわ、ならさっさと行きましょ?」
「あの少々お持ちを……」
アリッサの横を何でもない事の様に通り過ぎたリオンに、アリッサが制止の声を上げる。
「何か困り事?」
重要な理由があるのではないか、その考えから問いを投げる。投げられた側であるアリッサは視線を泳がせ、慌てながらも己の考えを口にした。
「……その、まだあの、心の準備が」
「…………」
「わひっ!? や、あ、耳を引っ張らないでくださいぃ!!」
堪ったフラストレーションを少しでも軽減しようと考え、リオンはアリッサの耳を引っ張り無理やり連れて行くという行動を起こす。
屋敷の門前には、アリッサの情けない悲鳴が響いていた。
「ほら、何時までへっぴり腰になってるの、シャキッとしなさい」
「わ、解ってます、貴女に言われなくとも!!」
「そう、それだけ喧しければ充分ね」
「あぅっ、いたぁぃ」
叫ぶように返答したアリッサに漸く満足したのか、リオンが耳を掴んでいた手を引っ張りながら離した。赤くなった耳が痛いのか、アリッサは耳を手で撫で摩っている。
そんな二人は現在、ライガーの部屋の前に居た。玄関口の呼び出しベルを鳴らすが一向に反応のない屋敷に対しリオンが特攻を行ったのだ。
「ライガー、いるんでしょ?」
「…………」
「……反応がないわね」
「あの、留守なのでは?」
「魔法使いが己の留守に鍵も罠も掛けずに出かけると思う?」
「……確かに」
部屋の扉をノックしながら呼び掛けるリオンだが、ライガーからの反応はない。その事実を認識し、リオンは己の顔面を片手で覆った。先の一軒影響でライガーに対するリオンの認識は口減らずの魔法使いから無垢な年下の少年へとシフトしていた。
年下の存在はリオンにとって特別な意味を持つ。妹の世話を焼くに当たり、リオンは年下の子供に対し無意識化で守らなくてはならないという認識を持つ様になっていた。その認識は妹のみならず、妹の周囲が抱える問題の解決の為に己を行動させる程度には強い衝動である。故にリオンは、出来る事ならばライガーに連れ添い、その心を慰めてやりたいと少なからず思っていた。
しかし、状況がそれを許さない。リオンの最優先にすべき対象は元の世界に居り、帰還を望むリオンはライガーと別れなければならないのだ。そしてそのライガーは現在、己の部屋に引き籠っている。自己の存在を否定された子供への対応は、流石のリオンも体験したことが無かった。
故に困惑を露わにする。顔を押さえ、どの様な対応を取れば良いかを考えているのだ。
リオンの様子を見て、再度特攻を掛ける訳ではないと認識したのか、アリッサが胸を撫で下ろした。その挙動がリオンの目に留まり、神経を逆撫でる。生まれたイラ付きの命ずるがままに、リオンは部屋の扉を蹴り飛ばした。
乾いた音を発てて吹き飛んだ扉が室内の床を転がる。その音に反応した蜘蛛が驚き跳び上がりながらも威嚇を始める。
「止めときなさいよ巨大蜘蛛。邪魔すると刻むわよ?」
「~~~~!?」
勇ましく威嚇したまでは良かったが冷徹に過ぎるリオンの視線に恐れをなし、蜘蛛は屋根に張り付いた。
そして、そこまでしてリオンは己の行った乱暴極まる入室に後悔する。
「……最近感情的になり過ぎるわね。あっちに居た頃は平気で抑えられていたのに」
気まずさと疑問から、リオンは視線を泳がせる。するとライガーを発見した。ライガーは目を瞑り胸の辺りで手を組みベッドで横になっている。それを見て近付こうとしたリオンは、ライガーを注視する事により足を止めた。良く見れば、横になっているライガーから青い燐光が放出されているからだ。
「……ライガー?」
意を決し、リオンはライガーへと呼び掛ける。その呼び声が届いたのか、ライガーは眼を開ける。それと同時に放出されていた燐光が掻き消えた。
「…………ん、リオンに、アリッサ? いらっしゃ、……君は本当に乱暴だな」
寝惚けたような表情でリオンとアリッサに出迎えの言葉を放とうとしたライガーは吹き飛んだ扉を見て白い視線をリオンに送る。リオンは、その視線を前に顔を逸らした。それなりの罪悪感は有る様だ。
「さっさと返答しない貴方が悪い」
「じゃあ今度、リオンが返答できない状況の時に家を訪ねて玄関を吹き飛ばしてやる」
「……ごめん」
魔法使いの発言する吹き飛ばすと言う言葉に、その光景を想像したリオンは即座に謝り、ライガーもそれ以上は追及しない。
「それで、何か用?」
「貴方の様子を見に来たのよ」
「僕の?」
「ええ。あの日、部屋まで送った貴方は虚ろな目をしていたのよ? 時間が必要だとは思っていたけど、心配だったのよ」
「え、リオンが僕の事を心配? 何の冗談?」
「……貴女の中の私ってどういう印象なのかし?」
「不毛地帯の乾燥河童女。馬から引き摺り下ろす様とか、遠野の河童もびっくりだ」
「へぇ、良く解ったわ。貴方のその出来損ないな頭をカチ、……待って、遠野?」
ライガーの口から吐き出された言葉に対し、リオンは疑問の声を上げる。それというのも、ライガーが元の世界の地名を口にしたからだ。
「うん、遠野。……あれ、遠野ってどこだっけ?」
「岩手よ」
「そうそう、岩手。……岩手ってどこだっけ?」
「…………」
リオンは訝しげな視線をライガーへと向ける。視線を向けられるライガーは突如頭の中に現れた地名に頭を捻っていた。
「ライガー、その地名どこで知ったの?」
「……御免、解んないや」
「それ、元の世界の地名なんだけど」
「え?」
リオンの言葉に驚いた後、ライガーは考え事を始める。
知らない筈の事を知っていて、知って居るべき事を忘れている。その現状をライガーは認識し始めていた。霧の中に放置されたような感覚の中、ライガーは何時まで経っても明瞭な解答が出ない己にイラ付きが生じ始める。
そこでライガーは今に至るまでの記憶が戻ったケースを洗い直す。十全に思い出せない記憶は、外部からの衝撃に際し解放されていた。そこから隠されていた物を見つける様に、地中の芋を掘り起こすが如く様々な知識や記憶が蘇っている。そこでふと考える、己の記憶は己のモノなのだろうかと。
元から希薄であるが故に、ライガーは自分の輪郭を今一掴み辛いと考えている。そして、己の所持していた記憶にすら齟齬が出始めていた。
例えば、ライガーは事実が発覚するまで己の事を十七歳の男性だと考えていた。そこに根拠はなく、ただそういう設定なのだという認識だったのかもしれない。しかし、事実が発覚した以上ライガーは十七歳ではない。故にその記憶は間違いであり己のモノでない。
だが、ライガーはただ間違いであるとも言い切れなかった。何故ならば、ライガーその記憶に対し信頼を持っていた。根拠や経験が無いにも関わらずである。それがまたライガーを混乱させる。やがてライガーは、何故自分の名前がライガーであるのかという事すら思い出せなくなっていた。いや、理由が有ったのかどうかすら解らなくなったというのが正しいのかもしれない。
ライガーの中で信用できる記憶は、現状で共に冒険を行った仲間達との時間と魔法に対する執着だけである。己が信用できない恐怖が襲う。そこで気が付く、三日月に事実を言われた時に感じた感情は恐怖だったのだと。
人間かどうなど、どうでも良い問題だった。自分が自分である事にすらライガーは信用を置けなくなったのだ。
「ライガー様、顔が青いですよ? 大丈夫ですか?」
「っ!?」
気が付けばアリッサの顔が間近にあり、ライガーはそれに驚き仰け反る。アリッサの表情には心からの心配が滲んでおり、そこに感じ入る事が無い事もない。しかしライガーはアリッサの心配よりも自分の事情を優先して考えていた。
アリッサの顔を見ながら、ライガーは三日月の存在を思い出す。彼は言った、ライガーが気になり監視を行い、果ては記録を洗ったと。ならばライガー以上にライガーを知っている可能性が有り、第三者と言う客観的な視点から観察を行える三日月は信用できる情報源と言えた。
しかし、三日月と言う個人を信用に値すると判断するには余りにも接触した時間が短く、三日月の行動も信用のし辛さに拍車を掛けている。
「あ、あの? ライガー様?」
「……ん? ああ、御免。考え事してた」
アリッサの顔を見た時に硬直していた為に、ライガーの視線はアリッサに固定されていた。何か理由があるのかと考えていたアリッサだったが、流石に恥ずかしいのか声を掛ける事で事なきを得る。
「……駄目だ、やっぱり解らない。記憶にも齟齬が有るからどうして知っているかって質問には答えられないよ」
「そう。別に良いわ、無理しないで」
「ありがと。僕を客観的に観察していた三日月辺りに聞くのが一番確実なんだけど……」
「信用できないって所?」
「そう言う事」
溜息を吐くライガー。しかしその表情に悲愴感は見られず、ただ面倒くさいという感情だけが露出していた。それを見てリオンは大丈夫そうだと判断し、小さく微笑んだ。
「安心したわ、私が帰っても大丈夫そうね」
「……あ、そうか。リオンは帰還希望者だったね」
帰る、そう言ったリオンに対するライガーの反応は少し悲しそうな表情だった。異世界に来てからというもの、ライガーが最大限に感情を剥き出しにした相手はリオンであり、時には取っ組み合いの喧嘩もした。真っ向からぶつかったリオンに対し、ライガーは愛着の様な感情を持つ様になっていた。
引き留めたりはしない。ライガーはリオンの咆哮を聞いたのだ。命を賭して家族を守る、獅子の如き猛りを。この女は止まらないだろう、そう直感する。現にリオンは止まらず動き、常人ならば気絶してしまう程の魔法にかかっていようとも堪え抜いて見せた。そんな存在と仲間だった埃が、ライガーの中に有る寂しさを蹴り飛ばした。
「四日後、噴水広場に集まるわ。その時は、見送りにでも来て頂戴」
「勿論行くさ」
互いに笑いあうと、リオンはライガーに背を向け部屋の扉へ向かって歩く。そして、ふと足を止め振り返って口を開く。
「貴方との冒険、中々悪くなかったわ」
「……僕もだよ、ありがとう」
「此方こそ」
微笑み、ドアノブを捻ってリオンが退出し、その背中をライガーも微笑みで見送った。
「……まったく、ライオンみたいな女だ。……さて」
苦笑を浮かべて呟くと、ライガーは部屋に残っているアリッサに向き直る。ライガーの目に映るアリッサの表情は硬い。恐怖と焦燥、そして申し訳なさの混ざり合った表情をしている。
「君のご用件は?」
優しい微笑みのままに、ライガーは尋ねた。
◇
「私の要件、ですか?」
「うん。何となく、僕のお見舞いだけじゃなさそうだし……」
ライガーの言葉に、アリッサは顔を俯かせる。その様子を、ライガーは苦笑しながら見つめていた。間を置き、アリッサは顔を上げて口を開く。が、言葉を選んでいるのか、開いた口から音が出ない。
「ゆっくりで良いよ。伝えるべきと思う事や伝えたいと思う事、どっちでも話してみなよ」
その言葉を聞き意を決したのか、アリッサは言の葉を紡ぐ。
「……では、伝えたい事から。同志三日月より、ライガー様に協力要請です」
「協力?」
「はい。何でも、魔道具の作成を研究するのだとか」
魔道具とは、文字通り何らかの魔法が付与された器物の事を指す言葉だ。S.W.内でこれを人工的に製作できたと言う記録は少なく、その少ない記録も魔石などの力を借りたコストに見合わない高価な品物ばかりだ。
聞けば、三日月はそれを量産する事が目的らしい。
「魔法をツール化するのか。……ん? そういや、このアイテムウィンドウも魔法なんだっけ?」
ふと気になった疑問を口に出すライガー。対するアリッサは流れる様な滑らかさで解答する。
「はい。同志三日月の仲間である魔法使い様がこの街の地下に巨大な魔道具を建造したのです。ゲーム内のプレイヤー達はその恩恵を受けることができますね」
「それって、間接的にだけどプレイヤー達が魔法を使ってるってことだよね?」
「そう、ですね……」
言われて気が付いたという反応を見せるアリッサ。対するライガーは再び思考の海へと潜り込む。魔法をツールとしてプレイヤーに行使させる、マザー型とも言える魔道具の存在はライガーの頭を大きく混乱させた。
基本として、魔法とはスピリタルが無ければ発動しないモノであり、スピリタルに接触し奇跡を起こせる者を魔法使いと呼ぶ。では魔道具使いは魔法使いなのだろうか。ライガーの頭に過った考えはそれだった。
魔道具使いを考えるとリオンが思い浮かぶ。彼女は魔道具の使い手であるがではない。魔道具の力を用いて戦う戦士だ。しかし彼女にスピリタルを感知しているような様子は無い。この事から、魔道具使いは魔法使いと言う訳では無い。魔道具により個人レベルでツール化された魔法が使えようともスピリタルを感知出来ない以上魔法使いではないのだ。
では、魔道具使いや、ステータスウィンドウの操作で魔法に触れた者がスピリタルを感知しやすくなる事はないだろうか。神秘に触れる事により、個々人の感覚を呼び覚ませば魔法を使えるようになるのではないか。
その考えは憶測に過ぎず、確たる証拠もない。しかし、三日月が何らかの目的で魔法使いを量産しようと考えているのなら、魔法使いの力や知恵を借り受けたいという事に一応の理由が付く。
そもそも現状を考えるとプレイヤー達が追放されたという事すら怪しい。追放するのならば帰還などと言いださないだろう。何か有る、ライガーはそう考えた。しかし、それが何であるか、輪郭が掴めず考えは纏まらない。
「……だめだ、考えが纏まらない。ま、いっか。三日月には協力するって言っといて」
「はい」
「それで、それだけか?」
引っ掛かった考えを放置し、ライガーはアリッサの用事を優先させる。
アリッサは、先の伝達により緊張が解れたのか先程よりも滑らかに口を動かした。
「魔道具の研究をするに当たり、この屋敷の細部を紹介します。……そして私についても」
「まあ座りなよ」
話すと言ったアリッサに、ライガーは椅子に座る様に促す。アリッサはそれの従い着席した。
「ありがとうございます。まずこの屋敷は、もともと私が暮らしていた場所なのです」
「この屋敷が?」
「はい。知らない間にこんな大きな蜘蛛が住み着いているなんて思いませんでしたけど」
天井で己の巣を弄る蜘蛛に視線を向けながらアリッサが言う。
「そして、この街は元々魔法使いの街でした。それなりの歴史があり、住民達もそれを誇りに生きていました。……しかし」
目を瞑り何かへと思いを馳せながらアリッサが言う。ライガーは静かに、その言葉へ耳を傾けていた。
「年々魔法使い数が減少していったのです。私が生まれる頃には、この街に居る魔法使いは姉だけになってしまいました」
「……お姉さんが魔法使いだったの?」
「はい。両親が速くに死んだ私を守り育ててくれたのが姉です。強く優しい人で、私は憧れていました。しかし、街の人々はそうではありませんでした」
薄らと目を開けてアリッサが言う。その視線の焦点はどこにも合わせられていない。目を開けながらも外界を認識しておらず、その意識は過去の出来事を振り返っているのだろう。
「……成程、じゃあその魔法は意地悪な街の人から君を守るために掛けたものか」
「……え?」
不思議そうな表情でアリッサが呟く。ライガーはアリッサの姉が施した魔法は愛故のモノだと考える。それ以外の理由を考えられなかったからなのだが。
呆然としているアリッサの反応はライガーの眼には不可解なモノとして映る。
「だって、そうだろう? 肉親に危害が及ばないようにって掛ける以外、その魔法に使い道があるのかい?」
「……わかり、ません。姉は死んでしまったので」
「あ、う。済まない」
「いえ、いいんです。……そうか、そういう可能性もあるのか」
「……アリッサ?」
俯き、何事かを呟くアリッサ。その表情はライガーの位置からでは見えない。暫く考えたアリッサは、顔を上げるといつもの笑みを浮かべて口を開いた。
「いえ、何でもありません。それで、文献やこの家に残った魔道具類の説明をしますので着いて来てください」
「あ、うん。解った」
アリッサに促され、ライガーは部屋を出る。街の住民はどこへ行ったのか、何故アリッサはこの屋敷を離れたのか。まだ話していない事が山程あると考えるライガー。それでも結論を急がずにアリッサの後ろを歩む。
その二人の背中を、蜘蛛はただ見つめていた。