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出会い

 中学の頃、成績は中の中だった自分は、家から自転車で数十分の場所にある普通科高校へ入学した。恋愛や刺激も無い日々を過ごし、午前はひたすら勉学に没頭し、昼は友達と只話し、午後の授業をしては家に着く日々を繰り返しながら、そんな3年間をなんとなく高校を卒業した。本当になんとなく…だ。そして大学へは進学せずに、そのまま就職する事になった。特に行きたいと思うような会社も見つからないまま、とある会社に勤める事にした。


 しかし、その会社はとんでもないブラック企業なのであった。

 朝7時頃に会社へ着き、そこから深夜まで残業という毎日。勿論、残業手当てなどといったものはある筈が無かった。そしてアパート(この時に借りていたアパートは、町の中心部から少し離れた河川敷の近くにあり、古く、お隣さんとの壁も薄い板1枚…と、とてもじゃないが満足出来る部屋ではなかった)に帰ると日を跨いでいる。そこから軽く身体を洗い、布団も敷くのが苦痛なので、そのまま自分はソファーで眠りに就く。

 そんな苦しい毎日を続けると、当然自分の身体や心は、体を蝕み、心を底無し沼へと引きずり込む。

 

 しかし、そんな中でも優しくしてくれる人は少数だが居た。

 会社で一番年下だった自分は、先輩方達の前で社長にこっぴどく叱られ、罵倒される事は屡々(しばしば)あった。ある日の昼休み。そんな自分に同情の気持ちがあったのだろう…先輩方は自分を慰めてくれた。 


「まぁ、大丈夫だって! 気にすんなよ!」


「あんなハゲの言うことにいちいち心傷つけられてちゃぁ、この先やってらんねぇぜ? 気合いだ!」


 そんな先輩の励ましの声が、自分にとって何より嬉しかった。 

 しかしその言葉に甘えて脛をかじってはいられない…という思いも、心の片隅にあった。自分は自分で努力はするけれど、それを現実で実行しようとするが、いつも失敗してしまう。そんな自分が許せなかった。しかし、仕方がないと思う反面、やるせない気持ちが込み上げてくる。 

 

 毎日がそんな不安とストレスで押しつぶされそうになっていたある日。

 自分が毎日、朝に通う喫茶店。いつもは落ち着いた厨房で、その日は何やら厨房が騒がしかった。見た所、マスターが何やら見慣れない女性を指導していた。新しいアルバイト新人だろうか? 


「あ~違うよ佐田上さん! んもぉ……まぁ、サンドイッチは後でも良いから、先にコーヒーをお客さんに出してきて!」


「あ、すみません……今直ぐに……」


と、奥の厨房ではそんなやり取りが繰り広げられていた。 

 

 余談だが、この喫茶店も通い始めてもう半年になる。 

 この喫茶店を知ったのは、自分が初めて会社へ出社した日、時間に余裕を持って行こうと思って来たわけだったが、思っていたよりも会社の最寄り駅に早く着きすぎてしまった。小一時間という長い様な短い様な時間に何をしようか悩んだ末、朝食が朝に食べたバナナ1本だったので近くにあったお店に入り、朝食を済ませた。そのお店というのがこの喫茶店だった。

 雰囲気が良く、独特の香りがする茶色い木をベースとして作られた店内。時間がまるでスローモーションで動いているような気がする、とても落ち着きのある喫茶店なのだ。 

 いつも自分は、喫茶店の角の窓際の席へ腰を下ろし、いつものコーヒーとサンドイッチのセットを頼み、熱々のコーヒー(夏の時期は冷たいコーヒーでも注文可能だ。それと、水はセルフ。自分でウォーターサーバーに水を入れる仕組みだが、ソレを使うお客はそういない。よってウォーターサーバーは今や埃を纏った機械と化している)を猫舌ながらも啜りながら、窓から外の風景を眺めている。

 

 そんな落ち着いた喫茶店がいつもと違う雰囲気なので、少々新鮮だった。

 そうこう考えている内に、先程の女性がマグカップに淹れたコーヒーとミルクを手に持ちながら厨房から出て来た。

 

そして自分は息を呑んだ。 


 コーヒーを配膳しながら厨房から出て来た時は、胸の辺りまで伸ばした長い黒髪で顔が見えなかったが、此方にコーヒーを配膳しに来た時に目が合った。とても綺麗で透き通った目をしていた。そして背が低かった。因みに胸もぺたんこだった。 


「えーっと、君……新人のアルバイトさん?」


「あ、はい。佐田上(さだうら) 魅花(みか)と申します。今日から此処で働かせて頂いています……」


なんだかシャイな人なんだなぁ……と、心の中でそう思いながら、自分は言う。


「そうか、頑張ってね。どうでも良いかもだけど、自分も此処の常連でさ、何だか雰囲気というか……落ち着いた感じが好きなんだ」


「あ、私も同じです! この、とても時間がユッタリとながれて落ち着ける感じが大好きで! ……あ、すみません……つい熱くなっちゃいました……すいません……」


「いやいや、いいよいいよ! 謝らなくったって、自分も君も、同じ事思ってこの喫茶店に居るんだから。素敵だとは思うけどね……あ、ごめんね、時間取らせちゃって。そうそう、因みに自分は富士園(ふじぞの) 広栄(こうえい)。覚えても、しょうがないよね……まぁ、頑張ってね! 応援してる!」


「あ、はい!!」


そういうと佐田上さんは頬を赤らめながら、そそくさと厨房へ戻って行った。 


(綺麗な人だったなぁ~ 明日も早く此処に来ようかな)


そう思いながら、熱々のコーヒーを厨房を眺めながら啜ると、いつもより倍のコーヒーの熱さに唇が弾けた。


(熱っ!! 熱いな今日のコーヒー! ……そういえば今日はマスターがコーヒーを淹れてなかったな……っていうことは、佐田上さんが淹れたコーヒーって事か?)


 自分は今になって気付く。 

 いつもマスターは時間を置いてコーヒーを配膳してくれる。 

それはカッコ付けて自分が窓からコーヒーを啜る時、少し熱がっているのを見て、それでマスターは気を使っていてくれていたのだろう。そう思うと、今になっても少し恥ずかしい。

 

 かくして自分は会社へ入る前に、朝は毎日この喫茶店へ来ることにした。朝、家に食べるモノが無いというのもある訳だが、佐田上さんに会いたいという理由が大きかった。 

 いつも自分はサンドイッチとコーヒーを頼むわけだから、佐田上さんも自分が喫茶店に入ると同時に言う。


「サンドイッチとコーヒーのセットです」


そしてコーヒーを淹れると自分の元に配膳してくれる。


「此方、大~変お熱くなっておりますので、お気をつけてお飲み下さいね」


といういつもの台詞付き。


「お気遣いありがとう」


流石にコーヒーの温度の事も、自分の飲み方も、マスターに裏で教えて貰ったのか、完璧なコーヒーだった。そして続けてサンドイッチ。


「此方サンドイッチで御座います」


いつもどうりハムと卵のサンドイッチだが、これもいつもどうりハムと卵が5:5だとすればハムが3.5で卵が6.5である。これはマスターの代からの特徴だった。何のカミングアウトかどうかは別として、自分はこの卵が好きだ。妙に塩辛い卵ではなくて、ほんのりと塩気が効いた卵だからだ。それにより卵がちゃんと自分の味を主張しているのだ。マヨネーズ等もあまり入っていないらしく、素材の味そのまま! といった感じだ。

 

 話が反れたが、あの頃から自分は佐田上さんに恋心を抱いていた。 

しかし自分はシャイだった。配膳・皿を下げる時、或いは入店時など、タイミングなんてどれも沢山あるが、どのタイミングで言おうとも、どれも口が開かない……と言うよりは寧ろ、喉元に何かが突っかかっている様なのだ。 


何を馬鹿な事を…と思うかも知れない。 

しかし、コレは本当だ。上手く言葉が出て来ない。


このままじゃ言えないという焦りは、多少ながらも感じていた。


 そんなある日。

 会社に勤めて一年になり、4月に入り、桜も花を咲かせようと、あちら此方で蕾が沢山付いている季節となった頃、喫茶店に入ると佐田上さんの姿が見当たらなかった。少し疑問に思い、マスターに問い質した。


「今日は佐田上さん居ないけど、遅刻か何か?」


するとマスターが言う。


「あ~佐田上さんねぇ、何かさっき事故しちゃって~って、連絡が入ってきてねぇ。それも電話をくれた人が病院の先生なんだ。大事じゃないと良いんだけど……」


混じり気の無い様な言い方をするマスターの言う事が信じられなかった。


「お……おいおいマスター、冗談なんてらしくないって」


軽く冗談を流す様に自分は言ったつもりだったが、マスターは真剣だった。


「冗談抜きでだ。早く行ってやりな。おまえさんの大切な、恋人なんだろう? ~駅のすぐ傍にデカい百貨店があるだろう? その百貨店を右に進むと最近新しく出来た病院があった筈だ。そこに佐田上さんが居る」


「~駅の直ぐ右の大通り……あ! ……ありがとうマスター! 直ぐ行ってくる!!」


場所が分かると自分は直ぐさま喫茶店のドアを体をぶつける様に押し、喫茶店を後にした。喫茶店からはドアの上部に取り付けられたベルが、いつも以上に鳴り響く。その音に混じり、マスターの声も途切れ途切れ聞こえていた。


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