十三話 踏み込む二人
深夜の噴水広場。
どういった原理で動いているのか不明な噴水の傍に立つ影が一つ、ライガーだ。
ライガーは手を噴水の方へと掲げ目を閉じ、己の集中力を高めていた。研ぎ澄まされるライガーの精神に同調する様に、その周囲を発光する球体が飛び交い始める。それらは己の発する光により暗い周囲を照らしていた。
「……何をなさっているのですか?」
ライガーの後方より、ライガーへ向けて声が掛けられる。
幼さの残る、甲高いとも言える声音だ。その声音に似付かない冷静な言葉遣いに反応し、ライガーは眼を開けて振り返る。ライガーの眼に、柔らかそうな短い金髪を揺らすメイド服の少女の姿が映った。
その姿を目で捉えるとライガーは笑みを浮かべる。
「やぁアリッサ。何って、見て解るだろう? 魔法を使っているんだ」
「では、何故魔法を使っているのですか?」
「この噴水、どうやって動いているのか前々から気になっていたんだ。だからそれを調べようと、ね」
「…………」
笑みを浮かべるライガーとは対照的に、アリッサの表情は険しい。
険しい表情のまま、アリッサは早足にライガーへと近寄る。靴底と煉瓦の接触により奏でられる軽快な音が一定のリズムでライガーへ向かう。
「所で聞きたい事がるんだけど……」
「…………」
笑顔のまま発言するライガー。接近するアリッサは何を問われるのかと冷や汗を流しながらもその足を止めない。
「君って、魔法が使えたんだ」
「!!」
アリッサの足が止まる。その反応が示すのはアリッサの激しい動揺だ。その証拠として、アリッサの眼は驚きの余り見開かれている。
ライガーの笑みが、優しげなモノから猛獣の唸り顔を思わせるモノへと変容した。
「な、何の事ですか?」
「……リオン、彼女はとぼける事を選択した」
「え? きゃっ!?」
短い悲鳴を上げたアリッサはその場に叩き伏せられた。
痛みによって閉じた眼を開けば、首筋に冷たい感触がある。金属特有のひんやりした冷たさと、動物の物と思われる血の匂いがアリッサの中に大きな緊張を生む。
視線が首筋に突き付けられた剣の刀身を辿る。刀身の発する青い光によって下から照らし出されたリオンの貌がそこには有った。その表情は憤怒と憎悪に染まっている。
「動いてみろ、殺してやるっ!!」
「まずは話を聞いてからにしなよ」
「あら、貴方は私の邪魔をするのライガー?」
「僕はアリッサが嫌いじゃないしね。君にアリッサを殺すだけの理由が有ったとしても、納得できる理由があるのなら君と戦うかもしれない」
「……実の所、貴方には感謝しているのよ? 糞ったれな呪いを取り払ってくれたお蔭で、私は本来の目的を思い出したのだから」
「まさかっ、魔法が!?」
「あ、やっぱりそうだったんだ」
リオンの言葉に、悲鳴にも似た声でアリッサが言う。その声にライガーは獰猛な笑みを深めた。
「恐らく、使用されたのは敵意を弾くか逸らす、或いは別の感情に移し替える魔法なんだろう。でなければ、リオンやあの無謀な連中がデモも武力行使もしないなんて変だ。そして、彼らは君を認識していなかった。おまけに、法に綻びが有るのか、それともそういう仕組みなのかは知らないけど、掛けられた者が事実に迫るとペナルティを付ける絡繰り付きだ」
得意げに、名探偵のトリック明かしの様に語りながらライガーがアリッサへと歩み寄る。
アリッサの表情は俯いている為に確認できない。
「僕は魔法使いであり、且つ君に敵意を持たないからこそ気が付くことが出来た。そして彼女に纏わり付いていた戒めも解くことが出来た訳だ。……まあ、それは置いておいて。詰り、君か君の仲間は魔法が使えて、そして何らかの目的で君にそれを施した。僕とアリッサはその理由が知りたいんだ」
「私は少し違うわ。私は帰りたい。もし出来ないなら、貴方を八つ裂きにする用意がある」
「…………」
リオンがバスタードソードの柄を握り直す。握られる際の音からして、先程よりも強い力で握られたようだ。
「話しなよ、アリッサ。もしくは連れて行ってくれ、事情を説明できる人の所に。何で僕達はここに居るのか、その本当の理由を知りたい」
「…………」
「それと、何で魔法使いが必要なのかも」
「っ!?」
硬く口を閉ざしていたアリッサがライガーの放った魔法と言うワードに反応する。
暫く俯いていたアリッサは、何かを心に決めたのか顔を上げてライガー達へ言い放った。
「……我らが同志の下へ案内いたします」
「解った。……リオン?」
「はいはい、今退くわよ」
不機嫌面のリオンアリッサの拘束を解き、バスタードソードを布に包んで背中の留め具に掛けた。
立ち上がったアリッサは噴水に近付くと右手を掲げて何やら呟き始める。
「――――我、同じ志を抱く者なり」
発せられた言葉に呼応し噴水の水が発光する。暫くするとそれは収まり、噴水の周りに複数の明滅を繰り返す透明な球体が浮いていた。一見大きなガラス玉のような見た目のそれは物質界に存在しないモノであり、それを見たライガーの眼に若干興奮の色が灯る。
「アリッサ、何これ? ねぇ何これ?」
「あ、あの?」
「燥がないでよライガー、叩き斬るわよ?」
「……解ってるさ。さ、案内して? この仕掛けをどう使うのかも興味深いし」
「……はい。では私と手を繋いでください。球体に触れる手が私のモノである事が条件なので、もう一人は私の手を握っている人の反対側を握ってください」
アリッサの指示に従い、ライガーがアリッサの手を、リオンがライガーのもう片方の手を握った。
次の瞬間、閃光が瞬く間に広場を包み、ライガー達の姿が掻き消える。後にはいつも通りに水を吹き出し続ける噴水だけがその場に残っていた。
◇
突如発生した閃光に目を眩ませたライガーとリオンは、閉じていた眼を開く事によって仰天する事となる。
眼の前に広がる場所は噴水広場ではなく、どこか鍾乳洞を思わせる様な空間だったからだ。
「ここはどこ?」
「ここは、私や同志達が主な活動を行う拠点への入口に当たります。此方へ」
「……行くよリオン」
「ええ」
一行は洞窟を歩く。
洞窟内は、洞窟の壁が何らかの理由により明滅するため常に一定の明かりが有る状態だった。その洞窟を歩く三人。先頭を歩くアリッサは冷や汗を長し唇を硬く結びながら、その後ろを歩むリオンは殺意と警戒により目をギラつかせながら、最後尾のライガーは興味深そうに発光する壁を見ながら。
暫く歩くと、先頭を歩くアリッサの足が止まり、それに合わせてライガーとリオンの足も止まる。
「着きました。貴方達の知りたい事はこの扉の向こうに居る私の同志が答えてくれるでしょう」
一行の眼前には洞窟の壁があり、そこには扉が埋め込まれていた。両開きの大きな扉は、その身を金属で構成している。壁の明滅により怪しく光を反射させる扉を見て、リオンが警戒を強める。
ライガーとリオンが扉を注視していると、それは自ら開き始めた。重苦しい金属の擦れる音と共に開く扉。その内側の光景にライガーとリオンは眼を丸くした。
「これ、は……」
「……パソコン?」
扉の向こう側にはオフィスが広がっていた。
プラスチックで出来たデスクとそこに設置されたパソコン、それらはこの異世界において異彩を放つ存在だった。
「ディスプレイが光ってる。……発電所なんてあるのかしら?」
「それは魔法の力を動力源として動いているのさ」
「!?」
「誰だ!!」
疑問の声を上げるリオンに対し、誰かが聞き知れぬ声で返答した。
声の発せられた方へ二人が視線を投げる。オフィスの奥、席から立ち上がりライガー達の下へと歩み寄る男が居た。スーツを着た営業マン風の男だ。鋭い切れ長の目に鋭い視線が印象に残るその男は、鋭い笑みを浮かべながらライガー達を見つめていた。
「自己紹介とでも行こうか。私の名前は三日月、一連の騒動を起こした連中の末端だ」
三日月と名乗る男の自己紹介を聞いた瞬間、リオンの中で殺意が膨れ上がる。
接近する三日月にリオンは一瞬の内に接近し、その胸倉を掴むと地面へ叩き付けた。
「お前か。私を元の世界へ帰せ!! でなきゃ殺す!!」
「……この女性は随分と乱暴な様だ。君も苦労したのではないかね? ライガー君」
「まあね。……どうして僕の名前を?」
怪訝な表情を浮かべながら問うライガー。それに対し、三日月はリオンに叩き付けられた体勢のままライガーへ視線をやり、薄ら笑いを浮かべながら口を開く。
「一応これでも主犯の一人だからね。ゲームユーザーの個人情報ぐらいは、特に今回の異世界転移に巻き込んだ人々のモノは把握しているさ」
「個人情報。……ひょっとして運営さん?」
「まあ、行ってしまえばそんなモノさ。……ところで、上の彼女を退かしてくれないか? さっきから腕が捩じれて、痛くて何も話せやしない」
注視すれば、三日月の薄ら笑いを浮かべる顔には少なくない脂汗が浮かんでいる。口の端も若干引き攣っている事から、痛みを我慢していたのだろうとライガーは判断する。
「……リオン、退いてあげなよ。このままじゃ話が進まない」
「……ちっ」
静かに舌打ちを打つとリオンは三日月を解放した。
拘束されていた部分を摩りながら、苦笑を浮かべて三日月が立ち上がる。
「では、順に話すとしようか。一先ずあれだ……」
三日月は苦笑を得意げな笑みに変えると、オフィスに有る適当な椅子に座り足を組む。
その態度の大きさにリオンはイラつきを覚え、ライガーはこれ以上面倒事を増やすなと言わんばかりに苦々しい表情を浮かべていた。
そして、三日月が口を開き、その言葉を放つ。
「君達、最近発達したこのVRMMOが本当に科学の産物だと思っているのかね?」
「それ、は……」
「どういう事よ?」
その言葉にライガーは戸惑いを覚え、リオンは苛立ちを強める。
三日月はその反応が見たかったとばかりにニヤ付き、身振り手振りを加えながら、若干興奮気味に語り出す。
「まず、君達の知るVRMMOが登場したのはおよそ五年前であり、その三年にはある大事件が世界規模で発生していた。そう、君達も良く知る大失踪事件だ」
「……原因不明の大失踪事件、集団神隠しとか言われてたアレね」
「知ってるのリオン?」
「……ちょっと、いくら世情に疎くたって連日テレビのニュースで報道されて学校では先生に注意を促されたこれを知らないってどういう事よ? 貴方って実は馬鹿?」
「まあまあ、喧嘩は後にしてくれよ。今は、私が語り部だ」
余裕と自信に満ちた表情を目にし、リオンはイラ付きからアイテムウィンドウを開きその中からナイフを選択しようとする。目的は勿論、眼前の男に投擲するためだ。
しかし、その直前にアイテムウィンドウが消失した。
「……え?」
「アイテムウィンドウ。ゲームではお馴染みのそれは中に入れた物を腐らせず、規格次第では無限に物品を格納できる優れものだ。何故、それが使えるのか気にならないかい?」
「三日月って言ったっけ? どうせ君達の仕業なんだろう?」
「勿論だとも!!」
嬉しそうに、目を輝かせながら三日月が言う。
その表情に対し、リオンは苛立ちを消し去り警戒を強め、ライガーは自分のアイテムウィンドウが開けるかどうかを試した。結果として、ライガーはアイテムウィンドウを開く事が出来なかった。
「私達は八年前のあの日、異世界へ移動させられた!! それも人為的なモノではない、全くの偶然にな!! そこで私達は様々なモノに触れたよ。人の死、奴隷制、種族による差別、戦争。私達の仲間には死人も多かった、アッチで亡霊に成り果てた奴すら居る」
「…………」
「…………」
ライガーとリオンは閉口する。
ライガーは異世界転移という不条理に遭遇しながら何故三日月はそれを他者に強要したのかと考え、リオンはさっさと話しを進めろと睨む。
「……まあ、紆余曲折有り僕達は元の世界に帰ってきた。そして、僕達はあるモノを作り出した。それは現在、世間ではダイバーズ・ギアと呼ばれている」
「!! それって……」
ダイバーズ・ギア。五年前、突如として世間に姿を現したヘッドギアタイプのゲーム媒体。それは頭に装着する事により、ユーザーの意識をゲーム空間内に反映させる機能を持ち、それはその後に登場する数々のVRMMOゲームの機種として現在も名を馳せている。そして、このダイバーズ・ギアの代替と成り得る機種は未だに存在しない。
「そうとも、君が実験に付き合ってくれたおかげで良いモノが出来上がった。それについては感謝してもし足りないくらいだね」
「……リオン、何の話?」
驚愕に目を丸くするリオンに対しライガーが尋ねる。リオンは自分自身に言い聞かせるように口を開いた。
「……私には、帰らなければいけない理由が有るのは知っているわよね?」
「ああ」
「それっていうのも、私の家が貧乏だからよ。父さんが死んで母さんも病に伏せている。そんな状況で私には妹が居る。私自身だって学校が有り、学費や生活費がどうしても必要になる。……そんな時よ、奴らが私の勧誘に来たのは。父が死に、母が病に伏せた正にその直後だった。私はある機械の実験に関わった」
「……それが」
「その通り、ダイバーズ・ギアだ。彼女にはその製作初期の段階でのテストを行ってもらい、テスターとしての彼女の実績はとても高い。部署が違う為に私と顔を合わせる事は無かったが、それでも彼女の事は有名だったとも。当時実験の失敗で廃人となった者すら出した機械の実験を、逃げずに二年間続けてくれたからね!!」
「!?」
驚愕しリオンの方を向くライガー。
リオンの表情は複雑なモノだった。その表情を見ながら、ライガーは彼女の怒りの一端を理解した。リオンは言った、命懸けだと。正しく彼女は命懸けだったのだ。自分の家族を守る為に死の危険すら踏破した。生命の危険が有るのだ、それなりの金額は報酬として払われた事だろう。だが、己を加えた三人の人間を養うのに、一体どれだけの金が掛かるだろうか。ライガーには想像も出来なかった。
「……リオン」
「言いたい事が纏まっていないなら言わないで。少なくとも、私は己の行いを誇りに思っている。私が動いたおかげで、家族は食い繋げたのだから。母さんも最近具合が良いし、妹だって学校で友達が出来たって毎日嬉しそうに話してくれた。……けどっ!!」
言葉を詰まらせるライガーに悲しげに、それでも優しさを込めた笑顔で言うリオン。
しかしその笑顔も三日月の方へ顔を向けた時点で憎悪に歪んだモノへ変化していた。
「世の中には腐る程汚い奴らが居る!! それなのにっ、よくもこんな世界に放り込んでくれたな!?」
「そうか、帰りたいかね?」
「当たり前だッ!!」
叫ぶリオンと笑う三日月。ライガーとアリッサは、それを見ている事しか出来ないでいる。
そして、三日月が口を開く。
「――――良いとも」
「……なに?」
「帰してやっても良いと言った。勿論、君だけではなく他の帰還を望む人々もだ」
三日月の言葉に一同は驚愕の余り呆然とする。
その中で、逸早く再起動したのはライガーだった。
「……いや、じゃあ何で呼んだんだよ?」
「いや何、ここ一ヶ月の間で既に私達の目的は達成されたからな。……そうだな、一週間後に噴水広場へ集まり給え。私が元の世界へと転送しようじゃないか」
「……本当でしょうね?」
睨み疑うリオンに余裕の笑みを浮かべた三日月が言う。
「勿論だとも、私は嘘を付かないようにしているからね」
「……約束を破ったらそのメイド共々斬り潰すぞ?」
「どうぞやり給え、私は約束を破らないからな」
三日月の言葉を聞き届けると、リオンは膝を折って崩れ落ちた。
「リオン!?」
驚きライガーが駆け寄り、その身体を助け越す。
「大丈夫よライガー。少し、緊張が解けただけだから……」
息を荒くし、ライガーの肩を借りながら立ち上がるリオン。それを三日月が笑いながら見ている。ライガーはその笑顔が気に入らないのか三日月を睨む。
「そう睨むなよ、ライガー君。お父さんは悲しいぞ?」
「お父さん? ハッ、僕はお前なんかに育てられた覚えはないぞ?」
「では、君は誰に育てられたのかね?」
「そんなの決まって……」
「……ライガー?」
唐突に言葉を詰まらせたライガーを訝しみ、リオンがその表情を覗き込む。ライガーの表情は怯えに満たされていた。次第に、ライガーの身体が震え出す。寒さに震えるが如く歯を鳴らす姿は、リオンの今まで見た事がない表情だった。
「……うそ、だ。…………馬鹿な、何で、思い出せない? これじゃ、まるでっ」
「ライガー? どうしたの?」
「――――ッ!!」
立ち上がったリオンがライガーから離れ、その肩を揺さぶろうとする。しかしライガーはリオンを突き飛ばし、震える身体に喝を入れながら三日月に詰め寄る。
「……プレイヤーの個人情報は把握しているんだよな?」
「その通り」
「じゃあ教えろよ……。僕の名前は、ライガーのプレイヤーの本名は何だ!?」
叫びが異世界のオフィスに木霊する。その叫びは最早泣き声に近いモノだ。
ライガーの表情に浮かぶ怯えと不安。それを見て三日月はこれまでで最高の笑顔を浮かべながら口を開いた。
「――――魔法使いライガーには、プレイヤーが存在しない」