十二話 隠蔽された感情
「馬鹿共の数は!?」
「三人だ、報告会に出席していたあの眼鏡ノッポ君のチームだよ!!」
「アイツが? 誰よりもこの規制案に賛成していたのに?」
「その下までもが賛成って訳じゃなかったんだろうよっ!!」
「移動手段は?」
「馬だ。何でも、先日食料と馬を交換したらしい!!」
「何て事っ、まだこの街の保有する騎馬の数は少ないのに……」
ライガー、リオン、トーマスは夜の暗い廊下を走っていた。
屋敷を出たライガーとリオンは慌てているトーマスを無視し縄で繋がれている亜竜種を離す。数は二頭。二人はそれぞれに跨る。
「追跡するのか!?」
「ああ、この子たちの脚は速いから何とかなるかもしれない。ったく、三人とか無謀にも程が有るだろう、自分の命を何だと思ってやがる!?」
「目的の為の捨て石、でしょ?」
「――――なんだって?」
リオンの放った言葉にライガーは思わず睨む。その視線には明確な殺気が乗せられていた。
対するリオンもそれに怯む事無く睨み返す。
「目的を達成するのに制限時間がある人だって居るのよ。例えば、独り身で、親戚も居なくて、その状況で誰かを養わなければいけない人はどうするの? それが子供なら? 家族なら? 恋人なら? 平常心なんて保てる訳ないじゃないっ、今その人は床に伏せてるかもしれないのよ!? 火災に巻き込まれたかもしれない、災害で重傷を負ったかもしれない、誘拐されたかもしれない、変質者に有ったかもしれない、強盗に襲われたかもしれないっ。何が人命よ下らないっ、誰かの為に身を削ってる人の気持ちを踏みにじる程に高尚なモノ!? 私はそうは思わないっ、こっちは何時だって命かけてんのよッ!!」
吐き出される咆哮は戦って来た者にのみ許されるモノだった。
リオンの発言は、殺気だったライガーを怯ませる程の感情が込められている。大気が震えているかの様な錯覚に目を丸くするライガー。しかし、数秒の後にまた殺気を潜ませた視線でリオンを睨み付けてる。
「キサマのそれこそ高尚なモノかよ!? 命かけてる? 知るか、ああ知るかよっ、何せ命かけた事なんて一度も無かったからな!! ああそうだな、僕はガキだ、ガキの視線でしか話せないさ。たまたま魔法使いやってて第一線に立てるからこそ発言できるだけさ!! けどさ、そんなガキだって解るんだよ、今回の転送式が希望でろうと、それが必ずしも帰還に繋がるとは限らないってことをなぁ!!」
「お、まえっ!!」
両者の怒りが加速する。
騎乗していた亜竜種から降りて詰め寄るリオンに対し、ライガーは跳びかかる事によって路上に叩き伏せ様と試みる。抵抗するリオンと更に力を込めるライガーは路上を転がりながらもお互いの猛りをぶつけ合う。
「それでも、私達は手を拱いちゃいられないんだ!!」
「知るかって言ってんだよ!! 仮に死者を出してでも探索を強行したとして、その結果が機関に繋がらなかったらどうする!? 死んだ奴に何て言う!? 帰還した時、ソイツを待っていた奴に何て言うんだよ!!」
「っ!?」
「答えろクソ女!! お前は――――」
「喧嘩してる場合じゃないだろ!?」
猛る心のままに言葉を紡ごうとしたライガーにトーマスから制止が入る。
二人はその声で現状を再認識する。ライガーは掴みかかっていた身体を離し立ち上がると己の騎竜へと跨る。それを見て、リオンは己の服に付いた埃を掃いながら騎竜に乗った。
「……今は預けとく。まずは馬鹿共の救出が先だ」
「ふん、乗せられてあげるわよ」
軽口を叩き合い、二人は亜竜種の背に乗って夜の街を駆け出した。
◇
「!!、見えてきたッ!!」
暗雲立ち込める夜の荒野。
疾走する亜竜種にて疾走するライガーとリオンは遠目に動く影を見つける。数は三、大きさから考えても迷宮を目指す者共である可能性は高い。
「――――風に嘆願する、我らの背中を押し給え」
ライガーの口から呪言が紡がれ、二人の背中に追い風が吹く。
形成された空気の流れに乗った亜竜種の速度は加速する。遠くに見えた影が段々と近付いてきた。
「……所で、お前も止める側なのか?」
「…………」
並走するリオンに対しライガーが尋ねる。
リオンはその問いに対し暫く俯いていたがやがて顔を上げ視線をライガーへ向けて答えた。
「……止める側よ、流石に三人は無謀だわ」
「人命とか下らないって言ってなかったっけ?」
「死なないに越した事はないわ」
「三人はもしかしたら魔道具の使い手かもしれない」
「そんなに都合よく魔道具使いが居る訳ないでしょ。それも、三人もなんて」
ゲーム内における魔道具を所持する者の人口は全体の百分の一にも満たない。切れ味の良い剣、堅牢な防具が手に入ろうとも、魔道具が手に入る事は殆どないと言える。故に盗難の危険が常に付き纏う品でもあった。
「……ごめんなさい」
「何だよ、急に」
「私の発言に対してよ。人命は、下らないモノなんかじゃない。勢いでも言ってはいけない言葉だった。そう、思ったのよ……」
「……気にしてない。口喧嘩に言葉の綾とか揚げ足取りとかは付き物だ」
緯線をリオンに向けずにライガーが言う。
その言葉に、リオンは一瞬己が気遣われたのかと驚き、そして微かに笑った。
「でも、ね? それでも、何もしないなんて事は選択肢に無いの。今だって、いても立ってもいられない」
「……気持ちが解る、なんて言わない。だから」
一端言葉を切り、ライガーは視線をリオンに向ける。
「戻ってから話そう。俺達はせっかく言葉を持っているんだから」
「……そうね、それが一番いい方法だわ」
「ふん。……近い」
そっぽを向くライガーは視線を前方に向ける。
その視線の先には馬に跨る人間が居た。雲が晴れ、差し込む月明かりが騎馬に跨る者共の姿を映し出す。その装備は探索に適しているとはとても思えないモノだった。
ライガーの様に魔道具や魔法を用いなければ、アイテムウィンドウに出し入れできる物品の数は高が知れている。故に長期間の探索や遠征には荷車などの荷物を積載できる物とそれを管理できる者が必要なのだ。彼らにはそれが見当たらない。リオンと話していた通り魔道具持ちという可能性はそもそも無いに等しい。詰りそれは、命を投げ捨てる行為に他ならない。
それが、ライガーの心を逆撫でする。沸々と湧き上がる怒りがどうしようもなくライガーをイラつかせた。
「アイツ等ァ……」
「この距離なら、私は追い付ける。どうする?」
「先行してくれ。落馬しても構わん、遠慮なく叩き落せ」
「……過激な発言ね」
「じんめいなんてくだらない」
「悪かったって言ってるでしょ!?」
茶化すライガーを怒鳴りながら、リオンは騎竜の上で剣を抜き、その力を行使した。
青い残光を残しリオンが不毛の大地を疾走する。月明かりが疎らに照らす荒野に描かれる青い光の線。その光景をライガーは幻想的だと心内で評価した。
「止まりなさいッ!!」
「なっ!?」
「馬と並走する人間?! 化け物か!!」
「失礼ね、馬上から引き摺り下ろすわよ!?」
「うわぁッ!? 不毛地帯の乾燥河童オンナァ!?」
「……ぶん殴る」
リオンは一人一人、丁寧にその顔面を殴り付け気絶させ、走る馬から安全に人を下ろすと言う離れ吐いた業をやってのける。それを見たライガーは開幕された思わぬショーに口笛を吹いた。
「口笛を吹いてる暇が有ったら手伝いなさいよ、お得意の魔法で」
「お前の方が速かった。僕が追い付くまで待ってたんじゃ余計な時間を浪費するだけだったさ」
「それって褒めてるの?」
「凄いよお前は、凄すぎ」
「……ふん」
一瞬嬉しそうな表情を見せたリオンは顔を態と顰めそっぽを向いた。
「さて、後はコイツ等か……」
気絶した三人の青年を見つめるライガーの眼には色濃い怒りが消えずに残留していた。
◇
「……あ、れ。ここは?」
「目が覚めたか」
「っ!?」
目覚めた青年は突然かけられた声に反応し飛び起き、周囲を迅速に確認する。周囲には青年の仲間が先程の青年と同様に転がっている。呼吸がある事から死体ではない。それを確認すると青年は一つ息を吐いた。
「じゃあ、起きた所悪いけど……」
「あ、誰だよ、おま」
「――――歯ァ食いしばれ」
「ぐがっ!?」
自分の知らない少年に話しかけられ怪訝な表情を浮かべていた青年は突如として繰り出された少年の拳に反応できず顔面にストレートを喰らって後方へと転倒した。何故殴られたのか解らずに青年は眼を白黒させる。そして尻餅を付いた青年を、少年は冷徹な視線で見下していた。
「な、何しやがるっ!?」
「痛かった? でも死ねばそれも感じられないよ」
「はぁ? 何訳の分からない事を……」
「迷宮に潜れば死んでたって言っているんだよ」
「!!」
少年、ライガーの言葉に青年は息を詰まらせた。
迷宮。それこそが青年たちの目指すべき場所だった。チームのリーダーが語った転送式の魔物の存在から、元の世界へ帰還する糸口を見つけられるのではないか。青年達はそう考えた。しかし探索を規制する流れが出来ていると知った彼らは、止めようとするリーダーを気絶させてこうして探索に乗り出したのだ。
迷宮を甘く見る心算など、本来の青年には微塵もなかった。しかし心に生まれた焦燥感は青年達から冷静な思考能力を奪う。結果、軽装で迷宮を目指すと言う無謀な行いをしてしまったのだ。青年はライガーの言葉がそれを指摘しているのだと直感した。故に殴られた事に対する怒りが鳴りを潜めてしまったのだ。言われれば気付く、己の無謀さに。そして青年は顔を俯かせる。
「……そんな事、解ってるさ」
「なら帰るぞ」
一言告げて帰還の準備を行おうとするライガーは、青年に背を向けて騎竜の下へ歩こうとする。その背中へ、俯かせていた顔を挙げた青年が言葉を投げた。
「けどよ、慎重になるだけじゃダメだろ!?」
「……何?」
ライガーはその言葉に振り返り青年を見た。
その表情には必死さが滲み出ている。その表情をライガーはどこかで見た事が有った。記憶を探り、それが誰のモノだったかを考えると直ぐに回答が浮上する。リオンだ。街を出る前に行った問答の時に感情を曝け出したリオンの貌に似ているのだ。
「危険は承知さ。今回の俺達は、焦っていたとはいえ無謀だった、それは謝るさ。けど、けどよ、俺達だって何かできる事が有る筈だろ!? 迷宮がどういうモノか知っておくとか、情報を集めるとか、何かあるだろ!? 規制されたから動くなとか、そんな事できる訳ないだろう!?」
「それについてもまだ話し合いの段階だ。命懸けなんだぞ? 失ったら戻らないモノだぞ? 慎重になり過ぎる、なんて事は無いだろう?」
「それでも、周辺調査位できるだろう!?」
「だから、それだってまだ話し合いの段階だって言ってるだろう!?」
「その話し合いっていつまで続くんだよ!?」
「知るか!! そんなもの、終わるまで解らないよ!!」
「待ってられるかそんなの!!」
青年が叫んだ。
その言葉に、ライガーの視線は急激に熱を失っていく。
「じゃあお前、どうやって転送式で突然現れる魔物に対応するんだよ?」
「え、いや、それは」
「どうやってフルプレート装備のゴブリンアーミーを倒すんだよ? 剣なんて通らないぞ? 弓だってある、鎧着たってメイスで一発だ。なぁ、教えてくれよ。どうやってそいつらぶっ殺すんだよ?」
「それ、は……」
「答えられないだろう? 何せ、魔法使いの僕だからこそどうにかなった相手だからな。だから言ってるんだ、死ぬだけだって。お前達が炎を出して敵の肺を焼いたり、地震を起こして敵を転ばせるとかが出来るなら何も言わないさ。だけど、お前達にはそれが出来ない。だから規制するんだ、死ぬ事が目に見えているから。そして知恵を絞るんだ、その為には時間が必要だろうが!!」
「…………」
感情のままに動いていた青年は何も言えない。
冷静になればライガーの言葉こそ正論であると解る。しかし、それでも、焦燥感は拭えないのだ。何かしなければ、動かなければ。心に生まれたそれは、寝ても覚めても苦しめてくる。それが、ライガーの放つ正論とぶつかり合い、青年の心に多大な負荷を与えていた。
「だから、お前達も一緒に考えてくれよ」
「……え?」
ライガーの放った言葉に、青年は鈍い反応しか返せなかった。
共に考えてくれ、そう頼まれ、それを認識するまでに時間が掛かっていたのだ。そして、その言葉にどう返すべきかが定まらない。焦燥感を持つ青年は、ライガーの正論に対し苛立ちを募らせていた。正しいのはライガーだ、そう認識しつつも滲む憎悪が確かに有ったのだ。
青年の視線とライガーの視線が交わる。先程までの冷徹さはない。ただ年相応な少年の瞳がそこには有った。
「出来る事だよ。帰りたくない連中より帰りたい連中の方が必死に考えるのは当たり前の話だし、何よりもその考えで動くことになるのは君達なんだ。発言を求めるのは可笑しい事かい?」
「いや、……」
「意見を出し合って、出来る限り死ななくても良い方法を模索しよう。それからでも良いだろう? 何が起きるか解らないんだよ? ひょっとしたら地下百階なんて事もあるかもしれない。情報が足りないのは確かだ。けど、それで焦って死んじゃダメだろ? 待ってる人が居るんだろう? 帰る理由が有るなら、尚の事慎重になるべきだろう? だから、お願いだ。一緒に帰ろうよ、街に」
「…………」
青年はライガーの眼を見つめる。
月明かりが疎らに差す荒野。そこに立っていた少年は小さかった。その少年が年上である自分を正論で諭すという現状を考え青年は苦笑した。
己の姿を想像して滑稽に思えたのだ。
「……解ったよ、帰るさ」
「ありがと」
苦笑を浮かべる青年に、ライガーは己の手を差し出す。青年はそれを握り立ち上がるのだった。
◇
「このっ、馬鹿野郎!!」
「ガフっ!?」
明け方近くに帰還したライガー達は、チームのリーダーである眼鏡の青年に殴られる青年を遠巻きに眺めていた。
「お前が死んだら、お前の親に何て言えばいいんだよ!! このゲームをお前らに勧めたのは俺なんだぞ!? 俺は、どんな顔でお前達の家族にその死を伝えなきゃなんないんだよっ……」
眼鏡の青年は涙を流している。
その部屋には眼鏡の青年が啜り泣く声と暗い雰囲気が広がっていた。
集団から離れた位置で、ライガーとリオンが苦笑を浮かべる。ライガーは泣いてくれる友達を羨ましいと思ったが故に。リオンは数時間前の自分を思い出しながら。ふと、ライガーとリオンは互いの方向へ視線をやる。期せずしてその視線が交わる。両者とも気恥ずかしくなったのか、勢い良く反対方向へ己の首を捩じった。
暫く経ち、眼鏡の青年のチームは話し合いを終えた様だ。
「ありがとう魔法使い、彼らを失わずに済んだ」
「うん、本当に良かった」
眼鏡の青年の言葉にライガーが微笑む。
そのライガーを見ていたリオンはふとした疑問を抱いた。何故彼はここまで人命を気にするのだろうかと。ライガーとリオンの出会いは迷宮が原因だった。ライガーの探索の理由は好奇心だ。
俯き、リオンはライガーについて考える。
メンバーを募った最大の理由は己の魔法が使えないという状況に遭遇した時の対策だった筈だ。それは、死なずとも重傷者が出るような状況ではないだろうか。そんな状況を想定しておきながら迷宮に乗り込む人物が、果たして人命を尊重するだろうか。
一度湧き上がった疑問は中々消えてくれない。口喧嘩の時の苛烈さと迷宮探索をする前の印象が食い違っている。怒りにより表面化していなかった本性が曝け出されたのか、それとも言い負かす為のテクニックだったのか。
リオンは目だけを動かし視線をライガーに向けた。眼鏡の青年と談笑するライガー。そこには好奇心に任せて危険に飛び込もうとする冒険家の表情は見られなかった。
故に、眼鏡の青年と離れ自分の方へと歩いてくるライガーに、リオンはこの疑問をぶつけようと考えた。
「……ねぇ、ライガー」
「何さリオン?」
「貴方は何故そんなに人命に拘るの?」
「は?」
リオンの問いに何を言っているのか解らないという反応を返すライガー。
「だって、貴方って好奇心に従って迷宮を目指そうとしたじゃない。危険な場所よ? ゲームなら兎も角、ここは血も流れれば苦痛もある、下手を撃てば死ぬのよ? そんな所に踏み込むような人に人命云々について語られるのが納得いかないって思ったのよ」
「……ああ、成程」
苦々しげに後頭部を掻くと、ライガーは静かに語り始めた。
「簡単な話だよ。僕は迷宮の危険を認識していた。けれど、無茶をするつもりが毛頭ないんだ。人生死んだら終わりさ、一時の好奇心のままに危険に飛び込んで死んでしまったら、その後に訪れたかもしれない色んな楽しさを体験できない。それって勿体ないだろう? だから、僕は引き際を見極める。危険が迫ろうとも、早期に見極めれば対策は十分に立てられる。それは探索においても同じであり、今回の転送式は危険だと判断したからこそ撤退を決意した。命は投げ捨てちゃダメだ。あの世が楽園なんて保証はどこにもないんだよ? だから、楽しめる内に楽しまなきゃいけない」
「…………」
その言葉に、リオンは呆れた。
ライガーの意見は最後の一言に集約されていた。
楽しめる内に楽しむ。
命とは人生における楽しみを味わう為に発行される一人一枚だけの無期限チケットであり、それが無くなれば楽しみを味わう事は出来なくなる。ライガーはそうなる事を嫌い、己が嫌悪する状況を他人に味わってほしくないのだ。
それは、命をリセットボタンのないゲームに例える様なモノだ。その何と不謹慎な事か、そう考えリオンは首を傾げる。
ならば己は命の何たるかを語れる程の存在か。眼を閉じ、暫し考え頭を振る。そんな事を深く考えた経験はない。生命について、などと常日頃から哲学的な事を考えている人間が何人いるだろうか。ならば命とは何かと問われた場合、己は明確な返答を返せやしない。リオンはそう思い至り苦笑を浮かべた。
そもそも人が何をどのように捉えようと自由なのだ。その考えに沿って未関係の人間に迷惑を掛けないのであれば、それは間違っていると声を大にして言う程の事ではない。ライガーの場合、例え命に対する捉え方が軽かろうとも、それを大事にしているのだ。己のモノも、他者のモノも尊重することが出来ている。決して粗末な扱いをしている訳では無いのだ。
ならば、別に良いのではないか。そう考え至ったリオンは眼を開ける。眼前には訝しげな表情をするライガーの顔があった。
「リオン、顔芸するならするって言ってよ。反応に困る」
「…………」
そのセリフから、リオンはライガーに己の表情を観察されていたと悟り赤面した。
「まあしかし、おかしな話だよなぁ」
「? 何が?」
苦笑を浮かべたライガーが壁に寄りかかりながらリオンに言う。何がおかしな話なのか、対象を提示しない話し方に若干の苛立ちを感じながらリオンが聞き返す。
「何がって、だってそうだろ? 帰還したいなら管理者であるアリッサに直接言えばいいじゃないか」
瞬間、その場の空気が凍り付いた。
リオンはその言葉を聞いた途端激しい違和感に襲われた。その違和感の正体を探る内に、次に訪れたのは壮絶な不快感だ。吐き気すら催すそれが到来したリオンは膝を折りその場に蹲った。
「ぐ、うぅっ!?」
「リオン!? おい、どうした!! ……他の奴らもか!!」
ライガーが辺りを見渡せば、眼鏡の青年とそのチームメンバーが昏倒していた。リオンとは到来する感覚の強さが違うのか、それともリオンより精神的な強度が足りなかったのかは定かではない。が、原因がライガーの一言に有るのは間違いなかった。
「ぅ、うあああ、あ、ぐっ!!」
吐き気を堪えながらリオンが立ち上がる。
険しい表情に脂汗を浮かべ、真っ直ぐに立つ事を拒否する身体に喝を入れカビに寄りかかりながら立ち上がる。その脳内では思考が高速で渦巻いていた。考える事案はただ一つ、管理者への帰還要請についてだ。
「そう、だ。送り、こんだのは、アイツらじゃないかっ!?」
それは異世界に来た当初から解っていた事だ。何せ、当の主犯達が己の仕業だと告白していたのだから。ならば帰還を強く訴える事が出来た筈だ。少数派とは言え、帰還を望むプレイヤーは二百人以上も居たのだ。デモ行進なり何なり、やれる事は有った筈なのだ。だと言うのにリオンは、眼鏡の青年達はそれを行っていなかった。いや、そもそも管理者と言う存在を認識の外へ弾き出されていた。
その原因が現在味わっている不快感に関係あるのだろう、そうリオンは確信する。管理者について考えれば考える程、不快感は増大していく。気を抜けば再び地面へ逆戻りしそうだ。そして何よりも、脳がその事項について考える事を拒否しようとするのだ。己の意志が介在しない所で。
何かをされている、魔法か呪術か、それとも手術か。己の中に潜む何かが思考回路にフィルターを掛けている。
何せ、こんな厄介事に巻き込んだ相手に憎しみ一つ感じていないのだ。
「わ、たし、は、……アイツを問いただそうと、……なのにっ!? が、あぁぁぁぁぁっ!!」
「これ、は……」
苦しみ喘ぐリオンの様子を見ていたライガーは、その身体から魔法の気配を感じ取っていた。魔法ではなくとも、それに類する神秘的事象がリオンに苦痛を与えている、そう直感する。
「――――風に嘆願する、彼の者等を苛む法を払い給え」
風の力を借り受け、リオンや眼鏡の青年達に纏わり付く神秘を振り払おうと試みる。
だがしかし、ライガーの行使した破魔の風はリオン達に触れた瞬間、強烈な光と共に掻き消えてしまった。
「弾かれた!? ……僕の手に、余るかもしれない」
全身全霊とはいかないまでも、それなりの力で以て行使した魔法が容易く弾かれた。その事実にライガーは冷や汗を流す。力不足から無力感に苛まれるかもしれない、そんな不安が彼を襲う。しかしライガーは、眼の前で苦しむリオンを黙って見ていられない。同じ釜の飯を食べた。迷宮と言う神秘へ共に立ち向かった。取っ組み合いの喧嘩をした。そのリオンは、ライガーの仲間だった。その仲間が苦しんでいる。
その光景を再度目に焼き付け、ライガーは精神を集中させる。感覚を肉体から解き放ち、非物質界に対し声を上げ嘆願する。
「――――誰でも良い、力を貸してくれ!!」
呪言と言うよりも、祈りに近いその言葉。
だがそこに込められた感情は、周囲に漂う精霊達の心を大きく揺さぶった。
発光現象が起きる。明け方に差し掛かる暗い部屋の中に赤、青、緑、黄、その他様々な光を放つ質量を持たない球体が漂いライガーの回りを旋回している。
平常時のライガーならばここで狂喜乱舞して踊り出す事だろう。だが今のライガーは違う。眼の前で苦しむ仲間を助ける、その目的の為に最大の集中力を発揮していた。
「――――輝きし方々に嘆願する、彼の者らを救い給え!!」
嘆願が聞き届けられる。
一際大きな光が部屋の窓を通じ外へと漏れ出した。