第9話『距離と熱』
夜が明け、ドワーフの村は早くも鍛冶の音と人々の笑い声で活気づいていた。
蒼真はというと、広場の井戸で顔を洗いながら、冷たい水に頭を突っ込んでいた。
「はぁぁぁぁぁぁ……っ、落ち着け俺……!」
冷水で頭を冷やしても、昨夜のことが頭から離れない。
(いや、待てよ。アルシェは酔っていたんだ! あれは酔いの勢い! 酔っぱらいの戯言! ……だよな? いや、でもあの目は……あの距離は……!)
隣で歯を磨いていたバルドランが、口から泡を飛ばしながらにやりと笑った。
「おうおう、若いの。昨夜はずいぶんと、甘い夜だったじゃねぇか?」
「ぶはっ!? な、ななな何を言ってんだ!?」
蒼真は盛大にむせた。
さらに追い打ちをかけるようなタイミングで後ろから澄ました声が聞こえる。
「……おはよう、蒼真」
振り返れば、アルシェがいた。
長い銀髪を軽く結い、清涼な朝日を背にした彼女と目があった瞬間ーー昨夜のことがフラッシュバックして心臓が早鐘を打つ。
「あ、あの、その……えっと……お、おはよ!」
「……なによ、その挙動不審」
アルシェはぷいと顔を逸らしたが、その耳は赤く染まっていた。
気まずい沈黙。
グラントが寝癖を直しながら現れ、空気をぶち壊す。
「ふぁぁ……おお、二人とも妙に顔が赤いのぅ。酒残っとるのか? それとも……ああ、そういうことか」
「そういうことじゃない!!」
二人同時に声を張り上げた。
バルドランの豪快な笑い声が鍛冶場に響き渡り、場はさらに混沌とした。
そんな気の抜けた空気を吹き飛ばすように、バルドランが大声で言った。
「よし! 昨日話した“魔力溶炉”の件だがな。アルシェのマナに耐えられる器を作るには、特別な鉱石《星鋼》が必要だ。普通の鉄じゃあ、熱と魔力で一瞬で溶けちまう」
「星鋼……?」
「おう。古いダンジョンの奥深くに眠ってるって話だ。滅多に掘り出せねぇ代物だが、手に入れりゃ宇宙船の骨格にだって耐えられる最強の金属よ!」
蒼真の胸に、再び火が灯る。
(……そうだ。気まずさに悩んでいる場合じゃない。俺の目的は――地球に帰ること!)
彼は拳を握りしめ、仲間たちを見渡した。
「よし、行こう。星鋼を探しに!」
アルシェは一瞬ためらったように彼を見つめたが、すぐに凛とした声で応じた。
「……わかった。あなたが本気なら、わたしも力を貸す」
「よし! そんじゃあ、ダンジョン探索は一週間後とする。それまで各々、準備万端にしておけ!」
バルドランの威勢の良い言葉を締めとし、一向はダンジョン攻略へ向けて各々の準備体制をとる。
⸻ダンジョン攻略当日の未明。
まだ夜明け前の薄暗い森。冷たい霧が漂う開けた場所で、蒼真は額の汗を袖で拭った。
「……ふぅ……はぁ……よし、もう一回だ」
両手を構え直し、必死に魔力を練り上げる。
「あなた、思ったよりは根性があるのね」
木陰に立つアルシェが淡々と告げる。
銀髪を結った先が月光に濡れ、朝露と共に輝いていた。
「……帰るためだ。これくらいで弱音は吐けない」
蒼真は息を切らしながらも火球を生み出そうとする。
だが炎は形になりかけては霧散した。
蒼真が悔しそうに舌打ちすると、アルシェはそっと歩み寄って彼の背中に手を添える。
「焦らないで。体の中を流れる力を、意識して束ねるの。……あなた、魔力は十分にある。ただ、扱いが下手なだけ」
彼女の手の温もりがじんわりと伝わり、蒼真の鼓動が速くなる。
(お、おい……集中だってのに……!)
「……今。放ちなさい!」
アルシェの鋭い声に押され、蒼真は全力で魔力を解き放った。
ごうっと火球が膨らみ、今までにないほどの大きさで宙に飛び出す。
木々の梢が一瞬だけ昼のように照らされ、夜明け前の森が赤く染まった。
「や、やった……俺、できた……!」
息を荒げながらも、蒼真の顔には笑みが広がる。
アルシェは腕を組み、わざと素っ気なく言う。
「……まぁ、及第点ね」
しかし、その横顔はほんのり朱に染まっていた。
尖った耳先が赤く色づいているのを見て、蒼真は思わず目を逸らした。
心臓の音が炎よりも激しく鳴り響く。
⸻
特訓の余韻がまだ体に残っている。
蒼真は火球を成功させた達成感と、アルシェの言葉による高揚感を抱えたまま宿舎へ戻った。
空はすでに淡く染まり始め、鳥の声が響き始めている。
鍛冶場の前では、バルドランが巨大な荷袋を肩に担ぎながら待ち構えていた。
「おっそいぞ、若造! 日が昇りきる前に鉱石を掘らにゃ、うまいもんも食えんからな!」
顔を真っ赤にして豪快に笑うその姿は、まるで夜明けの太陽のように眩しい。
グラントは荷物の点検を終え、地図を広げながら冷静に言った。
「今回のダンジョンは自然洞窟を利用した古代の鉱脈跡じゃ。魔物の巣にもなっておるが、バルドランがいれば戦力的には問題なかろう」
「当たり前だ! 俺の鉄槌で砕けぬものなど、この世に存在せん!」
バルドランが誇らしげに武器を掲げると、蒼真は思わず苦笑する。
一方、アルシェは無言で弓を背負い、仲間のやり取りを見守っていた。
彼女の視線が一瞬だけ蒼真に留まる。
今朝の特訓──あのときの彼女の頬の朱を思い出し、蒼真は慌てて目を逸らした。
「……よし」
自分に言い聞かせるように呟き、腰の剣を確かめる。
(迷っている暇なんてない。とにかく俺は、この世界でも自分に出来ることをやるだけだ。そして必ず、地球に帰る……!)
仲間たちの視線が一点に集まる。
まだ朝霧に包まれた道の先、森の奥に口を開ける暗い洞窟。
「さぁ、行こうぜ!」
バルドランが先頭を切り、豪快に歩き出す。
「気を引き締めろ。ダンジョンは一筋縄じゃいかんからのぅ」
グラントが冷静に告げ、地図を片手に後を追う。
蒼真も大きく息を吸い込み、仲間の背中を追った。
アルシェはその横を静かに歩きながら、わずかに微笑む。
「……置いていかれるなよ、人間」
その言葉には、からかいだけではない柔らかな響きが宿っていた。
こうして、蒼真たちは新たな冒険へと踏み出した。
胸にそれぞれの想いを抱え、暗いダンジョンの闇の中へ──。




