第50話『師弟』
墓石の闇がゆっくりと溶けていく。
冷たい風が吹き抜けた次の瞬間、三人は再び同じ場所に立っていた。
蒼真は拳を握りしめ、胸に熱い痛みを残している。
アルシェは肩を上下させながらも、瞳の奥に迷いのない光を宿している。
ミラの杖にはまだ余熱が残り、周囲の空気を焦がすほどの魔力が揺らいでいた。
――それぞれが、自身に纏わる幻影と対峙した。
重さも痛みも胸に残る。だが、それでも確かに前へ進んでいる。
「……蒼真!」
最初に声を上げたのはアルシェだった。
ミラは少し遅れて合流し、唇を噛みしめたまま呟く。
「……こんな胸糞悪い幻影を用意するなんて。ここの墓守は人の傷を抉るのが趣味なのかしら」
その瞳には怒りと悲しみが同居していたが、芯は揺るがない。
三人が互いに視線を交わし合った時――。
墓地の中央。
月光が静かに降り注ぐ中、黒衣の影が一歩、また一歩と静かに歩み寄り姿を現す。
漆黒の髪を風に揺らし、紅玉の瞳が冷ややかに光る。
その姿を見た瞬間、アルシェの心臓は鋭く跳ねた。
「……セレーネ……」
思わず零れ落ちた声は、憎しみとも、懐かしさともつかない震えを帯びていた。
かつて彼女は、幼いアルシェに弓を手渡し、射方を教え、大気に宿るマナを感じ取る術を教えてくれた人。
小鳥を指先に呼び寄せる方法や、澄んだ水が流れる川を見つけて「隠れ家にしよう」と笑ってくれた人。
――温かい記憶の数々が、一瞬にして蘇る。
けれど、その全ては炎に呑まれた。
エルフの里を焼き払い、勇者と共に去っていったその背中を、アルシェは確かに見ていたのだから。
「どうして……」
アルシェの声が震える。
「どうして、あの里を……私たちを裏切ったの……!」
セレーネは微笑んだ。けれどその笑みは、かつて森で見せた優しいものではない。
鋭く研ぎ澄まされた刃のような冷たい微笑。
「アルシェ。あなたも大きくなったのね」
「答えて! あの時のこと……あなたの本当の想いを!」
少女の叫びは、墓地に凍りつくほどの響きを持って放たれる。
セレーネは長い沈黙ののち、紅の瞳を細めて言った。
「知りたいのなら――示しなさい。過去に囚われた幼子の想いではなく、真実を受け止める強さを」
彼女の手に、漆黒の弓が生まれる。
夜気がざわめき、紅の矢が空を裂いた。
「……アルシェ。かつての私の教え子。
あなたの矢が届くならば、答えを与えましょう」
アルシェは唇を噛み、涙をこらえながら弓を構えた。
かつて慕った恩師に矢を向けなければならない――その痛みは胸を裂くほど鋭い。
「……セレーネ。あなたがくれた思い出は、今も私の中に生きてる。
でも……だからこそ聞かせて。あなたが何を選び、なぜあの日、私たちを捨てたのか!」
ミラは杖を構え、蒼真は剣を抜く。
三人の意思が重なり、墓地の空気が張り詰める。
漆黒の弓が強く引かれた。解き放たれた弦の音が静寂を破り、紅の矢が月光を裂いて放たれた。
瞬間、アルシェの矢が迎え撃つ。空中で二本の光がぶつかり合い、弾ける閃光が墓標を照らした。
「っ……!」
アルシェは腕を痺れさせながらも、弦を引き直す。セレーネの矢は一射ごとに星の軌跡を描き、夜空そのものを敵に回しているかのようだった。
「怯むな、アルシェ!」
蒼真が前に出る。剣を振るい、放たれた矢を必死に弾き、刀身が火花を散らした。
だが次の瞬間、地面に影が広がり、そこから黒き鎖が伸びて蒼真の足を絡め取る。
「――っ!?」
「動きを止めるだけで十分。あなたはシオンに遠く及ばない」
セレーネの冷ややかな声が響く。
「させない!」
ミラの杖が振り下ろされ、紫電の奔流が地を焼いた。鎖は爆ぜて黒煙と化し、蒼真は息を呑んで体勢を立て直す。
「ありがとう、ミラ!」
「馬鹿ね、今は集中しなさい!」
セレーネは眉一つ動かさず、再び弓を引く。一本の矢が夜空に放たれ、その光が夜空を覆い尽くす程の真紅の矢へと分裂した。漆黒の夜空に浮かぶ数多の光はまるで星座そのものが形を変えて襲い来るようだった。
「群星の雨……!」
アルシェが息を呑む。幼い頃、一度だけ見せられた、里を焼き尽くした師の奥義。
無数の真紅の矢が空を覆い尽くす。夜空が落ちてくるかのような圧迫感。
アルシェの全身が凍りつく。だが、迷っている暇はなかった。
「……来る!」
蒼真は剣を高く掲げる。
「――輝共鳴剣!」
刀身が白金の輝きを纏い、心臓の鼓動と重なり合うように光を脈動させる。
ミラも同時に詠唱を終える。
「天地よ、雷霆よ……今こそ我が呼び声に応え、滅ぼせ!――終律雷鳴詩!」
紫紺の稲妻が杖先から奔流となり、空を焼き尽くす。
アルシェは弦を限界まで引き絞った。
矢羽根に宿るのは幼き日の憧憬と、今ここに立つ決意。
「……セレーネ。あなたから教わった全てで、今の私を証明する!」
「――蒼穹貫矢!」
三つの力が同時に解き放たれる。
白金の剣閃、紫紺の雷流、蒼き一条の矢――。
それらが夜空を覆う紅の奔流、セレーネの「群星の雨」と激突した。
轟音。
閃光。
天地が裂けるかのような衝撃波が墓地を薙ぎ払い、幾千の墓標が軋みを上げる。
「ぐっ……!」
蒼真は剣を握り締めたまま膝をつきかけ、歯を食いしばる。
「まだよ!」
ミラの稲妻が弧を描き、必死に紅矢の奔流を押し返す。
「……負けない……っ!」
アルシェの蒼矢が光を増し、空を切り裂く。
三人の力が重なり合い、紅の奔流と拮抗する。
しばしの静寂――。
そして。
閃光が弾け、互いの奥義は空中で相殺された。
紅の矢も、白金の剣閃も、蒼白の矢も、雷の奔流も、すべてが白い光となって夜空に散った。
空に残されたのは星々の光のみ。
荒い息を吐きながら、三人はそれぞれ地に足を踏ん張る。
墓地は抉れ、空気は灼熱に焼けただれていた。
セレーネは弓を下ろし、わずかに目を細める。
「……話す価値はありそうね」
その声音には、冷酷さと同時に――ほんの僅かな驚きと、アルシェにとって懐かしさの色が混じっていた。




