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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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惜別の椿 ~逃れられない呪縛~

作者: Kouei

 

 私は椿。


 この家のぼっちゃんが生まれた記念にと、旦那様と奥様の手で植えられたただの椿。


 その日から十八年間、この家の庭の片隅からご家族の生活を見守ってきました。


 この家は古い木造二階建てになっており、ここからは居間の様子が良く見えます。


 周りは石塀(いしべい)で囲われており、まるで箱庭のよう。


 春には庭先に彩り豊かな花が咲き乱れ、夏には縁側で夕涼み、秋には枯れ葉でたき火をし、冬には雪だるま作りに勤しむ。


 そんな穏やかな毎日を見てきました。



 気持ちいい。

 ありがとうございます、ぼっちゃん。

 ぼっちゃんが庭の水まきを始めてくれました。


「智樹! 智樹!」


 家の中から、ぼっちゃんを呼ぶ奥様の聞こえてきました。

 ぼっちゃんは一瞬眉間に皺を寄せ、家に向かって声を掛けます。


「ここだよ、母さん」


 最近ぼっちゃんは奥様に呼ばれると、このようなお顔をされるようになりました。

 幼い頃は学校から帰ると、すぐに奥様のお姿を探されたものですが…


「ああ…、どこに行ったかと思ったわ」


 ぼっちゃんの姿を見つけた奥様は、胸に手を当てながら大きく息を吐いています。

 そしてそのまま縁側に座り込みぼっちゃんをじっと見つめている。


 その姿に小さく溜息をついてクルリと奥様に背をむけると、また水まきを始めたぼっちゃん。

 奥様はぼっちゃんの溜息には気が付かず、水まきをするぼっちゃんを見つめ続けます。


 奥様はぼっちゃんを眺めながら語り出しました。


「…お父さん、今頃どうしているかしらねぇ。お父さんが女と出て行ってからもう10年。なんの音沙汰もなくて、離婚届だけを置いていなくなってしまって。私たちのことなんですっかり忘れて楽しく暮らしているのでしょうね」


 言葉を詰まらせ嗚咽する奥様。


「また始まった…」


 ポツリと呟いたぼっちゃんは、軽く息を吐いて奥様の方を振り向きました。


「母さんには僕がいるだろう」


 奥様を励ますように明るい声をかけるぼっちゃん。


「智樹は優しい子ね。お父さんとは大違い。あなたはどこにも行かないでね。お母さんの傍にいてね」


  鼻を鳴らしながら目元を押さえ、ぼっちゃんに訴える奥様。

 ぼっちゃんは聞こえていなかったのか聞こえないふりをしたのか、その言葉には応えず水まきをまた始めました。


 旦那様がいなくなってから奥様のぼっちゃんに対する執着ぶりは強くなっています。

 今日は、日曜日だから朝からこんな調子です。


 ぼっちゃんはお優しい方だから、いつも奥様が安心するように明るく振舞っています。

 しかし、最近その笑顔が不自然になってきているのが気になります。

 奥様は全く気付いていらっしゃらないけれど…


 ぼっちゃんが出かける度に、


 『どこに行くの?』

 『誰と会うの?』


 そう…いちいち詮索され、家にいれば今のように片時もぼっちゃんから目を離そうとしない奥様。

 ぼっちゃんは息が詰まって仕方がないでしょうに…


 けれど、自分と奥様を置いて女の人と出て行った旦那様を憎んでおり、またそんな仕打ちをされた奥様を(あわ)れに思っているので、無碍(むげ)にはできないでいるようです。


 かわいそうなぼっちゃん…

 何か力になって差し上げたいけれど、私はただの椿。

 朝も昼も夜も、ここから見守る事しかできません…


〈♪~〉


 どこからともなく、軽い機械音が庭で鳴り響きます。

 ぼっちゃんは水が出ているホースを放り出して、あわててポケットに入れていたスマホという物を取り出しました。


 スマホに出ている表示をみて、ぼっちゃんの表情が一転して明るくなった事に気が付いた私は、ぼっちゃんの彼女からだと思いました。


「もしもし。うん、うん、え?これから?」


 ぼっちゃんが一瞬、縁側にいる奥様の方に目を向けます。

 そんなぼっちゃんの様子を奥様は、(いぶか)し気に見つめています。


「大丈夫。いつもの店で」


 スマホを切り、ホースの水を止めて奥様の所に駆け寄ったぼっちゃん。


「ちょっと出…「今の誰?」


 ぼっちゃまの言葉を(さえぎ)るように奥様が聞いてきました。

 そんな奥様の言動に少々ムッとした様子のぼっちゃんは一瞬間をおいて


「…クラスメートの矢部からだよ。前にウチに来た事があるだろ?」


「矢部君…」


 その名前の持ち主を記憶の中から探すように黙り込む奥様。


「あいつ先週3日程学校を休んだんだ。その間のノートを貸して欲しいんだって。日曜日の今日、全部写しておきたいんだってさ」


 嘘がバレないように饒舌に説明しながら、サンダルを脱ぎ捨てると縁側から入り、足早に自分の部屋へ向かったぼっちゃん。


 その後を奥様があわてて追いかけて行きます。


「お夕飯までには帰ってくるわよね。お母さん、一人で食べるなんて嫌よ!」


「ちょっとっ 着替えるから!」


 バタンとドアの閉まる音が聞こえてきます。

 奥様はぼっちゃんが着替えているにも関わらず、部屋のドアを開けたようですね。

 それでも奥様は執拗にぼっちゃんに話しかけているようです。


「早く帰ってきてよ! 智樹っ 聞いてるの?」


 ぼっちゃんは部屋の鍵を閉めたらしく、奥様が何度もドアをノックする音が家中に響いています。

 その時、バタンとドアが開き、


 「すぐ帰ってくるから」


 そういうと、言うが早いか飛び出すように部屋を出て玄関へ向かって行きました。


「智樹!」


 奥様が慌てて追いかけ玄関に向かうも、すでにぼっちゃんの姿はありませんでした。

 奥様は諦めたように肩を落とし、居間に戻ってきて座卓に手を突くと力なく座り込みます。


 だいたい2週間くらい前からでしょうか。

 ぼっちゃんが奥様の目を盗むようにコソコソと電話をかけたり、メールを送ったりしている姿を見るようになったのは。


 奥様はぼっちゃんに彼女ができたことに気が付いているのでしょうか。

 いえ、気づいていたら何がなんでも止めていたいに違いありません。


 あんなにもぼっちゃんに執着している奥様がその事実を知ったら、どれほど驚かれるでしょう。

 そのショックは計り知れません。


 奥様にはぼっちゃんだけが、唯一の心の()り所なのですから…


 日が落ち始め、空一面がオレンジ色に染まっても、ぼっちゃんは帰ってきません。


 奥様は居間にある固定電話から何度も電話をかけては切り、切ってはまたかける行為を繰り返しています。もちろん電話の相手はぼっちゃんでしょう。


 居間の飾り棚の上にある置時計の針は夜の7時を過ぎていました。


 ぼっちゃんが出かけてから何時間も経っています。

 もうすでに『すぐに帰ってくる』時間ではなくなっていました。


 奥様の苛立ちが手に取るように感じられます。

 さらに空は(くら)やみ、あちこちに街灯が()き始めても、家の中は真っ暗なままです。


「ただいま—っ」


 家の雰囲気とは反対に、ぼっちゃんの明るい声が聞こえてきました。

 彼女さんと楽しい時間を過ごしたようです。


「母さん、いないの?」


 家中真っ暗。

 奥様の返事もない事に不審に思いながら、部屋の電気を()けると、居間のテーブルで正座している奥様がいました。


「わっ! 電気も()けないで何してんだよ!」


 奥様の姿に驚いたぼっちゃんは、少し語気を強めながら奥様に話かけます。


「…すぐに帰ってくるって言ったじゃない…」


「え?」 


 項垂(うなだ)れた状態で話す奥様の声が聞き取れなかったぼっちゃんは聞き返します。


「今まで何してたのよ!」


 いきなり怒鳴られ、血走った眼で振り返った奥様の形相に驚いたぼっちゃんは、一歩後ずさりながら言い訳を始めました。


「は、早く帰るつもりだったんだけど、矢部に勉強を教えていたら遅くなっちゃって、わ、悪かったよ」


 素直に謝っているぼっちゃんに、プイッと顔を(そむ)け黙ってしまった奥様。

 いい大人がまるで子供が()ねているような様子に半ば飽きれ顔になるぼっちゃん。


「…風呂に入ってくるよ」


 ぼっちゃんは、逃げるように足早にその場を立ち去ります。


 鞄を置き忘れて…


 ふとぼっちゃんが置き忘れた鞄に気が付いた奥様は、外ポケットに入っていたスマホを取り出しました。

 画面を見た途端、驚きの表情を浮かべています。


 きっと画面には彼女と二人で取った写真が映し出されていたのでしょう。

 前に、私の傍でぼっちゃんがスマホを落とした時に見たことがありました。

 何てこと…それを奥様が見てしまうなんて…っ


 その時、廊下の向こうから足早にかけてる来る音が聴こえてきました。


「母さん! 勝手に人の物を見るなよ!」


 ぼっちゃんは、奥様の後ろから手を伸ばし、慌ててスマホを取り返します。


「…その女は誰なの…」


 奥様はぼっちゃんに背を向けたままの状態で問いかけます。


 ぼっちゃんは観念したように一つ溜息をついてから話し始めました。


「前から言おうと思っていたんだ。彼女は…」


 バン!!

 

「母さんに黙っていつからそんな女と付き合っていたの! いつから! 言いなさい!!」


 座卓を叩くとぼっちゃんの方を向き、怒鳴り始めた奥様。


「は〜…黙っていたのは悪かったよ。けど俺の話を冷静に聞いてくれないか?」


 奥様はフラフラと立ち上がりながら、わなわなと震える両手で自分の髪を掴みながら呟いています。


「…あんたも一緒なのね…」


「え?」


「あんたもお父さんと同じように、私を捨てて女と出て行くんでしょ!」


 いつもとは違うギラギラした目でぼっちゃんを睨みつける奥様の形相に、ぼっちゃんは思わず後ずさりをしています。


「な…何を言って…くっ!」


 奥様はぼっちゃんの言葉を遮るように、胸倉を掴みます。


「……行かせない…っ どこにも行かせるもんですか!」


「や、やめろって!!」


 ぼっちゃんが奥様の手を引き剥がすと、力いっぱい押し退()けました。


 ガタガタン!


 奥様は座卓に倒れ込みます。


「か、母さんどうかしてるよ! 父さんがいなくなってから必要以上に俺に干渉するようになって…気持ちは分からないでもないけど…もうっ うんざりなんだよ!」


 今まで溜まっていた心の中の想いを吐き出すように叫ぶぼっちゃん。

 そして奥様に背を向けます。



 ――――――― 私は同じ光景を見た事があります。




 それは旦那様がいなくなったあの夜。

 旦那様が他の女性とつきあっている事を知った奥様は、今と同じように旦那様に詰め寄りました。


『もう、おまえにはうんざりなんだよ!』


 ぼっちゃんと同じ言葉を奥様に吐き、家を出て行こうとした旦那様。

その時……



 ガツッ!!


 ドサッ


 鈍い音と共に、ぼっちゃんが床に倒れました。


 ゴトン


 重い音を出しながら、奥様の手から置時計が落ちます。


「女のところになんか行かせない…!」


 奥様は倒れたぼっちゃんの頭をそっと撫でています。

 そしてその手は真っ赤に…




 ザクザクザク


 シャベルを手にした奥様が、私の横の土を掘っています。


 髪を振り乱し、顎からは汗が滴り落ち、裸足の足は泥だらけ。

 けれどそんな事には構わずに一心不乱に土を掘り続けています。


 そして、傍らにはぼっちゃんが横たわっていました。


 ああ……何もかも同じです。

 あの夜も同じように奥様が土を掘って……


 カツン!


 シャベルの先に固いものが当たり、高い音を響かせました。


「ああ! ごめんなさい、あなた! 痛かったでしょう!?」


 地面に跪き、泥にまみれた白くて丸いモノを愛おしそうに撫でている奥様。


「あなた、智樹が来たわよ。これからはまた親子三人一緒よ…そう…ずうっと一緒……」



 久しぶりに親子三人水入らずですね。

 私はいつもここで見守っていますよ、皆さんを…ずっと…





【終】



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― 新着の感想 ―
「私は椿」から始まる庭先の椿を視点とした斬新な語り口に、読み進めるうちに強く引き込まれました。最後にその意味が鮮やかに回収され、巧みな伏線回収に思わず感嘆しました。 執念深い母親と思春期の息子という構…
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